61.美女と父の影
「ああ、文句はない。頂戴していこうかな」
俺はスキルオーブをポケットに入れて退室しようとする。
まだ劇の公演が始まるまでは時間があるが、あまり女性を待たせるのも良くないだろう。用事が終わったのだから引き上げるとしよう。
「もう帰ってしまうのかしら? 少しゆっくりして行けばいいのに」
「いや……遠慮させてもらおう」
俺は少しだけ迷いながら、首を振った。
ゲームでは報酬はスキルオーブだけではなく、その後にボーナスがあったりする。
ボーナス……つまりは、目の前の傾城の美女とのエロイベントだ。
キャサリン・ローズレッドは生粋の年下好きであり、若い男をこの部屋に連れ込んで玩具にしているのだ。
先ほど、俺をこの部屋まで案内してくれた劇団員もキャサリンによって弄ばれ、心を奪われた被害者の1人だったりする。
大人のお姉さんがものすごいテクニックで無茶苦茶にしてくるという、青少年の夢を実現したイベントなのだが……
「やめておくよ……今はデートの最中なんだ。アイツらを待たせたくない」
俺は後ろ髪を引かれながらも、きっぱりと拒絶の意思を示した。
正直、キャサリンのような美女に引き留められて心が揺れないわけがない。
しかし、つい先ほどナギサに対して、父親と決着をつける時まで女性を抱かないなどと意思表示をしたばかりである。
舌の根の乾かぬうちに別の女とイチャイチャするのは、いくら何でも格好悪いだろう。
「あらら、断られちゃった。私の誘惑を拒むなんてすごい子ねえ」
即答した俺に、キャサリンは意外そうに目を瞬かせた。
「私よりも恋人とのデートが大事だなんて、随分とその女性を愛しているのね。バスカヴィル家のお坊ちゃまは」
「……俺は名乗った覚えはないぜ。どこで俺の名を?」
「最初から知っているわよ。私が……というよりも、私の家がバスカヴィル家と交流があるのよ。貴方のお父様とも何度か会ったことがあるわ」
「…………そうか」
俺は微妙な表情で頷いた。
キャサリンに非があるわけではないが、父親絡みとなるとどうしても気分が悪くなってしまう。
ガロンドルフの関係者というだけで、目の前の美女の背後に黒い暗雲が差して見える。
「ふふっ……そんなにヘソを曲げないでちょうだい。しかめっ面をすると、ますますお父様に似てしまうわよ?」
「……やめてくれ、マジで。アイツと似てるとか言われたら、ハラワタが煮えちまうだろうが」
俺が憮然として言うと、キャサリンはおかしそうに相貌を緩めた。
「随分と子供に嫌われているみたいだけど……彼はとてもいい男よ。私は年下のほうが好きだけれど、彼を前にしたら揺らいじゃったくらい」
「知るか。アンタの男の趣味なんてどうでもいい」
俺は鬱陶しそうに舌打ちをかまして、さっさと部屋から出て行こうとキャサリンに背中を向けた。
父親――ガロンドルフ・バスカヴィルと目の前の美女との関係は気になるが、親父に好意的な人間と話をするつもりはなかった。
「もらう物はもらった。もう顔を合わせることはないだろう。今日の公演、楽しませてもらうぞ」
言い捨てて、俺は部屋の扉を開いた。
廊下に出て扉を閉めようとすると、扉の隙間からキャサリンの声が漏れ出してきた。
「きっとまた会う時が来るわよ。『バスカヴィルの魔犬』さん」
「…………」
またその言葉か。本当に、どう意味だというのだろうか。
俺はかまわず部屋の扉をくぐって廊下に出た。
「おわっ! もう出て来たのか!?」
「…………何してんだ、お前は」
支配人室の前の廊下では、何故か先ほどの劇団員が壁に耳を付けていた。どうやら、部屋の中に聞き耳を立てていたらしい。
俺がキャサリンに悪さをしないように警戒していたのか。
それとも……俺とキャサリンがそういうことになることを期待して、音声だけでも楽しもうと思っていたのか。
「ち、違うぞ!? 別に惚れた女が寝取られることに興奮するというわけでは……」
「……そこまで考えてねえよ。仕事しろよ、劇団員」
嫌な大人に遭遇してしまった。
色々と気分を害しながら、俺はそそくさとその場を立ち去ったのであった。