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3.鎌を振り上げる

「次はいつ来て下さいますか? できれば早い方が嬉しいです。また太ってしまいますもの」

「天使の好む容姿が気に入らないのなら、太ってみてはどうだ?」


 立ち上がろうとした男を引き留めようとエティアが声をかけるが、男につれなく返された。エティアの言っている意味がわかっていて、男はあえて見当違いなことを言ってみる。


「それはとても微妙なお話なのです。私も年頃の娘ですもの、醜く太ってしまうのは嫌なのです。ですから私が太る前に来て下さいませ」

「お前は俺をなんだと思っているんだ?」


 男がエティアの元を訪れる必要はない。天使への嫌がらせとはいえ、そこまでの労力をかける意義も感じない。目の前の娘が人間にしては多少の面白みがある。ただそれだけだ。


「私にはいくつか夢がありますのよ」

「お前はいつも話が飛ぶな」


 エティアは普段は人と話すことがないので、頭の中だけで考え口にも出さずにひとりで完結している。そのため、他者に対して流れに沿ってうまく話をすることができない。

 今も自分の中では、また男に訪れて欲しい旨を伝えようとして夢の話をしたのだが、男にしてみれば突飛な話に聞こえたのだろう。


「お茶を飲んだりしながら他愛ない話のできる友人が欲しいのです。それと恋をする相手が欲しいです。それから……」

「まだ続くのか?」


「ここから出たことがありませんのよ。本でしか知らない知識ばかりで、行ってみたい所もどんどん増えてゆくのです」

「行ってみたい所?」

「海が見たいです」


 自由を奪われているとはいえ、本に関しては望めば用意してもらえた。宗教書には興味がないので、娯楽本ばかりを読んでいる。恋愛に関するものよりも、旅行記や冒険者の書が好きだった。


 海。

 どこまでも続く水平線と沈む夕日の美しさが綴られた旅行記を読んで以来、海という場所がエティアを捉えて離さない。


「ご覧になったことはありまして?」

「磯臭いしベタベタするし、何がいいかわからないな」

「それは知っているからこそ言えることなのですよ」


 男は当然のように言うが、それは自由に動ける男だから言える言葉だ。羨ましさでエティアは口を尖らせた。


「夢の話に戻りますけれど、お茶を飲みながら話のできる友人が欲しかったのです」

「まさかそれを俺だとか思っていないだろうな」

「ひとつ目の夢が叶いました」





 エティアは体面上は領主の長女で、教会に預けられている娘だ。修道女になったわけでも、請願を立てたわけでもない。そろそろ適齢期の半ばに差しかかっているエティアの扱いを、領主、教会ともに水面下で調整を行っているところだ。


 教会に娘を売ったとはいえ、何かの契約を交わしてエティアに関する権利を放棄したわけでもない。今でもエティアに関する決定権は父親にある。


 領主は利益を生む娘を領地から出すつもりはないが、権力ある裕福な貴族との繋がりが欲しいと考えていた。

 教会は請願を立てさせ、このような僻地ではなく中央の大聖堂に移動させたいと画策している。このような僻地よりも中央の方が今よりも多くの信者を集め、献金を募ることができるからだ。


 いずれもエティアの意思など尊重されない。


 貴族の娘は家の繁栄のため、親の言うまま政略結婚をするのが常だ。

 普通の貴族の娘として育ち、家に愛着でもあれば受け入れられたのだろうかとエティアは考える。もしもという仮定の想像は、いくらでもある時間潰しのために昔からエティアがよくすることだ。


 いくら考えても応とは答えられそうにない。以前のエティアならまだしも、今のエティアは夜の時間を心待ちにしている。


 ふとエティアの視界の端に、黒い影が見えたような気がした。視線を凝らしてももうその影はない。見間違いだったかとそのまま寝室へと移動する。


 今日も男はやってこなかった。




 今度こそ駄目なのかもしれないとエティアは思っていた。


 数日前から続く高熱は引く気配がなく、寒さで体がガタガタと震えている。教会から派遣された医者が処方した薬を飲んでも効果はなく、日に日に息をすることすらつらくなっていた。


 先ほどまではエティアの私室に医者や世話人が何名もいた。エティア以外の人がいるのを見るのはいつ以来かと、ぼんやりとした頭で考えていた。


 医者にも世話人にも見なかったが、エティアの目には部屋の端に佇む黒い影が見えていた。傷んだ黒いローブを身に纏い、大鎌を持ったその影は今までも何度も見たことがある。

 死神だ。


 人気がなくなったのを見計らったように死神が一歩前に歩を進めた。ローブから覗く白骨の空洞の眼窩が、エティアをじっと見ている。また動いた影にエティアがびくりと体を震わす。


「思いのほか天使は役に立たないな」


 死神を見ていたエティアが顔を上げると、同じ黒の装いでも死神とは全く雰囲気の異なる男がエティアを見下ろしていた。


「……天使は気まぐれですので、……いつでも……私を助けるとは……限らないのです」


 息も絶え絶えになりながら、どうにか男に答えを返す。

 男も気まぐれだ。エティアの元へは暇つぶしに来ているだけだ。それでも男の声を聞いた瞬間、エティアの目に安堵の涙がにじんだ。


 眉をひそめた男が死神を一瞥すると、男の存在を認めた死神が怯んで一歩後退する。両者が険しい顔をして睨み合っている。男がおもむろに片手を上げると、地下を這うような低い悲鳴が聞こえ、白骨がバラバラと崩れ落ちそのまま床に消えた。


 死神に刈られるのは面白くないと男は思った。


 死神が消えたことで、荒い息をしていたエティアの呼吸が少しずつ整い始める。


「お前は節操なしだな」

「……私のせいだとおっしゃるの?」

「何にでも好かれて大変だな」


 男がエティアの寝台の横に立って、憐れみの目をして見下ろしている。

 天使の愛し子だ、天性の愛し子だと言われてもエティアはただの力のない人間だ。人外に目をつけられても対抗する術すら持たない。


「助けて下さってありがとうございます」

「別に助けたわけではないがな」

「来て下さって嬉しかったです。次に来て下さるまでに体調を戻しておきますね」


 力なく微笑む娘を見て、男は気持ちを乱されるような気がした。

 苦しそうに息をするエティアに、男は一瞬手を伸ばそうとしてすぐに引っ込めた。無意識の行動に決まり悪そうな顔をするとそのまま部屋を後にした。

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