「6」
-山高氏、仇の正体の全てを暴くこと-
それまで沈黙を守っていた山高氏が大きな声で大分芝居がかった声をあげた。
「こぃつぁ魂消た(たまげた)!“霊替ノ術”又は“輪違ノ術”、又は…
嗚呼、もういいや名前なんざ。兎に角…九條、そんな凄ワザ出来たのねぇ。ま、もっとも成功したのは片方だけだったみたいだけど、
それでも人の霊魂を生きている状態で引っ張り出すなんざぁ、並大抵の連中じゃぁ~出来ないわなァ。ブラ-ヴォ!いゃいゃ大したもんだ!!」
山高氏は相変わらず煙草を吹かしながら、顔の脇まで手を持っていき大袈裟に三度だけ拍手をした。
その様子をみながら表情を変えず、薄笑いのまま、九條は言った。
「貴様に言われても小馬鹿にされているとしか思えんな。音輪丸よ」
「小馬鹿にしてる?そうじゃないわよ。目一杯馬鹿にしてんの」
そのすっとぼけた物言いを聞いて、九條が怒りの色を露わにする。
「生意気な青二才のクソガキが!!」
山高氏は負けじと大声を張り上げた。
「耄碌したな!九條!!この老いぼれのクソジジイめ!あたしに‘くたばり損ない’とほざいたクセしやぁがったってぇのに!!先刻うぬの方が言ったのを、忘れやがったか!!」
「もう容赦はせん!!」
その言葉と同時に九條は山高氏目がけて駆けだした。
山高氏はフンと笑うと本の少しだけ身をかがめた。
「やれるモノならやってご覧な!」
彼は相変わらず石の上からは降りる気は無いようだった。
「音輪丸、詫びるなら今だぞ!?」
何やら光りとも靄とも付かない様なモノが怒鳴り続ける九條の 数珠を持った方の手に纏わりつきはじめた。
と、言うよりも数珠からその光りは沸いてくる様である。
やがてその奇妙な光りは、嫌らしい粘ついた、…蟷螂の卵の様な色をした物体に変わり、どんどん大きさを増し、終いには背丈は八尺程、幅は六尺半まで膨れあがった。
九條は歩みを止め、ニタリといやらしく笑う。
「どうだ…見事であろう?…秩父で捕らえ、私が育て上げた“牛鬼”。」
虎の体、蜘蛛の足に蛇の尾、牛に似てはいるが鋭い角を持つ頭には、毛が生えておらず、猿の様に赤く皺だらけだ。
そんな化け物がヒィヒィと耳障りな息を漏らしながら
先刻まで数珠が絡まっていた九條の腕で、数珠の代わりと言わんばかりに、よろめく素振りもなく留まっている。
その時その“牛鬼”が咆吼した。
この世のモノとも思えないその耳をつんざくような声に私は震えが止まらなかった。
「どうだこの絶望の声。色んな連中の怨念を喰らい、無念の亡霊亡者達の穢れた魂を喰らい、絶望を呼び覚ますまでに至った芸術品だ!」
その九條の言葉に、悦びの雄叫びを牛鬼は上げる。その声で周囲の草木がぬらぬらと小刻みに震えながら揺れた。
全てが私の常識を越えていた。赤い闇の中で見たこともナイ…気味の悪い化け物が吠える。
此処は地獄か?
私は生きながらにして地獄へ迷い込んでしまったのではなかろうか。
お悦も、あまりの出来事に初めはわなわなと震えていた。が、
「お悦、折角機会を与えてやったのだぞ?早くお前もカタを付けないか!!」
と九條に声をかけられハッとして、キッと私を向き直り、快刀を握り直すと
また私へ突進してきた。
その時、山高氏が叫んだ。
「一之助ッ!走れッ!私の方へ向かって走ってくるんだ!!」
今度は私が山高氏の声に反応する番だった。私は言われたとおり山高氏の方へ全力で走っていった。
そう遠くない距離なのに、なんだか妙に時間が長く感じられた。
後方を振り返ると、お悦が物凄い形相で私を追ってくる。
目の端に一瞬“牛鬼”が吠える体勢を取ろうとしているのが見えた。
私はゾッとして、目線を山高氏に戻し、先刻よりも必死に走った。
案の定“牛鬼”は吠える。
その声が空気を震わすと、体がこわばって動きが鈍くなった様に感じた。
もう一度振り向くと、お悦の姿が先刻よりも近い。
私はギョッとして身をすくめた。
と、その時、山高氏がまた叫んだ。
「違う一之助ッ、勘違いなんかじゃないッ!!牛鬼の咆吼には、人の動きを鈍くする力があるんだッ!!お悦は九條に牛鬼の声が効かない防壁の術をかけられてるから動けるんだッ!走れ!」
そうなのか、と、気付けばお悦の顔が、手を伸ばせば届きそうな場所まで来ている。
もう終わりか?此処までか?…鈍い体の動きとは裏腹に物凄い速度でそんな言葉が脳裏をよぎる。…と、
その思考を断ち切るように山高氏の張りのある声が響いた。
「よぉしっ!そこでかがめェッ!一之助ぇッ!!!」
私はとっさに身をかがめた。…というよりもその場に頽れた。
その時山高氏が、持っていた…あの美しい黒檀のステッキを丸で槍でも投げるようにお悦に向かって投げつけたのだ。
ステッキは私の頭上を通り越し、真後ろに迫っていたお悦の額の真ん中に…命中し…
そのまま、小さな輝きを放ちながら先端の部分からすうっと彼女の中へ吸いこまれていった。
と、それに弾き飛ばされた様に、押し出される様に、その体の後方にヒトツの人影がぬるりと抜け出した。
前方の体の方は、そのまま地面に突っ伏したので、改めてその人影が誰であるか確認できた。
それは紛れもない「お悦」の姿であった。
しかし、姿が見えているのに、…どう説明していいものか良く解らないのだが…
空気に紛れてしまいそうな“あやふやさ”を纏っている。
手には先刻の懐刀も握られてはいない。
よくよくみてみれば着物も違う。
お悦自身も呆然として、理解が出来ないと入った風に自分の足元へ目線を落とした。
私の目の前には。先刻まで私の命を奪おうと躍起になっていた女が倒れ伏していた。
女はその体をゆっくり持ち上げた。
懐刀を握っていた右の手の指が、ゆるゆるとほどかれていく。
全身で苦しそうに息を漏らしていたが
やがてその吐息の合間から、小さいけれど…芯のシッカリした声がした。
「旦那…様…!」
女が顔をあげた。その頬は涙に濡れている。
「!!!」
強ばっていた何かが一気に弾け飛んで、
私は図らずも叫ぶように彼女の名を呼んだ。
「お英!!!」
「はいッ…はい…お英で御座居ます…旦那様…」
彼女は震える手を伸ばしてきた。私は必死で彼女を抱き締めた。
「戻ったか!戻ったのだな!?ああ、一体でもどうやって…?!」
彼女は私の背中に強くその手を回して言った。
「音輪丸様で御座居ます。魂魄となって彷徨っていた私を音輪丸様が導き、救けて下さいました。」
…丸で、闇夜の月の様に。
彼女の切に訴える声が私の体中に染み渡る。
私はもう一度彼女を強く抱き締めた。
溢れてくる涙が止まらなかった。
その時背後で神経質な叫声が響いた。…お悦であった。
「…チクショウ…!どうなってるんだ…!!一体どうしちまったって言うんだ!?」
彼女は半狂乱で、九條を見て怒鳴った。
「九條の旦那!!一体全体どうなってるのサ!?」
そのお悦の問いに、山高氏が高々と笑いながら答えた。
「お悦や、何が何だか解らない様だから教えてあげる。
先刻までお英の胎内にいたお前を、追い出したのだよ。
“追い出した”と言うより“押し出した”と言う方が正しいかね…このアタシがやった事だよ。
残念だが、九條の旦那にはどうする事も出来ゃあしない。
…しかし誤算で御座ったなァ、九條の旦那ァ!アンタ、やはり耄碌したのでないかね?お英の魂をステッキに見せかけていたのに気付かないとは!まぁ無理もない…此処は…」
彼は両の腕を、翼の様に広げてみせた。
その時、山高氏の両の手首に血の様な赤をした美しい数珠が有るのに気が付いた。
「結界が張り巡らされている!!そう…いわばアンタはあたしの手中にいるも同然!!」
その挑発的な山高氏の言葉に、当然九條はお悦の倍以上の怒りを、露わにして叫ぶ。
「…もはや問答無用だな!!!脅すだけにして終いにしようかとも一瞬考えたが…!
…音輪丸よ、やはり貴様にはこの世に留まっていてもらっては困る…!!
邪魔だ!邪魔なのだ!!牛鬼の糧になり、未来永劫 私の下僕となるがいい!!!」
その九條の声に反応した牛鬼が咆吼し、不気味で…巨大な躰で山高氏に向かって飛びかかった。
「7」へ続きます。