多胡羊介の離婚⑦ 浜尾沙織弁護士の来襲 続き
「こういうことを私の立場で言うべきではないことは、わかってますけど、」
一息ついて
「多胡羊介さん、私は、多胡美紀さんと同じ女性として、あなたを軽蔑します」
羊介は下を向いてしまった。
涙をこらえるのに必死だ。
まだ浜尾弁護士は男性が女性に、暴力を振るうということは、どれほど卑劣で最低なことかと言うことを力説している。
まったく頭には入ってこないのだが、心には響く。
「多胡羊介さん、多胡羊介さん、聞いていますか?」
羊介は弱りきっている。
「は、はい」
「ですので、多胡美紀さんは多胡羊介さんの暴力が、今度は子供たちに向かうのを恐れて、実家に避難したんです。そういう状況なのに、多胡羊介さんが直接会っていいわけないじゃないですか? そうでしょう? 納得しましたか?」
「はい、納得しました」
歯を食いしばって、羊介は答える。
「それと、多胡羊介さんにはセックスレスと浮気の疑いもありますね」
羊介は驚愕した。
「え、そ、それは私は圭になってしまったので仕方なく、妻には誤解されたこともありましたが、診療所にも着いてきてもらって、そこで医者に妻と一緒に説明を受けました。妻も、理解している筈です」
浜尾弁護士は答える。
「そうですね、圭と呼ばれる人たちが、存在しているのは私も知っています。多胡美紀さんにも話を聞いています」
「それなら」
「ずいぶん、遠くの診療所まで行ったのね。多胡羊介さん、そしてそこの医者は、多胡羊介さんに不自然なまでに親切だったことも」
一体何が言いたいのかわからない。
「圭になった私に、ずいぶんと同情してくれたようです」
話がどんな展開になるか読めない。
恐る恐る言葉を返す。
「それだけかしら」
「どういうことですか?」
「あの診療所に若い看護婦がいたわね。調べさせてもらったわ。まだ十八歳のようよ。可愛らしい娘ね。あの看護婦と医者、親子だったの知ってる?」
浜尾弁護士は羊介の顔をを、観察するようにずっと見ている。
どうも落ち着かない。もう敬語も使っていない。
「知りませんでした。そういうこともあるかもしれませんが、私と関係あるとも思えません」
浜尾弁護士は軽く溜息をついて、さも確信をついたようにもったいぶって羊介に言う。
「多胡羊介さん、あの看護婦と浮気してるでしょう」
「はあ、何を言ってるんですか?」
あまりにも検討違いのことを言われて羊介は戸惑う。
「とぼけるのね、まあ、いいわ」
浜尾弁護士は少し顎を上げ、馬鹿にしたように羊介を見る。
本当に嫌な顔だ。
「私は多胡美紀さんの話を何度も聞きました。多胡美紀さんも不思議に思っていたらしいです。なぜあの診療所だったのか?と、近くの診療所に行きたくない理由は聞いた。でも、隣町にも診療所はある。あの診療所の近くにも、もっと大きな診療所もある。なぜこれといった特徴のない、あの立花診療所に初見で入ったのだろう。と」
「それは、本当に適当に……」
「それとあの医者、とても多胡羊介さんに親切で、愛想が良かったと聞きました。とても昨日今日知り合ったとは思えないくらいに」
「それは、私も不思議でした」
「下手な言い逃れは身を滅ぼしますよ。多胡羊介さん。多胡美紀さんから聞いています。あなたは最初の多胡美紀さんとの話し合いの際、はっきりと浮気を認めてたそうじゃないですか? それと、その浮気相手は多胡美紀さんの知っている女性ではないと、そう意思表示されたとも聞いています」
「それは、あの、私の言い方が悪かったのか、誤解があって」
羊介は生涯最悪だった夜を思い出し、顔を歪める。
「子供が途中で入り込んできて、有耶無耶になったけど、もう少しで、相手の女の名前を言うところだったと」
「ち、違います。言葉足らずだったのは認めますけど、次の日にちゃんと誤解を解いています」
「多胡美紀さんからも聞きました。次の日に下手な言い訳をされたって、でも心のどこかで貴方を信じたかったと、だから貴方に言われるがまま立花診療所まで足を運び、医者の話を聞いたのでしょう。その時は信じていたそうですよ。ああ、この前のことは、私の聞き間違いで、羊介君は本当に圭と呼ばれるものになってしまったんだ。だから浮気なんかできるわけがない。私が相手をされないのは仕方がないんだって」
「だったら」
「それでも一抹の不信は拭えなかったと」
羊介は当時の美紀の様子を思い出していた。確かに無理をしている様子はあった。
でもあれ以上、羊介に何ができたというのだろう。
「多胡美紀さんが貴方に暴力を振るわれて、初めて私に相談に来られた時も、貴方が圭だってことは、疑っていませんでした。でも私は不信に思いました。それならなぜ、最初の話し合いの時に、多胡羊介さんは浮気を認めたのだろう、と」
「いや、それは、誤解で」
「私は依頼人の言葉を信じます」
取りつく島もない。
「話を続けます。私はこういう仮説をたてました。貴方は浮気をしていた。浮気相手がいるので、妻との性行為が億劫になった。それとも浮気相手が貴方と多胡美紀さんとの性行為を嫌がったのかもしれません。それはいいでしょう。そこで貴方の浮気相手が、貴方にこう言います。世の中には圭というものたちがいる。圭になったら、頭髪が一部変色し、性欲がなくなる、と。なぜか圭というものの存在を知っていたその浮気相手は、貴方に圭になったふりをさせた。具体的には髪を染めて、多胡美紀さんとの性行為を拒否させた。そして貴方にこう言わせます。俺は圭というものになってしまった。だから美紀さんと性行為はできない、と、そして、本当なのかと疑う多胡美紀さんを立花診療所まで連れて行って信用させます」
羊介はしばらく努力して聞いていたが、たまらずに口を出す。
「ちょ、ちょっと待って下さい。妄想にも程がある」
「最後まで聞いてください。もう少しですよ」
浜尾弁護士は余裕たっぷりに話を続ける。