始まりの終わり《肆》
「三月……」
「それまでに己を鍛え直すといい。旅をして、思うところもあったろう? 長い旅になる、家族に会うのもいい」
その言葉に、ローザンやリューンが身動ぎした。故郷の家族を想ったのだろう。
「三月をどう過ごすかは君達次第だ。どうだい?」
賢者の問いにアルフォンスが迷わず答える。
「僕は賛成です。まだ剣を使いこなせてないのはすごく悔しいんです」
「私も賛成です!」
「ニーナ」
「三月足らずで出来るかは分かりませんが……。いいえ、絶対に一人前の位を得て見せます!」
職、特に五大職では、一人前かどうかということは大きな壁になる。受ける扱いは雲泥の差なのだ。
人族の土地を離れる今、全世界で共通化されている職で一定の地位を得れば、大いに不安要素を取り除ける。
「じゃあ俺も。……そろそろ、お師匠様の顔が見たいしな」
一人前の位に相応しくなったと思ったら帰ってきなさい。
かつてセルグのお師匠様、ゴルディアスはそう言った。
(だけどセルグは……どうするのかな)
セルグのことだ、もしかしたら今回の敗北を気にして昇級を拒むかもしれない。
「あたしは一族が心配だし、一旦戻るわ。色々と整理しなきゃいけないこともあるし」
「私も姉が心配ですし、クルツァータに戻りますかねぇ」
ならば、決まりだ。
「僕たち、修行をします!」
強くなってみせる。
世界を救うと言うよりは、自分の夢を叶えるためだ!
「――心得た。では三月後の集合場所はアスクガーデンだ」
「「はい!!」」
ではね、と別れの言葉を告げ、賢者は一旦スードを去った。翌朝再び訪れ、アルフォンスたちを望みの場所に送ってくれるという。
ラルフはアーサーに言われた通り、手伝いをするため部屋を出ていった。
「三月の間、みんな離ればなれだね」
「あの、クレア様は……?」
おずおずとニーナが、あれから無言のままだったクレアに声をかけた。
クレアは優しい笑みを浮かべた。どうやらリューンたちのように穏やかな性格らしい。
「『様』は結構よ。私は界王ではないのだし」
「姉上、ですが」
「あら、だってリネアも血族だけど、みなさんには名前で呼んでもらっているわ」
それなら私も名前で呼ぶか、リネアにも『様』をつけなきゃ、と楽しそうに笑う。
その破天荒な提案に一行は呆気に取られ、苦笑するしかなかった。
「えーっと、じゃあクレア……さん?」
「呼びやすいもので構いませんわ。話し方も畏まらないで」
「……そうですね。みんな、姉上には私と同じ対応をしてくれ」
「う、うん、わかった。じゃあ、これからよろしく。――クレア」
「ええ」
右手を差し出し、アルフォンスはクレアと握手を交わす。
(これが、界王力……)
目覚めてしまった感受性。これも界王力の特徴――死を寄せ付けないための、自己防衛の力なのだろう。
思い返せば仲間内で感受性が強いローザンやセルグより先に、自分は『何か』を察知したことがあった。
(リネアとクレアだけからこの力を感じる)
自分は『拒まれるモノ』ではなかった。
だけど恐怖はまだ、ここにある。同じモノではなかった、という恐怖が。
「そういや、アルはどうすんだ?」
「え?」
「修行だよ。お前、正式に職についてないから、師匠いねぇじゃんか」
「――ああぁぁあっ!!」
痛恨の一撃。
そうだ、自分の今までの『師匠』はリネアじゃないか!
強くなりたい思いだけが先走り、その方法など考えもしなかった。
(リネアも修行に戻るんだろうし……。……あっ!)
――いいこと考えた!
「ねぇリネア、僕も賢者様のところに連れてって!」
「それは構わないが、何故だ?」
「賢者様なら剣士の知り合いとか居ないかな。僕に稽古をつけてくれそうな人」
「剣士……か。私の知るところでは居ないが、まあ聞いてみるか」
「やった、ありがとう!」
――この時アルフォンスは、修行であの地に戻ろうとは微塵も予想していなかった。
やがて修行の話が一段落したところで、リューンがクレアに聞いた。
「クレアは三月後に合流されますかー?」
「よろしければ、お供させて下さいな」
「もちろん! 仲間は大歓迎だよ」
クレアで七人目の仲間だ。
旅立ちの時から比べると、だいぶ大所帯になったな、とアルフォンスは思った。
(あれ……? 七人……?)
人数のことを改めて考え、クレアを見る。
何かもう一つ占いで言われていた気がするのだが。
「では改めまして自己紹介を。名はクレア・リ・ネール。職は占い師と吟遊詩人を兼業しています」
「あの、吟遊詩人が本職なのですか?」
「ええ。どちらも好きだけれど」
「えっ、兼業する人はみんな本職と副職をきちんと決めるの? ローザン」
「そうよ。副業には色々と制限がつくんだから。あたしは風使いが副業」
「へー、じゃあ……」
アルフォンスが何か言いたげにリネアを見ると、心得たり、とばかりに頷いた。
「師匠の本職は魔法使いだ。だからアスケイルの組合長も本来は師匠なのだが、面倒だと言って……」
つまり、やってないと。
「何つーか、まあ、賢者様らしい……よな」
「うん、そうだね……」
組合長まで上り詰めることは、その組合を掌握したも同じ。
五大職はいくつかの組合や流派から構成されているため、組合長の権力は絶大なものだ。
「まあ、僕は賢者様に頼まないと。それと今日はどうしようか?」
「そういや、宿に荷物置いたままじゃねぇか?」
「じゃあ、まずは宿に戻るべきね」
これ以上、館でお世話になる理由もないしな。
そう考えた一行は、館を出ることにした。
別れの挨拶を述べようとアーサーのところを訪ねたアルフォンスたちは、そこで思いがけないものを目にした。
「えっ、こ、この人たちは……!」
「ええ、昨夜あなた方に刃を向けた……ラルフと同様、私の部下です」
部屋はまるで施療院のように、傷ついた人々が多く横になっていた。
体を休めやすいように術をかけているのか、全員すやすやと眠っている。
「じゃあアーサーさん、さっきラルフを呼んだのは……」
「ええ。操られていたとは言え、私に責任があるのです。放置など出来ません」
アルフォンスはここにはいないラルフのことを思い出して、心から納得した。
――ああ、この人だから、みんな命を懸けたんだ。捨てられた自分を何度でも救い上げてくれる人だから!
「「あの、何か手伝えませんか?」」
思わず重なった声に、みんなは顔を見合わせ、一拍置いて苦笑を漏らした。
アーサーはそんな申し出に、やっと笑顔を見せたのだった。
「ありがとうございます。では、お手伝いいただけますか」
「「はい!」」
アルフォンスたちは三組に分かれ、アーサーの手伝いをすることにした。
隣室にも怪我人がいるらしく、ラルフが世話をしているらしい。アルフォンスとリネアがそこへ行き、セルグとリューンは宿へ荷物を取りに向かい、残りの三人はアーサーを手伝うことになった。
(こんなに人数が多いのって、ほとんどリネアが……)
決して口には出さなかったが、アルフォンスが思ったことは正しかった。
何せアルフォンスたちに対したのは、ラルフを除いて五人だけなのだから。
「ラルフ、手伝いに来たよ」
「これは……。よろしいのですか?」
ラルフはアルフォンスを見、次に視線をリネアに移した。
昨夜の事件は、原因は何であれ、リネアを狙ってのことだ。そのリネアに犯人の世話をしてもらっていいのだろうか……。
(――とかって考えてるんだろうなぁ)
「何も気にしないでいいよ。僕たち、どうせ明日まで暇なんだから」
「……!」
見事にアルフォンスの読みが当たったのだろう、ラルフが驚きの表情を浮かべた。
そしてわずかに残った戸惑いは、リネア本人が打ち消す。
「そうだ。お前が気にすることではない」
「……。……ありがとうございます。では、お願いします」
俯き気味に、ラルフが笑みを溢した。
(……この方たちには敵わない)
――まるでアーサー様のように、何度でも、誰にでも手を差し伸べて下さる。
昨夜、自分の命を狙った相手だと言うのに、何故こんなに優しく出来るのだろう。
「じゃあ、僕たちは何をしたらいい?」
「お二方は、回復術は?」
「あ、僕は何も……」
「私は法魔の二つなら」
「では魔法使い殿は治療をお願いします。剣士殿は治療用具を運びますので、お手伝いいただけますか」
「わかった!」
「了解した」
そう言って、アルフォンスはラルフと治療用具がある部屋に向かった。
「……」
二人を見送ると、リネアは大きな溜め息をこぼした。
(アルは……目覚めた)
不確かで朧気な、確証など持てなかったアルの界王力。それが一晩で覚醒した。
もしかしたら、自分が切っ掛けになったのかもしれない。
「……赦せ」
(お前を二度と『普通』に戻れなくさせた)
リネアの頬を、一筋の涙が伝った。
ラルフに連れられて、アルフォンスは薬草の香りが染み込んでいる小部屋にやって来た。メリコで見た薬草以外にも、数多くの種類が取り揃えられている。
「わぁ、凄いなぁ……」
何となく、アルフォンスは手近な薬草に手を伸ばした。
「っ、いけません!」
「わっ!?」
薬草棚に伸ばしたアルフォンスの右手首を、ラルフがいきなり掴んだ。しかもかなり強く。
「この辺りは毒性が強いものばかりです、素手で触ってはなりません」
「わ、わかった。ごめん」
「いえ、予めご忠告申し上げるべきでした。私の落ち度です」
「や、まあ、二人とも悪かったってことで。お相子だよ。それならいいでしょ?」
「……はい」
ラルフは完璧に納得出来たようではなかったが、とりあえず頷くことにしたらしい。
ただこの間、アルフォンスは必死にラルフへ視線で訴えていた。未だ右手を締め付けるソレを。
(頼むから手を離してぇ~っ)
何より普通に痛い。そんでもって恥ずかしさから心も痛い。
しかしアルフォンスの無言の訴えも空しく、ラルフが気付く様子はない。
すでに『離してほしい』と言う機会を逸したアルフォンスは、ほとほと困り果てた。
「……不躾ですが、聞きたいことがあるのです。よろしいでしょうか」
「へ? あ、何かな?」
唐突な質問だったが、この状態で無言よりは百倍マシだ。アルフォンスはそう考えたのだが、ラルフは違った。
「昨夜……」
ラルフが真っ直ぐに、アルフォンスを見つめる。室内には緊迫感が増す。
思いがけず向けられた強い視線に、アルフォンスは動揺を隠せなかった。
「昨夜、あなたは私を結界内に入れて下さった」
その上、ただでさえ強く握られていた右手に、より一層の力が込められた。
(痛い痛いホントに痛い~!)
「何故ですか」
「へっ?」
「何故、私を助けたのです。むしろ貴方も命を落とす危険性が高かった!」
(――っ!)
骨が折れるんじゃないかと思うほど、右手が軋んだ。一瞬怯みはしたが、アルフォンスは痛みを顔に出さなかった。その方がいいと直感的に感じたのだ。
そうして淡々と述べた。あの時、何を思っていたのかを。
「ごめん、説明は出来ないんだよ」
「え……?」
何とも言えない困り顔のアルフォンスに、ラルフは何を思ったのか、アルフォンスの右手を掴む手が弛んだ。
「あっ、説明しにくいって意味だよ。したくないってわけじゃないから」
「……構いません、話して下さい」
「そう? う~ん、まあ一番簡単なのは……。体が動いちゃったから、かな?」
「……」
「だって君が動いたの、見えたんだ。だから結界から出たんだよ」
そんでローザンに怒られたんだよねー、とアルフォンスが続ける間、ラルフは驚きで目を見開いていた。
(何を言ってるんだ……?)
――この剣士は、何を言ってるんだろう。
そんなこと、誰も出来るわけがない。あの絶体絶命の中、損得勘定抜きで、命懸けで誰かを――敵を助けるなんて!
「――今ラルフが考えてること、当ててみようか?」
「っな、何を……」
「嘘臭い。あの状況で敵だった自分を助けるのは、何かあるに決まってる。――でしょ?」
「!」
「当たり、だね」
伊達に孤児院でチビたちの兄貴をやってきたわけではない。
孤児院は様々な理由で親を失った子供が集まる。その事実から心を閉ざし、口を閉ざす子供は少なくなかった。
――ルデイックだって初めは自分を拒んだものだ。今となっては一番懐いてくれているけど。
「でも本当なんだ。誰かに相談するべきだったかもしれない。……だけど」
今度はアルフォンスが、ラルフの瞳を真っ直ぐに見据える。先ほどとは逆に、ラルフが身動ぎした。
「間に合わなかったら、それこそ悔やむ。だってさ、目の前で人が死ぬんだよ?」
「……」
「――ま、今回は成功したから良し、ということで」
言葉を失っているラルフに、アルフォンスはどう言葉をかけるべきか悩んだ。
「え、えーと。……答えに、なった?」
頼む、何か反応下さい。
アルフォンスの必死の祈りが天に通じたのかは不明だが、ラルフは言葉を返してくれた。
一つ一つ、自分でも確かめるように。
「貴方は……。多少、直情的なようだ。ですが、故に貴方の回りには人が集まるのでしょう」
「?」
「先ほど――いえ、『気のせい』でしょうが、貴方は妖力を持った者への扱いに、異を唱えて下さった」
(そうだ。アーサー様でさえ仰らなかった、界王様への批判を!)
「とても嬉しかった。当然だったものが打ち破られた、あの瞬間を……私は生涯忘れません」
昨夜は感情がないんじゃないかとさえ思えたラルフの顔に、これ以上ないくらいの、嬉しそうな笑顔が浮かんだ。
きっと操られていなかったとはいえ、ラルフや町の住人も少なからず幻影族の影響下にあったのだろう。
「僕が誰かの役に立てたなら、嬉しいよ。――でさ、そ、その」
「はい、何でしょう」
……右手首、痣になってるんじゃなかろうか。
「あの、そろそろ、リネアのところに戻ろう?」
「ああ、これは失礼致しました。お手間を取らせまして……」
「あ、いいからいいから。どれを運べばいいの?」
「……。では、こちらを」
「うん」
謝罪を遮ったアルフォンスに、ラルフは苦笑とも何とも言い難い笑みを漏らしたのだが、アルフォンスがそれに気付くことはなかった。