第五話 泣き虫騎士との出会い
未来史を読み解いたその夜から、アナスタシアの胸には重い石が沈んでいた。
王太子ルシアンの未熟さ、天才魔術師カイの自滅、参謀候補テオの処刑、人嫌いノエルの悲劇。
そして――若き騎士、エドワードの無謀な戦死。
「泣き虫騎士、ね……」
彼の未来を思い出した時、アナスタシアは思わずそう呟いていた。
勇敢で、しかし感情に流され、泣きながらも戦場へ飛び込んでいく――そんな光景が本に描かれていたからだ。
泣き虫で戦死? 一見情けない未来だが、その涙は弱さではなく、仲間や民を想う純粋さの証だと、アナスタシアには思えてならなかった。
――だからこそ、救いたい。
ただの破滅フラグ回避ではなく、彼自身の「生きる力」を引き出してやらなければ。
◆
アナスタシアがエドワードと出会ったのは、学園の中庭だった。
春の陽気に包まれ、学生たちが弛緩した空気の中で談笑する時間帯。
アナスタシアは紅茶を片手に書物を読んでいたが、ふと耳に届いたのは――ひどく情けない泣き声だった。
「う、うぅ……うわあああん……っ!」
目を向ければ、銀色の髪を後ろで結んだ少年が、ベンチの隅で顔を覆って泣いている。
制服はきっちりと着ており、腰には木剣。見た目は立派な騎士候補生。
だがその目尻は赤く、鼻も真っ赤に膨れている。
「……あなた、もしかしてエドワード?」
「ひっ……! な、なんで俺の名前を……っ」
涙目で見上げてくるその姿は、噂通り「泣き虫騎士」そのものだった。
アナスタシアは内心で小さくため息をつきつつも、未来史に記された彼の運命を思い出す。
――この子が、戦場で涙を流しながら無謀に突撃して死ぬなんて。今の時点では、まったく想像できなかった。
「泣いている理由を聞いても?」
「……ぼ、僕は……っ、剣の稽古で……同期にまた負けたんです! 全部、全部だめで……っ、どうして僕だけ……っ」
「……」
彼は真剣に剣を学んでいる。なのに才能があるはずの腕前はまだ未熟で、仲間にからかわれているのだろう。
それが悔しくて、情けなくて、泣いてしまう。
だがその姿を見たアナスタシアは、不思議と胸の奥に温かいものを感じていた。
「悔しくて泣くのは、弱い証じゃないわ」
「……え?」
「むしろ誇っていいことよ。泣けるのは、あなたが真剣に向き合っている証だから」
その一言に、エドワードはポロポロと涙をこぼしながらも、驚いたようにアナスタシアを見つめた。
誰もそんなふうに言ってくれたことはなかったのだろう。
「で、ですが……僕は、みんなに笑われて……っ」
「笑わせておけばいいわ」
アナスタシアは毅然と答えた。
「泣き虫騎士? いいじゃない。それで仲間を守れるのなら、立派な騎士になるわ」
エドワードの瞳が大きく揺れる。
未来史に書かれていた「泣き虫騎士」という二つ名。
アナスタシアはそれを、弱点ではなく「彼を象徴する誇り」として言い切ってやったのだ。
「……アナスタシア様……」
「そうよ、私はアナスタシア・グランディール。王太子の婚約者にして、未来を変える女よ」
「……す、すごい……! な、なんだか勇気が……わいてきました……っ」
泣きながらも、彼の顔に少し笑みが戻っていた。
未来史を変える最初の一歩を、アナスタシアは確かに踏み出した気がした。
◆
だが同時に、学園の生徒たちの間ではこんな囁きも広がっていく。
「またグランディール嬢が騎士候補を籠絡している」
「婚約者がいるのに、あんな下級貴族と?」
「さすが悪役令嬢……」
陰口。
未来史通り、アナスタシアの評判は少しずつ歪められていく。
それでも彼女は背筋を伸ばし、笑顔で答えた。
――私は折れない。
泣き虫な騎士を救うためにも、誰がなんと言おうと、前へ進んでやる。