42.ダンジョンの夜
「バスカヴィル様、起きてくださいませ。お食事ができましたよー」
「ん……?」
呼びかける声にゆっくりと瞼を開けると……すぐ目の前に褐色肌の少女の顔があった。
こちらの顔を覗き込んでくる翡翠の瞳。頭部から滝のように流れている同色の髪。端正に整った顔には悪戯っぽい表情が浮かんでいる。
神殿の巫女であるリューナ・マーフェルンの美しい相貌が、キスでもするような近距離にあった。
「……起き抜けに何をしていやがる。目覚めのキスでもしてくれるのかよ」
俺は内心の動揺を抑えながら、落ち着いた口調を装った。
本当は心臓が弾けるかと思うほど驚いたが……年下らしき少女に顔を寄せられて動揺するなんて格好悪すぎる。
日常的に4人の女性と肌を合わせている経験者として、ここで動揺を表に出すわけにはいかなかった。
「むう……面白くない反応ですわ。もっと驚いてくれると思ったのに」
「残念だったな。こっちは経験豊富なシティボーイだぜ? 顔を寄せられたくらいでビビるかよ」
「いっそのこと、本当に口付けをしてあげれば良かったです。そうすれば、少しは動揺してくれますよね?」
「……やれるもんならやってみやがれ。舌を入れて口の中を掻きまわしてやるからよ」
半眼になって睨みつけると、リューナがクスクスと笑いながらテーブルのほうを手で示す。
そこで俺は部屋の中に食欲を誘う美味しそうな匂いが漂っていることに気がついた。
「さあ、お食事にいたしましょう。こちらへどうぞ」
「…………ああ」
わざわざ手を引いてくるリューナにわずかに眉をひそめながら、俺はテーブルに置かれた椅子に腰かけた。すでにシャクナとハディスは料理を囲んで座っている。
シャクナが俺のほうを忌々しそうに見やり、桜色の唇を開いた。
「……随分と妹と仲良くなったのね。とても素晴らしいことだわ」
「……顔と言葉の内容が噛み合ってないぞ。そんな殺す気満々の目つきで何を言っているんだか」
シャクナの瞳は視線で相手を刺し殺さんばかりに鋭いものだった。
よほど可愛い妹とイチャついている男が気に入らないのだろう。まるで台所に現れる黒い虫でも見るような目つきである。
「……私はリューナが幸せだったらそれでいいわ。たとえどんな最低のクズ男が相手だったとしても、リューナが幸せになるのなら祝福してあげる。どんなスケベな女誑しが相手だったとしてもね」
「誰に言っているのかわからないな。俺は最低のクズ男でもなければ、スケベな女誑しでもないからな」
「まあまあ、2人ともケンカしないでくださいな。これから食事をするのに、料理が不味くなってしまいますわ」
リューナが俺達の間に割って入りながら、さらに料理を乗せた皿を渡してくれる。
手渡された皿の上には切ったパンと魚の切り身、カレー粉のような香辛料をまぶした肉が盛られている。
料理から香ってくるスパイシーな匂いに、俺の喉から自然とゴクリと音が鳴った。
「美味そうだな。目が見えないってのにこれほどの料理を作るとは……本当に大したもんだ」
「美味しいに決まっているわ。リューナが作った料理だもの!」
「何でお前が得意げにしてるんだよ。妹の手柄だろうが」
「炊き出しなどの奉仕作業で料理には慣れていますので。きっとお口に合うと思いますよ?」
何故か得意げなシャクナと、ニコニコと笑顔を浮かべているリューナ。
2人を左右に、スプーンで料理を口に運ぶ。口に入った瞬間にスパイシーで濃い味付けが口いっぱいに広がり、舌を刺激する。
「辛い……が、やっぱり美味いな。やみつきになる味だ」
疲れた身体に刺激的な風味が広がっていくようだ。一口食べたら止まらなくなってしまうようなクセになる味わい。非常に美味である。
「お口に合ったようで何よりです。御代わりもありますからたくさん食べてくださいね?」
「ああ、そうさせてもらう」
俺はガツガツと料理を口に運んでいく。自分が一応は貴族であることも忘れてしまいそうになるよほど、がっついてしまう。
横を見ると、シャクナとリューナが上品な仕草で食事を摂っていた。やはり王女だけあって、礼儀作法はしっかりしているらしい。
正面に座っているハディスは黙々と、作業的に料理を口に運んでいる。こちらはチラチラと横目で部屋の入口と出口を窺っており、食事中でも警戒を解いていないようだ。
相変わらず真面目なことだが……きっと言っても聞きはしないだろう。
彼のような実直な騎士がいてくれるからこそシャクナとリューナも安心して旅ができているのだろし、俺が口を挟むことでもない。
「ま……悪くないな。こういう夜も」
それはここがダンジョンの中であることを忘れてしまいそうになるほど、充実した食事だった。
EXダンジョン『サロモンの王墓』。
攻略初日の夜は静かに更けていったのである。




