異世界賢者、文明の利器に右往左往
2章
「―で、なんであなたはついて来てるのかな?」
私は隣を歩く銀髪の青年に、半ば呆れ顔で尋ねた。 コンビニまで食料を買いに行こうとしたら、「この世界の“食”をこの目で確かめたい」なんて言い出したのだ。
「君の案内がなければ、この世界で何が食として扱われるのか、分からぬだろう」「いや、そうだけどさ……」
薄い月光の残る朝の商店街を、私たちは並んで歩く。 エリュは周囲の景色に興味津々だ。 コンビニの看板に刺さる視線、道端の自販機に伸びる指先……その度に私はハラハラする。
「…これは、なんなのだ?」 エリュが突然立ち止まった。
目の前には普通の道路標識。 赤い「止まれ」の標識を、まるで古代遺跡でも見るような目で見上げている。
「いや、ただの交通標識だから」 私がそう言っても、彼は首を傾げる。
「この薄い板に描かれてる紋章は……意味を持つのか?」「意味はあるわよ!止まれって意味だから!車が突っ込んできたら危ないでしょ!?」
《だめだ、やっぱりこの人、異世界人確定かも》
心の中でため息をつく。 あの銀光、謎の月紋、そして電子レンジに怯えていた昨夜――。 全部思い返せば、もう疑う余地はない。
「……着いたよ」 コンビニ「MINI☆SUN」の自動ドアが、ひゅいんと音を立てて開く。
途端、エリュの金色の瞳がきらりと輝いた。
「この扉……自ら開いた……!」「いやいや、自動ドアっていう文明の利器だから」
私が肩を落とすのもお構いなしに、エリュは店内を見渡す。
「香りが……複雑に絡み合っているぞ…揚げ物の香りと甘いパン生地の匂いが…微かに混じるな」
「よくそんなの気付いたね!?」
「この世界の“食”は空気の層にまで香りを刻むのか…面白い」 パンコーナーに向かって深呼吸をするエリュ。
「そこまでありがたがる!?」 私は思わず突っ込んだ。
「……これは、なんだ?」
「あー、カップ麺ね」
「カップ麺とはなんだ?」
インスタント食品の棚で立ち止まったエリュが、プラスチックの蓋をじっと見つめる。
「お湯を入れるだけで食べられる簡易食品だよ」「……お湯だけで?」
彼の金色の瞳が、わずかに見開かれる。
「乾燥した状態から再生させるとは……この世界、なかなか侮れぬな」
《“再生”って言い方が、やっぱりファンタジー感強すぎるんだよ……!》
私は心の中でため息をついた。
「……じゃあ、これを買って帰ろうか」「君がそう言うなら」
少し嬉しそうな顔をするエリュに、私は胸の奥が微妙にくすぐられる感覚を覚えた。
次におにぎりコーナーへ移動すると、エリュはパッケージに巻かれた海苔を興味津々で触っている。
「この黒い布のようなものは?」「布じゃなくて“海苔”。食べられるの」
「……食べる!?」
真顔で驚く姿に、私は思わず吹き出しそうになった。
「この世界の“食”は、見た目と用途が一致せぬものが多いな」
「いや、普通の人なら一致するからね!?」「普通の人……余は、普通ではないのだな」
エリュは淡く微笑んだ。
「やはり、余はこの世界で学ぶことが多いようだ」
《……何その前向きさ。逆にまぶしいんですけど!?》
私は思わず内心でツッコミを入れた。。
《ああもう、この人……危なっかしいし、変だし、でもイケメンだし……》
私の心臓は、なぜかさっきから少しうるさい。
「……とりあえず、買い物はこれで終わりだけど…絶対勝手にレジとか触らないでね」
「レジ……?」
私はエリュを先導してレジに向かう。 自動釣銭機のカシャカシャという音に、彼がまたピクリと反応するのを見て、思わず頭を抱えた。
「いいから大人しく見てなさい……!」
アパートに戻ると、ドアを開け、私はいつものように無意識でパチンと電気のスイッチを押す。
パッ、と部屋の蛍光灯が点灯し、六畳間が温かな光に包まれた。
「っ……!」
背後でエリュが小さく息を呑む。 彼は目を見開き、蛍光灯をじっと見つめていた。
「闇が……消えた……?」
「いや、普通に電気つけただけだから!」 私は慌てて振り返る。
「この世界の光は、スイッチ一つで点くんだよ」
「……光を呼ぶ装置、か」 金色の瞳が天井に据え付けられた蛍光灯を見つめ、ゆっくりと瞬きをした。
《異世界人のリアクションすぎる…!》 私は心の中でツッコミを入れる。
買ってきた袋をテーブルに置き、私はカップ麺やおにぎりを取り出す。 エリュは興味津々の目でそれらを見つめている。
「これが……君の世界の糧か」「まあ、簡易食だけどね。これじゃ栄養は偏るし」
私は溜息混じりにポットに水を入れ、カチッとスイッチを押す。 赤いランプが灯り、コポコポと水が沸き始めた。
「……!?」
またエリュが微かに目を見開いた。
「水が……光と共に、熱を得ている……?」
「いやいや、ただの電気ポットだから!魔法じゃなくて、電気の力!」
《あーもう、この人の文明レベル、完全に異世界だ……》
お湯が沸くのを待つ間、私はコンビニ弁当を電子レンジに入れ、ぴっとボタンを押す。
「……なにをしている?」
エリュがじっと電子レンジを見つめる。 チーン、と音が鳴った瞬間――
「っ……!」
彼はわずかに肩を震わせ、一歩後ろへ下がった。
「……小さな箱が光り、中の物体が音と共に姿を変えた……」 神妙な顔つきで呟く。
「いやいや、ただ温めてるだけだから! レンジは物を温める文明の利器!別に魔法じゃないから!」
《この人…ほんっとに何にでも驚くな?!》 さすがにツッコミ疲れてきたんですけど!?
お湯が沸くと、私はカップ麺の蓋を少し剥がし、お湯を注ぐ。 エリュは息を飲むようにしてそれを見つめる。
「……乾いた食材が、熱水で蘇った……」
「蘇るって言い方!なんか物騒!」
《ああもう、またツッコミ入れさせられた……》
とりあえず、私はおにぎりをひとつエリュに差し出す。「ほら、まず食べて。お腹すいたでしょ」
「いただく」 慎重に包みを開き、海苔とご飯を一緒に口へ運ぶ。
「……!」 エリュの瞳がかすかに見開かれる。
「どう?」「……小さな世界が、口の中に広がるようだ」
神妙な顔で噛みしめる姿に、私は思わず吹き出しそうになった。
《何この人……本当に異世界の人っぽいのに、食べ方だけやけに上品だし……ギャップ強すぎ》
カップ麺を前にお湯を注ぐ私を、彼はじっと見つめる。
「……君がいなければ、この世界で生き延びることは難しいだろう」 静かにそう言ったエリュの横顔は、どこか寂しそうに見えた。
「……じゃあ、さ」 私は意を決して口を開く。
「一緒に生活するルールを決めよう。 この部屋、六畳一間しかないんだし……」
「……というわけで」
私はエリュの正面に座り、深呼吸した。
「この部屋、六畳一間しかないんだし──同居ルールを決めます」
狭いアパートの中、銀髪の賢者と貧乏美大生の私。 この組み合わせで無計画に暮らしたら、絶対に破綻する未来しか見えない。
「同居ルール……」
エリュは首を傾げた。
「それは、この世界における契約のようなものか?」
「……まあ、そう思ってくれていい」
私は腕を組み、真剣に頷く。
「まず、寝る場所!」 私は机を指で叩いた。
「この部屋、布団はひとつしかないんだから!」
「なら、君が使えばいい」
エリュはあっさりと譲った。
「私は床で結界を張って眠る」
「いやいやいや! なんでいきなりサバイバル!?」
思わず頭を抱えた。
「いい? 日本ではお客様を床に寝かせるとか絶対ダメなの!……かといって布団シェアは絶対ナシだからね!?」
「君がそう望むなら」
エリュは柔らかく微笑む。
あ…これ、絶対何も考えてないだけだ。
《まぁ、布団は明日にでも買いに行くとして…》
「次。家事の分担!」
「かじ……?」
「え、家事知らないの!?」
私は叫んだ。
「すまない。この姿の私は家事の知識がまるでなくて……」
申し訳なさそうに目を伏せるエリュ。
《嘘でしょ……異世界賢者なのに料理も掃除も洗濯もできないの!?》
「じゃあ料理は……」「君がしてくれるか?」
「洗濯は……」「君が──」
「掃除は……」「君が──」
「私が全部じゃん!!!」
私は机に突っ伏した。
「……君は器用だから」
エリュがポツリと呟く。
「昨日も余の裂け目を針で縫い留めてくれた」
途端に胸がドキリとした。
《そ、それは応急処置だっただけで……!》
「では、私は……君の身を守る役を請け負おう」
エリュが真剣な目でこちらを見た。
「え……」
「この世界に魔の気配はまだ少ないが、君が危険にさらされれば、私は君の盾になる」
《ああもう、この人……ずるい》 胸がまたひどく煩くなる。
「……いいよ。じゃあ、それで」
「感謝する」
金色の瞳が柔らかく笑んだ。
「で、次のルール」
私は咳払いをして、じっとエリュを見つめる。
「言葉遣い、変えてください」
「……?」 金色の瞳がゆっくり瞬いた。
「さっきから気になってたんだけど──"余"って何?」
「む……」
彼はきょとんとし、考え込むように口元に手を添えた。
「では……“私”はどうだろうか?我が国の貴族は皆この──」
「二十歳そこそこで“わたくし”は浮くって!」
私は勢いよく遮った。
「『僕』にしよ。“僕”なら20歳そこそこで使ってても普通だから」
「ぼ……僕?……僕、で……いいのか?」
緊張で震える声。
さっきまで“賢者”だった人物が、一瞬で迷子の少年にスライドする。
頬に浮かぶ朱に、私は不覚にもドキッとしてしまった。
「ついでに『~である』『~なのだが』も教授みたいに堅いから禁止ね!語尾はですますにしよう!」
「……理解したです?ぼ、僕は──」
「その場合は、分かりましたとかでいいよ笑」
《あーもう、こんなギャップ狙い撃ちじゃん……!》 私は頬が熱くなるのを誤魔化すように、大げさに咳払いをした。
「……最後に」
私は真剣にエリュを見据える。
「バイトをしてください。これが一番大事なルールです!」
「ばいと……?」
彼がまた、きょとんと首を傾げる。
「そう! この世界、食べるにも寝るにもお金がいるの!」
「……なるほど。この世界にも通過という概念があるのだな」
エリュが神妙に頷く。
「だから、バイトして稼いでもらいます!」
「かせぐ……?」
賢者の金色の瞳が、わずかに困惑に揺れる。
「そう!“働いて対価を得る”って意味!」
「対価……」
小さく呟いた彼の表情は、どこか月明かりのように真剣だった。
「で、バイトするなら問題は名前よね」
私はスマホをいじりながら呟く。
「“エリュ・サージュ・リュヌ”とか書いたら秒で落ちるし、偽名を考えないと」
「偽名……」
エリュが真剣な顔になる。
「あ…えっと、バイトするなら身分証が要るから偽名が必要なんだよ」
「……では、君が決めてくれるか?」
金色の瞳でまっすぐ見られて、私はドキリとした。
《えっと、えっと……何がいい!?月から来た賢者だから──“月”は入れたいけど…普通っぽい名字……“月村”?いや検索ヒット多すぎ。“月野”ならレアだし覚えやすいか》
「……月野エリュとか…どうかな?」
私が恐る恐る提案すると、エリュは一瞬きょとんとした後、ゆっくりとその名を繰り返した。
「月野……エリュ……」
エリュがその名を口にし、微かに頬を赤らめた。
「君がくれた名だ。……悪くない」
金色の瞳がふわりと揺れる。
場が少しだけ柔らかい空気に変わったところで、私は口を開いた。
「……あ、そうだ。一応自己紹介もしとこうか」
「え?」
エリュが首を傾げる。
「私の名前は水原陽葵、このアパートに住んでます。」
「陽葵……太陽の名か」
エリュが意味深に呟く。
「何その言い方、やめて! 急に厨二病みたいになるから!」
私は慌ててツッコミを入れた。
「……陽葵。いい名だ」
エリュは小さく笑い、今度は自然に私の名を呼んだ。
《やばい……呼び方ひとつで心臓に悪い》
私は内心で頭を抱えた。