第四話 婚約者はツンデレ王太子
王都の朝は、いつも華やかで騒がしい。
城下の市場からは活気ある声が響き、城の中庭では騎士たちが訓練をしている。
その喧騒を遠くに聞きながら、私は王宮の迎賓館の一室で、鏡の前に座っていた。
「お嬢様、今日は殿下とのお茶会でございますね」
背後から声をかけてきたのは、執事セドリック。
いつもの落ち着いた声音で、私の髪に櫛を入れていく。
絹糸のように整えられていく長い金髪を見つめながら、私は小さく息を吐いた。
「……本当に、気が重いわ」
未来史に記されていた、断罪の場。
中心で声を上げていたのは、私の婚約者――王太子ルシアン殿下だった。
彼が私を糾弾する姿が、頭の中に焼き付いて離れない。
「アナスタシア、貴様の悪行はもう許せぬ!」
まるでその声が耳元に聞こえてくるようで、私は小さく肩を震わせた。
だが、未来を変えると決めた以上、彼を避けるわけにはいかない。
むしろ、真っ先に向き合うべき相手だ。
そう、彼は――ツンデレ。
未来史の記述によれば、誰よりも真面目で責任感が強く、けれど不器用すぎて誤解しやすい。
その性格が原因で、私との間に数多くのすれ違いを生み、やがて「悪役令嬢断罪」という未来に繋がるのだ。
(ならば、誤解を解き、信頼を築くしかないわね)
心に決意を刻み、私はドレスの裾を整えた。
今日は初夏を思わせるような陽気。薄青のドレスは爽やかで、ルシアン殿下の好みにも合うはずだ。
もっとも、彼が素直に褒めてくれるかどうかは怪しいけれど……。
◇
王宮の庭園。
噴水のそばに設えられた白いテーブルの前に、ルシアン殿下はすでに座っていた。
日差しを受けて輝く銀髪。切れ長の蒼い瞳は、真っ直ぐでありながらどこか不器用な光を帯びている。
整った顔立ちに、自然と息を呑む侍女たちの気配が後ろから伝わってくる。
――けれど、当の本人は眉をひそめていた。
「……遅いぞ、アナスタシア」
開口一番、それだ。
思わず笑みが引きつりそうになるのを、私はどうにか耐えた。
「申し訳ございません、殿下。身支度に少々時間がかかってしまいましたの」
「ふん……毎度のことだな」
視線を逸らしながら、彼はぶつぶつと不満を漏らす。
だが、その耳がほんのり赤く染まっていることに、私は気付いてしまった。
――ああ、やっぱり。
未来史に書かれていた通りだわ。口では冷たく突き放すくせに、内心では気にかけている。
(この不器用さ、何とかしてあげないと……)
椅子に腰掛け、微笑を浮かべて紅茶を手に取る。
香り高い茶葉の香りが、少しだけ場を和ませてくれる。
「殿下、最近の勉学はいかがですか?」
努めて柔らかく話題を振る。
彼はわずかに視線を泳がせ、それから不機嫌そうに言った。
「悪くない。……ただ、政務の書類が煩雑でな。徹夜が続いている」
「まあ……! それではお体に障りますわ」
「心配はいらん。王太子として当然の務めだ」
そう言い切る顔は凛々しい。だが同時に、どこか危うさを感じさせた。
未来史にあった「謀略に巻き込まれ、命を落とす」という記述が頭をよぎる。
彼の真面目さと責任感が、きっとその破滅を招いてしまうのだろう。
(私が……支えなければ)
紅茶を口に含みながら、強くそう心に誓った。
未来を変えるには、彼に寄り添い、彼の孤独を癒す必要がある。
彼はツンデレで、素直じゃない。だけど――その奥にある優しさを、私は知っている。
「殿下」
そっと声をかけると、彼の蒼い瞳がこちらを向いた。
その瞬間、胸がぎゅっと締め付けられる。
未来史では、この瞳が私を断罪していた。だが今はまだ――違う。
「……どうした」
「私は、殿下のお力になりたいと思っておりますの。どんなことでも、遠慮なく仰ってくださいませ」
一瞬、彼の瞳が揺れた。
だが次の瞬間には、いつもの仏頂面に戻る。
「ふん……余計なお世話だ。だが……勝手にそう思っていればいい」
素直じゃない。
けれど、その言葉の端に、確かに照れ隠しが混じっていた。
そのことが嬉しくて、私は小さく微笑んだ。
――未来史を変える一歩。
それは、このツンデレ王太子との距離を縮めることから始まるのだと、私は確信した。