02
「……もう」
その後ろ姿を眺めながら、スミカは溜息をついた。
『別に俺はお前と結婚したいなんて思ってない』ジュン自身がそう思っているのは知っている。知っているのだが、面と向かってさらりと言いのけられると、やはり非常に傷つくのだ。
スミカは姫宮の令嬢。
ジュンだって、姫宮には劣るがそれなりの家柄に生まれている。
幼馴染みであったふたりを許嫁にしたのは両親たちの勝手な合意によるものである。
それは確かだ。
しかしスミカは、その話を聞いて飛び上がるくらいに嬉しかった。
それはもちろん、ジュンに対してほのかな恋心を抱いていたからである。
ところがもう一方の当事者はというと、必ずしもスミカと同じ気持ちではなかったようだ。
許嫁の知らせを聞いたとき、彼がとても不満げな表情を見せたのを、スミカはよく覚えている。
「紺野ジュン、ですか。生徒会長に逆らうとは、いつもながらにイイ根性をしていますね」
肩を落としているスミカに対し、背後から声をかける者がいた。
「え、あ、あ……ええ。そうですわね」
不意のことに動揺したのか、スミカは人気の無くなった会議室にキョロキョロと視線を泳がせてから、最後にクルリ、と背後を向き、声の主を確認する。
「そろそろ、不名誉退学処分も検討されてはいかがですか?」
スミカの目の前には生徒会副会長の姿があった。
紺色の髪をポニーテールにまとめ、黒縁眼鏡の奥にいぶかしげな表情を覗かせる彼女は、名前を巻菱リョウという。
「副会長、口を慎みなさい。ジュンくんは私の許嫁なのですよ!」
スミカは思わず反論する。
咄嗟のことで思わずジュンへの皮肉に同意してしまったが、自分の許嫁――いや、好きな人に対する批判は、聞いていて気持ちの良いものではないのだ。
「それは申し訳ありません。ですが、あまり反抗的な生徒を野放しにしておくのも、学内の秩序を乱す要因になると思うのですが」
スミカに怒鳴られても、リョウは臆することなく淡々と生徒会長に忠告する。
この副会長、巻菱リョウは、姫宮の一族でもなければ良家の出というワケでもない。
学内で見れば、その家系は下の下、といったところだ。
それなのにも関わらず、学院ナンバー2の生徒会副会長という肩書きを持っているのは、その実務能力、調整能力が大変優れていたからである。
リョウは昨秋まで、一介の吹奏楽部部長に過ぎなかった。
しかし、その実力をスミカに買われ、こうやって副会長の座まで上り詰めてきたのである。
「秩序が乱れたのなら、乱した人間を処罰すればいいだけですわ。ジュンくんは将来、姫宮の家系に入るのですから、多少のことには目をつむります」
「そうですか。生徒会長がそう仰るのであれば、私からは、これ以上申し上げることはありません」
リョウは、失礼します、と頭を下げると、会議室を出て行った。
スミカはひとり取り残される。
「はぁ、ジュンくん……」
学内の秩序なんてのは、面倒な者をとりあえず退学にしておけば丸く収まる。
現に今までそうやって、上手い具合に体制はまわってきた。
スミカにとってはそんな些細なことよりも、いかにして『ジュンくん』を振り向かせるか? の方が重大事であり、難題なのである。