37.聖女の涙
「この阿呆が。誰がお前の言うことなど聞いてやるものか」
「え……?」
まさか拒否されるとは思っていなかったのだろう。一刀両断する俺の言葉に、エアリスは目を白黒とさせた。
「で、でも……このままでは貴方達まで死んでしまいます。どうか私なんかのために死なないでくださいませ……!」
「『私なんか』……随分と自己評価が低いじゃねえか。まるで自分の命に価値がないみたいに聞こえるぜ」
「それは……」
エアリス・セントレアという少女がどうしてここまで自分を犠牲にするようになったかというと、彼女の母親が原因である。
子爵令嬢であるエアリスは、幼少の頃に母親と馬車で街道を移動している最中に盗賊に襲われてしまった。
護衛やお付きが次々と殺されていく中、エアリスの母親は娘を守るために結界を張った。
結界魔法は時間経過によって魔力を消耗する。このままでは、自分の可愛い娘が殺されてしまう――そう思った母親は、魔力が尽きた後も命を削ることによって、強引に結界の効力を引き延ばしたのだ。
結果、巡回していた警備兵が駆けつけるまで娘を守ることに成功したが、それと引き換えにそのまま命を落としてしまった。
母親の命と引き換えに生き残ったエアリスは自分の命を軽んじるようになってしまい、他者のために我が身を投げ出すようになってしまったのである。
「俺は『我が身を犠牲にして』とか、そういう自己犠牲が1番嫌いなんだよ! 生きられる奴が自分の命を投げ出すとか、幸せになれる奴が目の前にあるチャンスを不意にするとか、馬鹿にするのもいい加減にしやがれ! 舐めてんのか!?」
「で、でも私は神に仕える人間で……人のために奉仕する義務が……」
「それが鬱陶しいと言ってんだよ! ここには主人公はいないから、代わりに言ってやる! 『お前が死んで悲しむ奴のことを考えろ!』――お前を育てた父親とか、お前のために死んだ母親とかのことだ! お前が自分を否定するのは、お前を大切に思っている人間まで否定していることだって、いい加減にわかりやがれ!」
「あ……」
エアリスが凍りついたように言葉を失う。
それは本来であれば主人公であるレオンが口にするはずのセリフだったが、アイツは不甲斐なくもこの場にいない。
ならば、俺が代わりに言ってやるしかないじゃないか。このまま他人だけ救い、自分は救われることなく1人のヒロインが死んでいくなど、そんな鬱展開を認めるわけにはいかない。
俺がこの世界に転生した以上、ヒロインが不幸になるなど許さない。
全ての鬱展開をぶち壊す──そのためだったら、ヒーローにも悪役にもなってやる。
「お前の人生はお前のものだ! 他人のために無駄遣いしていい命なんてねえんだよ! 自分1人も幸せにできないような愚図が、他人様を幸せにしようなんて烏滸がましいわ! 思いあがるのもいい加減にしやがれ!」
「っ……!」
「やりたいことだってあるだろう? 好きなことだって、趣味だってあるだろう? 死にたくないならそう言え! 弱虫は弱虫らしく、助けてくれとみっともなく縋りやがれ!」
「うっ……あ、ああ……!」
エアリスは青い瞳からポロポロと涙を流した。真珠のように綺麗な涙だ。
母の死と引き換えに生き延びた彼女は、自分を罰するように己を犠牲にする生き方を選んでいた。そして、元々の能力の高さが災いして、周囲の人間もまた聖女のようなエアリスの優しさに甘えて聖女のように扱ってしまっていたのだ。
だから、そんな甘さと幻想を叩き壊す。
お前は聖女でも天使でもない。ただのか弱い小娘でしかないのだと、そう突きつけてやる。
「私は……助かっていいのですか? 私のような、母の命を犠牲にして生き残ってしまった私が、誰かに救いを求めても良いのですか?」
「阿呆め、誰かに助けを求めるのは弱者の特権だ。お前は俺よりも弱いんだから、さっさと頭を下げて命乞いをしろ」
「…………わかり、ました。お願いします。助けてください」
ぶっきらぼうな俺の言葉に、エアリスはポツリとそう口にした。
どうやら俺の思いは届いたようである。安堵に胸を撫で下ろしながら、恥ずかしい台詞を吐いてしまったことを誤魔化すように顔を背けた。
「はっ、美人は泣くのも綺麗で羨ましいね。是非ともあやかりたいものだな!」
「美人だなんて……そんな……恥ずかしいです……」
「嫌味に決まってるだろうが……顔を赤くしてんじゃねえよ」
皮肉のつもりで言った言葉だが、なぜかエアリスは頬を薔薇色に染めて顔を伏せてしまう。
頭の片隅で嫌なフラグが立ってしまった音がしたのだが……あえて気がつかないふりをして、マジックバッグから魔力ポーションを取り出した。
「これからあのデカブツを沈めるから手伝え。拒否権はないぞ」
「わ、わかりました。でも……あの魔物は本当に強力です。皆さんが攻撃しても、傷1つ付けられなかった……」
「女を置いて逃げるような雑魚と一緒にするなよ。策だったらちゃんとある」
少し離れた場所では、ウルザとギガント・ミスリルが戦っている。
巨体から放たれる大振りのパンチをうまく躱しているようだが、それでもノーダメージとはいかないらしい。ギガント・ミスリルが地面を殴るたび、弾け飛んだ石の破片がウルザの白い肌を掠めていく。
また、隙を見て相手を鬼棍棒で殴ってもいるようだが、それもダメージにつながっている様子はない。ギガント・ミスリルにはほとんど傷らしい傷はなかった。
「……やれやれな硬さだな。これもゲームの通り、か」
ギガント・ミスリルは通常エンカウントするモンスターではない。
ダンジョン探索中にごくまれに出現する『デンジャラスエンカウント・モンスター』と呼ばれる危険種の敵である。
『ダンブレ』の製作スタッフが掲げる謎の信念の1つとして、『安全なダンジョンなど存在しない!』というものがあった。
つまり、どれだけ慣れたダンジョンであっても、100パーセント安全な場所などない。必ず不測の事態は起こりうる。そんな妙に現実的な信念のもとに、制作スタッフはこのゲームにある設定を盛り込んでいた。
そんな謎理論の設定から生まれたのが、このデンジャラスエンカウント・モンスターである。
0.1パーセントの確率で出現するこのモンスターは、そのダンジョンのレベルよりも明らかに高い力を持っている。
また、それぞれが初見殺しと言っていいようなおかしなスキルまで持っており、遭遇すれば全滅必至という鬼難易度の敵なのだ。
「それで魔力を回復しながら、ウルザ……あの亜人の娘の傷を治癒してくれ。俺は魔法の詠唱に入る」
エアリスに一方的に指示を出して、俺は魔法を発動させる準備段階へと入る。
ゲームでは何度か遭遇して苦汁を舐めさせられた異形の魔物。あの時の借りを、ここで返させてもらおうか。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
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