始まりの終わり《陸》
翌朝。
約束の時間ぴったりに、賢者が再び屋敷に訪れた。今から三月の間、自分たちは修行を積むため、一時の別れを迎えるのだ。
「お待たせ。じゃあ遠いところ、ドーニャ大陸から行こうか」
「はい!」
まず元気良く返事をしたのはニーナだ。一行の輪の中から歩み出た。
「北ドーニャのメリコにお願いします」
「わかった。町は?」
「メラヒムです」
「ああ、メラヒムなら大丈夫。さあ、行くよ」
賢者はそれだけ言うと、ニーナの額に手を当てた。
「じゃあみなさん、また三月後に!」
すると、アルフォンスたちが返事をする暇もなく、二人は瞬時に姿を消した。もうメラヒムという町へ行ったのだろう。
「何回見ても凄いなぁ、あの転移術」
「師匠が自ら編み出した術だ。一度行った場所か、知り合った人物のもとなら一瞬で行ける」
「賢者様が生み出された術なんですかー。それは是非ともお話を伺いたいですねぇ」
「ならば今度、頼めばいい。論議は好きな人だ」
「では是非……」
と、リューンが言い切らないうちに、その本人が帰ってきた。大陸を渡るほどの術だというのに、疲労は微塵も感じられない。
「さ、次はシェーマスに行こうか」
「あ、あたしです!」
「私も」
まだ話の途中ではあったが、今は賢者と論議を交わしているような時ではない。
リューンは楽しみを次回にとっておこうと、何も言わないまま歩み出た。
「町は? リューン君はクルツァータかな」
「はい」
「あたしはサティで。今の時期なら、みんなそこにいますから」
「サティか……。すまないけど、行ったことがないな。隣町のルルバスでもいいかい?」
「ええ、もちろん」
「ではまず、クルツァータへ行こうか」
賢者が二人の額に手を当てる。
「じゃあね! しっかり修行しなさいよ」
「また三月後に」
そうしてニーナと同じく、二人は一瞬でシェーマス大陸へと移動していった。
そうして二人を見送り、アルフォンスは隣りの人物に気になっていたことを聞いた。
「そう言えば、クレアはどこに行くの? 天界?」
「いいえ、シャルーラン殿のところにご厄介になるわ」
「そうか。賢者様、吟遊詩人も修めてんだよな」
「……」
その事実を改めて確認した一行に、つかの間、無言の時が流れた。
(似合わない……)
確かに歌は巧そうだ。楽器だって何でもこなせるだろう。
それでも、あの賢者様が『吟遊詩人』というのは、何か違う気がするのだった。
「……先に言っておく。師匠の第一の副業は……吟遊詩人だ」
リネアも吟遊詩人が似合わないと思っているらしい。告げた言葉が濁っていた。
「あれ? ってことは、魔法使いの次に吟遊詩人が得意なの!?」
「得意……というより、組合が性に合うらしい」
「成る程な。じゃあ賢者様の職順ってどうなってるんだ?」
「副業の二番は剣士、次は僧侶。最後が武闘家だ」
「わ、意外。僧侶が一番下かと思った」
「師匠は気術が唯一の苦手なんだ。あくまでも師匠の中で、だが」
そこでアルフォンスが口を開こうとした途端、あの波動を感じた。賢者が、戻ってくる。
「さ、お待たせ。みんなはアスケイルだね?」
「はい。俺はキノフで」
「わかった。アルフォンス君は?」
「あ、あの!」
「?」
「その、僕は師匠とかいないから……。賢者様、誰か紹介してもらえませんか?」
この突然のお願いに、賢者は少し考えを巡らせたが、すぐに快く引き受けてくれた。
「ああ、お安いご用だ。一度、塔においで」
「やった、ありがとうございます!」
知らない人の下で三月も修行することに、不安がないわけではないが、賢者の紹介なのだ。何も恐れる必要はないだろう。
「じゃあアーサーさん、ラルフ、お世話になりました!」
「お気をつけて。何かありましたら、いつでもご連絡下さい」
見送りに来てくれた二人に、別れの挨拶を述べると、アルフォンスは賢者の側に走り寄った。そしてあの術によって、久方ぶりのアスケイルへ――。
「――っお待ち下さい!」
しかし術が発動する間際、ラルフがアルフォンスの腕を掴んだ。
「ラルフ?」
「――アルフォンス殿。私も……、私も三月後に、アスクガーデンに行っても、よろしいでしょうか」
迷っているのか断られるのを恐れているのか、ラルフは俯いたままだ。
アルフォンスは、そんなラルフの手を握りしめた。
「大歓迎だよ。いきなり三月後まで会えないけど……。よろしくね、ラルフ!」
「――はい!」
ラルフは見たかったのだ。世界を、この世の姿を、余すことなく見たかった。
(妖力を持つ者への差別……。他世界では、人界の比ではないだろう)
だからこそ、行く。
己の立場を向上させるための闘いに、立ち向かわないでどうするのだ。
(アルフォンス殿と行けば、界王様にお会い出来る)
何を考え、何を見ておられるのか。
禁忌の子の真実や、それを取り巻く状況を知った今、一心に界王を敬い信じることは、最早ラルフには出来なくなっていた。
そんな二人を、セルグとリネアは苦笑しながら見つめていた。仮にも命のやり取りをした相手と、いつの間にか仲良しだなんて。
だが、それがアルフォンスなのだ。
そのアルフォンスはギリギリで得た、八人目の仲間を心から喜んだ。
(あ)
そうだ。ああ、何で自分は一度に思い出せないんだろう。
(集める仲間は、八人。人族以外も含めて、八つの魂)
クレアの占いが全て正しい、ということもあるまい。だが、指し示した事柄はこのことだろう。
八人の仲間。その中には人族以外に、天王の血族と魔王の血族、そして人王の血族がいる。
「では行こうか」
「はい。ラルフ、じゃあね!」
「はい。三月後に」
今度こそ本当に、アルフォンスは賢者の術によって、アスケイルへ帰っていった。
(……三月後に、また)
ラルフは胸の中で、再開を堅く約束した。
そしてアルフォンスたちが室内から一瞬で移った先には、懐かしい光景が広がっていた。
「アスケイルだー!」
土壁と瓦屋根の家々、黒髪で象牙色の肌の人々が行き交う町。
地方によって多少の違いはあるとはいえ、アスケイル所縁の三人には、一様に懐かしい光景だった。
「お、キノフか。賢者様、ありがとうございました」
「どう致しまして。ゴルド殿によろしく伝えてくれ」
「えっ? お師匠をご存知で?」
「もちろん。私も東派だからね」
「そうだったんですか。はい、必ずお師匠にお伝えします」
そう言ってセルグが数歩、町側に向かって歩いて術の範囲外へ出た。そうして、アルフォンスに振り向いて言った。
「アル、どんなに修業が厳しくても投げ出すなよ!」
「大丈夫、絶対にやり遂げるから! ――セルグ、またね!」
「おう! リネアたちも元気でな」
「ああ、また」
「三月後にお会いしましょう」
そうして賢者は歴代の賢者も暮らした、アスケイルの深い山並みに抱かれた、賢者の塔へと向かった。
アルフォンスが目にした賢者の塔は、石を積み上げて造られた、堅牢な建物だった。建築に疎い素人でも、一目でかなりの年月が経過していることが分かる。
「うわ、凄い!」
そうアルフォンスが感嘆の声をあげるのも無理はない。
塔はただ古いのではなく、所々に細かな彫刻が施され、まるで宮殿の一部といっても遜色ない建物だったからだ。
しかも建材をよく見てみると、塔の防御力を高めるためだろう、特殊石が惜し気もなく使われているし、質もいい。
物によっては、小指の先ほどの大きさで、一家を三月は養える。それほど高価な石がただの建材に使われていることに、アルフォンスは唖然とするしかなかった。
「……。すごい」
先ほどとは違う、色んな意味を込めた『凄い』を、アルフォンスは改めて呟いた。
「はは、まあこれも譲り受けたものだよ」
「……。国王様からですか」
「もちろん。先代の賢者は百年以上前に亡くなったんだ。その間、歴代のアスケイル王が管理していたからね」
遺跡とも見紛うこの建物。当然、修復の跡がいくつも見受けられる。それだって年代を感じさせる要因の一つだ。
しかし、どう見ても最近行われたであろう修復の跡が、綺麗に治っているとは言え、とても目につくのだ。
(……これも国家予算からか……)
何か国王様、賢者様のいいように使われてないですか。
「アル、中に入るか?」
リネアが意気消沈しているアルフォンスを気遣って、そう申し出てくれたが、アルフォンスはそれを断った。一秒でも早く修行を始めたいと思ったからだ。
そのことを告げると、賢者はリネアたちに、先に中へ入るよう言った。アルフォンスと二人で話がしたい、というわけだ。すぐにそれを理解したリネアたちは、何も言わずに塔へ入っていった。
それを見届けると、賢者はニコリと微笑んだ。
「ではアルフォンス君、君には隠者を紹介しよう」
「隠……者?」
そんな言葉は聞いたことがない。剣士の階級でもなさそうだ。
「賢者様。隠者、って何ですか?」
「隠れた者。位を去った者。世俗を捨てた者。意味は様々だが、職での本当の意味はね……」
より一層、賢者の笑顔が深まる。
「賢者の位を得なかった者、という意味さ」
「!」
「相応の力を持ちながら、賢者の位を得ない。それが真の隠者だ」
「そ、そんな人、いるんですか!?」
五大職を修める力を持ちながら、賢者の位に就かない。そんな話は聞いたことがない。
が、アルフォンスは気がついた。
(そうか、修めなければ噂にもならないんだ)
賢者を目指し、五大職を兼業する人物の話ならよく聞く。しかし、大抵はそれぞれ一人前の位を得るのがやっとで、笑い種になって終わるのだ。
だが逆に、実力がありながら、何らかの理由で職を正式に修めない人物がいても、おかしくはない。
「と言っても、真の隠者もそう簡単には出現しない。なにせ賢者と同等の能力を持つのだからね。現在は一人だけだ」
「そっかぁ……。凄いな、何ていうお名前なんですか?」
「エルネスト・リガールさ」
「エルネスト・リガール……?」
(……あ、れ?)
「あ、あの。知り合いに同姓同名の神官様が……」
それは自分を旅に送り出した、あの老神官の名前だ。
そう言えば村の大人たちは、口を揃えて彼を褒め称えていた。田舎の神官には似合わない、その深い知識から『隠れた賢者』と――。
「君の村、ルゴルスだろう? エルネスト殿はそこの教会に赴任されているよ。――界王の剣と使い手、その行く末を見守るために」
「……!」
「エルネスト殿はお若い頃から、剣の存在を探していたんだ――」
賢者の話によれば、エルネストは他世界に渡ったとき、剣の存在を知ったという。この世を救うという、聖なる剣。
しかし、剣のある場所が分からない。様々な資料から、人界にあることは確かだった。
そこでエルネストはダブリル派の修行僧となり、世界各地を渡り歩いたのだ。神話、民話、噂。そんな不確かなものだけを頼りに。
「そうしてルゴルスで剣を見つけ、その地に根を下ろしたのさ」
「じゃあエルネスト様は、知ってたんですか? 最初から、何もかも!」
――全てを知った上で、何も知らない自分を放り出したというのか!
「ああ。私が知っている範囲は、エルネスト殿もご存知だろう」
「なっ……!」
アルフォンスの中で、何かが壊れかけた。
――しかし。
「けれど、最初から『界王の血族である』と言われて、受け入れられたかい? 母君のことも」
「……そ、れは」
「エルネスト殿を信じなさい。幼い時から君を見守ってきた方だろう?」
「……。はい」
また、賢者が支えてくれた。母の真実と同じように、嘘偽りを含めないことで。
「よし、いい返事だ。では行こうか、ルゴルスへ」
「はい!」
(そうだ。エルネスト様だって、最初に何もかも言えないよね)
「リネア、クレア、じゃあね!」
塔の中にいる二人に届くよう、アルフォンスは声を張り上げる。一瞬のことだったが、確かに二人は窓から見送ってくれた。
そうして村の入り口に、アルフォンスは立った。
「賢者様、ありがとうございました。僕、頑張ります」
「ああ、じゃあね」
短い別れの言葉を残し、賢者はアルフォンスの前から姿を消した。
アルフォンスが村に入ろうとして振り向いた、その時。
「――アル兄貴?」
そこには、一人の少年が立っていた。
「ルデイック!?」
「やっぱり! アル兄貴だ!」
少年はアルフォンスに勢い良く抱きついてきた。間違いなく、旅立ちの時に行かないでと泣いてくれた、ルディックだ。
……が。
「アル兄貴、お帰り!」
「う、うん、ただいま……。ってお前、声変わりしたよな。それと背が……」
伸びてる。もうちょいで抜かされる、ってくらいに伸びてる。
(何でこんなに伸びてんだよ、兄貴分の威厳をどうやって保てと!?)
この再会を素直に喜べない。アルフォンスは心の中で落涙した。
「……アル兄貴?」
「っあ、何でもない」
そうだ、今は身長なんか気にしている場合じゃない。
(強く――。強く、ならなきゃいけないんだ)
「さあ、行こうルデイック」
「うん!」
――やがて、二月と半ばも過ぎた頃。約束の日を間近に控え、再びアルフォンスはルゴルスを旅立った。
新たに、力を携えて。
第一部・完。