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1話:不幸な男2人の出会い

 岩津良介は1977年4月11日生まれ、父の岩津久夫は

1988年に、胃癌で吐血して1ケ月の入院末、亡くなった。

その後、住んでいた神奈川と山梨の境の山村のとなり住む、

70歳代の老父婦に面倒見てもらい、小学校へ通っていた。

母の岩津姫子は生活費を稼ぐために熱海の温泉に住み込みで

働いて、仕送りをしていた。


 しかし温泉旅館に良く来る、東京の独身社長に言い寄られて、

1人息子の岩津良介を置いて駈け落ちしてしまった。そして不憫

に思った隣に住む老夫婦の絹田夫妻が岩津良介を世話してくれ、

その代わりに自転車で買い物に行ったり、御飯の支度や風呂を

沸かしたり、小さいのに、まめに働いている姿を見て地元の住民

が子供の服をくれたり、食料の差入をしてくれ、手先が器用で

力持ちの子供に育っていった。


 1990年に中学校に入っても学校を終えるとすぐ家に帰り、

買い物、炊事、洗濯をしていた。その頃、風呂の扉の修理や庭木

の剪定雑草とり自転車の修理などもして、何でも屋として活躍して

いた。勉強の方は計算が早く、近くの商店の高齢のおじいさんと

おばあさんの代わりに店番をしたりしてお小遣いをもらった。


 そして1993年に中学を卒業し、近くの商店での仕事と村の

山下工務店の手伝いをして生活をしていた。竹生幹男は、都会で

生まれて中学から日本有数の名門、慶応中学、慶応高校、慶応大学

を卒業し日本の最大の商社でM商事に入社し競争に勝つことばかり

を目標に働いて会社でも注目されアメリカに赴任して3年脇目も

振らず働き抜いて何回もも業績表彰をもらい入社9年目の31歳の

若さで課長になって有頂天になっていた。


 その翌年、朝、起きようと思い立ち上がると激しいめまいに

襲われて倒れ病院に担ぎ込まれた。担当医から重度の自律神経失調

といわれ、私も医者になって、こんな重症の自律神経失調症は珍しい

と言われ、なかなか回復しないだろうと言われた。


 やがて会社から退職を宣告され失意の中、自分を知る人がいない

山奥の村に逃げるようにして身を隠し、素晴らしい自然に囲まれ、

5年ほどして心身共に回復し始めた。その後も自分1人にで気儘に

生活をしていた。近くに住む中学を出たばかりの岩津良介身の上話

を村の人から聞き、応援してやろうと、度々、岩津の家を訪ねて

くるようになった。


 そして自分1人で安い給料で生活していくのは厳しかろうと株投資

の本を渡し、これを読んで勉強しなさいと言った。すると、数学が

得意だった岩津良介は借りた本を次々と読んで理解した。その後、

村の商店の店番と山下工務店店員の2つの仕事をかけ持ちして真面目

に働いた。


 1994年となり竹生幹男がラジオを貸し与えて通信高校講座を

聴いて勉強するように奨めて勉強を始め竹生の持つ本を貸して文学を

教え、英語でも教疑問に思った事を竹生に質問して理解していった。

 やがて1995年となり山下工務店の力仕事にも駆り出される様に

なり村の道路の補修工事の仕事も与えられて熱心に仕事に励んで真面目

な奴だと評判が上がった。その他、稲刈り、雑草取り、何でも屋で村の

人達に重宝がられていた。そうして忙しく働いている内に1996年

となり18歳になった。

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