第一話 未来史を読んだ悪役令嬢
第一章 未来史と悪役令嬢の決意
カツン、と分厚い本の背表紙が机に落ちる鈍い音が、静かな書斎に響いた。
私はアナスタシア・グランディール。名門グランディール侯爵家の一人娘であり、王太子ルシアン殿下の婚約者、――そして未来史によれば、学園の卒業式で盛大に断罪される「悪役令嬢」である。
……いや、なんでそんな未来が決まっているのよ。
きっかけは、昨日の夜のこと。
屋敷の地下倉庫にしまわれていた古書の山から、妙に光を放つ分厚い一冊を見つけてしまったのだ。埃をかぶったそれは、どう見ても古代文字で綴られた歴史書。けれど、なぜか私にはその内容がすらすらと頭に入ってきた。
読み進めるうち、ぞっとした。
そこに記されていたのは、これから数年先のこの国の未来――「未来史」としか言えない内容だったからだ。
戦乱の火種。貴族同士の確執。魔獣の暴走。
そして……「王太子ルシアン、婚約者アナスタシアを断罪す」などという文字。
「……なんで、私が断罪されるのよ!」
翌朝、寝不足のままベッドから這い出て、こうして机に本を叩きつけたわけだ。
まったく、未来史って残酷すぎる。
王太子に嫌われて、この国の要となる少年たちを虐め抜き、最後に全ての悪事を糾弾される。処刑はされないまでも、爵位を剥奪され、家ごと没落する――そんな未来が待っているなんて。
ふざけないで。私は別にそんな悪女じゃない!
少し口が悪いのと、ちょっと気が強いのと、多少わがままなだけじゃない!
……多少、ね。
私はクッションに顔を埋め、ぐるぐると悩みを巡らせる。
けれど、このまま破滅を待つなんて絶対に嫌だ。私は侯爵家の娘として優雅に生き抜きたいし、できれば王太子妃としての未来だって掴みたい。
だいたい未来史を読み進めると、問題は私の断罪だけじゃなかった。
王太子ルシアンは「己の未熟さゆえに戦で大敗」。
騎士団の若き精鋭――エドワードは「無謀な突撃で戦死」。
天才魔術師の卵カイは「精神を病み、暴走魔術で自滅」。
参謀候補のテオは「裏切りを疑われ処刑」。
人嫌いの少年ノエルは「魔獣と共に討伐される」。
将来を有望された若者たちが、みんな悲惨な末路を迎えている。
それに拍車をかけているのが、未来史における「悪役令嬢アナスタシア」の存在。
……いやいやいや、私が放置したら国ごと滅びかけるの!?
「……ふふっ」
気づけば私は、笑っていた。
呆れと諦めと、ほんの少しの興奮が入り混じった笑いだ。
「いいじゃない。救ってみせるわよ。王太子も、騎士も、魔術師も、参謀も、魔獣使いも。みんな私が育て直して、立派な英雄に仕立ててみせる!」
そう、決めた。
未来を変えるのは、他の誰でもない――悪役令嬢の私。
◆
「お嬢様、あまり夜更かしはなさらぬように」
背後から静かな声がした。振り返れば、いつも冷静沈着な執事セドリックが控えていた。
淡い銀髪に切れ長の瞳。仕立てのいい黒の燕尾服を身に纏い、物静かに佇む姿は、まるで絵画の一部のよう。
「セドリック! 聞いて! 私、未来を変えることにしたの!」
「……未来を、でございますか」
彼は微かに目を細めただけで、特に驚きもせずに受け止めてくれる。
「殿下を勉強漬けにして、エドワードには命を大事にする騎士になってもらって、カイの自信を回復させて、テオの野心を正しく導いて、ノエルの人嫌いを直して……」
「随分と忙しい計画でございますね」
「ふふん、でもやるわ! 私がやらなきゃ国が滅ぶもの!」
私が胸を張ると、セドリックは静かに頭を下げた。
「お嬢様が決意を固められたのなら、私はそれに従いましょう。ただし……」
「ただし?」
「ご自身を一番にお守りください。未来を変えることに囚われて、お嬢様ご自身が倒れてしまっては元も子もございません」
その声音はいつになく柔らかく、心の奥に響いた。
セドリックはただの執事。けれど、いつも私の傍で支え、冷静に見守ってくれている。
「大丈夫よ、セドリック。私、絶対に破滅なんてしない」
「……ええ。信じております」
そう言って、彼は微笑んだ。
未来史に記されていた「断罪される悪役令嬢アナスタシア」とは違う私の未来が、今ここから始まる。
断罪? 破滅? そんなものは全部ひっくり返してみせる。
だって私は――歴史を読む者じゃなく、歴史を作る者なのだから。