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賢者と私の暮らし、そして異界の影



「……さて」 六畳一間の部屋に沈黙が落ちた。

 布団はひとつだけ。 明日もうひとつ買いに行くと決めたけど、問題は今夜をどう過ごすかだ。


「私、床にバスタオル敷いて寝るから、エリュは布団使って」

「論外だ」 金色の瞳が真剣に光る。

「は?なんで私が床で寝ちゃダメなの?」

「君はこの世界で、余の封印を守る守り手だ。 守り手が体調を崩すなど、本末転倒だろう」


「じゃあどうするのよ!?」「……布団をシェアするしかないな」

「だーめ!! 絶対だめ!!」 私は顔が熱くなるのを感じ、全力で否定した。


 2人で散々議論した結果――

「……じゃあ、君が布団を使え。余は椅子で瞑想しよう」 エリュが折れた。

「そんなので眠れるの?」「問題ない。瞑想で半日は持つ」


 こうして“ぎこちない夜”が始まった。 私は布団の中で何度も寝返りを打ち、 椅子の上で静かに座るエリュの気配に妙に意識してしまう。

《何これ……賢者が真横にいるの、心臓に悪いんですけど!?》

 結局、ほとんど眠れないまま朝を迎えた。


カーテンの隙間から差し込む光に目を細める。 結局、エリュは夜通し椅子で瞑想をしていたらしく、まったく疲れた様子を見せていない。

《……賢者すごいな》 なんてぼんやり思いながら、私は起き上がった。


「じゃ、今日はスーパーに行くよ。布団も買わなきゃだし」

「すーぱー……?」 エリュが小さく首を傾げる。


「これが……スーパー」 翌日、エリュは自動ドアの前で立ち止まり、じっと扉を見つめた。

 扉がスッと開く。

「……っ! 扉が自ら……!?」「いやいや、センサーだから!」 私は慌ててツッコミを入れた。


 布団売り場。 エリュはふわふわの掛け布団に手を伸ばし、そっと触れる。

「……これは、眠りを守る神器か」

「違うよ!ただの布団だよ!」


《……何この人。ギャップが強すぎ》 私は心の中でツッコミを入れた。


 日用品も買い足し、2人で荷物を持ちながら帰路につく。

「これだけの物を、人が作り上げたのだな」 エリュは感嘆のため息をついた。

《……まるで新婚夫婦みたい。 いやいやいや、私何考えてんの!?》 私は慌てて首を振った。


「ふぅ……これで一通り揃ったね」

私は袋から最後の食材を取り出し、冷蔵庫にしまって、布団を敷き終えた後、私はようやく腰を下ろす。

布団は2組になり、狭い六畳一間でもなんとか寝床が確保できた。


「すまない、陽葵」 エリュがゆっくりと頭を下げる。「余のために、色々と手を煩わせてしまった」

「いいの、別に。 こっちも生活ルール作らなきゃいけなかったし」 私は笑って返した。


「……けど、やっぱり変な感じだな」「何がだ?」「昨日まで一人だった部屋に、異世界の賢者がいるってこと」

 自分で言って、なんだか急に現実味がなくなる。 けれど視線の先で、エリュが月明かりに包まれて静かに頷いていた。


「……陽葵」「ん?」 呼ばれて振り向くと、エリュの金色の瞳が真剣に揺れていた。

「君の縫った針目が……少し緩み始めている」

「えっ……」 心臓が跳ねた。 私は無意識に、近くに置いてあった針と糸を手に取る。


 エリュの腹部。 応急処置で縫った服の裂け目が、月光に照らされて淡く光っていた。


「君の裁縫は、ただの針仕事ではない」「……」

「君の針が繋いでいるのは、余の命だけではない。 この世界と、余を結びつける糸そのものだ」


《……私の針が?》 胸がドクドクと煩く鳴る。


「君に頼むしかない」 エリュが真剣な瞳でこちらを見た。

「“太陽紋”を縫わねば、この封印は保てない」


「君の縫い目がある限り、余はこの世界に留まれる。 だが次は……“太陽紋”が必要だ」

「太陽紋……」 私はごくりと唾を飲み込む。 震える指先で針を握り、エリュを見上げた。


 六畳一間の部屋は、月光に照らされ静まり返っている。 けれど、その空気は張り詰めていて、息をするのも苦しかった。


「そんなの……私にできるの?」 裁縫は好きだけど、それは趣味の範疇だ。 世界を救うだなんて、そんな大それたこと――


「君にしかできぬ」 エリュは静かに告げた。

「陽葵。君の針がなければ…… 余は、この世界にもう長く留まれない」


 月光に照らされた彼の横顔は、どこか寂しげだった。

《私にしか……できない?》

胸がじん、と熱くなる。


 その夜。

「君の針は、この世界の光と糸を繋いでいる」 エリュの声が低く響く。「封印が緩み始めた今、次は“太陽紋”が必要だ」

「そんなの……私にできるの?」 裁縫は好きだけど、それは趣味の範疇だ。 世界を救うなんてスケールの話、今までしたことがない。


「君にしかできぬ」 エリュは静かに告げた。「陽葵。君の針がなければ、余はもう長く持たぬだろう」

 月光に照らされたエリュの横顔は、どこか寂しげだった。


 その瞬間―― バチン、と室内の電気が一斉に消えた。

「きゃっ!」 私は思わず声を上げる。

 電子レンジのランプが明滅し、テレビが勝手に砂嵐になる。

「何これ……停電……?」

「……違う」 エリュの金色の瞳が月光に照らされ、微かに光った。「奴らが来た」


 窓の外。 街灯の下に、銀色の鎧を纏った人影が立っていた。

「……誰?」

「月紋騎士だ」 エリュが低く呟く。「私を追ってこの世界に転移してきた追っ手だ」


 背筋がゾクリと冷える。

《私……狙われてるの?》


「陽葵」 エリュがこちらに視線を向ける。

「君の縫う太陽紋が、この部屋も、君自身も守る鍵になる」

「でも……私、そんな大それたこと……」


「君ならできる」 エリュが私の両肩に手を置いた。「君の針は、一度私の命を繋いだ。今度は、この空間ごと守るのだ」


 心臓がドクドクとうるさい。《怖い。でも……私じゃなきゃダメなんだよね》


「……わかった」 私は深く息を吸い、針と糸を強く握りしめた。「私、縫うよ。絶対、失敗しないから」


「余が防ぐ。君は縫え、陽葵!」 エリュが窓際に立ち、外の騎士たちに向き直る。 月光を浴びた背中が、静かに輝いて見えた。


 その時、部屋の中に淡い光の幕が広がった。

「……何これ?」 私は針を握りながら呟いた。

「異世界の気配を遮断する結界だ。 これでこのアパートの外には、光も音も届かない」 エリュが低く告げる。「この六畳一間だけが、戦場になる」


 私は震える指で針を服の裂け目に通した。 針が進むたび、光が縫い目を辿って小さく走る。

《私の針が、この人を、この空間を守る……!》


窓の外では、銀色の鎧の騎士たちが一斉にこちらを睨んでいる。

 六畳一間が、戦場に変わる音がした。


「……陽葵、迷うな」 エリュが背を向けたまま言う。「余が時間を稼ぐ。君はただ針に集中しろ」

「わ、分かった!」 私は震える手で針を服の裂け目に通す。 布地を縫い合わせるたび、光が縫い目を辿って小さく走った。


 ズズン――! 窓が低く唸るように揺れた。 騎士たちが剣を掲げ、結界に銀の光を叩きつけている。


「させぬ」 エリュの低い声が六畳一間に響く。

 月光が彼の掌に集まり、次の瞬間―― 結界全体に薄い光の幕が走った。 外の攻撃が、まるで水面に落ちる雨粒のように弾け散る。


《すごい……でも、私が縫い上げなきゃ》 私は歯を食いしばり、針目を刻む。

 太陽を模した円環の紋様。 その中心に、応急処置のハート型ステッチを重ねるように――


「余の魔力も長くは持たぬ」 エリュの声が少し低くなる。「陽葵、急げ!」

「わかってる……!」 額から汗が伝う。


 結界が再び軋む音がした。 外の騎士が剣を結界に突き立て、銀の亀裂を広げていく。

「ぐっ……!」 エリュの掌が震える。


《私じゃなきゃダメなんだ……!》 針先が、震える。 けれど、指先の感覚が研ぎ澄まされていくのを感じた。


「最後の一針を――心で結べ!」 エリュの声が鋭く響く。


「……いけっ!」 私は糸を強く引き、最後の一針を締めた。


 その瞬間。

 縫い終えた裂け目から、まばゆい金色の光が溢れ出す。 六畳一間の空間全体に光の輪が広がり、 壁や天井に“太陽紋”が浮かび上がった。


「っ……!」 窓の外の月紋騎士たちが顔を歪め、一歩、また一歩と後退していく。 太陽紋の光が、彼らを押し返すように脈打った。


「……やった、の……?」 私は息を切らし、針と糸を握りしめたまま座り込む。


「君の針が、この世界に余を繋ぎ止めた」 エリュが振り返り、微かに微笑んだ。

 胸がドクン、と大きく鳴る。《私……本当にこの人を守れたんだ》


 六畳一間のアパートは再び静けさを取り戻した。 けれど、月光の先で蠢く気配はまだ完全に消えていない。


 私は震える手で糸切りバサミを置いた。

「……これで、本当に大丈夫なの?」

「一時しのぎだ」 エリュの声は少し疲れていた。

「だが次に奴らが来る時は、より強い太陽紋が必要になる」


《もっと強い……私がもっと、上手くならなきゃいけないんだ》 胸の奥で何かが燃えるような感覚が広がった。


 こうして私は、 “六畳一間の賢者防衛戦”を初めて乗り越えた。


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