08
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「もう肌がフヤフヤじゃねーか」
熱い湯に長く浸かっていたためか、軽くのぼせてしまったようだ。
そもそも、ミアがいたせいで、湯船から出るに出られなかったのではあるが。
お湯からあがったジュンは洗い場の椅子に座り、ちょっとぬるめのお湯をもう一度ザバ、と頭からかぶった。
「あ、そうそう。ひとつ聞き忘れてました」
その直後、彼の耳元で聞き慣れた声が発せられる。
「わわわ、まだいたのか!」
横を向くとその目の前には、さっき出て行ったはずの大久保ミアの顔があった。
「ちょっと許嫁殿に確認しておきたいことがありましたのでね」
あたふたとタオルで前を隠すジュン。
彼の表情をまじまじと眺めながらミアはまたしても、にま、と笑う。
「な、なんだよ。聞きたいことって……」
「許嫁殿が外様の待遇改善について、生徒会長に直訴するって噂があるんですけどね……。これ本当ですか?」
「ちょ、ちょっと待て。なんでお前がそれ知ってるんだよ!」
ジュンは動揺した。ついさっき話していた内容がなぜミアの耳にまで届いているのか、皆目見当がつかない。
「情報入手経路は秘密です。それでやっぱり、直訴の件については真実なんですね?」
ミアは懐から手帳とペンを取り出すと、なにやら書き込み始める。
「いや、直訴とかそういう大げさな話じゃないんだ。ただ、現状だとほら、外様の生徒たちがちょっと可愛そうだからさ……」
とりわけ隠し立てするような話ではないのだが、あまり大事になるのも面白くない。
そのためか、ジュンは少し言い淀んだ。
「さっすが、許嫁殿! 自分の得にもならないことを人のために。いやー、素晴らしいですねぇ!」
ミアは、ジュンの背中を思いっきりバチン、と叩く。
「痛ッ! ……って、だからそんなに大げさなことじゃないんだってば。もしスミカにダメだって言われたら大人しく引き下がろうかなーって」
それはジュンにとっての本音だった。
リーさんたちに言われたこともあるし、なによりスミカからどんなバーターを要求されるかもわからないのだ。
ミドリと約束した当初はともかく、今では提案をするだけはするが、スミカに拒否されたらそのまま素直に引き下がろう、というのがジュンの想定しているシナリオなのである。
「そんなこと言ったって、許嫁殿ならきっと上手くできますよ!」
ミアはさっき思いっきりひっぱたかれ赤く腫れ上がったジュンの背中を、今度は優しくなでなでする。
そう、大久保ミアは飴と鞭を使い分ける女なのだ。
「別に、俺的には上手くいかなくてもいいんだけどな……。というか、なんでそんなに嬉しそうなんだよ。お前、別に外様じゃないだろ?」
ミアは文化系の新聞部であり、譜代だ。
外様の待遇改善は特に喜ぶようなことではないはずである。
「いやいや、許嫁殿。大久保ミアはそんな短絡思考じゃありませんよ? 私はジャーナリストですからね、面白いことには命を賭ける主義です。学院にヒーローが誕生する! となれば、それはもうワクワクせずにはいられません」
ミアは鼻息をムフー、と荒くしながら語る。
そして懐からコンパクトカメラを取り出しジュンの姿を写真に収めようとしたが、カメラはすんでのところで被写体に取り上げられ、湯船の中にポチャーン、と放り込まれてしまった。
「だから、ヒーローだなんだって、そんな大げさなことじゃないんだってば。そもそも、スミカが聞き入れてくれるかどうかもわからないだろ?」
「なるほど。今ひとつ、生徒会長を攻め落とす材料に乏しいというワケですね?」
ミアは腕を組み、ふむ、と息をつく。
「それでしたら生徒会長の弱みのネタ、売りましょうか?」
「スミカの……弱み?」
「はい、これを出されれば生徒会長も首を縦に振らざるを得ない、というそんな弱みです。安くしときますよ」
ジュンは考えた。
今回のことで使わなくとも、スミカの弱みを握っておくのは別に悪いことではない。
上手く使えば、つきまとわれないで済むように出来るかも知れないのだ。