萩原朔の憂鬱⑥ 多胡羊介
次の日の朝、朔が食堂で朝食を食べていると、平田佳代に話しかけられる。
「今日の昼過ぎに、もう一人の新人の圭が来るそうよ。来たら呼びに行くので、それまでは部屋でゆっくりしててね。暇だったら図書館で本でも借りてきて読んでるといいわ」
「わかりました。そうします。でもここの食堂の代金とか支払いはいいんですか? 私、お金持ってないんですけど」
「大丈夫よ。萩原さんのその髪の毛を見せたら、ここで請求なんかされないから。私は後で、給料から引かれるけどね」
朔は、自分の髪の毛の変色した部分、この辺りかなと思われる部分を軽く引っ張りながら答える。
「本当に圭は優遇されているんですね。でも私にそこまでの価値があるんでしょうか? 少し怖くなっています。まだ圭の事を何も知らないですし、ただ、髪の毛が一部変色しただけじゃないですか」
「圭については、今日、熊代さんが詳しく説明してくれるわ。これについては、どうしても圭になった人じゃないと、わからない部分があるからね。表面上の知識があるだけの人が、軽々しく説明すると誤解が生じる可能性があるし、あまり良くないの。ごめんね」
朔は平田佳代が言いたくても、口止めされているのだなと思った。
まあ、仕方がない。今日の午後にはどうせわかる事だ。
「いいんです。今日、赤坂熊代さんに何でも聞いてみます。それより、私と同時期に圭になった人が気になります。名前はなんていうんですか」
この話題なら、平田佳代はあっさり答える。
「えっとね。タゴ ヨースケさんというみたい。奥さんとも子供達とも別れて、こっちに来るようよ。なかなか気合いが入っているわね」
朔は少し声を低くする。
「奥さんと、子供達を捨てて、ですね」
平田佳代は少し慌てたように
「また、もう、萩原さん、言い方が悪いわよ。圭になってしまったら、なかなか夫婦関係とか難しいところもあるようだし」
「私は納得できません。圭になったことや、圭の仕事が重要なことはわかりました。でも、それは家族を捨てなければいけないほどのことでしょうか? 捨てられた奥様や子供たちの気持ちを考えると、私はその タゴヨースケさんという方の人間性に一抹の不安を覚えます」
平田佳代はそれ以上、反論しなかった。
「そうね。萩原さんもそのタゴさんと、よく話してみればいいわ」
「わかりました。そうしてみます」
朔は食事を終え、部屋に戻る。
少し平田さんと気まずくなったかもしれない。
少しムキになった自分を反省する。
時間が空いたので、平田さんに勧められたとおりに図書館に行き、本を借りてきて部屋で時間を潰す。
昼食は一人で食べた。
タゴヨースケが来るのは昼過ぎだと聞いた。
平田佳代がいつ迎えに来てもいいように出かける準備をする。
朔は出かける準備をした後、部屋でぼんやりしていたら、平田佳代が部屋を訪ねて来た。
「萩原さん。いる? タゴさんが来たよ。熊代さんが圭に関しての説明をするから部屋に来てって」
朔はすぐ部屋を出る。
「もうタゴさんは待ってるんですか?」
「うん、最初に萩原さんたちが通された部屋で、一人で待ってるよ。萩原さんと二人集まったらまた呼びに来いって熊代さんに言われてるの。全く、自分も部屋で待ってたらいいのに。行ったり来たり二度手間になる。偉そぶりたいんだから」
平田佳代はなぜか赤坂熊代さんに対して怒っている。
朔は黙って佳代についていく。
自分と同じ時期に圭になった人。
家族を捨てたと聞いているので不信感はあるが、なんだかんだ言ったって興味はある。
どんな人なのだろう。
そうこう考えているうちに本庁舎に着き、最初に施設長と来た時に案内された部屋の前に立つ。
朔は心なしか緊張するが、平田佳代は無造作に扉をノックして、部屋に入る。
朔も続いて部屋に入る。
男性が一人椅子に座っていた。
髪の毛の一部が奇妙な緑色に変色しているが、それ以外は普通の人に見える。
年齢は二十歳過ぎと聞いていたが、少し若く見えるかもしれない。
確かに外見は優しそうな人に見える。
なんてことを思っていたら、朔は平田佳代に紹介される。
「タゴさん。こちらはタゴさんと同時期に圭になった萩原朔さんです。十三歳です。年下だけど、この間から寮で暮らしてるの。本庁舎ではタゴさんの少し先輩になるわね。仲良くしてね」
朔は、最後の、仲良くしてねという言葉が、子供っぽくて気に入らなかったが、私の方が先輩だと言ってくれたので気にしないことにした。
「萩原さん。こちらがタゴヨースケさん。二十二歳よ。今日、本庁舎に着いたばかりなの。ここの事は萩原さんの方が少し詳しいわ。もちろん私も教えるけど、萩原さんもタゴさんに聞かれたら色々教えてあげてね」
「多胡羊介です。萩原さん、宜しくお願いします」
多胡羊介が先に朔に挨拶する。
朔も先輩らしく見えるように努力して挨拶を返す。
「萩原朔です。こちらこそ宜しくお願いします。わからないことがあったら、何でも聞いてください」
お互いの挨拶がすむと、平田佳代は、じゃあ熊代さんを呼んでくるわ。ちょっと待っててね。
などと言い、朔を多胡羊介の隣の席に座らせると部屋を出て行った。
赤坂熊代さんが来るまでの少しの間だが二人きりになる。
なんとなく気まずい。
朔は先輩として何か話さなければ、などと思うが、多胡羊介の方から先に話しかけられてしまった。
「萩原さんは圭になってすぐ、こちらに来たんですか? 迷ったりとかはしなかったんですか?」
何を言ってるんだ、この人は。
ここの寮に住むことが出来て、食費も無料で、教育も受けれて、給料も貰えて、将来安定した国家公務員の職に就くことができるというのに、一体何を迷うことがあるのだろう。
「何も迷うことはなかったわ。話を聞いてその場で決めたの。条件が良かったからね。圭になって良かったと思ったわ」
圭になって良かった。多胡羊介は小さく独り言を言う。
朔は少し多胡羊介の顔色が変わったような気がした。
「そうですか。萩原さんは強いんですね。私なんか色々と考えてしまって、なかなか決断できませんでした。家族もいたもので」
朔は多胡羊介が離婚して、子供も捨ててここに来たということを思い出す。
この件について問いただしてみようとも思うのだが、流石に初対面でする話ではないと、自制する。
ただ直接会ってみて、あまりそういうことをするような人には見えないとも思う。
朔は多胡羊介の家族のことをそれとなく聞こうかと声を出しかけたとき、部屋の扉が開いた。