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それは運命としか言いようがなくて

 



 目を覚ましたとき、最初に思ったのは――


「……生きてる」


 という、当たり前すぎる事実だった。


 息を吸っても、胸がきしむことはない。身体の奥に残っていた、あの鈍い重さが、嘘みたいに消えている。


「……?」


 ゆっくりと瞬きをすると、見慣れた天蓋が視界に入った。淡い色の布。柔らかな光。窓の外から差し込む朝の気配。


 ——公爵家の、私の部屋。


「戻って……きた?」


 そう呟いた声は、思ったよりもはっきりしていた。

 喉も、苦くない。

 頭も、冴えている。


 身体を起こすと、ふらつきすらなかった。


「……すごい……えっ…」


 気づいて、胸元に手を当てる。


 あの鈍い痛み。

 刺された痕の、残り火みたいな感覚。


 ――ない。


 代わりにあるのは、胸の奥を満たす、あたたかさだった。


「起きた?」


 すぐ近くで、低い声がする。


 振り向く前から、分かっていた。


「……ルカ、お兄様」


 ベッドの縁に腰かけていた彼が、私を見る。

 赤い瞳は、もう濁っていない。

 深くて、静かで――それでいて、どこか柔らかい。


「気分は?」


「……すごく、いいです」


 正直な感想だった。


「胸も、苦しくないし……頭も、はっきりしてて」


 お兄様は、少しだけ目を伏せたあと、私の手を取る。

 指先が絡む。


「それなら……ちゃんと、伝えないとな」


 その言い方に、胸が少しだけ跳ねた。


「……私、どうなったんですか?」


 分かっていないわけじゃない。

 でも、口にして聞くのは、少しだけ怖かった。


「……私は」


 お兄様は、迷うみたいに一瞬だけ間を置いてから言った。


「俺のパートナーになった」


 静かな声だった。

 でも、その一言で、世界が少しだけ傾く。


「……え」


「時間を、共有する存在だ。吸血鬼としての長い寿命も、お互いの鼓動も」


 私は、瞬きを繰り返す。


「……つまり」


 言葉を選びながら、聞く。


「私、ルカお兄様の……お嫁さん、ですか?」


 一拍。


 それから、ルカお兄様が、ほんの少しだけ笑った。


「そうなるな

 しかも……」


 視線を逸らしながら、付け足す。


「吸血鬼の中でも、一番厄介な部類の」


「……?」


「王、だ」


「…………」


 数秒、思考が止まった。


「……え?」


「夜の世界では、そう呼ばれている」


 淡々と言うけれど、その言葉はとんでもない。


「でも兄妹なのに……」


 ぽつりと漏らすと、今度ははっきり笑われた。


「そんなこと、関係ない」


「関係あります!」


 即座に言い返すと、お兄様は肩をすくめる。


「夜の世界では、珍しくもない」


 そのまま、私の額に軽く口づけて。


「それに」


 赤い瞳が、まっすぐに私を映し、囁くみたいに、続ける。


「君が、選んだ」


 その言葉に、胸の奥が、じんわりと熱くなる。


「……はい」


 小さく、でも、はっきり頷いた。


「私が、選びました」


 彼は、しばらく何も言わなかった。

 ただ、私を見つめている。


 それから。

 私を、静かに抱き寄せた。


 力は、強くない。

 でも、迷いのない抱擁。


「……ありがとう」


 耳元で、低く囁かれる。

 それは、初めて聞く、少しだけ弱い声だった。

 私は、その胸に顔を埋める。

 心臓の音が、穏やかで。

 同じリズムで、確かに刻まれている。


 ——同じ時間。


 それが、こんなにも安心できるなんて。


 窓の外では、朝の光が庭を照らしていた。


 長かった夜は、もう終わっている。


 そして。


 私が選んだ夜だけが、

 これから、続いていく。





 その日の午後。


 久しぶりに、公爵家の談話室に通された。


 お父様とお母様が、並んで待っている。2人が優しく微笑むと、部屋の空気がほんの少しだけ和らいだ。


 重かった話が終わったあとみたいに、

 暖炉の火が、ぱち、と小さく音を立てる。


「実は……隠していたことがあるの」


 テーブルの上に、そっと置かれたもの。


「……これ」


 それは。


「……ペンダント」


 見覚えがある。

 いいえ、正確には――なくなったはずのもの。


「……はい」


 喉が、少しだけ詰まる。


「昔……持っていました」


「そうよ」


 お母様は、少し困ったように笑った。


「取り戻すのに、時間がかかってしまって。

 本当に、ごめんなさい」


 お母様の手が、ペンダントを包む。


「これはね、私の大切な親友に贈ったものだったの。大切な親友を同族から守るために……」


「……親友を守るために?」


「ええ」


 頷いて、続ける。


「本当に似ているわ……同じ空色の瞳……

 ….…あなたのおばあちゃんよ」


 その言葉に、胸の奥が、静かに揺れた。


 ——おばあちゃん。


 母が亡くなってから、ほんの短いあいだだけ、一緒に暮らした人。優しくて、でも、どこか遠くを見ている人だった。


「あなたのおばあちゃんも、稀血だった」


 お母様の声は、穏やかだった。


「でもね、普通の優しくて穏やかな、人間の男性と恋に落ちたの。その人が、運命の相手だったのか……長生きしたわ」


 お父様が、静かに言葉を継ぐ。


「だが、ある日、手紙が届いた」


「……手紙?」


「残された時間が、短いこと。そして——」


 お母様が、私を見つめる。


「同じ力を持つあなたに、もし何かあったら面倒を見てほしいって」


 胸が、きゅっとなる。


「このペンダントにはね」


 お母様は、そっとペンダントを握りしめた。


「あなた達の存在を、夜の世界の住人から隠す力があったの」


 だから。

 だから——


「……見つけるのが、遅れた」

「ええ」


 お父様の言葉に、お母様ははっきり頷いた。


「守るつもりが、結果的に、あなたを一人にしてしまった」


「……」


 私は、ペンダントに触れた。


 冷たいはずなのに、なぜか、温かい。


「……守ってくれてたんですね」


 お母様は、微笑む。

 その瞬間だった。


「——それで?」


 急に、明るい声が割り込んだ。


「結婚式は、いつにする?」


「……え?」


 頭が、追いつかない。


「だって、もう決まってるでしょう?」


 お父様が、当然のように頷く。


「式は盛大がいいわよね」

「夜の客も呼ばなきゃ」

「ドレスは何着にする?」


「ちょ、ちょっと待ってください!」


 慌てて声を上げる。


「だって……兄妹ですよ!?」


 その言葉に、

 両親は顔を見合わせてから、同時に笑った。


「夜の世界では、珍しくないぞ」


「私たちだって、従兄弟同士だし」


 そう言って、お母様が隣を見る。


「お兄ちゃん?」


 お父様は、一瞬だけ驚いた顔をして、それから、穏やかに笑った。たわいもない、家族同士の幸せな時間。


「ルカが、君が幸せになってくれてよかった」


 赤い瞳が、柔らかい。


「兄を亡くして、君を引き取ったときは……

 他人を避け、孤独を選んだ君が、まさかこんな顔をするようになるとは思わなかったよ」


 ルカお兄様が、少しだけ視線を逸らす。


「……父上」


 その様子が、どこか照れていて。


 私は、思わず笑ってしまった。


「……ね」


 ルカお兄様が、私の手を取る。


 守られて、選ばれて――

 そして、私も、選んだ。


 この人と、同じ時間を生きることを。


 私は、そっと彼の手を握る。


「お兄様」


 呼ぶその言葉は、もう――

 兄だけを意味していなかった。


 世界は、夜を越えた。


 そして。


 私は、幸せだった。








「私のおばあちゃんと親友……

お父様とお母様って、いくつなの」


「あの人たちは3桁を超えているだろうね

ヴァンシュタインの血は特に長命だし」


「……えっ」



次が最終話。ハッピーエンドです。

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