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Beginning of Legend~伝説の始まり~  作者: 今尾実花
始まりの終わり
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始まりの終わり《伍》

 部屋を出た後、ラルフは包帯などを木箱に入れ、アルフォンスの少し後ろを着いてきていた。


「剣士殿」


 ラルフの呼びかけに振り向く。が、アルフォンスはむず痒さを感じずにはいられない。だがラルフはアルフォンスの態度に何も気づかないようで、アルフォンスの手籠に追加の薬草を一つ入れた。


「あの、ラルフ」

「はい、何でしょう?」

「呼び方なんだけどさ、僕もみんなも名前で呼んでくれないかな」

「……。では、アルフォンス殿と?」

「出来れば殿もナシで! 敬語もいらないよ。歳、そんなに変わらないでしょ?」


 そんなアルフォンスの何気ない質問に、ラルフの顔がわずかだが強張った。


(あ……)


 この反応には、心当たりがあった。


「ごめん、歳なんかどうでもいいよね」

「……。はい」


 ――この反応を示したのは、三年前に孤児院へきた、新しい『妹』だった。

 とても可愛らしい子だったが、難敵だった。年齢その他に関わらず、男とは一切口をきいてくれなかったのだ。


(ああ、今考えても吐き気がする!)


 当時十三歳だった自分より、確実に幼かったユリア。この名前すら、院長がつけた。ユリアは何も知らなかったのだ。自分の名前も故郷も親も歳も、何もかも。言葉すら、まともに話せなかった。

 その原因が『男』による恐怖なのだと、暫くして偶然に知った。あの時の衝撃は、忘れようにも忘れられない。


(だけど、ユリアも今は元気になれた。だから、ラルフも気にしないほうがいいんだ)


 自分が言った通り、年齢なんかどうでもいい。生きるのに年齢を知る必要はないのだから。


「そう言えば、昨日って何人くらいでリネアの相手をしたの? ……その、沢山いたよね」


 無理やりな気もしたが、アルフォンスは話題を変えることにした。

 今度はラルフも意図を理解したらしく、すぐに答えを返してくれた。


「あちらは二十人おりましたが……。魔ほ、いえ、リネア……殿が、真の力を解放しなくとも、相手にならなかったようです」


 少しラルフが言葉を迷った。

 ラルフは自分たちを名前で呼ぶことは了承したようだが、いきなり敬称と敬語を取り払うのは難しいらしかった。


(ニーナも『さん』つきだしな~)


 リューンやニーナも堅苦しさはないが、砕けた話し方、というわけではない。

 ラルフも含め、人それぞれ楽な口調というものがある。これ以上は要求しまいとアルフォンスは決めた。


「はは、やっぱりリネアは凄いね」

「はい。ですが外傷は爆風による軽傷のみです」

「え?」

「リネア殿は……。命を狙った我々を見逃して下さったのです。力を削ぎ、気を失わせるだけに」


 後ろを歩いていたラルフのカオを見ることは出来なかったが、その声色は、あの時のアーサーのようだった。

 懺悔をしたい、というような。


「……リネアだって、人殺しをしたいわけない。傷付けないで済むなら、そっちを選ぶのは当然だよ。ね?」

「……そう、ですね」


 その言葉に、前をいくアルフォンスには聞こえないよう、ラルフは小さく嘆息した。

 ――駄目だ。どうも自分は『昔』の感覚から抜けきれない。忘れたいのに忘れられない、あの忌まわしい時から抜け出せない――。


「あれ、部屋の前に誰かいるよ?」


 アルフォンスの声にラルフが意識を覚醒させると、確かに目指す部屋の前に、一人の青年が立っていた。

 何か大きな荷物を持っていて、扉を開けるのに四苦八苦している。


(あれは――)


「私の仲間です。怪我が浅かった者が数名おりまして、その者たちはもう動いております」

「そっか。――あ、開けるの手伝いますよー」


 パタパタとアルフォンスが駆けていくのを見て、自分も急ごうと足に力をこめた瞬間、前方でドサッという音がした。

 見ると、扉の前にいた仲間の顔を呆然と見上げ、籠を落として直立不動になっているアルフォンスの姿があった。


(?)


 どうしたのだろう、と思う合間に、アルフォンスは真っ青な顔になって部屋へ駆け込んで行ってしまった。ラルフは慌てて駆け寄り、仲間に声をかける。


「ポール、何があった?」

「さあ、俺の顔を見たら突然……」


 驚かれた仲間にも心当たりはないらしく、しきりに首を捻るばかりだ。わけが分からず、とにかくラルフはアルフォンスが駆け込んだ部屋に入ることにした。

 部屋に入ると、アルフォンスは半泣き状態でリネアにすがり付いていた。何かを必死に説明しているようだが、全く要領を得ていない。リネアも困り果てている。


「だから、アル。――ああ、ちょうど良かった。何があった?」

「いえ、私も……」

「だからっ、斬ったのに、絶対に、だけど歩いて、お化けで、荷物を、扉が開かなくて、それでぇえ~!」

「……いや、わからん」


 さしものリネアも、頭を抱え込んでしまった。

 そんなリネアと半泣きのアルフォンスを見つめ、ラルフは閃いた。


「もしや、昨夜の相手がポールだったのでは?」

「なに?」

「今、アルフォンス殿が扉の前で会った者の名です。昨夜は私の組にいましたから、対峙した可能性は……」

「そうなのか、アル?」


 これでもかと言うくらい、アルフォンスは首を縦に振った。強い肯定の意だ。


「となれば……。今の言葉は『昨夜自分が確かに斬った相手なのに、平気で歩いて荷物を持ち、扉を開けようとしていた。お化けじゃないのか』……か?」

「そうなんだよぉ~!!」


 もうアルフォンスは半泣きどころか、本泣きになっていた。

 そんなアルフォンスを宥めながら、事の真相が掴めたことで、リネアは安堵した。何を求めているのか分かれば、必ず答えは導き出せる。


「落ち着け。それならば簡単なことだろう」

「??」

「お前の剣は界王の剣だぞ。宿すのは民を統べ、守る力。その力で民を傷つけてどうする。昨夜は幻影族の術だけを断ち切ったのだろう」

「……じゃあ」

「間違いなくお化けではない。お前はポールとやらに、傷を負わせなかった」

「…………そ、っか。そっか、……良かった」


 先ほどとは、違う涙をアルフォンスは流した。

 あの時――。自分は相手を殺してでも、セルグのもとに行きたかった。そして、それを迷わず実行した。斬った感触――肉を裂いた感触だって、この手に残っている。

 彼は剣の力で救われた。無用な怪我を負わずに済んだ。そのことが嬉しい。だから涙を流す。

 だけど――。


(剣に特別な力がなければ、あの人は死んでいた)


 人殺しではない、なんて綺麗事は言わない。

 そうだ。自分は確かに意思をもって、人を『殺した』のだ――。

 暫くしてアルフォンスが落ち着きを取り戻すと、リネアは遠慮なく大量の指示を与えてきた。確かに、今は感傷に浸っている時ではない。やるべき仕事が山積みだ。


「体力の回復は、特殊力の回復術ではどうにもならないからな。薬湯を飲ませ、体を休ませるしかない」


 そう言ったリネアの表情は、とても穏やかだった。相手の症状が軽いことを、内心で喜んでいるのだろう。


「あのポールって人、僕のこと覚えてないんだね。アーサーさんは全部覚えてたのに」


 薬草を煎じながら、アルフォンスがぽつりと呟いた。

 調合はリネアが行い、煎じるのがアルフォンスの担当だ。隣ではラルフが塗布用の薬草をすり潰している。


「幻影族の力にも限界がある。アーサー殿以外は、意識までは操れなかったのだろう」

「成る程。……そっか」


(今回ばかりは有り難いや)


 喜んでいいことなど一つもないが、斬られた本人にその記憶がないというのは、アルフォンスには有り難かった。『人殺し』だと自戒しようとも、どうしても心が軽くなることを求めてしまう。

 アルフォンスは作り終えた薬湯を無言のままラルフに渡した。


「……あー、何かこの匂い嗅いだらお腹空いてきた……」

「そう言えば、みなさま朝食は……」


 もちろん食べていない。今日に限って何でお腹が鳴らなかったのか、不思議なくらいだ。

 窓から覗く太陽は、もう少しで中天に到達する。空腹を訴えるのは当然だった。


「一休みに致しましょう。アーサー様に申し上げて参ります」

「うん、よろしく」


 ――と、ラルフが部屋を出た途端、食事のことを考えたからか、アルフォンスのお腹は盛大な音をたてた。

 ラルフはもう室外だが、すぐ側にリネアがいる。いくら長い付き合いでも、妙齢の女性に空きっ腹の音を聞かれるのは恥ずかしい。

 しかも悲しいかな、リネアは何も反応を示してくれないのだ。

 コトコトとお湯が沸く音と、アルフォンスの空きっ腹の音だけが部屋に響く。それがまた一段と恥ずかしくて、やるせなかった。


「――ああ、セルグたちが来たな」


 その時、館の玄関の扉が開く音にリネアが反応した。


「あ、本当? ちょうどいい時に来たね」


 階下で賑やかな声が響く。すぐに階段を上がる音がし始めた。二人が戻ってきたのだ。


「よっ、荷物持って来たぜ」


 当然というべきか、セルグはまず、リネアがいるこちらの部屋に顔を出した。


「あのね、もう少しでご飯にしてくれるってさ」

「マジでか? そりゃ良かった。どっか食べに行くか、ってリューンと話してたんだよ」

「アル、リネア。こちらの皆様のご様子は如何ですかー?」


 セルグの後ろから、ひょいとリューンが姿を表した。


「大事ない。後はゆっくり休めば全快する」

「そうですかー。昨夜は手加減が出来ませんでしたし……。ああ良かった」


 心底ほっとした、と言わんばかりのリューンに、アルフォンスたちは何と言うべきか迷った。

 だって、何だそのやけに晴れ晴れとしたカオ。


(前にもリューンはコワイことやってるからなあ……)


 出会いの瞬間然り、船上での事件も然り。

 『手加減』とは何なのか、昨夜はどんな術を使ったのか。それを聞ける勇者はいなかった。


「失礼します」


 そこにラルフが戻ってきた。食事の用意が出来たらしい。


「隣室の皆様は先にアーサー様と向かわれました。皆様もどうぞ」

「うん!」


 ラルフに連れられて、アルフォンスたちは食堂へと向かった。中に入ると、アーサーたちは既に着席していた。

 そこは屋敷の規模に遜色のない、とても立派な場所で、食器も銀の一揃えだ。


「わぁ、美味しそう!」

「へぇ、すげぇな」


 しかしながら、食べ盛りの、しかも空腹の十代男子の前では、そんな装飾は何の意味も成さない。素晴らしい料理を前にして、目が向くはずもなかった。


「皆様、気がつかずに申し訳ありませんでした。さ、どうぞ召し上がって下さい」

「はい! いただきまーす!」


 食堂は一気に、和やかで賑やかな雰囲気に包まれた。

 どうやらポールなどが気を利かせて、アルフォンスたちの分も食事を用意してくれていたらしい。

 しかし……。


「あの、他の人たちは?」


 テーブルにはすでに料理が並べられており、給仕はアルフォンスの隣の席についたラルフがやってくれている。

 しかし、ラルフとアーサー以外の姿はない。


(席は空いてるのに……)


 とても大きな机だ。一度に二十人は座れるだろう。

 ――もしかしたら、自分たちと食卓を囲むのが嫌なのだろうか。

 そんな心配をしたアルフォンスを知ってか知らずか、アーサーは簡潔に事実を述べた。


「昼間から酒が飲みたいそうですよ。他は町の酒場に行きました」


 体が酒を求めてるなどと意味のわからんことを……と、アーサーが初めてのボヤキを漏らした。


「……。え、えーと?」

「特にポールは酒豪ですから。今日なら昼間から酔っても見逃してもらえると考えたのでしょう」


 言葉を継いだラルフも困り顔だ。しかし、声はどこか楽しそうに弾んでいる。


「ははっ。幻影族は酒なんか呑まなそうだもんなぁ」

「ふふ。みなさん、やっと解放されたのですもの。好きなことをなさりたいんですね」


 ――ああ、無用な心配だったのだ。

 それが実感出来て、アルフォンスはようやく笑いが込み上げてきた。

 そうしてアルフォンスたちは、朝食を兼ねた昼食を楽しんだ。久しぶりにゆっくり、しっかりした食事だった。


「ごちそうさま」

「私も、ごちそうさまです」


 やがてローザン、ニーナと、順に食事を終える挨拶を告げた。アルフォンスも考えを一時中断して、残りの食事を片付けることにした。


「皆様もお疲れでしょう。お手伝い有り難うございました。一段落しましたので、この後はどうぞお寛ぎ下さい」

「ええ。――あの、アーサーさんにお聞きしたいことがあるんですよー」


 最後の一皿を食べ終えた時、リューンはアーサーに問いを投げかけた。


「昨夜、事件の最中に、強い妖力と霊力の衝突があったんですよー」

「ああ、あれね! そうよ、驚いて外に出たけど、何もなかったのよね」

「はい。えー、妖力は幻影族だと思いますが、何かご存知でしょうかー?」


(ああ、あれは不思議だったなぁ)


 首飾りが光ったのかと思ったら実は外で、しかも……。


(ん? ……首飾り?)


「あれは――」

「アーサーさん!」


 突然話に横槍を入れたアルフォンスに驚き、みんなの視線が集中した。


「……えーと」


 首飾りの話、ひいては自分の『正体』に繋がるんじゃないだろうか。

 そう心配して話を区切ったのだが、上手い繋ぎの言葉が出て来なかった。


(やーばーいぃ~!)


 出来てしまった間に、疑問の声が投げ掛けられようとした、その時。


「昨夜は、アーサー殿が術を使われたのではありません?」


 アルフォンス君もお気づきになったんでしょう?

 そう救いの手を差し伸べてくれたのは、クレアだった。


「ええ、そうです。あのままではスードを消してしまうところでした」

「えっ! そんなに強い術だったんですか?!」


 しかも、アーサーの答えは予想以上に衝撃的だった。


「この老体が使える、最高の術です。……成功していれば、私も今頃はあの世でしょうが」

「そんな……。何で術は失敗したんですか?」

「さあ、それは私にも……」


 チラッとアルフォンスを見たアーサーの瞳に、偽りはない。理由は本当に分からないようだ。


(そうか、幻影族も民だから、界王力は感知が出来ないんだ)


 だから、首飾りの真実には辿り着けない。

 そう分かると、アルフォンスはひとまずの安堵を得た。そうして皿に残る最後の一切れを口に運んだ――が。


「霊力なんだろ? リューンかローザンじゃなきゃ誰だよ」

「……アルだろう」

「ぐほっ」


 この予想外の一撃に、アルフォンスは危うく咀嚼中のものを吐き出しかけた。

 むせ込んだアルフォンスに気付き、ラルフが慌てて水を渡してくれた。


「大丈夫ですか?」

「――っ。うん、もう大丈夫」


(リネアぁ~!)


 いきなり何を言い出すんだ。

 渡された水を咽下しつつ、アルフォンスは戦々恐々として、成り行きを見守った。


「アルが? 何でだよ」

「忘れたのか? アルは強い妖力を防ぐ術を得ただろう」

「……? あっ、霊龍の鱗ね!」

「そっか、そうだ僕が……!」


 思いがけずに得た、あの美しい銀の鱗。確かにあの時、リネアは妖力を防ぐと言っていた。


「あったあっ……、あれ?」


 身につけておけ、と言われたので、鱗は小袋にしまって常に持っていた。

 しかしアルフォンスの手の中の鱗は、銀色に輝いてはいるが、あの目を見張る精彩は失っていた。霊力を放出し、輝きを失ったのだ。


「そうでしたか……。アルフォンス殿、ありがとうございました。その鱗がなければ、スードは消えていました」

「や、これは……」

「アル、お前が『自分で持つ』と決めたんだ。それはお前の判断だ」

「まあ、そうだけど……」


 そこまで言ってハッとした。クレアを見れば、ニコリと微笑んでくれた。


(そうか、これが……)


 『あなたの判断で千の命が左右されるでしょう』。この言葉が、示した未来。


「『お前』が持った。だからだ、アル」


 リネアがこの言葉に秘めた真意を理解出来たのは、アルフォンスとクレアだけ。


(……界王力が影響した。そういうことか)


 術はあの廃屋の外、恐らくこの屋敷から放たれたのだろう。

 そのため鱗に秘められた霊力を、知らないうちに界王力によって解放し、妖力を相殺したというわけだ。


「しかし何故、周囲に影響が出なかったのでしょうかー?」


 ふいに、リネアが身動ぎした。

 ならばこの質問、『界王力も同時に使ったから』以外に答えはない、ということか。


「何でだろうね。運が良かったのかな?」

「あんたねぇ、そんなわけないでしょう!」


 自分のためにリネアに嘘をつかせるのは気が引けて、わざとアルフォンスはすっとぼけたことを言った。

 もし真実を知らなければ、自分は間違いなくこう言っただろう。


「考えても無駄だって。リネアも分かんねぇんだろ?」

「……ああ、霊力は専門外だからな」


 このリネアの答えには、相応の説得力があった。何せリネアは一切、霊力と妖力を持たないのだ。

 また界王力の存在を知ったとはいえ、リューンたちはリネアが霊妖の力にそうであるように、感知することは不可能だ。

 そのためリネアの答えに一応の納得をせざるを得ないリューンたちは、この話を蒸し返そうとはしなかった。

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