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【連載版始めました】私を裏切った人達が幸せな結婚をするそうなので、全部ぶち壊してみました

作者: 神田夏生

 最近、婚約者の様子がおかしい。


 私の名はフィオーレ。ディステル子爵家の長女で、家族は他に妹と弟がいる。

 ちなみに私は実は前世の記憶がある。前世では子どもを庇ってトラックに轢かれ死んだのだが、転生の際に「転生の番人」と名乗る人から、「お前はいいことをしたからレアスキルをあげよう」と言われ、超レアスキルを貰った。


 ただ特殊スキルすぎて、この世界の人々に知られたら大変なことになりそうなので、普段は隠している。前世で早くに命を落としたこともあり、危険だけど目立つ人生より、地味でも平穏な人生を送りたかったからだ。


 ともかく。そんな私には、ハイドランシア伯爵家の嫡男であるドグス様という婚約者がいる。


 社交シーズンでお互い王都のタウンハウスで暮らしている間は、週に一度はどちらかの家を訪ね、一緒にお茶をしていた。夜会があれば、もちろんパートナーとして参加した。領地のカントリーハウスにいる間でも、手紙のやりとりをして近況を知らせていた。それに領地が隣接しているため、時間があれば互いの屋敷を行き来していた。


 だけど最近、彼の様子がおかしい。


 まず、男性の友人達と狩猟や遠乗りに出かけると言って、私と会ってくれる時間が減った。


 あまりに何度も「今週は友人達と予定があるから」と断られるので、たまには私も一緒に行きたいと言ってみると、「君は馬に乗れないし、これは男同士での付き合いだから。家同士の関係も絡んでくるし……社交の一環であり、仕事のようなものなんだ。理解してほしいな」と言われてしまった。


 それだけではない。彼は、趣味ではない装飾品(アクセサリー)を身に着けるようになった。


「ドグス様、その腕輪は……?」

「ああ、これか。友人に勧められてさ」


 彼が着けていたのは、薔薇色の宝石がはめ込まれた腕輪だ。

 ドグス様は落ち着いた色がお好みのはずで、私はこれまで誕生日などには、濃紺や深緑の装飾品を贈っていた。彼がそんなに明るい石の腕輪を身に着けるのは意外で……少し、不自然だ。


(……考えすぎ? いつもと気分を変えたくなることだって、あるかな)


 不安が顔に出てしまっていたのだろうか。ドグス様は私に優しく笑いかけてくれた。


「そうだ。君にも同じものをプレゼントするよ」

「え? いえ、そんな……」

「遠慮しないで。最近、寂しい思いをさせてしまっているだろう。心苦しく思っていたんだ」


 その後すぐ二人で宝飾店に出かけ、彼が着けているものとお揃いの腕輪を購入することになった。ドグス様が私の手を取り、腕輪を着けてくれる。


「薔薇色って、素敵な色だよな。幸福の色だ。最近、その美しさに気付いてさ。……君もこの色を好きになってくれたら、嬉しいな」

「……はい、ありがとうございます。大切にしますね」

「ああ。俺はこの腕輪に、真実の愛を誓うよ」


 多少の違和感はあったものの……二年前から婚約している相手なのだ。

 彼のことを信じたい、と思っていた。



 ◇ ◇ ◇



 それが壊れたのは、数ヶ月後のことだ。

 最近忙しそうな彼だけど、この日はひと月前から、一緒にお茶をしようと約束していて。私がハイドランシア家のタウンハウスを訪れると……。


「ドグス様は先程『少し出かけてくる』と外出されました」


 ハイドランシア家の使用人さんに、そう告げられた。


「まあ……今日は一緒にお茶を飲むお約束していたのですが」

「はい……申し訳ございません」

「すぐ帰ってくるかもしれないし、お戻りになるまで、お待ちしていていいかしら」


 付き合いの浅い相手であれば失礼かもしれないが、私は彼の婚約者で、家族ぐるみで付き合いがあり、このタウンハウスにももう何度も訪れている。


 使用人さんも、私が来る予定だと知っていたはずだ。その約束を破ったのは彼の方だということもあり、追い返すわけにはいかなかったのだろう。私は、ドグス様の部屋へ通された。


 そこで、テーブルに手紙が置いてあることに気付く。


(……え?)


 封筒に、丸みを帯びた字で書かれていた差出人は、「ローズ・ダスティー」

 愛らしい容姿で、花の妖精のようだと社交界で噂されている子爵令嬢の名だ。


(……どうして、ローズ様からのお手紙が?)


 ドクン、ドクンと、胸が嫌な音を立てる。

 たまらず、私はその手紙に手を伸ばし――


「何をしている」


 扉の方から声がして、はっと振り返ると、ドグス様が立っていた。


「ドグス様、お出かけ中だったのでは……」

「君との約束を思い出してな。急いで戻ってきたんだ」


 思い出した、ということは、つい先程まで忘れていたということだろう。

 だけど彼は謝ることもなく、険しい目をしていた。


「それより、何をしているかと聞いているんだが?」

「そ……それは」

「まさかとは思うが、俺宛の手紙を盗み見ようとしていたんじゃないだろうな? それは個人の秘密(プライバシー)の侵害だ」


 彼はつかつかとこちらに寄ってきて、汚らわしいものを見るように私を見る。


「あ、あの。お手紙の……差出人の名前が、目に入ってしまって。どうしてドグス様に、ローズ様からのお手紙が届いているのかと……」

「家同士の付き合いがあるんだ。俺が彼女と手紙のやり取りをしていると、何かおかしいか?」

「その……」


 言おうかどうか迷った。……迷った末に、勇気を出して聞いてみることにした。

 ちゃんと否定してくれれば、それで安心できるからだ。

 

「不貞を、しているのではないのかと思って……」


 やましいことがないのなら、そう言ってほしかった。私だって、彼を疑うなんてしたくないのだから。


 だけど、彼はかっと目を見開いて――


「俺を疑うのか!?」


(――え?)


 突然、今まで出されたことないような大声を出され、頭の中が真っ白になってしまった。


「婚約者を疑って、俺宛の手紙を盗み見ようだなんて最低だ! 君がそんな人だなんて思わなかった……!」


 ドグス様はひどく傷ついた顔をしていて、それが尚更私を動揺させた。


(え……? わ、私が、ドグス様を傷つけてしまったの?)


「そんな誤解をされるなんて心外だ。彼女からは、相談を受けていただけなのに」

「相談……? どのような……?」

「そんなこと、言えるわけないだろう。個人の秘密に関わることだ」


 私が狼狽えているうちに、彼は矢継ぎ早に話す。


「ダスティー家とは、家同士の付き合いもある。それに詳しくは言えないけど、彼女は今、とても困っているんだ。力になってあげたいと思うのは、人として当然だろう? 君は、彼女をかわいそうだと思わないのか? 困っている人を見捨てて平気なのか?」


(相談なら、婚約者のいない相手にするべきでは……? 婚約者が他の女性とやり取りをしていたら、気になってしまうのは仕方がないと思うのだけど……)


「他の家と交流を持つのは、貴族として当然のことであり、領地のためでもあるんだ。君が嫁いできたとき、二人でもっとハイドランシアを良くしていけるよう、俺はいつも頑張っているんだぞ。これは君のためでもあるんだ。君なら、わかってくれていると思っていたのに……」


 戸惑いはあった。言い返す言葉も喉から出かかった。

 だけど、一方的に責める口調で言われ……パニックになってしまって。この場をおさめるために、つい謝ってしまった。


「ご……ごめんなさい」


 すると、ドグス様はまるでスイッチを切り替えたように、ぱっと優しい笑顔になる。


「うん。人を疑うのはよくないって、反省できたね?」

「は……はい。私が悪かったです。反省しています」

「わかってくれてよかった! もういい、気にしていないよ。許してやるさ」

「あ、ありがとう……」

「はは、いいって。でも、今後は気をつけてくれよ?」


 ドグス様はそう言って、幼い子を宥めるようにぽんぽんと頭を撫でてくれた。

 私は、胸の中の靄を、呑み込むことしかできなかった。



 ◇ ◇ ◇



「婚約破棄……ですか?」


 ドグス様からその話を出されたのは、手紙の件から更に数ヶ月後のことだった。

 前世のネット小説では、舞踏会の場で、大衆の前で……などというのがお約束だけれど。ドグス様からの婚約破棄は、実に静かなものだった。ハイドランシアの屋敷で、私と彼の二人きりで、淡々と言い渡されたのだ。


「君が俺への手紙を見たことについて、許そう、と思っていたんだ。だけど……君に疑われたことが、自分でも想像以上に、ショックだったみたいで。今でも、あのときのことを思い出しては、胸が痛むんだ。俺って君にとって、そんなに信じられない男だったんだなって」

「そんな……」

「俺のことが信用できないんだろう? そんな気持ちで、今後上手くいくはずがない。だから、この婚約は解消した方がいい。これはお互いのためだよ」

「ま、待って。確かに私にも悪いところはあったかもしれないけど、そんなことくらいで……」

「そんなこと? 俺の心の傷を、君はそんな軽いものとして扱うのか?」

「そ、そうじゃなくて」

「それに、今自分でも認めただろう? 『確かに私も悪かった』って」

「いや、それは……」


 謙遜のようにとっさに言ってしまっただけの言葉で、深い意味なんてなかった。なのに彼は、「言質をとった」とばかりに長い息を吐く。


「人を疑って、人の痛みを軽んじて。君は心の汚れた人だよ。自分を見つめ直した方がいい。そんなんじゃ、この先他の男性ともやっていけないよ?」


 ――これ以上は何を話しても無駄だ。そう察し、ひどく空虚な気持ちになった。


「……わかりました、婚約は解消ですね。では慰謝料のお支払いについてですが……」


 当然の話を切り出しただけなのに、ドグス様は「信じられない」というように大きく目を見開いた。


「俺は何も悪いことをしていない。それどころか君が俺を傷つけたのに、金をせびろうというのか? 君がそんな人だとは思わなかった」

「ですが婚約破棄となると、家同士の問題もありますし……」

「そうだ、家同士の問題だ。ディステル領には、ハイドランシア産の薬草が必要だろう? 俺と揉め事を起こすのは得策じゃないと、君だってわかるよな?」


 ――ハイドランシア領にある山は、危険な魔獣が多いものの、薬草が豊富に採れる。その薬草は回復薬の要であり、ディステル領の医院などでもよく使用されている。


 ディステル領の森にも野生動物や魔獣が住んでおり、それによって肉や毛皮などは採取できるものの、薬草に関してはハイドランシアの方が質がいい。もしも薬草の取引を止められたら、日々魔獣達と戦う騎士や冒険者の人々が大いに困ることになるだろう。


「そんな顔しないでくれ、俺は悪魔じゃない。君が俺から金を奪おうなんてことさえ言わないでくれたら、ハイドランシアは今後もディステルと良好な関係を築いていくと誓うよ」


 ――まるで「俺は寛容だろう?」とばかりに、にっこりと笑って。話はそれで終わりになった。


 今思えば、もっと言い返すべきだったのだろう。いっそ暴れたっていい場面だったのかもしれない。


 でも、私はいつも、とっさに動けない。後から思えば「ああすればよかった」とかいろいろ出てくるのに。衝撃的なこと、傷つけられるようなことを言われるとショックで思考が固まってしまって、反射的に上手い返しをすることが難しかった。


 そして、彼の屋敷を出ようとしたところで……ドグスの母親に声をかけられた。

 婚約者として、何度も顔を合わせたことがある人だ。「この人が私のお母様になるのだ」と思っていたし、彼女の期待に応えられるよう、今まで上手くやっていたと思っていたのだが――


「ドグスから、婚約破棄について、聞いたのよね? その……あの子の気持ちもわかってあげて? あの子は優しいから、あなたに本心を告げるのも、辛かったはずなの」


 彼女は困ったように笑って、親としての謝罪も、慰謝料についても一言も述べなかった。


「まあ、そんなに落ち込まないでね。あなたなら、きっといいご縁に恵まれると思うから」


 そんなわけがなかった。



 ――社交界に、「フィオーレ・ディステルが婚約破棄された」という噂がひろまるのは、あっという間だった。


 ネット小説ではよくある「婚約破棄」だが、本来はそんな簡単に行われるものではなく、不名誉極まりないことだ。貴族界において、もともと別の誰かの婚約者だった女を欲しがる男性はほぼいないし、私と婚約することでハイドランシア家を敵に回す可能性だって考えるだろう。


 婚約破棄「された」女。よほど何か難があるのだろうと敬遠され、白い目で見られ、結局私は良縁に恵まれなかった。パートナーがいないことと、ドグスと顔を合わせたくないという思いから、社交界に顔を出すのも気まずくなり、次第に孤立していった。私が、友人だと思っていた人達も……。


「え? あ~、その……婚約破棄はかわいそうだけど、まあドグス様のご都合もあるし、仕方ないよね。うちとしても、ハイドランシア家を敵に回したくはないし……もう話しかけないでくれる?」

「ていうか、婚約を破棄されるなんて、フィオーレにも原因があったんじゃないの? よく知らないけどさ。でも私ならもっと上手くやったけどな~」


 皆、人が変わったかのように、より身分の高いドグスの方につくことを選んだ。寄り添ってくれることなどなく、弱っていた私を責め、追い打ちをかけた。私がドグスの婚約者だったときは対等な関係を築けていたはずだが、婚約破棄された女など「格下」だと認定したのだろう。


 一方、ドグスは華々しい日々を送っているようだ。ローズ様も、相変わらず「花の妖精」として、社交界で愛されているらしい。


 前世と違い、娯楽なんて皆無に等しい世界だ。貴族のゴシップは民にとって恰好のエンタメである。市井に出れば、噂は嫌でも耳に入ってきた。それに、社交界と距離を置くようになったとはいえ、仮にも貴族として出席しなければならない会というのもある。――だからこそ。


 ドグスと、ローズ様の。二人が幸せそうにしている噂が。

 嫌でも、耳に入ってきたのだ。



 ◇ ◇ ◇



「ドグス様が、ローズ様とご結婚なさるそうよ」


 ――そんな噂が耳に入ってきたのは、私と彼の婚約破棄から一年後のことだった。

 噂によると、「フィオーレに傷つけられたドグス様を、ローズ様が優しく励まして、そこから愛が生まれた」らしい。


 ――本当に? 私との婚約破棄のときには、もう二人は愛し合っていたんじゃないの? やっぱり不貞だったんじゃないの?


 そう思うものの、確たる証拠はない。思い出すのは、彼の「俺を疑うのか!?」という言葉だけ。


(駄目だ、忘れなきゃ。……もう、忘れたい。いくら考えたって不毛なんだから)


 だけど、ある日のこと。気晴らしのため王都の貴族街を歩いていると……デート中なのか、二人で楽しそうにしているドグスとローズ様の姿を、見つけてしまった。


 とっさに建物と建物の間の狭い部分に身を隠すと、二人の会話が聞こえてくる。


「ああ、ようやくドグス様と結婚できるのですね! 思えば長い道のりでした」

「君を待たせてしまってすまない、ローズ。婚約破棄のあとすぐ結婚したんじゃあ、外聞が悪いからさ。こっちが不貞していたなんてバレれば、俺も君も慰謝料を払う羽目になってしまっただろうし……。何より、君が泥棒猫みたいな見られ方をするのは、嫌だったんだ」


(……え?)


「ええ、ドグス様は本当にお優しいですね。それにしても、フィオーレ様に私達の関係が知られる前に、穏便に婚約破棄できて、本当によかったです!」

「君からの愛の手紙を見られそうになったときは、肝が冷えたけどね。『俺を疑うのか』と叱りつけたら、黙ってくれて本当によかった」

「ふふ。ドグス様、私を守ってくれてありがとうございます。婚約者のいる男性に手を出したなんて知られたら、私も立場が危なかったですから」

「大切な君のためなら、俺はなんでもするさ、ローズ」


 真実の愛を示すように、ドグスはローズの手を取り、甲に口付ける。

 ローズの手首には――あの、薔薇色の宝石の腕輪が輝いていた。


「やっぱり、その腕輪は君によく似合う。ローズの瞳の色の宝石だからな」

「ふふ。私の色の腕輪をドグス様が着けてくださっているっていうのも、嬉しいです」


 ドグスも相変わらず腕輪を着けていて、お揃いにしているのだということはすぐわかった。


 ――二人がお揃いにしているのを隠蔽するために、あのとき私にも同じ腕輪を贈ったのだということも、すぐにわかった。


 ドグスは、うっとりと陶酔するようにローズと腕輪を見つめ、囁く。


「俺はこの、君色の腕輪に、君への真実の愛を誓うよ。愛しいローズ」


(……ああ。そういえばあのとき、『誰への』真実の愛を誓うのかということは、言っていなかったわね)


 ――私にも、悪い部分はあった。

 今までそう思って、無理矢理自分を納得させようとしていた。

 でも違った。

 ただ、彼が不貞していただけ。

 自分のことを棚に上げて私を責めて、「俺は悪くない、お前が悪い」と責任転嫁していただけ。自分の罪から目を逸らすために、私を犠牲にしただけ。


 ……ローズからの手紙を見ようとしたときのことが、脳裏に蘇る。


 ――「は……はい。私が悪かったです。反省しています」

 ――「わかってくれてよかった! もういい、気にしていないよ。許してやるさ」


 何故あのとき、私が謝らなければならなかったのか。

 何故、彼が「許しを与える側」だったというのか。


 大袈裟に「傷ついた」「お前が悪い」という態度をとって罪悪感を植えつけることで、相手を支配する。それが、彼のやり方だったのだ。


「ああ、結婚式が本当に楽しみです! 幸せな式になるのでしょうね」

「もちろんだ、ローズ。俺達らしい、薔薇色の結婚式になるさ」


 二人は仲睦まじく腕を組み、幸せそうに歩いてゆく。

 そんな彼らの背中を、私はただ静かに見送り――

 身体の内側を、黒い炎が焦がしてゆくようだった。



 ◇ ◇ ◇



 ドグスとローズの結婚式当日。式は、ハイドランシア領の大きな式場で行われることになった。


 式はつつがなく進行し、二人は人生で一番の幸せに包まれる――

 ……はずだった。

 式場に、私が乱入するまでは。


 バン、と大きな音を立てて、式場の扉を開けた。

 ドグスとローズ、二人の親族、その他貴族達など列席者達の視線が、一斉にこちらを向く。


「その結婚、お待ちください」


 私の姿を目に入れたドグスは、怒りでかっと目を見開いた。

 今の私は、新婦のウェディングドレスと真逆の、黒のドレスを纏っている。

 ドグスが、ローズの前には私と婚約していたことは、貴族なら誰もが知っている。そんな私の登場に、会場中がどよめいた。


「フィオーレ、お前は招待していないぞ! 過去に俺を傷つけただけでなく、今度はローズのことまで傷つけるつもりなのか!?」


 被害者ぶってこちらを悪人に仕立て上げる、そんな手にはもう乗らない。私は淡々と言葉を返した。


「いいえ。私はただ、皆様にご覧いただきたいものがあって来たのです」


 そう言って――私は、今までずっと隠していた自分のスキルを発動させる。

 空中に、プロジェクターのように、映像が流れ出した。


「なんだ……? これは……」

「これは私のスキル……レアスキル、『記録』です。自分が見た・聞いたものを、そのまま他人に見せる能力なのです」


 人々は、初めて見る「映像」というものに、驚きざわめいていた。


 この世界には、「カメラ」とか「ビデオ」とか「録音機」というものは、一切ない。

 魔石によって、コンロとか水洗トイレとかの便利な魔道具はあるものの。それらは「火の魔石」とか「水の魔石」とか、自然の力を持つ魔石を使用しているものだ。火でも水でも風でも土でもないカメラやビデオの能力を再現することは、魔法のあるこの世界でも、現時点では不可能である。


 人々にとって、「記録」といえば、見聞きしたことを紙に「書き記す」ことがせいぜいで、「音や映像をそのまま保存する」なんて、この世界の人々にはそんな発想すらなかっただろう。他にこのスキルを持つ人も、少なくとも私は知らない。本当に、唯一無二のスキルなのだ。


 ――なんで今までこの力を使わなかったのか、って?


 だって唯一無二の力なんて、ヤバい能力だとわかっていた。貴族社会なんて、相手の家を没落させてやりたいとか、敵を今の立場から蹴落としてやりたいとか、そういう謀略が渦巻いている。私を攫うなり、あらゆる方法で従順にさせて、この力を利用したいと思う人は多いだろう。あるいは、私の力を危険視して、暗殺しようとする者が出たっておかしくない。それくらい、レアなスキルだから。


 だから隠すことにしたのだ。両親にすら、この力のことは言っていない。私はただ、平穏に暮らしたかったから。


 婚約破棄されて、社交界でいろいろ噂されている間には、何度「晒してやろうか」と考えた。でも当時は確たる証拠もなかったし、理性によって留めていた。


 ……それに。この能力を使ったところで、どうせこう言われるのだ。「恨みによって過去の行いを晒した恐ろしい女」って。


 そもそも「不貞くらい許してやれ」というスタンスの人は一定数いる。所詮、他人には婚約者同士の問題なんて関係ないし、私が騒いだところで結局、面白おかしいゴシップにされてしまうのだろうと思っていた。それなら騒ぎを大きくするより、早く噂が風化するのを待った方が得策だと考えていた。


 そう――私だって。最初は、忘れようと思っていたのだ。

 だって婚約破棄を言い出された時点で、もうドグスの気持ちは私にはないわけで。下手に騒げばそれこそ家同士の問題、貴族間の派閥の問題に転がって泥沼化しかねない。貴族同士の問題となれば、身分の低いこちら側が圧倒的に不利だ。戦ったところで得られるものは少なく、損をする可能性の方が高い。


 ならいっそ噂がおさまるまで待って、あとはもう、全てを忘れて前を向いた方が自分のためだと思ったのだ。


 ……そう、思っていた。

 でも、無理だった。

 頭ではわかっていても、感情がついてきてくれなかった。

 時間が経つほど、「やっぱりあれはおかしい」「あのときああ言えばよかった」と考えてしまって。

 時間が経つほど、「まだ引きずってしまっている自分」にも苛立つようになって、どんどん苦しくなっていって。


 嫌なことは忘れろ、って。正論なんだろうな。だけど簡単にそれができるなら誰も苦労しない。忘れたいのに忘れられないから、苦しいのだ。忘れられない自分が嫌で、自分にこんな心の傷を与えた奴らが憎くて、いっそう傷が膿んでゆく……その繰り返し。少しでもこの痛みを和らげる方法があるというのなら、それに賭けたい、そう願ってしまうほど。

 

 だから、このスキルを使った。――私の目で見て、私の耳で聞いた、ドグスとの記憶が。ローズからの手紙が見つかったときの反応や、婚約破棄の際のやりとり、慰謝料のこと、それから、街で偶然聞いてしまったローズとの会話が。


 全て、今この場にいる人々の前に、晒された。


 ドグスは最初、私のスキルがどんなものか全くわかっていなかったことと、「映像」というものを見るのが初めてということもあり、呆然としていた。だけど全ての映像が終わった後、やっと我に返ったようだ。

 

「こ……こんな昔のことを、今更掘り返すなんて! 大体婚約破棄は、お前だって納得してのことだっただろう!? 全部終わったことなのに、今になって文句を言うなんて陰湿だ!」


 ――よし。

 混乱すると口が滑ってしまうのは、彼も同じなのね。

 今の彼の発言は、「私の見せた映像が全て事実である」と証明してくれた。

 列席者の人々は、それぞれ顔を見合わせて驚きを口にする。そして、多くの人々がドグスとローズに軽蔑の眼差しを向けた。


「今のは、本当にあった出来事だったのか……」

「信じられない。あの二人、外面はいいのに……中身はド屑だな」

「自分達がフィオーレ嬢を傷つけておきながら、まるで彼女が加害者のように仕立て上げるなんて……」

「よくそれで、今まで平気な顔で笑っていられたよな。恐ろしい……」


 ザワザワと、二人を非難する声は、波紋のようにひろがってゆく。そこでドグスは、再びはっと我に返ったように声を上げた。

 

「い、いや! こんなの嘘だ! 皆、騙されないでくれ!」


 慌てふためく彼に、私はすかさず言ってやる。


「あら、ドグス様ったら。今、確かに言ったでしょう? 『こんな昔のことを、今更掘り返すなんて』と。これは過去に、実際にあった出来事なのだと、お認めになったでしょう?」


 ドグスは苦々しい顔をし、一方ローズは目に涙を溜めて否定する。


「わ、私はあんなこと言ってませんっ! 婚約破棄はドグス様が勝手にしたことです……! こんなの、魔法で捏造したんでしょう!? 酷いです……!」


 彼女はそう言って、被害者ぶって同情を集め、逃げようとしたが―― 

 それを怒鳴りつけたのは、なんとドグスだった。


「ローズ、お前! 自分だけ逃げようだなんて卑怯だぞ! お前だって、裏でさんざんフィオーレのことを馬鹿にしていただろう!」

「な……酷い! ドグス様、私を守ってくださらないの!?」

「お前だけ助かるなんて許せん! 俺が助からないなら、お前も道連れだ!」


(……こんな二人が、永遠の愛を誓おうとしていたなんて。滑稽だわ)


 婚約者を裏切り、人から奪い取るような恋。やっている最中は、背徳感で燃え上がるものなのかもしれないけれど。実際結ばれてみればこんなものだ。そもそも、人の婚約者を寝取るような女と、自分を棚に上げて婚約者を責めるような男である。そんな二人、上手くいくはずがない。


 もしかしたら、放っておいても将来、二人は自滅したのかもしれない。

 だけど、もう限界だった。二人が自然に破滅してくれるのを待つ数年間すら、私には苦痛だったのだ。全部、全部、ぶち壊してやりたかった。


 ドグスは屈辱に震えながら、きつく私を睨みつける。


「これはハイドランシア家の名誉を傷つける行為だ! 両家にとって大切な結婚式を台無しにした賠償と、慰謝料を請求する。また、子爵家の女ごときが、ハイドランシア伯爵家を冒涜した不敬で鞭打ちも受けてもらうからな!」


 ――馬鹿なことをしたとはわかっている。

 向こうの方が悪だろうが、結局、身分は私の方が低い。この国は完全なる身分制度の国であり、全てを暴露しようが、ドグスの方が優位であることに変わりはないのだ。


 さっきまでは、場の雰囲気でドグスとローズを非難していた人達だって、別に身を挺してまで私の味方になってくれるわけではない。所詮は他人だ。多少の同情はしたって、結局は我が身の方が大事だ。


 もっとも、私だってこれが他人ごとだったら、わざわざ首を突っ込んだりしないだろうし、それに関しては仕方がない。自分を犠牲にしてまで他者を守るなんて、フィクションの中だけでの話。現実でそんなことをしたって損しかない。


 数日もすれば、結局私の方が「陰湿で恐ろしい女」にされ、この結婚式のことは、面白おかしい復讐劇として夜会での話のネタにされるのだろう。


 わかっていた。こんなことをしたって、何の意味もないと。

 だけど、どうしても、過去を忘れることができなかった。

 何故、私を傷つけた人間が、私より幸せでいるというのか。

 何の咎めも受けることなく、薔薇色の笑顔で皆から祝福されるというのか。

 愚かだとわかっていても、受け入れるなんてできなかった。


(でも……結局私も、これで終わり)


 もう、何もかもどうでもいい。そう諦めかけた、そのとき――


「賠償? 慰謝料? おかしなことを言うのだな」


 そう言って席を立ち上がったのは、一人の男性。

 漆黒の髪に、青い宝石のような瞳。通った鼻筋も、形のいい唇も、何もかもが、まるでこの世のものではないかのように美しい。


(この御方は――)


「ヴィルフォード様……! これは伯爵家の矜持の問題なのです。いくらヴィルフォード様でも、家の問題に口出ししないでいただきたく存じます!」


(ヴィルフォード……そうだ、公爵様だわ)


 ヴィルフォード様は、もとは隣国ゼラニウムの王太子だった。しかし、我が国ティランジアとの国交強化のため、パイプ役も兼ねて、十四年前、彼が六歳のときにこの国に預けられたのだ。


 国のためのパイプ役なら王女を嫁がせるというケースが一般的だが、生憎ちょうどそのときゼラニウム側に、年頃かつ独身の王女がいなかったそうだ。そのため、彼がこの国へ送られることになったのだとか。最初は、王宮住まいで留学という形だったのだが、成人してから公爵位を与えられ、この国に永住することになったらしい。


 しかし、彼がこの国に預けられたことについては、正直謎が多い。

 建前上は「国交強化」とはいえ、同時期に、彼の母親……当時の正妃は魔獣に襲われて亡くなっており、それによって当時の側妃が正妃となった。王位継承権も、ヴィルフォード様から側妃の息子へと移ったらしい。


 ヴィルフォード様の母の死は、本当にただの偶然だったのか。誰かの、何らかの思惑が裏で動いていたのではないかと噂されているが、真相は定かではない。


 ともかく、そんなヴィルフォード様が、ドグスと対峙する。


(そもそも、ヴィルフォード様ほどの身分の御方が、この結婚式に列席しているなんて……)


 いや、不思議ではないかもしれない。ヴィルフォード様は社交がお好きなのか、とにかくどんな貴族の夜会や冠婚葬祭にも顔を出すことで有名だった。


 社交がお好きというか……何かの情報を集めるため、あえて人の多い場所に顔を出すようにしているのでは、なんて。彼の母親の死の噂とあわせて、そんな噂も出回っているけど。


(……それより今は、何故、彼が立ち上がってくれたのかだわ)


 それだけ私が哀れだった? 同情? 正義感?

 ……だけど、一瞬。一瞬だけこちらの様子を窺った彼の瞳には、そんな生易しいものではない何かが見え隠れした。


 そして彼……ヴィルフォード公爵様は、妖艶な微笑を浮かべながら告げる。



「彼女は私の……ヴィルフォード・スカビオサの婚約者。つまり、未来の公爵夫人だ。伯爵家ごときが口を出さないでもらおうか」



(え……!?)


 彼の言葉に、この場にいた全員がザワッとどよめく。はっきり言って、私も驚いてしまった。ヴィルフォード様には何かお考えがあるようだから、表情には出さないように努めたけど。


「それに、被害者は彼女の方だ。それは、この場にいる皆が証人だろう?」


 会場内は、しんと静まり返る。公爵様の言葉だから、というのもあるが、そもそもドグス達の方が悪であるということ自体は事実だからだ。


 皮肉なものだ。二人の愛の証人となるはずだった人々が、二人の罪の証人となるなんて。

 そんなことを考えていると、頭の中に声が響いて――


『素晴らしい能力だね、フィオーレ・ディステル。まさかそんなスキルがあったとは』

『え!? な……何? これ……』

『あなたにレアスキルがあるように、これは俺のレアスキルだ。口に出さなくても、心の声で会話できるんだよ』

『あ……あの。あなたの事情はよくわかりませんが、助けようとしてくださっているのですよね……? あ、ありがとうございま……』


 こちらがお礼を言い切る前に、ヴィルフォード様の声に愉悦が滲む。


『はは。まさか俺が、善意であなたを助けているとでも? 残念だけど、俺は無償で人助けをするような優しい男ではないよ』


 口に出さず、頭の中に響く声だけで会話をしている状態だ。今もヴィルフォード様は、表面上は涼しい顔をしている。


 だけど、頭に響く声は仄暗く、冷たい。闇に声があったらこんな感じなのだろうか、なんて思ってしまうほどに。


『あなたの能力は俺にとって、利用価値がある。これは、利害一致というやつだ』


 利害一致、なるほど。すとんと、その言葉が私の中に落ちた。善意で助けられるより、ずっと納得できたからだ。


『フィオーレ、あなたの復讐に協力する。だから……俺の復讐に協力してくれ』

『あなたの、復讐……?』

『ああ。いわば俺達は、共犯者ということさ』


 私達が思念で会話している間にも、周りの時間は止まっているわけじゃない。ドグスは自分の罪を覆い隠そうとするかのような大声を上げる。


「言いがかりはやめてもらおう! 恋愛は個人の自由。俺達は真実の愛を見つけただけだ! 不貞は犯罪じゃない!」


 確かに、彼らの行いを正式な罪として裁くことはない。

 けれどヴィルフォード様は、ふっと口角を上げ、他の人達にも聞こえるよう、普通に声に出して話す。


「そうだな。だが、『自身の身勝手な感情によって、平気で婚約者を傷つけて捨てた』なんて相手との付き合いは遠慮したいと思うのも、個人の自由であり、私の自由だ」


 にこりと、ヴィルフォード様が微笑を浮かべた。

 優雅な貴族のお手本というほど完璧で美しい表情なのに、どこか得体の知れない不穏さを感じさせる。


「ご存じの通り我が領地は、魔石の鉱山がある。今まではこのハイドランシア伯爵領とも取引をしていた。だが、我が領地の上質な魔石を欲する地は、国内外を問わず多くてね。これを機に取引先を変えても、私は全く困らないよ」


 魔石は、この世界における重要なエネルギー源だ。この世界にはネット小説のように、魔力によって動くコンロや、お風呂、水洗トイレなどがあるが、魔力のない者は、魔石がなければそれらを動かすことはできない。魔石の供給を止められるということは、元の世界でいえば、電気や水道を止められるようなものである。ドグスは顔面を蒼白にした。


「そ、そんな、魔石を人質にとるような真似! 卑怯ではありませんか!」

「おや。あなたは我が婚約者に、薬草の産地であることを理由に、慰謝料の支払いを拒否しただろう? それに自分の領地の取引をどう決定するかは、領主の自由だ。我が領地には優秀な回復術士も多く、ハイドランシア領からの薬草がなくても困らないしね」

「そんな……そんなの、勝手です! 個人の感情でそんなことをして、許されると思っているのですか!?」

「はは、あなたの口からその言葉が出るとは面白いね。――あなたは身勝手に婚約者を捨てるのと同時に、社会的信用も捨てた。それだけのことさ」

「そんな……!」

「自分の都合で、あれほど勝手に婚約破棄するような人間は、他の取引や契約だっていつ勝手に破るかわからない。関わりたくないと思うのは当然だろう? ……何より私は、愛する者を傷つけられたんだ。あなたに真実の愛があるように、私にも真実の愛があるということさ」


 ――よく言う。今この場で、初めて会ったばかりなのに。

 だけど彼に話を合わせるため、私はなるべくヴィルフォード様に恋焦がれている様子を演出することにした。うっとりと彼を見つめてみる。


 それでもドグスは納得いかないようで、声を荒らげる。


「適当に言っているのでしょう! ヴィルフォード公爵殿がフィオーレなんか選ぶはずがない! 公爵家の婚約者がこんなことをするのもおかしいでしょう!? 絶対嘘だ、何か裏があるに決まっている!」

「何もおかしくないだろう。今回の件については、私が彼女に言ったのさ。君は彼らに傷つけられたのだから、君の思うようにすればいい。君のことは私が守るから……と。ね? フィオーレ」

「……はい。ヴィルフォード様」


 熱い眼差しを交わす(ように見せている)と、ドグスとローズは顔を真っ赤にしてわなわなと震えていた。……多分だけど、ずっと見下していた私が公爵様と結ばれるなんて許せないのだろう。私を捨てたのは彼の方なのであっても……捨てたからこそ、彼らにとって「フィオーレ」はずっと自分達より格下で、惨めでなくてはいけないのだ。本当は価値のあるものを捨ててしまったなんて、思いたくないから。


「信じられません! あなた達は嘘を吐いている! 本当だと言うなら、婚約者だという証拠を見せろ!」

「証拠……か」


 ヴィルフォード様はコツコツとこちらに歩み寄りながら、私に思念を飛ばす。


『フィオーレ』

『はい』

『これは、あなたが嫌なら断っても構わない。ただ、もしあなたの許しをもらえるなら』

『はい』

『あなたに、口付けても?』

『――ええ。どうぞ、お好きなように』


 私の目の前で足を止めたヴィルフォード様。そっと、頬に彼の長い指が滑る。

 次の瞬間――二つの唇が、重なった。

 目を閉じていても、周囲の人々が、驚きで目を瞠っているのがわかる。


 ……おかしなものだ。自分を捨てた男の結婚式で、黒のドレスを纏い、初めて会う人とキスをしているなんて。


 だけどこれは婚約の誓いではない。……共犯者としての、誓い。


 永遠のような一瞬が終わり、唇が離れる。

 ドグスもローズも、呆然として大きく口を開いていた。しかし数秒後、はっと我に返ったようにまた身体を震わせる。


「ち……違う! こんなの、何かの間違いだ! フィオーレなんかが、こんな……!」


 そこでまた一人、男性が険しい顔をして立ち上がった。

 あれは、ドグスの父。現在のハイドランシア伯爵だ。


「いいかげんにしろ、ドグス。見苦しいぞ」

「ち、父上……!」

「婚約は本人達の問題だから、破棄のことを聞いても口出ししなかった。だが、まさかお前がここまで下衆なことをしていたとはな。知らなかったですまされることではないが……知らなかった。そして知ってしまった以上、当主として責任を言い渡す必要がある」


 続けて、伯爵はドグスに短く告げた。


「ドグス。お前は廃嫡する」


 えっ、と。ドグス・ローズを含む周囲の人々が目を見開いた。


「伯爵位は、次男のマモトスに継がせる。お前は勘当だ。本日をもって、ハイドランシアの屋敷から出ていけ」

「な、何を言っているのですか、父上!」

「なおこの式の費用は、自分達で払うように。もちろん、屋敷を出ていった後の家賃など、今後の生活費も全てだ。私は資金を援助する気も、保証人になる気も一切ない」

「そ、そんな! 式の費用は、父上が払ってくれるはずだったではないですか! だからこそ、ローズに最上級のドレスを仕立てたり、指輪を買ってやれたのにっ!」

「ああ。至らない点もある息子だが、結婚して、これからは次期伯爵としてしっかりしてくれるだろうと思ったから、費用を出してやるはずだった。……お前がここまで駄目な人間だと思わなかった。お前のような愚か者に必要なのは、援助ではなく罰だ」


 貴族だからこそ開ける、盛大な式だ。勘当され、ただの庶民となり果てた人間の稼ぎでは、一体何年働けば返せるかわかったものではない。多大な借金となるだろう。


 そもそもこれからドグスは、住む場所を探さなくてはならないし、仕事も見つけなければならなくなるが。伯爵家を勘当された者など、誰が雇うだろうか。


「ドグス。お前はフィオーレ嬢への不誠実な対応によって公爵様の不興を買ったのだ。当主として、見過ごせることではない」


 ……伯爵も、ヴィルフォード様がこの場にいなければ、勘当とまでは言い出さなかったかもしれない。いわばこの勘当宣言は、公爵様へのパフォーマンスだ。ハイドランシア家と領地を守るために必要なことだから行ったことだろう。


 もっとも、これほど大勢証人がいるのだから、後で「勘当は撤回する」などできるはずもない。勘当自体は嘘でもなんでもない、決定事項だ。


 ローズは、顔を真っ青にしていた。


「そ、そんな……じゃあ、私はどうなるの!? 伯爵夫人になれるんじゃないの!?」


 悲鳴にも似たその言葉に答えたのは、彼女の父だ。


「ドグスが廃嫡されるのに、お前が伯爵夫人になれるわけがないだろう。……ローズ。それでもお前は……ドグスと結婚したのだから、これからの彼を支えていきなさい」

「は、はあ!? 何言ってるの、お父様!」

「他人の婚約者だったのに奪わずにはいられないほど、彼を愛しているんだろう? 貧しくても協力し合って生きてゆく、それこそが真実の愛じゃないのか」

「伯爵じゃないドグスに意味なんてないわよ! ただの平民になったドグスと、借金を抱えて生きていくなんて耐えられない!」


 そこで、ローズの隣のドグスがかっと目を見開いた。


「ローズ、お前……! 俺のことが好きなんだって、身分なんて関係ないって言ったじゃないか! あれは嘘だったのか!? 結局金目当てだったんだな!」

「馬鹿じゃないの!? 当たり前でしょ! 爵位を継がないあんたなんか、何の価値もないわよ!」


 新郎新婦の姿のまま、ドグスとローズは醜い言い争いをする。もはや、美しいドレスも花束も、会場の装飾も、何の意味もなさない。単に贅を尽くしただけの虚飾だった。


『フィオーレ、どうする? 二人のやりとりを最後まで見ていくかい?』

『……いいえ。もういいです』

『そう。なら、黒のお姫様は攫わせてもらうとしよう』


 ヴィルフォード様が、黒いドレス姿の私を抱き上げ、ドグスとローズが言い争っているどさくさに紛れて、式場を出ていく。


『それで、お姫様。次は、俺との約束を果たしてくれるだろう?』

『……ええ。私にできることであれば』


 ヴィルフォードは私を腕に抱いたまま、どこまでも美しくて、冷たい微笑を浮かべる。


『俺の復讐は、俺の母を殺した人間に自白させ、その事実を白日の下に晒すこと。……そのために、あなたの力を利用させてもらう』


 この日、私の運命は変わった。

 結婚式をぶち壊した結果……公爵様の共犯者として、運命を共にすることになったのだ――



読んでくださってありがとうございます!!

連載版も始めましたので、よろしくお願いいたします!

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なんでもスーパー能力で助けてくれるいわゆるスパダリでなく、助ける男の側にも打算があるのが好印象。 惚れた女のために働くのも男の甲斐性だが、一方的に助けてばかりだというのも不平等だしな。
行き当たりばったり感があり公爵になんとかしてもらった感じですが、他にやれるとするなら事前に公爵に接触して抱き込むくらいですし運が良かったですね まあ公爵の復讐もするならその場で公爵の地位をもって参加者…
二人のこの後の復讐物語も読みたいです。
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