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君の声を聴かせて欲しい

作者: カナリア

久しぶりの投稿です。

春という事で書いてみたくなりました。

 君の声を聴かせて欲しい。

 春のうららのその声を。

 夏の清流の様なその声を。

 秋の様な切ないその声を。

 冬の良く晴れた日の、純白な世界を思わせる、その声を。


 俺はそんな期待を込めて隣に座るあの子に視線を向ける。

 けれども君は安易に俺の期待などには応えてくれない。

 きっとそれがいいのだろう。

 しかしそれは寂しくて。

 けれどもやっぱりあの子は優しくて、俺の視線に気が付いて、俺の耳元に口を寄せて呟いた。


「そんなに見られると、集中できません」


 その言葉は紛れもなく俺に対する抗議の声で、本来反省すべきところなのかもしれない。

 けれども俺はあの子の、その天使の様な囁きに思わず笑みが口から洩れてしまう。

 ああ、脳が狂わされる。


 一体全体、俺はどうしてこうもあの子の声を聴くだけで、にやつくほどに嬉しくなってしまったのだろうか?

 その始まり一年ほど前の話。俺とあの子がまださほど接点を持っていない頃の話。

 全ての物語は、俺の疑問と好奇心から始まった。



 ——春——



 その出会いは俺が高校に入学した時の事。

 地方の高校だからか、小学、中学の時とはほとんど顔ぶれも殆ど変わらない。変わったのは制服位なもので、男子は皆身の丈よりも少し大きな制服に身を包んでいた。

 そんな目新しさを感じない面々の中に、あの子はいた。


 あの子はクラスで一番後ろの窓際の席で一人孤独に本を読んでいた。

 誰と会話する訳でもなく、ただの一人で。


 初めのうちは彼女に話しかけようとする生徒の姿もあったが、その子はまるで言葉を発しなかった。誰が声を掛けても目線や首を縦や横に振るなど、簡単な返事しか返さない。

 だから入学から一週間もする頃には、彼女に声を掛けようとする物好きはいなくなっていた。おまけに彼女は何というか、地味な見た目だった事も彼女の孤独に一役買っていた。


 けれども俺はそんなあの子の姿が、凜と姿勢を正して本を読むその姿が、どうしようもなく綺麗だと思った。


 だから、俺は思い切ってあの子に話しかけた。

 しかし、彼女との初めての接点は正直言って散々な結果になってしまった。

 返事どころか、目すら合わせてもらえなかったのだ。余程俺はうざがられていたようだ。だがそれも仕方がないことだ。友人からの俺の評価はお調子者だ。物静かなあの子にとって俺は鬱陶しい存在なのだろう。


 正直、ショックだった。

 返事どころか目も合わせてくれないとは。

 そしてそんな俺を友人たちは半分バカにしつつ、半分励ます。あんな女にはかかわるな。別にみんながみんな仲良くする必要はないと、そう言われた。


 違う。

 そうじゃないんだよ。

 俺はみんなと友達になりたいとかそんな事を考えて彼女に話しかけたわけじゃない。

 ただ、一言、声が聞きたかった。ただそれだけなのだ。


 きっとこれは俺の片思いだ。

 高校入学早々、無口で不愛想な女に、俺は見事にハートを撃ち抜かれてしまったらしい。しかしそんな俺の初恋は脆くも砕け散ってしまったのだった。


「……ジョーダンじゃない。こんな、一回無視されたくらいで終われるかよ」


 けれども俺は意外とすぐに立ち直り、気持ちを切り替えて次の日もう一度話しかける。

 そして無視される。

 凹む。

 立ち直る。

 話しかけ、無視され、またまた立ち直る。


 俺はきっと、馬鹿なんだ。

 起点も効かないし、頭の回転も悪い。だから何度も同じことをやって、何度も玉砕する。

 けど馬鹿だから、何度だって立ち上がる。

 全てはあの子の声が聞きたいという願望を叶える為。その為だったら、どんなに拒絶されても立ち上がれた。何度でも向き合えた。


 せめて、何でもいいから声が聞きたい。

 罵倒でも悪態でも嫌味でも何でもいい。もしも彼女が自分の言葉で俺を拒絶したならば、きっと諦められる。だからせめてそこまでは頑張りたい。

 そう思い続けて、高校生最初の春は終わりを告げた。



 ——夏——



 梅雨が来て、その間にも何度も無視されて、気が付けば夏になっていた。

 その頃になると無視されることにも完全に慣れてしまい、休み時間になるとあの子の隣に近づいて、あれこれ話すようになった。彼女からしてみれば、正直言って最高にめんどくさくて嫌な奴に見えたことだろう。

 彼女の事が知りたいと思った俺は彼女が読んでいる本に目を付け、自分でも本を読むようになった。そしてその感想をまるで目を向けていないあの子の隣でぶちまけていた。


 ……正直、申し訳ないとは思っている。

 俺自身の願望を叶えんがために、嫌がる彼女に無理やり自分の気持ちを押し付けているのが今の俺の姿だ。

 だから俺は彼女から「もう関わるな」と一言貰ったら、それっきりにしようと思いながら毎日、毎日、飽きもせずにあの子の隣に立ち続けた。


 そんな事を続けていたある日の事。

 明日から夏休みが始まるという時期にある変化が訪れた。

 俺はいつも通りあの子の隣に性懲りもなく近づき、彼女が読んでいた本の感想を口にしていたのだが、とある章の感想を話そうとしたときに突然彼女の白い手のひらが俺の口に伸びてきて、俺の口を覆い隠したのだった。ゆっくりとしていて、しかもとても優しい動作だったのだが突然の事に俺の反応は遅れた。

 そして困惑する。何故俺は、口を塞がれたのだろうか?


 困惑する俺はどうしていいか分からず目を泳がせた。

 すると俺の口から手を離した彼女は、そっと自分が持っている本のページを俺に見えるように指さした。

 そして俺は思わずアッと声をあげる。


「……ご、ごめん。ネタバレは厳禁、だよな?」


 あの子が読んでいたのは推理小説。

 そして俺は彼女が本を読み始めたその日には同じものを買って、その日の内に読破してしまったのだが、どうやら彼女はまだ半分ほどしか読めていなかったらしい。

 危うくペラペラと推理小説のネタばらしを読み進めている本人の前でやってしまうという大罪をやらかすところであった。


 そしてそんな俺に対して、あの子はジッと俺の目を睨みつけていた。余程今の事は頭に来たのだろう。

 それは間違いなく抗議の目線だった。


 俺はその視線にたじろぐと同時に、つい嬉しくなる。

 だって初めて君と目が合ったのだから。

 割と——いやかなり最悪な形ではあったが、彼女が俺を認識してくれた。

 その事実に俺は嬉しさ半分、困惑半分、そして申し訳なさ少々(もっと反省しろ)という複雑な感情を覚える。


 それが、俺と彼女が交わした最初の、そしてこの夏最後のコミュニケーションであった。



 ——秋——



 夏休みが終わり、再び学校生活が始まる。

 俺もその中の一人だ。

 友人の一人は、夏休みが終わってしまった事を嘆いていた。だが俺はと言うと、むしろ夏休みがもっと早く終わらないかと毎日カレンダーを眺めていた。

 俺とあの子の接点はクラスメイトであるというだけである。携帯の連絡先も知らないし、休み中に会う約束をしていたわけでもない。

 だから会いたいと思っても会えるような間柄ではないし、そもそもあの子はそんなことを望まないだろう。だから俺はジッと夏休みが明けるのを待つしかなかった。


 俺は学校に登校するとすぐにあの子が座っている席へと近づく。

 俺はあの子と話すことが出来なくて少し寂しかったが、あの子も同じ気持ちだっただろうか? と期待する。最も、そんなことはあり得ない話なのだが。


 そして俺はいつも通り窓際の席で本を読みふけっているあの子の傍に近づき、いつも通り話を始める。だが今日は本の話題などではなく、夏休みに起こった出来事の話だ。

 家族と旅行に行ったこと。

 父親の実家に帰って、おばあちゃんとスイカを食べたこと。

 父親の地元の花火大会を見てきたこと。

 その話をあの子に話す。いや、彼女は相変わらず俺の方など見もしないので、これは俺が勝手に独り言を言っているだけなのだろう。

 でも、それでも何故か心地いと感じるのは何故だろうか?


 彼女は相変わらずこちらに目を向けることはない。

 しかし本に集中しているのかと言うと、そういうわけでもなかった。先ほどからページが進んでいない。本を読む手は止まっているようだった。

 夏休みの少し前から、俺が話を始めると彼女が本を読む手を止めることは何度かあった。だがその意味をしっかりと考えたことはなかった。

 だがこれはつまり、俺が彼女の趣味を邪魔しているという事ではないのだろうか?

 そう思えるような理由など有り余っている。何せ、今の今まであの子が俺に視線を送ってくれたことは一度しかなかったのだから。

 ならば俺が話しかけると手が止まるのは、苛立ち?


 その考えが脳裏によぎった瞬間、怖気が走った。

 俺は無神経だし馬鹿だから、彼女が嫌がったらやめようだなんて考えていたのだけれど、けれどももしも彼女がそういう事を言い出せない人だとしたら、俺の存在はあの子にとって振り払えない火の粉でしかない。


「……ごめん。本読むの、邪魔して」


 そのことに気が付いてしまった俺は、こんなことはもうやめるべきなのではないかと思った。

 もともとこの関係は俺の自己満足から始めたことだ。

 そのことについて内心では多少罪悪感はあったが、だが向き合ったことはなかった。

 ……いや、そんな口先だけのいい訳なんてどうでもいい。

 ただ俺は——これ以上嫌われたくなかった。


 だから俺は苦笑いを浮かべてあの子に背を向けた。

 残念だけど、終わりにしよう。そう思いながら。

 ……その時一瞬、あの子が俺の方に顔を向けたような気がしたが、きっとそれは俺の未練がそう感じさせたのだろう。


 ——こうして、半年に満たない俺の初恋は一旦幕を閉じたのだった。最後の最後まで、自分の事しか考えていない自分に嫌悪感を抱きながら。


 ……だが、俺の初恋が終わろうと日常は続いていく。

 残暑も徐々に薄れ、木々の葉が青々とした色から灰色や、紅葉した色へと変わっていく頃になっても変わらず日常は続いていた。それは俺の抱えている無念や気まずさの事などは知らぬ存ぜぬと言わんばかりに。


 そんな俺もあの子の傍に行く事をやめてから数週間が経つ頃にはある程度いつも通りの調子に戻っていた。

 けれども完全に戻ったわけではなく、今もあの子の読んでいる本をたまに確認しては同じものを読んでいる。そうすれば少しでもあの子の気持ちに気が付けるのではないかと思ったからだ。正直元カノのプレゼントをずっと使い続けている男みたいに惨めな事をしているとは思っているのだが、それでもあの数か月間胸に抱いていた熱を冷ますには、数週間は短すぎる。


 あの子は意外かもしれないが、推理小説やファンタジー作品を好んでいる。意外と感じるのは俺が女性は恋愛小説が好きと言う先入観があるからかもしれないが。

 そんな彼女の読んでいる本の趣味嗜好が、最近変わった。

 最近のあの子は恋愛小説をよく読んでいる。しかも登場人物の気持ちがすれ違うじれったい作風の物が殆どだ。


 このタイプの小説は、正直俺の肌には合わなかった。だって主人公があまりにも鈍感だったり、逆にヒロインが鈍感だったりしてなかなか関係が進展しないし、気持ちを伝えないせいですれ違ったりするからだ。

 俺はそんな登場人物たちを見るたびに、さっさと気持ちを伝えて共有すれば解決するのにとイライラしてしまうのだ。

 なぜこんなにも胸の内が穏やかでないのか、俺にはサッパリと分からないまま時間だけが過ぎていく。


 そんなモヤモヤとした気持ちを抱えながら更に数週間が過ぎ、もう肌寒い空気が町に吹き込み始める頃となった。

 既に紅葉も散り、あと少しすれば雪が降るだろう。季節は冬の入り口に差し掛かっていた。

 そんな頃に俺とあの子はクラスの日直として放課後一緒に作業する機会に恵まれた。



 ——冬——



 放課後、俺とあの子は日直としての作業を行っていた。俺は黒板の掃除をする傍らにあの子の横顔を眺める。

 あの日から、もうずっと声を掛けていない。

 挨拶くらいはしてもいいはずだが、あの子の負担になりたくないから、仕方がない……。

 ——いや違う。俺は、怖いんだ。

 いくら体のいい言い訳を並べても、分かっている。嫌われたら諦めようとかそんなことを考えていたくせに、いざ自分があの子から拒絶されるかもしれないという可能性を間近に感じて、俺はそれを恐れた。


 放課後の教室は暖房が止められ、外の冷気によって冷え始めていた。その寒さが俺の心にすら届いているかのように辛く突き刺さる。

 本当に、自分が嫌になる。俺はどうしてこうも、上手く出来ないんだろうかと沈んだ気持ちになる。


 その時だった。

 隣で、鼻をすする音が聞こえた。

 その音に気が付き目を向けると、あの子は泣いていた。


 俺は驚きのあまりに一瞬声が出なかったが、すぐに自分が何かやってしまったのではないかと思い焦った。

 俺は何をしてしまったのだろうか? 気が付かないうちに彼女に嫌な事をしてしまったのだろうか? それとも、俺なんかと一緒にいて、耐えられなくなったのだろうか?


「ご、ごめん! 俺、何かしてしまったか?」


 俺はどうすればいいか分からなかくなって、彼女に理由を尋ねた。

 理由を尋ねたのは悪手だったかもしれない。出来る男なら、何も聞かずに正解を導き出すのだろう。

 けれども俺は馬鹿だから。理由を聞かないと、分からない。


 ——けれども彼女は首を横に振る。

 しかし涙は止まらない。大粒の涙が、彼女の大きな瞳から止まらない。


 だから俺はいよいよどうすればいいか分からず、立ち尽くした。

 俺のせいでないとしたら、一体何が理由で彼女は泣いたのだろうか? いや、理由なんてものは、今はどうでもいい。

 どうすれば、俺は彼女の気持ちが分かる? それが分かったのならば、何も出来ないとしても、寄り添うくらいは出来るはずなのに——。


「——」


 その時、俺は気が付いた。

 あの小説、じれったい少女と少年の恋愛小説を読んだ時に俺が感じた事を思い出したのだ。俺はあの小説を読んだ時、気持ちを伝えて共有すればお互いのすれ違いやわだかまりなんてすぐに解決すると思っていた。

 俺はその時はそんな偉そうな事を考えていたけれど、そんなことを思えるような立場ではなかった。


 ——だって俺は、今の今まで彼女の気持ちを確認したことも、自分の気持ちを伝えた事すらなかったのだから。


 今の今まで、俺がやったことと言えば彼女の気を引くために話しかけただけだった。そしてその過程で勝手に彼女の気持ちを想像したりしたが、実際に確認したことは一度たりともなかったのだ。


 俺はてっきりあの子から嫌がられていると思っていた。目も合わせてくれないし、何も言ってくれなかったからだ。

 でもそれは俺の中の常識と照らし合わせて勝手に想像したことだ。相手に確認したわけじゃない。


 『気持ちが分かれば、相手に寄り添える』だって?

 俺はちゃんちゃら可笑しい事を考える。

 逆なんだよ。

 『相手に寄り添わなければ、気持ちが分かるはずがない』のだ。


 俺は自分の頬を思いっきり叩いた。

 その音にあの子は肩を震わせ、俺の方に目を向けた。

 そんな彼女に向き合って、俺はゆっくりと言葉を紡いだ。


「その、最初に確認したんだけど、君は俺の事が嫌い?」


 俺のその、恥ずかしさを我慢しながら聞いた渾身の質問に、彼女は即座に首を横に振った。首を、横に振ったのだ。


 そして俺は自分の間違いを理解する。

 俺はどうやら、ずっと下を向いて自分の影を相手に一人で相撲をとっていたらしい。顔をあげれば、自分の影から目を離せばすぐに分かる事だったのに、何故俺は気が付かなかったのだろうか?


「……君が泣いたのは、俺が急に話しかけなくなったから?」


 彼女は少し迷うそぶりを見せて、少しだけ頷いた。

 あぁ、だったのか。

 『あの子』も『俺』と同じだったのかもしれない。


「……もしかして、俺が話しかけていたのに、ずっと反応を返さなかったことで、俺が気分を悪くしたと思った? 俺が話しかけなくなったのは、自分のせいだって」


 今度はちゃんと頷いた。

 そうだ。

 彼女も俺と同じだった。お互いが何も確認しないまま疑心暗鬼になって、訳も分からずに傷ついていた。


「……俺も、同じだよ。君が本を読むのが好きなのは知っていたから、俺が話しかけるせいで、大切な時間を奪っているんじゃないかって、そう思ったんだ」


 俺の独白に彼女は激しく首を横に振る。

 そんな彼女に対して俺は苦笑いを浮かべた。


「……同じだね。俺も、君が気に病んでいることなんて、何とも思ってなかった」


 最初は確かにショックだったけど、でも気にならなくなっていった。

 それは俺がその反応に慣れたというのもあるのだが、別の理由もある。

 彼女は、最初の内こそ無反応だったけれど、徐々に小さくはあるが反応を見せてくれるようになっていたのを俺は分かっていた。

 例えば俺が話しかけると本を読む手を止めてくれたり、俺が近づくと少しだけ背筋が伸びたり、そんな小さな変化があった。

 俺はそれに気が付いていながら、自分自身の勝手な想像のせいで見逃していたのだ。


 俺がそう言うと、彼女は、少しだけ口元を緩めた。

 小さな変化だけど、きっとそれにも意味がある。


「……ごめん。俺は馬鹿だから、勝手に妄想して勝手に結論付けて、勝手に自分で傷ついて、君を傷つけた。……大馬鹿者だ」


 俺はそう言って立ち上がり、自分の席へと走った。そして一冊のノートを持ってきた。


「その、それで、その……、俺は大馬鹿者、なので。見ただけじゃ分からないし、勝手に変な事を考えてしまうんだ。だから教えて欲しい。君の事を。今度は俺が一方的に話しかけるんじゃなくて、君と『会話』がしたい。でもきっと、君にとって『話す』ことは俺が思っている以上に難しい事なのかもしれない。だから、その、えっと、こ、交換日記? なんてどうだろうか?」


 今急に思いついたので、しどろもどろになりながら俺は彼女にそう提案する。

 当然、急に思いついた事なので専用のノートなど持っていない。彼女に手渡した交換日記として使おうとしているそのノートには『国語』と書かれているほどだ。


 君の事が知りたい。

 君の事をもっとよく知って、もっとよく知った上でもっと好きになりたい。この心優しい少女と、俺は——。


 その一心で差し出した俺のノートを彼女は受け取る。だがキョトンとした表情を浮かべると、すぐにそれを俺の手に返してきた。

 ……どうやら、いきなり交換日記と言うのはお気に召さなかったらしい。

 そう思い俺が肩を落とすと、彼女は突然俺の肩を掴むと、グッと体を寄せて俺の耳元に口を近づけた。口元に笑みを浮かべながら。


「国語って書いてありますよ?」


 ——言葉を失う。

 夢にまで見たあの子の声が、俺の耳元で囁かれた。

 だがその声色は、俺が想像していたものよりもずっと美しくて、愛らしくて、甘い響きだった。


 ……参ったな。本当に、参った。


 多分今の俺は、誰がどう見てもゆでだこみたいになっている事だろう。

 一言聞いただけで、脳が破壊されて君の事しか考えられなくなってしまった。


「交換日記は魅力的な提案ですけど、でも、やっぱりこのままじゃダメ、ですよね? 私、頑張るから。自分の気持ち、言葉に出来るようにするから。人の目を見るのも苦手だけど、頑張るから」


 あの子のささやきが俺の耳をくすぐる。

 その天使の様な美声が、俺の為だけに囁かれているという事実に酔いそうになる。

 声だけじゃない。匂いとか、柔らかさとか、暖かさとか、彼女の存在そのものが俺を酔わせる。


 もちろん、こんなことを知ってしまっては、今更文字だけのやり取りで満足できるはずもない。

 もっと聴きたい。もっと聴かせて欲しい。

 出来れば俺だけのために……。


「——どうして、泣いているんですか?」

「え? あ、これは……」


 気が付けば、俺は感極まっていた。

 女の子の前で泣くなんて情けない事この上ないが、今だけは許してほしい。

 何故ならそれは俺の君と関わる理由であり、願いだったからだ。

 けれど彼女はそんな事など知らないから、不思議そうに首を傾げる。

 言葉にしないと伝わらない。だから、長く遠回りしてしまったけど、今度は思うだけじゃなくてちゃんと言葉にするよ。


「……君の声を聴かせて欲しいって、ずっとそう、思っていたんだ」



この小説をここまで読んでくださいました読者様の皆様におかれましては、誠にありがとうございました。

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