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「ショッピングモールって本当に大きい・・・・」
藤沢さんは入り口で立ち止まり驚きで口を微かに開け、建物を見上げている。
「美雪、ショッピングモールで驚く高校生なんて中々いないよ」
京香はクスリと笑って言った。藤沢さんは少し恥ずかしそうに視線を落とす。
「でも、可愛いからよし! ねえ明」
「うん、まあ僕も巨大ショッピングモールは初めてなんだけどね」
京香は信じられないといった感じで僕を見て、なにか納得したように「明ならあるか」と呟いてから歩き出す。
僕と藤沢さんがそれに続いて入り口の自動ドアをくぐる。
トントンっと藤沢さんが後ろから指で僕の身体を叩く。
「どうかした?」
僕が振り返ってたずねると藤沢さんが揺らいだ瞳を僕に向けて言う。
「人多いところ、あんまり来たことなくて・・・・」
記憶にある夢の少女は小学生の頃から周囲と馴染めないと話していた。
つまり、僕と同等かそれ以上に新しい環境に弱いとしても違和感はない。
「大丈夫、僕も初めてだし慣れてる京香も居るしね」
僕も同じように人が密集する場所はなるべく避けてきた。
多分、藤沢さんがあの少女ならその性質を知っていて話しているんだろうけど。
「おーい上映時間迫ってるよ」
京香に呼ばれて僕たちは早足で歩き出した。
今回見る映画は感動系の実写映画だった。
それを聞いて秀一が来なかった理由が二つ分かった。
秀一は感動系は長編アニメーションが良いというこだわりと、それでも食わず嫌いせずなんでも見るというスタンスなため、今回は実写でかつ既に見たことがある映画ということで来なかったといった感じではないだろうか。
「ワクワクするね明くん」
上映前の薄く照明が付いているシアターに入り、 スクリーンから離れた後ろの赤い席に並んで座ると、隣の藤沢さんが少し興奮を滲ませたように言った。
「上映前のワクワク感も劇場ならではって感じだね」
藤沢さんはうんうんと頷く。上映開始時刻になるとシアターは暗転し大きなスクリーンの明かりが際立つ。
横目で藤沢さんの様子を見るとショッピングモールを見た時のような表情で控えめながら子供ように興奮しているのが分かる。
その様子が夢の少女の大人びた雰囲気と良い意味で差異がある。そんな気がした。
映画は僕の予想を上回る出来でいよいよクライマックスのシーンに突入しようとしていた。
その時、不思議な感覚に襲われ始める。
僕はスクリーンのシーンと過去の記憶の風景が同期し始める感覚を覚えていた。
向かい風がスクリーンの中からこちらに吹き髪を揺らす、そんな錯覚に始まり、頭に声が響く。
──君は誰?
──んー迷い人みたいな。それは私も同じかも。
人間関係ってほんと難しいよね。またね迷い人さん──。
もう目の前に映るのは映画のシーンではなかった。どこまでも広がる草原と大きな空、どこか大人びて不思議な雰囲気の少女。
最後に星空を宿した彼女の瞳と寂し気な表情が見え、遠ざかっていく。
僕はこんなにも美しい記憶を忘れていたのかと痛感する。
それでも、どんどん遠ざかって景色と彼女。
必死に手を伸ばすけど、届かない。目の前はやがて真っ暗になり、気が付けば映画は終わっていてシアターを照らす薄い照明が付いた。
「いやー圧巻だったね二人とも凄く感じ入ってて驚いたよ」
映画が終わった後は軽くご飯やショッピングをして、駅前のコンビニの前で解散するところだった。
「私も劇場でみる映画ってあんなに凄いんだなって、京香ちゃん、明くん今日はありがとう」
藤沢さんが丁寧に頭を下げると京香は「良いのよ」と微笑んだ。
「二人は途中まで方向同じでしょ、映画の感想でも話しながら帰るといいよ」
そう言い残して、京香は自分の家の方向に歩いて行った。
僕は何も言わずに立っている藤沢さんに声を掛ける。
「話したいことがあるんだ。京香の言う通り途中まで歩かない?」
藤沢さんは、しばらく何も答えなかった。
夕方の駅前は朝と比べても人が多い。足音や周囲の人々の声、コンビニのドアが頻繁に開き、肉まんなどの香ばしい香りのする空気が鼻をくすぐる。カラスが鳴いて飛び去った時に彼女は沈黙を破る。
「行きましょう明くん」
その声と表情にはどこか覚悟のようなものが宿っている気がした。
駅前を離れ、川沿いの道を並んで歩いている。
夕陽が川の水面をゆらゆらと茜色に照らす。前方には電車が渡る橋があり、踏切が設置されている。
「藤沢さん、君があの夢の中の少女なんだよね?」
「凄く時間がかかったね明くん」
藤沢さんはこちらを見ずに言った。
「ごめん、でも聞きたいのはそこだけじゃないんだ」
それを口にした時、藤沢さんは初めてこちらを真っすぐ見た。瞳が揺れている。
「どうして、藤沢さんはここまでずっとあの時のことを覚えていられたの?」
藤沢さんはふっと笑みをこぼして、カバンからスケッチブックを取り出す。
「大事なものが描かれている。それを明くんに見せながら話せば全部分かる」
そこで一度口をつぐんで、僕から視線を外す。
踏切の甲高い音が聞こえてくる。
「でも、今は心の準備をさせて──」
僕は多分、「分かった」と返したと思う。電車が勢いよく通過する音でかき消されてしまったかもしれないけど。
私は自室で小学生の頃から描いてきたスケッチを眺めていた。
ずっと病弱で人見知りだった私は幼稚園の頃から一人ぼっちだった。
特に小学生の頃は病室で過ごす時間も長く、消毒液の匂いを思い出すと今でも憂鬱な気分になる。
そんな私に出来た初めての友達が夢の中の少年だ。まだ小学生だった私はそのロマンティックな出会いに心をときめかせていたと思う。
どうして少年と繋がったのか、未だに私にも分からない。でもある日突然、夢を見なくなってから、急速に記憶が薄れていく感覚に襲われた。
「美雪、身体に応えるからスケッチブックを見るのはほどほどにしてもう寝なさい」
自室のドアが開き、お母さんが言った。
「うん、分かった」
短く返事をすると、ドアが閉まる。
──少年が忘れていたのに、私はその短い思い出にいつまでも縋りついて一人で毎日スケッチしていたなんて言えるはずがなかった。
でも、きっと私には時間がない。
「どうしたらいいかな・・・・」
私はスケッチブックに描かれた少年に向かって呟いていた。