異世界賢者、現代日本で身分証を作る!?
「……身分証?」
エリュが不思議そうに首を傾げた。
銀髪がさらりと揺れ、金色の瞳が真剣にこちらを見つめている。
「そう。あなた、この世界じゃ“無戸籍”扱いだよ」
私は手元のスマホを握りしめ、ため息をつく。
「バイトするにも、家を借りるにも、身分証がないと無理なんだから」
「……君の世界は、縁も血も紙に書かねば認められぬのか」
「そうだよ!」
《異世界の賢者様にはピンとこないかもしれないけど…私が生活費を支えてるんだぞ!?》
「……頼るなら、あの人しかいないか」
私は深呼吸をしてスマホを開き、登録済みの連絡先をタップした。
「真島先輩、相談があって……」
電話の向こうで、落ち着いた声が返ってくる。
『どうした、水原? こんな夜に』
「えっと……友達が身分証を持ってなくて、バイトもできなくて」
「一応この国の人なんですけど……色々複雑で」
『その友達って……男?』
「えっ」
思わず声が裏返った。
『……まぁいい。親戚が行政書士だから、一度相談してみろ』
「ほ、本当ですか!?」
私は勢いよく身を乗り出した。
数日後。
私はエリュを連れて、行政書士事務所に来ていた。
「陽葵、先輩というのはこの世界の役人か?」
「違うよ! 先輩の親戚が手続きを手伝ってくれるの!」
《お願いだから変なこと言わないで…異世界人ってバレるでしょ!?》
「これが……月野エリュくんか」
スーツ姿の行政書士が、真剣な目でエリュを見つめる。
「はい。陽葵殿に大変お世話になっております」
エリュは堂々とした態度で答えたが、その言葉遣いはやっぱり少し古風だ。
「ではシステムに登録を――」
行政書士がパソコンを操作した瞬間、彼の指が止まった。
「……奇妙だな」
小さな声で呟く。
「え?」
私は緊張で背筋が凍りついた。
「すでに仮登録データがある。名前も生年月日も、入力する必要がない……」
「な、なんで!?」
思わず声が裏返る。
隣で立つエリュは、わずかに視線を伏せる。
「……まぁ、不思議ではない」
「不思議じゃないの!?」
《いやいやいや、どう考えても不思議でしょ!? どうして!?》
「まぁ、とにかく正式登録に進めます」
行政書士がプリンターからカードを取り出した。
「これで本人確認は問題ありません」
「……ありがとうございます」
私は深々と頭を下げた。
事務所を出て、私は手のひらに収まったカードをエリュに差し出した。
「これで、正式にこの世界の住人だね」
カードの名前欄には“月野エリュ”。
生年月日は、行政書士に相談して適当に入力した日付だ。
「……エリュって、二十歳だったんだね」
私はカードを覗き込みながら言った。
隣で歩いていたエリュが、わずかに視線を落とす。
「……わからぬ」
「え?」
私は足を止め、思わずカードとエリュを交互に見た。
「向こうでは、年齢など問われることもない。
己の時を数える習慣もないゆえ、分からぬ」
「え、えぇ……!?」
私の思考が一瞬でフリーズする。
「生きてきた年数で言えば、三百年以上はあるが――
年齢換算の仕方も、この世界の基準も分からぬ」
「……さんびゃく……え?」
言葉が喉に詰まり、変な声が漏れる。
《さんびゃく……さんびゃくって、あの三百?
この人、三百年以上生きてるの?》
「この二十という数字も、ただの形式であろう」
エリュは淡々と呟き、ポケットに身分証を滑り込ませた。
《……落ち着け、陽葵。
三百年とかスケールでかすぎて、逆に実感が湧かない》
私は無理やり深呼吸をして、視線をカードからエリュへ戻した。
でも、金色の瞳がふとこちらを見た瞬間、また息が詰まりそうになる。
「陽葵」
不意に名前を呼ばれて、私はハッと顔を上げた。
「……え?」
エリュは少し考えるように視線を落とし、それから穏やかに笑みを浮かべる。
「だが、君の目には、余は二十の青年に映っているのだろう?」
「そ、そりゃ……見た目はそう、だけど……」
私の頬が熱くなるのを感じ、慌てて視線を逸らした。
《な、何その言い方!
やっぱりこの人、危険すぎる……!!》
それなのに、エリュはすっと真剣な顔に戻る。
月明かりに照らされた横顔はどこか切なく見えた。
「……意味があるとすれば――」
低く、けれど確かな声で続ける。
「君が、この世界に余を縫い留めてくれた証、だ」
「だからそういうの真顔で言わないでってば!」
私は顔が熱くなるのをごまかすように、大げさに咳払いをした。
エリュは不思議そうに瞬きをし、それからふっと笑った。
「……陽葵は、この世界の人間は皆そうして頬を赤くするのか?」
「し、しないし! なんで私だけそんな観察対象みたいになってんの!?」
私は両手で顔を覆いながら、思わず叫ぶ。
自動ドアが開き、冷たい夜風が頬を撫でた。
見上げると、細い月が雲間から覗いている。
《なんでだろう……》
エリュと一緒にいると、いつもの東京の街並みが少し違って見える気がした。
私は思わずエリュの横顔を盗み見る。
金色の瞳に夜の街灯が映り、どこか寂しげに揺れている。
「ねぇ、エリュ」
「なんだ」
「これから……ちゃんとバイトとか、頑張れる?」
「……学ぶべきことは多いが、君が教えてくれるのであれば」
彼はゆっくりと頷いた。
「なら、いいけど……」
私はポツリと呟き、笑みを浮かべる。
《変だな。
さっきまで“異世界の賢者”とか、絶対ムリな案件だと思ってたのに――
なんかちょっと、楽しみになってきた》