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貧困街で倒れていた私は、紅い瞳の少年に拾われました






 十五の夜、私はまだ何も知らなかった。

 

 それまでは、ただ守られているだけだと、

 本気で信じていた。








 昔から私は運が悪かった。

 偶然が重なっただけなのかは分からない。


 ただ偶然が重なっただけなのかは分からない。ただ、人より少しだけ、危ない場所に立たされることが多かったように思う。


 5歳のとき、母が死んだ。

 それから少しして、私を育ててくれていた大人たちも、次々といなくなった。


 理由はよく覚えていない。病気だったのか、事故だったのか、それとももっと別の何かだったのか。幼かった私には、理解するには難しすぎた。ただ、気がついたときには、帰る家も、手を引いてくれる人も、いなくなっていた。


 それでも、生きていかなければならなかった。



 その日暮らし、という言葉が、いつの間にか私の日常になっていた。朝になれば、今日を生き延びられるかどうかだけを考える。何かをしたいと思う余裕はなくて、ただ空腹をごまかす方法を探して歩いた。


 食べ物は選べなかった。

 拾えたもの、分けてもらえたもの、時には捨てられていたもの。かびの浮いたパンでも、黒く固くなっていても、食べられる部分が少しでもあれば、それでよかった。


 空腹に慣れてしまうと、怖くなる。

 お腹が鳴らなくなると、生きているという感覚まで薄れていく気がした。


 そうして気づけば、私は貧困街に住み着いていた。

 ここが家だと思ったことは一度もない。それでも、追い出されない場所は、もうここしか残っていなかった。


 冬の貧困街は、容赦がなかった。

 雪はすべてを白く覆い、冷たい空気が肺の奥まで入り込む。薄い布切れのような服では、寒さを防ぐことなどできない。吐く息は白く、指先の感覚は鈍い。もう、何日まともに食べていないのか分からなかった。


 問題は、夜だった。


 雪の降る夜は、人の気配が消える。

 足音は雪に吸われ、街は不自然なほど静かになる。


 それなのに、私は何度も視線を感じた。

 誰もいないはずの路地で、背後に気配だけが残る。振り返っても、そこには降り積もる雪しかない。


 ——そして

 いつも首元にあったはずの感触が、なくなった日から。その日を境に、不可解な出来事は、はっきりと怖いものに変わった。


 混雑した市場で、気づいたときには、もう遅かった。取り戻そうとしたけれど、相手の顔すら見えなかった。ただ、胸の奥がざわついて、理由もなく息がしづらくなった。それでも、生きるためには歩かなければならなかった。


 その夜も、私は貧困街の外れを歩いていた。

 雪は止む気配を見せず、白い粒が視界を埋めていく。


 足先の感覚はほとんどなく、冷たいのか痛いのかも分からない。一歩踏み出すたびに、身体が言うことをきかなくなっていくのが分かった。


 もう、何日も食べていない。

 胃の奥は空っぽなのに、ぎゅっと縮こまって、息をするたびに気持ち悪さが込み上げた。


 目の前が、ふっと暗くなる。

 音が遠のき、世界が滲む。


「……だめ……」


 声にしようとした言葉は、凍った喉に引っかかって、形にならなかった。


 足がもつれ、前に進めなくなる。

 膝から崩れ落ちた瞬間、雪と石畳の冷たさが一気に伝わってきた。


 立ち上がらなきゃ、と思う。

 でも、腕に力が入らない。



 ——ああ。

 ここまで、だったんだ。


 寒いはずなのに、身体の奥から熱が引いていく。

 視界は白く滲み、意識がほどけていく。


 ——このまま、眠ってしまえば。


 そう思った瞬間だった。


 雪を踏みしめる音が聞こえた。

 確かな重さを持った、ひとり分の足音。


 誰かが、私を見下ろしている。



 白い世界の中で、最初に目に入ったのは、夜よりも深い黒だった。雪の中でも色を失わない、艶のある黒髪。


 顔を上げた、その先。

 紅い瞳が、闇のように静かに燃えていた。


 ――こんなに、綺麗な人を見たことがない。


 貧困街で生きてきた私の知る人とは、まるで違う。

 作り物みたいに整った顔立ちで、冷たいはずなのに、目が離せなかった。


 怖いと思うより先に、見惚れてしまった自分に、少し驚いた。


「……まだ、生きているな」


 低く、感情の起伏を感じさせない声。

 同情も、焦りもない。ただ事実を確認するような声音。


 助けてくれる人だとは、思えなかった。

 けれど、逃げる力はもう残っていない。


「……おねがい……」


 生きたいのか、ただ誰かに見つけてほしかったのか。自分でも分からないまま、唇が動いていた。それは、最後の力だった。

 紅い瞳が、わずかに細められる。


「やっと、みつけた」


 その言葉を最後に、私の意識は、降り続く雪の白に溶けていった。


 次に目を覚ましたとき、私は柔らかなベッドの上にいた。身体を包む布は清潔で、驚くほどあたたかい。外の寒さが嘘のようだった。


 ——生きている。


 そう理解した瞬間、胸の奥から、言葉にならない感情が溢れた。


 ここがどこなのか。

 あの人は誰だったのか。

 何も分からない。


 それでも、確かに私は助けられたのだ。


 雪の夜に現れた、黒髪と紅い瞳の少年に。



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