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1.天使の愛し子

 天に愛された娘は天使の貌を持って生まれた。

 神に愛された娘は極上の魂を持って生まれた。

 悪魔は極上の娘を狙って舌なめずりし、死神は命を刈ろうと鎌を振り上げる。


 生まれついての愛し子は、天の使いだけでなく人外を魅了する。



「鬱陶しい天使が群がっているかと思えば、いるのは人間の小娘ひとりか」


 食事も終わりいつも通りエティアが燭台の灯で読書をしていると、ひとりきりの部屋に聞こえるはずのない低い男の声が聞こえた。驚いて声のした方向を見ると、固く施錠されたはずの窓が開いている。


 闇が入ってきたかと思った。

 厚い雲に覆われて月も見えない夜に、闇を象った男が窓枠に立っている。


 漆黒の髪と吸い込まれそうに冷たい深い闇色の目。黒衣を纏った恐ろしいほどの美丈夫は、高所であることをものともせず、涼しい顔をして絨毯の上に降り立った。抗えない色香をまとった鼻梁の通った男はエティアを値踏みするように見ている。

 鋭い眼光に射竦められて、身動きのとれなくなったエティアもまた、男に注いだ視線を外すことができず二人の視線が絡んだ。


 誰も立ち入ることを許されないエティアの部屋に、見たこともない男が侵入してきた。本来であれば大声を出して人を呼び、助けを求めなければならないのだろうが、不思議と恐いとは思わなかった。


「ここは私以外は入ってはいけない場所なのですのよ」


 明るい金色の緩やかな巻き毛。瑞々しい果実のような頬としっとりと潤んだ蠱惑的なすみれ色の瞳。宗教画の天使のような神々しい美しさを持つ娘。飾り気のない真っ白な長衣が、エティアの楚々とした美しさを引き立てていた。


 なるほど、これは天使も悪魔も放ってはおくまいと男は思った。


「お前は人か? 天使か?」

「見ての通り、私には純白の羽も頭上に戴く天使の輪もございませんわ」


 天使の容姿を持つ娘は、鈴を転がすような声で答えると侵入者に微笑みかけた。


「なるほど。天使の愛し子か」


 無条件に天使の寵愛を受ける者。

 天使は愛し子を寵愛し、祝福を与え、奇跡を起こす。愛し子が望もうと望むまいと天使が思う通りに寵愛する。

 その上、エティアは天使だけでなく、悪魔や死神をも魅了する天性の愛し子だ。


 珍しいものを見たとばかりに男が口元を緩める。


「あなたはどなたですか?」


 エティアが立ったままの侵入者に問いかけると、男はエティアが座るソファの対面に腰を下ろす。

 突然の侵入者に恐怖に歪んだ顔で命乞いをすればいいものを、動じる様子のない娘に男は怪訝そうな顔をする。


「俺はお前達が悪魔と呼ぶもの」


 流石に驚いた様子を見せたエティアに、満足そうな顔をした悪魔が目を細めて笑う。


「色々と不思議な方を見てまいりましたけれど、直接話しかけられたのは初めてです。どうしてこちらへ?」

「ただの暇つぶしだ」


 動じる様子を見せないエティアに、悪魔は興味深げに片眉を上げる。


「お前、俺を恐れないのか?」

「ここにはあなた以外にも天使や悪魔、人外の方がたくさんお見えになりますので、あなたの事を別段恐ろしいとは思いません。部屋へ入って来たのはあなたが初めてですけれど」


 少し考えて首を傾げたエティアが恐ろしいものとは何かしらと答える。

 エティアが厭うものは金銭のために娘を教会に売った家族。よくも血の繋がった娘にそんなことができるものだとほとほと呆れる。

 そして献金と求心力のために自分を買って、閉じ込めて外に出さない教会。その教会に食い物にされている、金を払えば神の加護を受けることができると勘違いした信者。


 聖なる場所に入って来ることはないが、エティアに惹かれた悪魔が窓の外から覗き込んでいることがある。幼い頃は恐怖で泣くこともあったが、もう慣れてしまった。

 天使においてはエティアのためと、人前で望まぬ奇跡を起こす。


「低位の悪魔では仮にも教会、聖域に入ることは難しいだろう。お前は天使だけでなく死神にも執着されているな。死の影がつきまとっている」

「私は生まれた時から何度も死にかけているそうです。体は健康であるのに、ある時ふと命の火が消えるように死に瀕するのです」


「死神は命を刈りたがり、悪魔にも狙われている。しかし、天使がそれを阻止している」

「私がいつ頼んだというのでしょうか」


 天使と悪魔と死神がそれぞれを牽制している。片方が何かを仕掛ければ、もう片方がそれの邪魔をして、そのお陰でエティアの命は保たれている。何の保証もない危うい天秤の上に乗っている。それがエティアの現状だ。


「私、美しいですものね」

「……それは自分で言うことなのか?」


 頬杖をついた男が呆れた顔をしているのがわかったが、エティアは言葉を続ける。


「私は神が作りたもうた奇跡の娘ですのよ。天使の容姿を持つ天使の愛し子」


 自嘲じみた笑いを浮かべてエティアがそう告げるが、少しも有り難がった様子もなく、むしろ心底嫌がっているようだ。それに気づいた男が面白がってエティアに問いかける。


「嫌なのか?」

「私が生まれた時、天使が現れて祝福を与えたそうなのです。私はすぐに天使の愛し子として教会に売られました。私に自由はなく、死ぬまで教会に囚われたままです。天使は人前で私に奇跡を起こし、その奇跡によって教会に更に献金が集まるのです」


 矢継ぎ早に言葉を紡ぎ、息切れしたエティアが大きく深呼吸をすると更に話を続ける。男は何の表情も浮かべずにエティアの話をじっと聞いている。


「似ても似つかぬ娘に親が愛情を持てないのは仕方のないことなのでしょう。私は天使のせいで私は家族を失いました。天使が姿など現さなければ、貧しいながらも私は家族と一緒にいられたかもしれない。普通の娘のように友人を作り、いつか恋人を得ることができたかもしれませんのに」


 娘を教会に引き渡した両親が、エティアの元を訪れることは一度もなかった。エティアの出席する礼拝でたまに姿は見るものの、立場上出席しているだけでエティアに会いに来ているわけではない。


 エティアが両親に捨てられたのだと気づいたのはいくつの時だっただろうか。

 それ以来、家族の情を求めることは諦めてしまった。話によるとエティアには三人の弟妹がいるそうだ。一度も会ったことはなく、会いに来ることもない家族。


「人間は天使を有り難がるものではないのか?」

「私にとっては憎むべき相手でしかありません」

「天使をそのように言う人間には初めて会ったな」


 人にとって神の存在は絶対だ。その神の使いである天使を悪し様に言うエティア。天使は愛し子を寵愛しているが、愛し子本人からは疎まれ、憎まれている。

 この状況は非常に愉快だなと男から笑いが零れそうになる。

 天使への意趣返しにこの娘を殺してしまおうかと思ったが、悪魔が愛し子に近づいて動揺させるのも一興かと考え直した。


「お前は興味深いな」


 思わず口にした男の言葉に反応して、エティアが男をじっと見る。


「あなたも私が欲しいですか?」

「高位の悪魔である俺がお前如きを欲しがると思うか? お前に俺が欲しがるほどの価値があるのか?」


 男の言葉を聞いたエティアが驚きで大きく目を見張る。心底驚いた顔をした後に、声をあげて笑った。

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