8.花火大会1
──京香ちゃんとの旅が終わり、夏休みも中盤に差し掛かる頃、街で開催される花火大会当日の夜、決意と覚悟を胸に私は自室の縦長の鏡の前で浴衣姿を確認する。
赤い花柄の浴衣に髪飾りに巾着袋、さらに薄く口紅をつけた姿は私にしてはかなり攻めた恰好だなと気恥ずかしくなる。
勉強机の上のスマホから通知音が鳴り、私はメッセージを確認する。
『藤沢さん、駅前のコンビニの前で待ってる』
明くんのことだから、もうとっくに着いているのかもしれない。
深呼吸をして私は家を後にし、駅前へと向かった──。
僕は駅前のコンビニの前で藤沢さんにメッセージを送った後、落ち着かない気持ちの波を深い呼吸で緩やかにしようとしていた。
今着ている紺色の浴衣も着慣れていないせいで、なんだか落ち着かない。
夏休みの花火大会というだけあってめまいがするほどに人は多い。
駅前広場の正面の街道から屋台が奥に向かって並んでおり、この花火大会中は交通規制がかかっている。
時刻は午後九時、花火が上がるまでそんなに時間は残っていない。僕は今日の花火が上がったタイミングで自分の思いを伝えようと決意していた。
だから、あえて花火が上がる少し前くらいを待ち合わせ時間に指定した。あまり長く藤沢さんと屋台巡りをすることで気持ちがぶれてしまう危険性を考えての選択だった。
「──お待たせ明くん」
気が付けば、そこにはいつもより着飾った浴衣姿の藤沢さんが頬を微かに赤らめて立っていた。赤い花柄の浴衣に巾着袋、髪には牡丹の花の髪飾りを付けていて、口は薄っすらとした紅色。
一見華やかだけど藤沢さんが着ると、どこか繊細な佇まいが漂う。
「浴衣似合ってるよ藤沢さん」
藤沢さんの頬はますます赤くなり、目を細めて視線を斜めに逸らす。
「軽く屋台巡ろうか」
僕がそう言って歩き出そうとすると、藤沢さんは僕の浴衣の袖を軽く掴んで静止させた。
「その、京香ちゃんにね花火がよく見えるスポットを教えてもらったの、だからそっちに向かいたい。いいかな・・・・?」
京香がそんなことを、まあ残り時間的にそのスポットに向かうのを優先した方がいいか。
「うん、そういうことなら全然いいよ」
「じゃあ案内するね、それと──」
藤沢さんは口を結び、一瞬なにかを言い淀んでそれでも小さく言葉にした。
「明くんも似合ってる・・・・凄く」
僕は藤沢さんに案内されるがままに街中から少しだけ外れたところにある稲荷神社の境内の中を歩いていた。
鳥居をくぐり本殿までの参道には四角い灯篭が等間隔で置かれていて幻想的な雰囲気を少し演出していた。
本殿の横には朱色の鳥居とさらに上に行ける階段がある。
「この階段を上がったところだよ」
僕はそう藤沢さんに促されるままにゆっくりと階段を上る。
鳥居が連なり、途中何個か置いてある灯りが藤沢さんの俯きがちな横顔を照らしている。
言葉はない。小さな虫の鳴き声と石造りの階段を踏む音だけが耳に入る。
なにか話すことはないけど、お互いが横顔を見つめ合っている時にふいに視線がぶつかる時があり、決まって僕も藤沢さんも同時に視線を逸らす。そんなことを繰り返しながら頂上まで上った。ここからが本番だと軽く拳を握る。
そういえば秀一と京香も花火大会に来ているんだろうか。
──祭りの人混みの中を俺は隣でたこ焼きを頬張る京香と並んで歩く。
今頃、明と藤沢さんは京香が教えたというスポットで二人きりで良い雰囲気なんだろうと想像する。
「おい、そのたこ焼き残しとけよ俺が買ったんだから」
京香は俺がそう言っても一つまた一つとたこ焼きを口に運んでは頬を緩ませている。
どうやらこの女子は人の言葉より食欲が勝るらしい。
「今日で焼きそば、じゃがバター、たこ焼き、次はたい焼きだったか、太るぞ」
それを言った瞬間、京香はとてつもなく鋭い眼光で俺を睨み付ける。流石に最後の一言はまずかったようだ。
「失礼ね、秀一は。それであんたはこの夏休みにちゃんと働いたんでしょうね」
友達の背中を押すことを働くというのは違和感はあるがそこは言葉の綾だろう。
俺は空を見上げる、これから花が咲く夜空に二人を思い浮かべながら言った。
「明なら大丈夫だ、最高のロケーションで前に進めない主人公はいない」
京香はそれを聞いて、痛々しいものでも見るかのようなジト目で言った。
「なんでも映画風に言うあんたの癖、本当に気持ち悪い」
俺に対して吐く毒の強さは明と違って容赦がない。嫌われているのではなくむしろこの距離感が京香と俺の最適な間隔なんだと思う。
「でもそうね、出来ることはしたし、きっとあの二人なら大丈夫か」
街中の屋台が途切れ、提灯の明かりがなくなり薄暗くなってきた。
京香はそこで引き返そうとする。俺は一応京香にも言わなきゃいけないことがあった。
むしろそのために京香と二人で花火大会に来たのだ。
「京香、藤沢さんのことなんだが──」
──秀一は私を引き留めて先ほどとは違う真剣な顔をしてこちらを見据える。
彼は途中まで言って口をつぐむ。なにを言いたいのか大体私には分かっている。
「藤沢さんが抱えてるものでしょ? 言うと決めてるんだったらはっきり言い切りなさいよ」
秀一は目を見開いて驚く。私が気付いてないとでも思ったのかもしれない。失礼な男だ。
でも正直、美雪と旅をしなかったら気付かされることもなかったのは事実。
美雪は、大きなものを背負って生きている。命にかかわる病か、なんらかのハンディキャップかどちらかは断定できないけど、そういう類のもの。
「秀一はさ、明が藤沢さんの背負っているものを背負いきれない男だと思っているの?」
私は強い口調で問う。秀一はなにも答えない。薄い暗闇の中で私たちは無言で向き合う。
「私は美雪を強い女の子だと思ってる。何年も自分と戦ってきたのが一緒に旅をした時に痛いほど伝わってきた」
私は秀一より美雪と時間を共にしてきたと思う。だからこそ美雪はこの先なにがあっても立ち上がれる芯の強さがあると確信してる。彼女は囚われの少女じゃない前に進める女の子なんだ。
「京香、俺はそんなへたれと親友になるほど盲目じゃないぞ」
秀一の声は有無を言わさないくらい強くはっきりとしていた。そう、明と過ごした時間が長い秀一が明の強さを肯定しないなんてそれこそ盲目だ。
「俺はただ京香が知らないものだと思っていたから、すまない」
「別に良いよ、なんか安心したし」
私たちは互いに微笑んで来た道を引き返す。私が空を見上げると花火が上がり始めていた。
「あーあー私も青春したいな」
そんなことを言いながら花火を眺める。
「いや、もう充分してるだろ」
秀一がこちらに笑顔を向けて言った。確かにもう充分青春してるのかもしれない。
「じゃあ一番青春してる二人を迎えに行こうかね」
私が秀一にそう提案すると「そりゃいいな」と言って微笑む。
私は心の中で二人を思い浮かべて、頑張れと応援する。
夜空に咲く花火はまだまだ始まったばかりだ。