砂漠を行く《陸》
「ちょ……っ。セルグ!?」
「セルグさん!」
「すぐに手当てを……!」
この大事に、外を調べていた三人も慌てて戻ってきた。
ラルフは武器を構え、三人に攻撃を加えようとするも、初めて顔に表情を――驚きを浮かべ、とっさにその場を動いた。
「!」
「……外したか」
どこか吹っ切れた様子のリネアが、こちらにやってきた。
リネアが放った巨大な火球は、ラルフがいた場所に大穴を開けていた。動かなければ一瞬で灰になっていただろう。
「リネア!」
「……。済まなかった」
アルがセルグの容態を告げる前に、リネアは詫びた。
――また自分は守れなかった。
(やっぱり……私は駄目だ、セルグ)
ラルフがリネアの術を阻もうと、武器を放ってきた。しかしリネアの術で簡単に封じ込まれる。
リネアは同時に詠唱なしで高位の回復魔法を発動させ、セルグの傷をほとんど治癒させた。体に突き刺さっていた刃も消えている。アルフォンスに付着した血液もだ。
「……っ」
「! あ、セルグ!」
先ほどまでピクリともしなかったセルグが、リネアの術で反応を示した。
まだ痛みのために意識は朦朧としてはいるらしいが、これで一安心だ。
「やったぁ! やっぱりリネアよ、素敵!」
「ええ、流石ですよー」
みんなが口々に喜びあう。しかしその中で一人、ニーナは喜び以上に驚きが勝っていた。
高位の回復魔法を詠唱無しに使うリネアが、純粋に畏れの対象として。
「さて――」
リネアがラルフに向き直る。
「この場は私が支配した。お前では太刀打ち出来ん。わかるな?」
向けられた杖に、ラルフが怯む。
当初の計画はこうだった。まず自分たちが魔法使い以外を相手にして、殺せたら殺す。魔法使いには精鋭部隊が向かい、捕らえる。
例え失敗したとしても、自分たちは時間稼ぎが出来れば良かった。そう、あの術まで。
(何故あの術が破られた――?)
あれは主が使う、最強の術だ。この町も消し飛ぶほどの。
「……」
「引かないのなら、消す」
リネアが杖に魔力を込める。ラルフを間違いなく殺す気でいる。
「リネア、駄目だよ!」
(殺したりしたらリネアだって傷つくのに!)
アルフォンスはリネアに駆け寄り、その手を握り締める。しかし、すぐにリネアによって払いのけられてしまった。
「……アル、私は選ばせた」
だから、殺す。
リネアの声に迷いはない。アルフォンスたちが想いを伝える隙間も。
(リネア……)
ラルフは実力の差を悟って諦めたのか、微動だにしない。
「でもっ、でもリネ――!」
「――それを消されると面倒だ。止めてもらえますか?」
「!?」
どこからともなく、聞いたことのない男の声が響いた。
「だ、誰でしょう?」
「それより、どこから……」
キョロキョロと辺りを見回すが、自分たち以外に人の姿は見当たらない。
みんなに聞こえているのだから、幻聴なんてことはないはずなのだが……。
「……。お手間をおかけします」
ラルフの言葉を待っていたかのように、それは現れた。
「「……!!」」
煙のように、という形容詞が正に当てはまる現れ方だった。
次第にはっきりとしていく姿は、あの僧侶だ。
「幻影族……っ!」
リネアの声が、気配が。怨みや憎しみ、怒りで染まった。
こんな声を人間が出せるのかと思うほどの、怨嗟の声だった。
「全く……。やはり人族は弱すぎる。雑魚ばかりだ」
最早、幻影族は隠れる気はないようだ。僧侶の姿を保ちながら、『自分は人族ではない』と言外に言っている。
「みなさんはそれなりに実力をお持ちのようだが。ああ、こんな雑魚しか手に入らなかった私は、本当に運が悪い」
「!!」
幻影族は何の躊躇いもなく、倒れている配下を踏みつけた。顔に浮かぶのは嫌悪の色。
「何してるんだよ、お前の仲間だろ!?」
「ナカマ? くっ、笑わせてくれますね。ナカマとは自分と同等の者でしょう?」
アルフォンスが叫ぶも、幻影族は笑って足元の配下を今度は蹴り飛ばした。
「ならばコレらは駒です。役立たずな、ね」
「……!!」
初めて感じる衝動が、アルフォンスを内から喰い破るかというぐらいの勢いで生まれた。
こんな感情は今までに無かった。だから、名前は知らない。だけど、あの幻影族の行為だけは赦せない!!
「ラルフだけは使える手駒です。人族では珍しく妖力が高い。だから消されると面倒なんですよ」
「アーサー様……?」
「まあ、これでお前の役目も終わりだが」
「っ! 避けろ!!」
リネアの叫びも虚しく、ラルフは僧侶に触れられた途端、突如その場に崩れ落ちた。
「妖力の補給はこうすれば簡単なんです。知ってました?」
躊躇いなく術を行使し、もう必要ないと切り捨てる。命と直結している力、特殊力を搾取して。
(何……これ)
幻影族は、確かに民族が違う。彼らは人族じゃない。
だからと言って、こうも躊躇いなく命を奪えるものなのだろうか。
「……んで……」
先ほどの慟哭は、衝撃の連続を前に形を潜めていく。吹き出た熔岩が地表で固まるが如く。
「何でこんなことするんだよ! 界王様が狙いなんだろ!? 何で僕たちを……!!」
「アル!!」
混乱気味のアルフォンスの問いを止めたのは、他でもない、リネアだ。
顔面蒼白になって、アルフォンスを見つめている。
「リネア……?」
「ははっ、これは傑作です! まさか知らないままだったとは……」
「何よ、どういう意味!?」
「ふふ、そこの魔法使いに聞いてみたらいい。誰よりも正確な答えを知っています」
リネアなら知っていると笑いながら告げる幻影族の言葉に、全員の視線がリネアに向いた。
「あの事があるから話せないのでしょう?」
と、幻影族は最高級の笑みをこぼした。
「わ、私は……」
恐い。
(話せば、絶対に恐れられる。嫌われる、拒まれる!)
恐怖から、リネアの呼吸が浅く不確かなものになっていく。
「……ァ」
「セルグ!」
まだ朦朧とする意識の中、ようやく目覚めたセルグは、必死に言葉を紡ごうと口を動かした。
言わなければいけないことがあると、朧気な意識で判断したからだ。自分に正直であるために、愛しい人へこれだけは。
「……ネア。……言わ、なくて……いい」
「――っ!」
「……お、前が、……嫌なら……言う、な……」
――涙が溢れそうだった。
リネアは目頭が熱くなるのを感じた。無条件で自分を求めてくれる人がいる。その事実だけで、十分だった。
なのに。
「リネア、僕もそれでいい! ええっと、ごめんね!」
「……アル」
セルグの言葉に触発されたように、口々にみんなが思いを告げる。
「あたしも! ちょっと混乱しちゃったけど、今はソイツが先よ」
「ですねぇ。無理に聞くのは気が引けますしー」
「はい。リネアさん、私たちは待ってますから」
「……みんな」
一人だけでも、夢のようだったのに。
(私はみんなを――信じる)
「おやおや、感動的だなぁ。ですが、もう遊びは終わりにしましょう」
幻影族は強力な妖術を、全員を吹き飛ばそうと一気に放った。
「……! 流石ですね」
しかし術は轟音が響いただけで、リネアの魔法によって相殺された。
「……その姿のままで私に勝てるとでも?」
「くっ、ははははっ! まさかあなたに言われるとは……。ええ、このままでは非常に困難ですね」
幻影族は笑った。とても、とても嫌な笑顔だ。
「ええ、仮初めの体は使いづらい。本来の姿に戻るとしましょう」
周囲に、一気に強大な妖力が漂い始めた。これが幻影の族本来の力。
本来の姿と力を取り戻していく幻影族は、まだ残る僧侶の顔のまま、ニヤリと血に飢えた獣のような笑みを浮かべた。
「全員殺してやる。あの時のように後悔するがいい」
「出来るものならやってみろ」
(私はもう、一人じゃない)
幻影族は現れた時のように、次第にその姿を現していく。時間にして十秒ほどで、真の姿が現れた。
ヒトのような形をしながら、まるで朧の如く、確たる姿を持たない民。それが幻影族だ。
「……あの僧侶はどこだ」
「ああ、それなら屋敷ですよ。酷使しましたから、死んでるんじゃありませんか?」
風に吹かれ、ゆらゆらとするその体は、今にも霧散してしまうのでは、とさえ思える。
それでも幻影族はそこに居る。
リネアの問いから間を置かずに、幻影族は先ほどとは比べものにならない強力な妖術を、いくつも発動させた。
「くっ!」
流石のリネアもこれは相殺出来ず、アルフォンスたちのもとで結界を張ることで耐えた。
「リネアさん、私もお手伝いします!」
「では私も」
ニーナとリューンも協力し、結界をより強固なものに変える。
「三つも特殊力が重なったか。これは厄介な……」
やっぱり遊び過ぎた、などと頭をかく幻影族の後ろで、何かが動いた。
(……?)
気づいたのはアルフォンスだけらしい。よく目を凝らしてみると、それは――。
「アル!?」
ローザンが叫んだ。当然だろう、いきなりアルフォンスが結界を飛び出したのだ。
「くっ、優しいですね。全く――愚か過ぎて反吐が出る!」
幻影族が放った術を、アルフォンスは間一髪で交わした。
その背後に庇うモノは――ラルフ。
「アル、さっさと担いで来なさい!!」
「!」
アルフォンスに気を取られていた幻影族に向け、ローザンの一撃が決まった。
しかし術はほとんど相殺されてしまい、影響は微々たるものだ。
「もう、ムカつくわね!」
けれどその隙に、アルフォンスはラルフを結界内に引き入れることに成功した。
あの時、息絶えたと思ったが奇跡的に生きていたのだ。
「アルフォンスさん、その方をこちらに!」
ニーナが結界を切って、ラルフの回復にあたる。
「ありがとうローザン、ニーナ」
「びっくりさせんじゃないわよ馬鹿! 結界出たら死ぬじゃないの!!」
「ご、ごめんなさい……」
ラルフが生きているとわかった途端、敵だとか危険だとかを考えるより先に、体が動いてしまった。
ローザンの言うことは正しい。自分は物凄い無茶をしてしまった。
「……あんたのお人好しっぷりには呆れたわ」
「ロ、ローザンさん」
「……けど、それがアルだものね」
「っ、ローザン!」
「ただし、次はただじゃおかないわよ!」
「うん!」
ニーナが結界を止めて回復にあたっている分、どうしてもこちらが不利になってしまう。
それでも。
「その方には色々とお尋ねしたいことがありますからねぇ」
「生かせるなら生かす」
誰もアルフォンスの行動に異議を唱えない。
やがて業を煮やしたのか、幻影族は術の威力を最大に引き上げた。
「――っ! みんな構えろ、破れるぞ!!」
リネアの言葉通り、怒涛の攻撃に耐えきれず、ついに結界が破れてしまった。
事前に言われたとはいえ、二重結界が破壊されるほどの威力を持った術だ。その余波を喰らい、どうしてもよろめく。
「消えろ、クズどもが!」
「!」
この状況下でもラルフを回復していたニーナが気に入らなかったのか、幻影族はニーナを一番の標的とした。
一点に凝縮した力を、その心臓めがけて放つ。
「ニー……! ……!!」
アルフォンスは途中で声を失った。
ニーナが座っていたところに、リネアが立ち塞がっていたからだ。
ニーナを庇い、術を喰らって、そして。
「リネアさん!!」
突き飛ばされたニーナは、悲鳴に近い金切り声でリネアの名を叫ぶ。
リネアは腹部から背中に貫通する重傷を負っていた。脇腹は真っ赤に染まり、血が流れ落ち、床に見る見るうちに血だまりを広げていく。
今も立っているなんて、奇跡だとしか思えない。
「リネアさん、今……!!」
震える自分の手がニーナの目に映った。
こんな傷、自分では治しきれない。先ほどの男性は、未熟な自分でも何とか命を取り留めることが出来た。
でも、こんな傷は。
「……ニーナ」
「は、はい! 今すぐ!」
だが、リネアはここでニーナに微笑む。
「私はお前を……今度は……」
リネアの瞳は、ニーナを通してニーナではないものを見ていた。
――記憶が交錯する。同じ金茶の髪と翡翠の瞳。幼い時、自分の過ちで失った友。
だが、ニーナはあの時守れなかった少女ではない。それははっきり理解していたはずなのに、それでもニーナを庇おうと体を押しのけた時、とっさのことで術が出なかった。
考えるより先に、体が反応したのだ。
(何があっても生きぬくために、血反吐を吐くだけ、修行してきたのにな……)
それでも後悔は一寸たりともないから不思議なものだ。
「??」
リネアの発言にニーナが戸惑っていると、何故か幻影族はリネアの傷の深さに焦りだした。
「僧侶! 何をしている、さっさと回復術を使え!!」
「え? は、はい?」
しかしリネアはニーナを制し、一行に血塗れのまま問いを投げかけた。
「なあ、みんな。……私が何者でも……受け入れてくれるか」
そう言ったリネアの顔は見えなかった。
「そんなの当たり前です! どうなさったんですか、リネアさん」
「そうだよ、早く怪我を治してよ!」
「今さら何言ってんのよ!」
「そうですよリネア。あなたらしくありませんよー!」
アルフォンスたちは全員が迷わず答え、リネアを受け入れた。
(……ありがとう。私は、もう迷わない)
その答えを聞いたリネアは、これ以上ないくらいの穏やかな笑顔を見せた。
それに何を察知したのか、幻影族は先ほどと同様、強力な攻撃を連続で仕掛けてきた。
幻影族の目には焦りでも侮蔑でもない、何かが浮かぶ。
(もう駄目だ……!)
アルフォンスは幻影族の波状攻撃に観念して目を瞑ったが、何も起きる気配はない。
(違う、何か……何かがある。何だこれ)
首飾りが光ったときも感じた、暖かな感覚。旅で覚えた四つの特殊力でも、気術の感覚でもない。
だが、確かにある。
アルフォンスが恐る恐る目を開けると、何と一人ひとりに強固な魔法結界が張られていた。
「リネ、ア……?」
屋根が無く、一面に広がる夜空。廃屋の上に来た月がソレを照らし出す。
見たこともない美しさの、銀の髪と金の瞳。
月の女神が、地上へと光臨していた。