「序章」
―明暗―
その夜は満月の前にも関わらず、空は厚い雲に被われ闇をより一層深くしていた。
秋の気配を蹴散らして、丸で冬の様な冷たい風が、四つ辻できゅうきゅうと逆巻いている。
後陣の風が、轟々と音をさせ木々の葉を乱暴に撒き散らす。
…そんな想像しただけでも背筋の凍りそうな風景の中を…
女が1人 ふらふらと歩いてくる。
―暗イ…
―寒イ…
―怖イ…
女は呟き、すすり泣いていた。
今は真の闇である。
外灯もナイ道だ。
この寒さの中を信じられないような薄着で…しかも裸足であった。
ガタガタと震えながらそれでも歩みを止めない。
丸で何かに追われるかの様に彼女は怯えていた。
と、風が瞬間ピタリと凪いだ。
彼女はフと顔を上げる。と、同時に髪を掠めるモノがあって、彼女はそちらへ目をやった。
ソレは季節はずれの美しい大水青であった。
視線の先にはその大水青と同じ様な色をした、柔らかな浅葱色の光りが見える。
大水青は、導かれる様に…そして彼女を導くように
その光りに向かって羽ばたいて行く…。
彼女は素直にその後を追った。
―ココ、ダヨ―
やさしい、包み込むような声がその光りから流れてくる。
―オイデ・ココヘ・オイデ―
その声は、彼女の胸に温かく染み込んだ。
彼女はその声で安堵して、そっと目を閉じる。
―大丈夫…安心シテ・今ハオヤスミ…―
目を閉じたまま彼女は頷く。
―キット何トカシテアゲルカラ…―
全身の力が抜け、頽れていく彼女の体を、誰かがそっと抱え上げた。
声の主だ、と彼女は想った。
―嗚呼、私はもぅ安心してイイんだわ。―
彼女は大きく深呼吸をし、ふーっと息を吐く。
その呼吸と同じ速度で彼女の頬を涙が伝った。
―ああ、涙があたたかい―
…その時彼女はハッとした。
涙が“温かい”。
―私もまだぬくもりを信じる事が出来るのだ―
朦朧とする意識の中で彼女は問うた。
―貴方は誰?―
声の主はその問いには答えず代わりにこういった。
―闇がなければ…光りも…―
声の主は微笑んでいる。
その微笑を最後に彼女の意識は閉じた。
琥珀色の月が、一瞬雲間からその顔を覗かせた。
―この世は全て陰日向―