9話:竹生が人間ドッグで引越
その後、4月29日に岩津の家に竹生さんを招いて、沖縄旅行の写真を整理した
アルバムを見ながら、旅行の思い出話をして、一緒に昼食を食べた。2008年の
ゴールデンウイークからこの村に観光客が客が増えだした。昨年から自転車で、
この曲がりくねった坂道をサイクリングする若者が増えてきた。そう言う若者が
道の駅食事をしたり、休息を取ったりして、ドライブで来る人達も増えて、町営の
温泉も繁盛したようだ。
夏休みシーズンは、道志川での水遊びの人達も加わり土日の道の駅は混雑して
きた。そして8月下旬か、潮が引くように観光客が減りだした。その後、寒く
なってくると観光客も減っていき、冬を迎えた。今年も南国に旅行しないかと
いわれ、最南端の石垣島、西表島、竹富島、与那国島、波照間島に行かないかと
話をした。2009年2月20日に羽田にパジェロで行き、駐車場において、
那覇空港へ飛び、昼食をとって、石垣島行きの飛行機に乗り換えて午後3時に
石垣島空港へ到着し、タクシーで30分のホテルにチェックインした。
真冬でも昼間は20℃近くあり長袖にウインドブレーカーで十分だった。
ホテル近くの砂浜を散歩して、風呂に入って、夕食は石垣牛のステーキを
いただいた。その後、旅の疲れもあり早めに床についた。翌日は、石垣港から
高速フェリーで波照間島まで行き、ここの海の青は日本近海の青とは違い息を
のむほど素晴らしい真っ青な海だった。
特に北浜「ニシハマ」は八重山屈指の極上ビーチで透明度が抜群だった。
日本最南端の碑は、島の南側に位置する高那海岸にあり、その先にはフィリピン
諸島が広がり、世界とのつながりを実感できる場所だった。そして昼食は島の人に
教えてもらった海畑「イーノー」の八重山そばを食べた。その場所は波照間旅客
ターミナル内にあった。
しかし、明美さんが、波が荒く、酔いそうになったと言い、遠くの島には、
行きたくないと言ったので、明日は竹富島で観光をして、その翌日は石垣島を
観光して帰ろうと言うことになった。朝早めに出て石垣港から15分で竹富島へ
着いた。竹富島では、牛車で、島を回ってきた。そして石垣島に帰り、翌日、
ホテルの精算を済ませて石垣空港から那覇空港経由して羽田からパジェロで
家に戻ったのが、夜18時過ぎだった。
その後、竹生はインターネットを使い、日本株投資をしていたが、岩津は、
山下工務店の仕事や山村の何でも屋。子育てで忙しくしていたので投資をしている
暇がなくなった。そして4年経って岩津の資産は8千万となった。この時点で
竹生は2億円を超える資産となっていた。
6月中旬が過ぎて梅雨に入り、じめじめしてきた頃、2008年6月20日、
早朝、竹生幹男さんが体調を崩して、近くに住む、岩津良介に電話で助けを求めて
きた。そこで岩津夫妻が竹生の家に行き、車に乗せて、急いで八王子の大学病院に
運んだ。救急室で点滴をして栄養剤を注入した。診断の結果、脱水と中等度の
栄養失調と診断された。
1人住まいで食事が不規則であったのが原因と考えられた。そのために先生
から都市部への引越と食事の宅配で十分な栄養を取る事、水分補給をしっかり
取り定期的にジムに通って体調を管理することを命じられた。竹生がこの話は、
実家には秘密にしておいて欲しいと言うので連絡を入れなかった。
そして竹生が岩津に2DKのマンションを八王子か高尾の駅前で5千万円
以内で探して欲しいと言われ、岩津が探すと八王子駅前徒歩1分に5千万円の
2LDKの高層マンションが見つかり竹生が契約した。病院を退院後7月6日、
岩津がそのマンションに竹生を連れて行き、50万円の引越費用で岩津の会社
のスタッフ10人で竹生の家の家財道具の大きなトラックに乗せて1日かけて
引越をした。
引越の時に竹生にソファーで休んでもらい10人のスタッフを岩津が指示
して効率よく夕方4時には新しいマンションに家財道具一式、運び込んで
引越が完了した。すると竹生が、そこの家を岩津に無料で譲ると言うと、
大丈夫なんですかというので名義変更他、面倒な手続きはしないで、
そのまま入り込んで表札を変えずにいろと言った。迷惑はかけないと
言うので、それでは、そうさせていただきますと、岩津が言った。
翌週、空いてる時間を利用して岩津は元の竹生の住んでいた大きな
リビング・ダイニングのある洋風の2階建ての家に引っ越した。