始まりの終わり《壱》
『ねぇ、この子の名前はどうしましょうか』
『――がいい。僕の国の英雄の名だ』
『まあ素敵。そうね、じゃあこの子の名前は――』
「アル!」
「ふべごっ!?」
ドガッ!
朝っぱらから豪快な音を立てて、アルフォンスは寝ていた椅子から転がり落ちた。
「……大丈夫かお前」
「……や、精神的にダメ……」
セルグに引っ張り上げられるようにして立ち上がったが、まだ顔がジンジンと痛む。情けなさすぎて涙が出そうだ。
(うう、何か夢を見てた気がするんだけどなぁ……)
衝撃的な目覚めのお陰で、余韻に浸ることも出来ずに内容は綺麗サッパリ頭から抜け落ちてしまった。
昨夜、アルフォンスたちはリネアが眠る部屋で一緒に夜を過ごすことにした。大きな客間だったので、いくつかあった椅子のうち、横になれる長椅子は女性陣に譲り、男は普通の椅子に座って寝ていた。それが敗因となり、起床で顔から床へ突っ込むハメになってしまったのだ。
「何やってんのよ、アルったら。もうすぐ賢者様いらっしゃるわよ」
「う、はい、スミマセン」
ようやくスッキリしてきた頭で辺りを見回せば、自分以外はきちんと起きていた。ラルフとアーサーがいなかったのが唯一の救いか。
「リネアの様子は?」
「相変わらずです。でも、命の危険はありません」
「そっか、……良かった」
もうすぐ賢者様も来ると言うし、これでもう大丈夫だ。
「失礼します」
そこにアーサーとラルフがやってきた。アーサーは少し顔色が優れないが、体調はだいぶ回復したようだ。しっかりとした足取りで歩いている。
「――まずは、みなさまにご迷惑をお掛けしたこと、謝らせていただけますか」
「そんな、だってあれは幻影族が……!」
「確かに。ですが、そもそも強い精神を持てなかった私に原因があります」
アーサーの言い分はこうだ。
自分は僧侶だが、スードの領主も務めていた。その責務から心が弱り、幻影族につけ込む隙を与えてしまった、と。
「いかに幻影族とて、心身の健やかな民を操ることは出来ません。仮にも人の上に立つ身として、お恥ずかしい限りです」
「アーサーさん……」
「いえ、ただ己の弱さを懺悔し、赦しを得たいだけかもしれません……。あまりにも情けない」
遠い目をしたアーサーにアルフォンスはかける言葉を探したが、ニーナが言葉を引き継いでくれた。
仲間である自分たちと同じ気持ちを、同じ職のアーサーと同じ思考で。
「アーサー様、ですがその懺悔、私たちは受けられません」
「キャズタ殿?」
「人は責める気持ちがあるからこそ赦すのです。ですが私たちはアーサー様を責めるつもりなどありません」
だから赦すも何もないんです、とニコリと笑うニーナに、アーサーは毒気が抜かれたように苦笑した。
「……そう、ですか。ええ、あなた方に弱音を吐いても、戸惑わせるだけでした」
己の弱さを救い給うは神の赦し。己の強さとなり給うは人の赦し。
アーサーは呟くように唱えた。
「やはり私は、まだまだ修行がたりない。キャズタ殿、あなたは素晴らしい僧侶だ」
「いえ、そんな……!」
「裁判も一人で見事にやり遂げました。立派なことです」
「え? アーサー様、裁判中に幻影族は……?」
「幻影族に体を奪われたのは、もう何年も前になりますが……幸か不幸か、行い全てを覚えています」
ゆえに、罪は己の身に重くのし掛かる。
「ですが私にやれること、成すべきことは決まっています。スードを守り、二度と幻影族に負けぬ強さを持つことです」
強い、強い意思。言葉にも瞳にも振る舞いにも、全てに満ちていた。
アーサーは二度と、幻影族に操られることはないだろう。そんなアーサーに、もうアルフォンスたちが声をかける必要はなかった。
(この人は……強い)
そして迫る、覇者の波動。
賢者が、来る。
「――やあ、みんな。久しぶり」
賢者の声に揺るぎはない。世界の覇者は、愛弟子が命の瀬戸際にあっても動じなかった。
「シャルーラン殿、お早く」
「失礼、クレア様」
「「!!?」」
賢者以外に見知らぬ女性がいたことも驚いたが、アルフォンスたちの度肝を抜いたのはそこではなかった。
(賢者様が誰かに『様』付け……!?)
青天の霹靂、とは正にこのことだ。
リネアに輪をかけて――いや、その数十倍は天上天下唯我独尊な賢者様が、誰かに『様』付け。
(もしかしてまだ夢の中?)
そのほうが頷ける。
しかし現実は残酷で、どれだけアルフォンスが頬や腕や太ももや手の甲などをつねってみても、確実に痛みをもたらした。
「お待ちしていました、賢者様。この度は……」
「余計な話はいい。早くリネアのところへ案内してくれ」
「かしこまりました」
アーサーは一瞬だけ視線を女性に移したが、気にしている暇はないと判断したようだ。すぐに賢者をリネアが眠る部屋へ案内した。
しかし、部屋に入るやリネアに駆け寄ったのは女性のほうだった。
「良かった、封を掛けているだけですわ」
「ではお任せ出来ますか」
「もちろんです」
女性はあの賢者に対等、いや、格上として扱われている。
柔らかに流れ落ちる髪の色は、真の姿となったリネアと同じ銀色。動くたびに、甘く不思議な香りが仄かに薫る。
(あれ、この薫り、どこかで……?)
「では失礼」
一言断って、女性は背負っていた楽器を構えると、アルフォンスたちが聴いたこともない美しい曲を奏で始めた。
弦を爪弾き、聴く者全ての心を震わせる旋律を生み出していく。
(この人は吟遊詩人なのか。でも――)
やがて紡がれた歌声に、アルフォンスは歯痒い思いをさせられた。
喉まで出ている。この甘い薫りだけじゃなく、この声を間違いなく、どこかで聴いたことがある。
部屋を満たす暖かな力に、頭の奥の記憶が呼び覚まされる。
『――の――が』
(何か、重要なことを言われた)
この声に告げられたんだ。
『あなたの――が――』
(思い出せ!)
「……『あなたの判断で千の命が左右されるでしょう』――ですよ」
「え、――ってうわぁ!?」
いつの間にか演奏は終わっていて、女性はアルフォンスの目の前に立っていた。
「お久しぶりですね。旅はいかがですか?」
「へ、あ、まあ、その……」
待て、今この女性は何て言った?
(『あなたの判断で――』)
「――アスクガーデンの占い師さん!」
「うふふ。ええ、でも本職はこちらなんです」
そう言って女性は楽器を抱え直した。半球状の木製の胴に棹を付け、六本の弦を張ったものだ。
「え? まさか本当にアスクガーデンの……?」
あの時一緒にいたセルグも半信半疑に女性へ問う。女性は柔らかな笑みで答えた。
「ええ、本当ですよ。私の名はクレア・リ・ネール。以後お見知り置きを」
「は、はあ……」
女性、クレアが奏でた音楽によって、この場は何とも言い難い、清浄な空気に包まれていた。
しかし、それでリネアに変化があったわけではない。
「あの、リネアは……」
「ご安心なさって。今は前段階として『場』を作ったのです。シャルーラン殿、お手伝いをお願いします」
「ええ」
賢者がクレアの言葉に頷き、リネアのを中心に、傍らに座ったクレアをも覆う結界を張った。強力なものだと一目で分かる。
「――」
結界の中のクレアは、今度は楽器を爪弾かなかった。
歌を口ずさむこともなく、リネアの額に手をあて、何らかの力を行使しているようだ。
(セルグ、あれ気術?)
(え? いや、何も感じねぇよ。特殊力だろ?)
(じゃあローザンはわかる?)
(いいえ。何にもわからないわ)
(私もです)
(私もわかりませんねぇ。結界のせいでしょうか)
クレアが何らかの力を行使している間、アルフォンスたちはひそひそと話し合った。
ただ手を額に置いているだけ、なんてことはないだろう。それなのに、クレアが行使している力を誰も感じ取れなかった。
アルフォンス、ただ一人を除いて。
(……変なの。昨日の、リネアの力に似てる気がするんだけどな)
リネアの目覚めの余波の感覚は、今とほとんど同じだ。――それに。
(首飾りの力も……だよね)
首飾りの力は自分だけが気づけたとしても、リネアの目覚めの力は強大だった。なのに、みんなは思い出す素振りすらない。
相談しようとセルグを向いたアルフォンスだったが、口を開いた途端、言葉が出てこなくなった。
(……何て言えばいいんだ?)
『みんなが気づかない力が分かるんだけど』?
『昨日のリネア、特別な力を発したよね』?
言葉を押し留めたモノの名は、恐怖。民も世界も全てが『分類』され、『規定外』を認めない、この世が与えた恐怖。
これがリネアがいつも感じていた恐怖なのだ。その事に気づいたアルフォンスは、呆然とするしかなかった。
この世にあるモノは、全て『分類』される。例え民が混血しても、必ずどちらかの特徴で生まれてくる。両方の力を備えることはない。だからこそ、『混ざった』リネアは『規定外』として、全てに拒まれた。
(勘違いだ。そう、勘違いに決まってる)
リネアを拒む気持ちなんて、これっぽっちもない。
けれど、もし自分が同じ立場になったら?
(そんなの嫌だ!!)
界王の剣を持っているからだ。それで何となく、特別な力もわかってしまったんだ。そうに決まっている。
アルフォンスはそう無理やり結論付けて、救いを求めるような気持ちでクレアに視線を戻した。
(――ああ、そろそろ終わる)
けれどそうやって拒もうとも、アルフォンスは自分の感覚がどんどん鋭敏になっていくのが分かった。
今や、クレアが力を弱めていることが、目を閉じても判断できた。
「さて、もういいかな」
そういうと賢者は結界を解き、リネアのもとへ歩み寄った。アルフォンスたちもそれを見て、慌てて駆け寄る。
「リネア、リネア」
クレアが優しくリネアの名を呼ぶ。いつの間にか、リネアの姿はいつもの黒髪に戻っていた。
そして。
「――――」
「「リネア!!」」
ゆっくりと、目蓋が持ち上げられる。
まだ少し虚ろな目をしているが、もう安心だ。
「…………あねうえ?」
「へ?」
もしかして、まだ意識が混濁しているんだろうか。
一瞬そう思ったが、リネアの言葉に該当するかもしれない人物が、今なら隣りにいる。
「リネア、久しぶりね。……やっぱり、もっと早くに会いに来るべきだったわ」
彼女はリネアの真の姿と同じ色の、銀の髪。
「アネウ……ええ~っ!」
リネアは話しぶりから天涯孤独の身だと思っていた一行は、この事実にまたまた仰天させられた。
「ふふ、私はリネアの姉ではありませんわ。正確には母方の従姉妹です。リネアはそう呼んで慕ってくれていますけれど」
「あ、何だ。従姉妹だったんですか……」
(あれ?)
ちょっと待て。
リネアは両親が界王と血族だ。ってことは、この人……。
「私はリネアと同じく天王の孫に当たります。母は天王の三姉妹の次女、リネアの母君は三女ですわ」
「ワー、ソウナンデスカー……」
界王の血族ってこんな簡単に会えていいのだろうか。界王様は時に神とも崇められる存在なのだが。
アルフォンスは驚きのあまり、返事がカタコトになってしまったくらいだ。
「さて。リネア、お前はまだ、少し眠りなさい。アルフォンス君たちも私もクレア様も、みんなお前のそばにいるから」
「……はい」
「よし、いい子だ」
賢者の言葉に、リネアは安心した笑みを浮かべた。
自分の周りに誰かがいてくれる、その嬉しさと心地よさを噛み締めながら、再びリネアは眠りへ落ちていった。
「これで良し、と。じゃあ始めようか」
賢者がアルフォンスたちのほうを振り返り、ニコリと笑った。
その笑顔には、ファーミルで感じた威圧感などは、どこにも無かった。ごく普通に弟子を慈しむ、ただの師匠として賢者は微笑んだのだ。
「えっと、何をですか?」
「色々な話だよ。まだ理解できていないことも多いだろう? 私がリネアの代わりに話すよ。この子のことや、世界のことをね」
賢者が今までに見せたことのない、慈愛と悲哀がその言葉に満ちていた。
「……はい!」
アルフォンスたちは自ずと身を引き締める。覚悟を決める時がきたのだ。
無知な自分では、もういられない。知らない、では済まされない。
そして賢者より語られる、この世の全て。世界の真実。