始まりの終わり《弐》
始まりは、『この世』が生まれた時。
世界が生まれ、界王が、民が、動植物が。全ての命が生まれた。
けれどその命には等しく、けれど偏って『特殊力』が備わっていた。これは民に発展をもたらし、安寧を招くと同時に争いを生み出し、差別を作り出した。
「わかるかい? 五人いらっしゃる界王様のうち、妖力を持つ御方は人王様だけだ。だけど、それも人族のように、四つのうちの一つとして、だ」
あれからリネアをクレアに任せて部屋を移した一行は、賢者の話に聞き入っていた。
事件に深く関わったラルフも、アーサーの指示でこの部屋にいる。ひたすらにアーサーを信じて付き従ったラルフが、全てを知ることが出来るようにとの配慮だろう。
「天王様は法力を、魔王は魔力を、精霊王様は霊力を、それぞれ持つ。いずれも絶大な力だ。だが、何故か獣王様は妖力ではなく気力の達人。これが問題なんだ」
誰も見たことのない、見ることの出来ない世界の配置。しかしいつの頃からか、それは模式的に表されるようになった。
東西南北のように十字を描き、北は天界、南は魔界。東は獣界で、西は精霊界。そして中央に人界を配置する。
その配置図が表すことは、第一に、人界が全ての礎だということ。第二に、四世界を二組に分けて見るということ。縦と横、対になるものとして。
また界王が持つ力に沿って、特殊力の関係図も同様に描かれる。だけど妖力は、世界配置とは重ならない力。
「妖力を唯一の力として持つ界王様がおられない。……これは世界の歪と言うべきものだ。このために妖力を唯一の力として持つ者や、強く発現する者は蔑まれたからね。界王様が持つに値しない穢れた力だとか、あるべき力ではない、とかの理由で」
笑う。賢者は笑う。何とも馬鹿馬鹿しい、考えるに値しない意見だ、と言って。
その笑いに同調することはなかったが、アルフォンスは賢者の意見に同意した。
「……僕もそう思います」
「おや、久しぶりに意見があった。……ふふ、そこの君は色々と言われてきたクチだろう?」
賢者が視線で示した先にいたのは、ラルフだ。
もとから病的なくらい色白だったその顔が、さらに蒼白になった。思い出したくもない、悲惨な過去に触れたのだろうか。
「……はい。ですから私たちは、アーサー様の元で暮らしていました」
「成る程、アーサー殿はそういった妖力を強く持つ子供を集めていたわけだ」
「……いくら賢者様とはいえ、アーサー様を悪く言うことは止めていただきたい」
誰もがひれ伏す賢者を前に、ラルフは拳を握り締めた。
最も悲惨な部分ではなく、最も大切な部分に触れられた怒り。理性など、簡単に吹き飛んだ。
「おや? 私は気に障ることを言ったかい」
「言い方に問題があります。――アーサー様がいなければ、どれだけの人間が不当な差別を受け、野垂れ死んだことか!」
「……」
自分に楯突くラルフの言葉を遮ることなく、何故か賢者は静かに佇んでいた。
「賢者ならば知っているだろう。人々がアイルを何百年も避けていた理由は、『妖力が強い者を生み出しやすい土地』だからだ! アイルは今もそれを理由に、他から妖力が強い者を追い払う、言わば流刑地だ!!」
「「!!」」
ラルフはいつもの丁寧な口調を取り払い、怒りを、本心を賢者へぶつけた。肩を弾ませ、荒い息を繰り返す。
そんなラルフの言葉に、叫びに、アルフォンスたちは衝撃を受けた。
その中でも、アルフォンスは最も衝撃が大きかった。何となく、妖力が疎まれているのは肌で感じていた。強力に持ち合わせる確率は、霊力と妖力は同等だ。どちらも稀である。だが、あの優しい人々が暮らす村でさえ、その二つは扱いが確実に違っていた。
ラルフは強い瞳で賢者を睨みつけた。
(アーサー様を侮辱するなら、賢者だろうと……!)
――生まれながらに白い髪と、血の色の瞳を持って生まれた自分。何より妖力が一際強かった。
幼すぎて覚えていないが、自分は両親に捨てられたのだろう。ただ我が子を殺すことは忍びなかったのか、この大陸に連れてこられた。
とても長い間、船に乗っていた。それが最初の記憶。
生きるためには何でもした。思い出したくないことばかり繰り返した。そんな時、あの人が自分を救ってくれたのだ。
「アーサー様は誰もが嫌がるこの地に自ら赴任され、巡礼先で私のような者を数多く救って下さった! あの方は……!!」
泥や血だけではない。この世の汚濁にまみれて穢れきった私の手を、アーサー様は優しい笑みで迷わず握ってくださった。
「お心が弱ったことで幻影族に憑かれ、あなた方に害をなしたことは事実だ! それでもアーサー様は相手が賢者であろうと、蔑まれる覚えはない!!」
――例え賢者への不敬罪で罰を受けようとも、自分の心に正直でいられた。だから本望だ。
ラルフは真っ直ぐ、前を見た。
「……。ああ、そうだね。私の悪い癖だ。今回は私の失言だ、素直に謝るよ」
「……!」
ラルフは驚きに目を見開いた。アルフォンスたちも同様だ。まさか賢者が謝罪の言葉を口にするなんて!
「だから君は、何も気にしなくていい」
賢者は、そう言ってまた笑った。
その笑みに、アルフォンスは賢者が意図したことが分かった。
(ああ、そうか……)
賢者は互いに理解させ合いたかったのだ。
ラルフとリネアは拒まれてきた者。アルフォンスたちは受け入れてきた者。
ラルフの率直な思いを、怒りという引き出しやすい感情を利用することで吐露させたのだ。そうすればアルフォンスたちは、ラルフの魂の叫びを受け入れると踏んで。
実際、その読みは的中した。
アルフォンスは今まで、差別という言葉に実感を得たことはなかった。例えば自分は村で唯一の金髪碧眼だったが、隣村には同じような容姿の一家が暮らしていたし、西の周国では一般的な色だ。
(だけどラルフは……)
見たことのない色をしている。あれは間違いなく突然変異で生じた色だ。あんな色を持っている民族や国があれば、必ず噂は広まる。
「では、話を戻すね。ラルフ君のように妖力を強く持つ者は、世界の誕生以来、ずっと蔑まれてきたんだ。そして界王様は誰もその事に感心を持たなかった」
「な……! 界王様ですよね!? なんでそんな酷いことを!?」
「世界を安定させるために、最も簡単な方法だからだろう。ヒトは己より格下の者がいることに安心する。常に上に立ちたがる。だから……利用し続けてきたのさ」
――それが神の所業か。
ラルフの話を聞いたから、とかではない。けれど、どうしてもアルフォンスは、涙を堪えきれなかった。
「そんな……、そんなの……」
そんなの、おかしい。
「君は優しいね。やっぱり、君は……」
「?」
そこで、珍しく賢者が言葉を濁した。
「いや、何でもないよ。……まあ、こんなことがあるんだ。幻影族たちが界王様を滅ぼそうとする理由、少しはわかったかい?」
「ええ、理解はできましたけど……」
目を彷徨わせながら、そう漏らしたのはローザンだ。セルグたちもみんな、似たような渋い顔をしている。
理解できてしまうから困るのだ。幻影族は被害者なんだ、同情すべき余地があるんだ、と思えてしまうから。
だけど界王様を――リネアを傷つけていい理由にはならない。
「そして数年前、ついに反旗を翻す動きが見え始めた」
中心は天界の幻影族。最も強く妖力を発現し、攻撃術に長ける民。
獣界に住まうのは甲殻族。妖力は比較的弱いが、鎧のような体皮の防御力は他を寄せ付けない。
魔界にはその名も妖族が住む。高い妖力で相手を惑わし貶め、その力を削ぐ。
精霊界はオーク族が住む。まるで他の民の死後のような姿で生を営み、残虐的な嗜好で殺戮を好む。
「――と言っても界王様や血族には、そう簡単に手を出せない。彼らが住まう『界王の間』へ行くには、堅固な扉があるからね。特殊力や気術では一切傷つけられないものだ。……しかし、リネアなら破壊できる」
それこそ界王と血族のみに許された至高の力、界王力。
リネアがその身に宿る力を解放すれば、世界を簡単に滅ぼせる。
――と、拍子抜けするくらい、サラッと軽く賢者は言った。その事実に、アルフォンスたちは何も言うことが出来ない。
冗談でもなければ、比喩でも、誇張でもない。紛れもない真実だから。
「後は君たちもわかるだろう? だからリネアは狙われたし、常に本来の力は封じていた。あまりにも強すぎるから法力は完全に眠らせ、身を守るため最低限の魔力だけを使用していた。……まあ、その封印も成長のために解けてしまい、今は抑える程度なわけだが……」
賢者はおもむろに立ち上がり、リネアの杖を手に取った。
「これは特製でね。先端の石は魔精石という、とても希少な石だ。これだけ純度が高く、大きなものを手に入れるのは私でも苦労したよ。普通の魔石と逆で、持ち主の魔力を吸い取るんだ」
そこで賢者は、何かここまでで質問は? と言ってきた。その問いにローザンが乗った。
「あの、じゃあ気になるんですけど、お値段っていか程かしら……?」
不躾な問いではあったが賢者は気にする様子も見せず、サラリと、こう、のたまった。
「ん? どうだろう、貰い物だから。けど、売れば一生何不自由なく暮らせるかな」
「「……!!」」
なんだそれ。石一個で一生何不自由なく暮らせるってどんなんだ。しかも貰い物!
アルフォンスたちは絶句した。
「はは、おど……いや、くれたのはアスケイル王だから。ちょっと国家予算削れば出せる代物だよ」
(今、絶対に『脅した』って言おうとした……)
――しかもアスケイル王ですか。僕らの国王様ですか。国家予算削るって、それ国民の僕もリネアの杖に代金の一部を支払ったってことじゃ……。
(まあ、そんなことがあったなんて分からないくらい、楽しく暮らせてたからいいか)
若く聡明な王として、国民の誰からも尊敬されるアスケイル王。
その人がリネアを守るための石をくれたというのは、何だか無性に嬉しかった。
「さ、他に質問はあるかい?」
「あ、あの!」
「何かな? アルフォンス君」
アルフォンスは大きく息を吸い込んだ。
――こんな話、真実を聞いて、黙ってはいられない。
「界王様にはどうやったら会えるんですか!?」
「……何故だい?」
賢者の声色が変わった。あの法廷を彷彿とさせる、絶対零度の声色。
それでもアルフォンスは少しも怯まなかった。
「リネアが巻き込まれたのは、界王様たちにも責任があるからです!!」
「おい、アル!」
アルフォンスの言葉に、セルグが真っ青になって止めようとする。しかしアルフォンスはその手を振り払った。
界王への侮辱はこの世で最大の禁忌。この先を言えば、アルフォンスは罪人となることは免れない。
それでも。
「こんな状態なら世界を救っても――、いや、救えるもんか! ――だって、界王様は間違ってる!!」
アルフォンスを止めようとしていたセルグも、他の面々も、誰もこの言葉を『否定』しなかった。
口に出す恐怖には打ち勝てなくとも、全員が同じ気持ちだったからだ。
「……やはり君だから、剣は選んだ」
「?」
「気持ちいいくらいに言い切ってくれたね。――いや、『私は何も聞いてない』よ」
君たちもだろう?
そう賢者は一行に問いかけた。その問いにセルグたちは迷わず頷く。
これが意味するところは。
「誰も聞いてないから、証拠はない。界王様への侮辱罪なんか、証人がいなきゃ成り立たないからね」
「賢者様、みんな……」
じんわりと、温かいものがアルフォンスの胸を満たしていく。
ああ、自分は一人じゃない。仲間が、いる。
「さて、行き方だけど。これはさっきも言ったけど、特別な扉を通る必要がある」
その時、アルフォンスはポンと肩を叩かれた。
セルグが何とも言い難い顔でこちらを見ている。
(……気にしなくていいのに)
セルグは自分と同じ気持ちでありながら、恐怖に打ち勝てなかったことを気にしている。
だけど、分かち合ってくれただけで十分だ。
アルフォンスはセルグの手に自分の手を重ねると、その甲をつねってやった。
「!」
(ばーか)
(てめぇ、アル!)
ついでにチョロっと舌も出してやる。
これくらいでちょうどいい。セルグは苦笑すると、いつもの様子に戻った。
「扉は、どの世界にも五つあるんだ。他の四世界に通じる扉と、その世界の『界王の間』に通じるものとね」
「それならば、まずは人王様にお会いするべきでしょうかー?」
「んー、リューン君、それはお勧め出来ない」
「えっ、何故ですか?」
ニーナが驚きの声を上げた。
「特殊な扉、と言ったろう? 扉はまたの名を『試しの扉』というんだ」
「『試しの扉』……。僕たち、何かしなきゃいけないんですか?」
「いいや、扉が判断する。通すに値する者かどうかをね。その条件が明確じゃないから、これまた面倒なんだ」
そう言って、賢者は盛大にため息をついた。
「えー、では我々はこの先どうしたら……?」
予想外の展開にリューンの言葉も歯切れが悪くなる。
「全ての界王様にお会いしたいんだろう? ならば初めは獣王様がいい。一番物分かりがいいし、気さくな方だ」
「獣界への扉は開くんですか?」
「君たちなら獣界への扉は絶対に、ね。それに獣王様の扉も、他に比べれば開きやすい。反対に人王様の扉は最も困難だ」
へー、なんて一行から感嘆の声が漏れる。
だけど、だからこそ、アルフォンスは悔しかった。
(父さん……!)
村で聞いた父の偉業。純粋に尊敬していた。今も凄いと改めて思い知った。だけど。
(何で界王様に差別なんか止めるよう、話してくれなかったんだよ!?)
こんなの八つ当たりだ。だけど人王様にお会いすることを許された人物なのに。
もし何か働きかけていれば、何か変わったかもしれない。
「……アルフォンス君」
「は、はい!」
「ちょっと剣のことで話したいことがあるんだ。二人きり。いいかな?」
「あ、はい。わかりました」
「じゃあ君たちはリネアについていてくれるかい? クレア様からもお話を伺ってみるといい。扉の詳細は後で説明するよ」
「わかりました」
そうして賢者に言われるままセルグたちは部屋を移り、アルフォンスだけが賢者と相対した。
みんなを見送るアルフォンスの背後で、賢者の口には、笑みが零れていた。