貧困街で倒れていた私は、紅い瞳の少年に拾われました
十五の夜、私はまだ何も知らなかった。
それまでは、ただ守られているだけだと、
本気で信じていた。
◇
昔から私は運が悪かった。
偶然が重なっただけなのかは分からない。
ただ偶然が重なっただけなのかは分からない。ただ、人より少しだけ、危ない場所に立たされることが多かったように思う。
5歳のとき、母が死んだ。
それから少しして、私を育ててくれていた大人たちも、次々といなくなった。
理由はよく覚えていない。病気だったのか、事故だったのか、それとももっと別の何かだったのか。幼かった私には、理解するには難しすぎた。ただ、気がついたときには、帰る家も、手を引いてくれる人も、いなくなっていた。
それでも、生きていかなければならなかった。
その日暮らし、という言葉が、いつの間にか私の日常になっていた。朝になれば、今日を生き延びられるかどうかだけを考える。何かをしたいと思う余裕はなくて、ただ空腹をごまかす方法を探して歩いた。
食べ物は選べなかった。
拾えたもの、分けてもらえたもの、時には捨てられていたもの。かびの浮いたパンでも、黒く固くなっていても、食べられる部分が少しでもあれば、それでよかった。
空腹に慣れてしまうと、怖くなる。
お腹が鳴らなくなると、生きているという感覚まで薄れていく気がした。
そうして気づけば、私は貧困街に住み着いていた。
ここが家だと思ったことは一度もない。それでも、追い出されない場所は、もうここしか残っていなかった。
冬の貧困街は、容赦がなかった。
雪はすべてを白く覆い、冷たい空気が肺の奥まで入り込む。薄い布切れのような服では、寒さを防ぐことなどできない。吐く息は白く、指先の感覚は鈍い。もう、何日まともに食べていないのか分からなかった。
問題は、夜だった。
雪の降る夜は、人の気配が消える。
足音は雪に吸われ、街は不自然なほど静かになる。
それなのに、私は何度も視線を感じた。
誰もいないはずの路地で、背後に気配だけが残る。振り返っても、そこには降り積もる雪しかない。
——そして
いつも首元にあったはずの感触が、なくなった日から。その日を境に、不可解な出来事は、はっきりと怖いものに変わった。
混雑した市場で、気づいたときには、もう遅かった。取り戻そうとしたけれど、相手の顔すら見えなかった。ただ、胸の奥がざわついて、理由もなく息がしづらくなった。それでも、生きるためには歩かなければならなかった。
その夜も、私は貧困街の外れを歩いていた。
雪は止む気配を見せず、白い粒が視界を埋めていく。
足先の感覚はほとんどなく、冷たいのか痛いのかも分からない。一歩踏み出すたびに、身体が言うことをきかなくなっていくのが分かった。
もう、何日も食べていない。
胃の奥は空っぽなのに、ぎゅっと縮こまって、息をするたびに気持ち悪さが込み上げた。
目の前が、ふっと暗くなる。
音が遠のき、世界が滲む。
「……だめ……」
声にしようとした言葉は、凍った喉に引っかかって、形にならなかった。
足がもつれ、前に進めなくなる。
膝から崩れ落ちた瞬間、雪と石畳の冷たさが一気に伝わってきた。
立ち上がらなきゃ、と思う。
でも、腕に力が入らない。
——ああ。
ここまで、だったんだ。
寒いはずなのに、身体の奥から熱が引いていく。
視界は白く滲み、意識がほどけていく。
——このまま、眠ってしまえば。
そう思った瞬間だった。
雪を踏みしめる音が聞こえた。
確かな重さを持った、ひとり分の足音。
誰かが、私を見下ろしている。
白い世界の中で、最初に目に入ったのは、夜よりも深い黒だった。雪の中でも色を失わない、艶のある黒髪。
顔を上げた、その先。
紅い瞳が、闇のように静かに燃えていた。
――こんなに、綺麗な人を見たことがない。
貧困街で生きてきた私の知る人とは、まるで違う。
作り物みたいに整った顔立ちで、冷たいはずなのに、目が離せなかった。
怖いと思うより先に、見惚れてしまった自分に、少し驚いた。
「……まだ、生きているな」
低く、感情の起伏を感じさせない声。
同情も、焦りもない。ただ事実を確認するような声音。
助けてくれる人だとは、思えなかった。
けれど、逃げる力はもう残っていない。
「……おねがい……」
生きたいのか、ただ誰かに見つけてほしかったのか。自分でも分からないまま、唇が動いていた。それは、最後の力だった。
紅い瞳が、わずかに細められる。
「やっと、みつけた」
その言葉を最後に、私の意識は、降り続く雪の白に溶けていった。
次に目を覚ましたとき、私は柔らかなベッドの上にいた。身体を包む布は清潔で、驚くほどあたたかい。外の寒さが嘘のようだった。
——生きている。
そう理解した瞬間、胸の奥から、言葉にならない感情が溢れた。
ここがどこなのか。
あの人は誰だったのか。
何も分からない。
それでも、確かに私は助けられたのだ。
雪の夜に現れた、黒髪と紅い瞳の少年に。




