砂漠を行く《伍》
「ならば話は終わりだ。ラルフ」
「はい」
ラルフが再び袖に手を引っ込めて、暗器を構えた。太い長針のような形状をしているそれを、指の間に挟む。
「一瞬で終わらせろ」
「はい」
ラルフが暗器を投げようとしたその瞬間、何故か動きを止めた。
「貴様っ、精霊使い……!」
「今度は私の勝ち、ですねぇ」
ギリ、と音を立てるようにラルフは睨みつけてきたが、リューンはそれを軽く受け流した。
リューンに重なるようにして、召喚された精霊は微笑む。
「私も密かに呪文を唱え、妖力を無効化させましたよー。さあ、どうなさいますか?」
「……っ!」
「妖力は物質を媒介することで力を強めます。逆に言えば、あなたの武器は、もう妖力で強化出来ませんねぇ」
ラルフはリューンの言葉が図星だったのだろう、攻撃を躊躇した。
「ラルフ」
しかし、男の声にビクリと体を震わせる。
「殺せ」
「……かしこまりました」
そしてもう一度暗器を構え直すと、ラルフはすぐに攻撃を開始した。妖力で強化されていないとはいえ、当たれば痛いでは済まない。
しかし、こちらもそう簡単にはやられない。
「甘いわよ!」
ローザンが巻き起こした風に、ラルフが投げた暗器は全て阻まれた。
「!」
「妖力で強化してない武器なら、あたしの風で十分よ。さ、次はどうするの?」
「……。もう一度だけ聞くが、魔法使いを引き渡す気はないんだな?」
「当たり前です!」
男の言葉に、ニーナが断固として拒否を示す。
「……面倒なことだ」
そう言って男は、机の上にあった小さな鐘を鳴らした。
鐘の音から数秒、アルフォンスたちは武器を持った大勢の敵に囲まれてしまった。
「魔法使い以外は好きにしろ」
いつもなら白兵戦で活躍するリネアの状態がおかしいため、ここは逃げるしか選択肢がない。
「ニーナは僕の後ろに!」
「は、はい!」
ガキン、と火花が散りそうなくらいの音を立て、アルフォンスは剣を受けた。
(こんな……!)
こんな時のために、腕を磨いたんじゃない。人の欲に抗うために、リネアに稽古をつけてもらったんじゃない――!
出会ってからずっと、暇を見つけてはリネアに稽古をつけてもらっていた。みんなのように強くなりたかった。剣をお飾りにしたくなかった。
だけど、人を斬るために力を得たんじゃない。
カタカタと、恐怖に手が震える。自分は、人を、斬れない。
(だめだ、このままじゃ……!)
アルフォンスが息を呑んだとき、リューンの新たな術が発動した。強力な目眩ましの術だ。それによって一行は、何とか館から逃げ出すことが出来た。
町はずれまでたどり着いた一行は、とりあえず廃屋の一つに身を潜める。
「あの人、何か様子がおかしかったよね」
「ですねぇ。こう、生気がないと言いますか……」
「それより、リネア。お前大丈夫か?」
「……ああ」
消えてしまいそうなその声に、言葉が真実でないことは明らかだった。
「……あの僧侶」
「ん?」
リネアが少しだけ、声に力を込めた。
「中に巣くっている。……幻影族が、いる」
「幻影族」
以前、ローザンと出会ったとき、リネアが話してくれた民だ。
『特に天界の幻影族、こいつらの動きが著しい。反逆民の中心的存在でもある。幻影族は妖力で相手の心の闇に入って傷を広げ、最後には体を乗っ取り、操り人形にする能力をもつ』
この言葉通りのことが、起きているのか。
「……事は一刻を争う。早々に追い出さなければ、あの僧侶の命が危ない」
「えっ!? 本当ですかリネアさん!」
「特殊力は『生命力』と同義だ。それを好き勝手に使われれば、体に必ず支障をきたす」
会話をする度、少しずつ、リネアの瞳にいつもの落ち着きと強さが戻ってきた。
(そうだ、一人じゃない。一人じゃないんだ)
リネアは必死に自分に言い聞かせる。『あの時』とは違う、と。だけど一人じゃないから――失ってしまうかもしれない。
(――いや。今度こそ、どんな手を使っても守ってみせる)
無力だった『あの時』とは違う。今は力を得たんだ。 ふと、リネアの脳裏を過去に起きたおぞましい光景がよぎった。
(二度と、二度と失ってなるものか!)
「リネア?」
「!」
急に押し黙ってしまったリネアを心配して、セルグが声をかけてきた。
「……すまない」
「いや、気にすんなよ。それより……」
言葉と同時にセルグが差し出した手を、リネアは一度だけ見つめた。
しかしそれを振り払い、突然リネアは部屋を出て行ってしまった。
「おい、リネア!」
驚いたセルグがすぐに後を追って部屋を出て行った。
「……一体どうなさったのですかねぇ」
「リネアさんの様子、ファーミルとはまるで違いますね。そんなに幻影族とは危険なのでしょうか」
「う~ん、僕はリネアから聞いたのが初めてだし……」
普通は他の民のことなんて、いくつか名前や特徴を知っているくらいだ。
リネアのように、その能力まで知っている者は限られている。一行に何らかの情報をもたらすのは、いつもリネアの役目なのだ。
「あ、セルグ。リネアは?」
セルグが消沈した面持ちで戻ってきた。リネアは隣りの部屋に閉じこもってしまったという。
「仕方ないわ。リネアも様子がおかしかったし……。明日、改めて話を聞きましょ」
「……そうだね」
重苦しく、暗い空気があたりに立ち込める。それを振り払うようにして、一行は眠りにつこうとした……のだが。
「ん?」
「どうした? アル」
「いや、何かさっきと同じ感覚が……」
「? 俺は分かんねえけど……。ローザン、お前はどうだ?」
「そうねぇ……ってウソ! ヤバい、さっきと同じ妖力を感じるわ!」
「ええっ!? なら早く……」
恐らくニーナは逃げましょう、と続けたかったのだろう。
しかし言い終わる前に、突然ラルフたちが空中から姿を現した。何らかの移動術だろう。
「――!」
「御命、頂戴に参りました」
再び、刃に月光が反射した。
「なんでここが……!?」
ラルフの言葉通り、今度の襲撃に手加減はなかった。確実に自分たちを殺す気でいる。
リネアの安否を確認できないまま、アルフォンスたちは一対一で敵を迎え打つ体制となった。
「はぁっ!」
「っ!」
この中で首領格と思しきラルフとは、セルグが相対した。
ラルフの体技も見事だが、数合打ち合った後、セルグに蹴り飛ばされる。そのまま追撃をかけようとセルグは動いたが、それはラルフの術に阻まれた。
「ちっ! 大人しくやられてろよ!」
「……」
「セルグ、チマチマやってんじゃないわよっ!」
一喝したかと思うと、ローザンは相対していた敵に風をぶつける。
「細かいのは苦手だけど、力技なら負けるもんですか!」
武器を持った相手に苦戦していたローザンだったが、廃屋の一部を破壊するほどの威力で相手を吹き飛ばした。
(うわ、すごっ!)
「――来たれ、闇を司りし者」
そしてローザンの術によってできた隙を狙い、リューンが呪文を唱える。
「我らに――」
「リューン、駄目だ避けろ!!」
「!」
だが術の発動まであと一息というところで、ラルフによって放たれた刃に中断を余儀なくされた。
「くそっ、リューン怪我はねぇな!?」
「え、ええ。ありがとうございます」
反応が遅れたリューンを引っ張って、セルグは何とか刃を避けさせた。避けなければもう少しで喉笛を切り裂かれるところだった。
また、ニーナは結界を張ることには成功していたが、攻撃術を会得していない。そのニーナに、ローザンが助太刀に入った。そのためリューンは、また一人敵にで立ち向かう。
「リューン、やれるか?」
「もちろんですよー。ご心配なく」
「じゃあ任せた!」
そう言うとセルグは、立ち上がったラルフに再び相対した。
「いい加減諦めろ、長引けば不利になるだけだぜ?」
「……」
「おい?」
ラルフはちら、と辺りを見渡した。
精霊使いは今、結界を張るのに成功した。後はあの中で呪文を唱えれば、決着が着く。もう時間の問題だ。僧侶たちも似たような状態。
剣士はまだせめぎ合っているが、すぐに仲間が助太刀に入るだろう。
ラルフはそう結論づけると、新たな武器を構えた。薄い鋼で造られた輪状の刃。
「まだ終わらせるわけに参りません」
「――来い!」
輪の中に人差し指を入れ、回転させて勢いをつける。そして狙いをつけると、セルグに向けてそれを投擲した。
一方のアルフォンスは、何とか自分だけでケリをつけようと、必死で攻防を繰り返していた。
(迷惑はかけたくない。自分すら守れないなんて嫌だ!)
無力な自分を今ほど悔やんだことは無い。界王の剣に選ばれたくせに、自分は誰も守れない。
いつも、いつもだ。
(僕も、僕だって……!!)
誰かを守る力が欲しい。いつ目覚めるかわからない強大な力より、ほんの少しの力を、今。
――僕だってみんなを守りたい!
「!?」
胸が熱い。何かが胸の辺りで熱を帯びている。
相手の隙をみつつ慌てて懐を探ってみれば、首飾りが何故か熱を帯びていた。
(……なんだ、この不思議な感覚)
剣戟を受けながら、それを再び服の中にしまう。
決して熱くはない、柔らかな温かさ。わずかだが、優しい光も帯びている。
次の瞬間、唐突に辺りは物凄い光と爆風に包まれた。首飾りの光でも、リューンたちの術でもない。窓の外からだ。
「え!?」
しかしチラリと目にした窓の外の光景は、何の変化もなかった。
確かに巨大な霊力を感じたと思ったのだが、気のせいだったのだろうか。
「そんな、馬鹿な!」
そこで最初に驚きの声を上げたのは、何故かラルフだった。
「おい、今のは何なんだよ?」
「……。教える必要はありません」
ラルフの手に武器が再び用意された。
セルグには何度となく避けられたが、まだ奥の手が残っている。
(何故アレが失敗したかは不明だが……)
自分が全員殺せばいいだけだ。
「ちょっと、今の霊力は何なのよ!?」
「一体、何が……? 僅かですが、妖力も混じってましたねぇ」
やはり巨大な霊力を感じたのは、間違いではなかったらしい。
「ローザンたち、外の様子を見てきて!」
アルフォンスも外の様子を確認したいのだが、相手がそうはさせてくれない。
どうやら幻影族に操られているのは一人ではなさそうだ。こんな事態に無反応なだなんて、普通じゃない。
「――っ。帰って来るまでに終わらせるのよ!」
「うん!」
ニーナは何か言い出そうにしていたものの、リューンによって止められた。
(ありがとう、二人とも)
自分のつまらない意地だ。それでも、この戦いに助けを求めたら……、何かが、失われる気がするのだ。
相手を術で気絶させたローザンたちは、アルフォンスに助力することなく、外の様子を見るために走っていった。
セルグが外の様子を見ようと窓に一歩近寄れば、再び円形の武器が飛んでくる。
「よっ、と」
しかしセルグはそれを、いとも簡単に避けた。
これは直線的な動きをするので、避けるのは簡単だ。最初に手元でひねりを加えるとブーメランのように相手に戻っていくので、その場合だけ背後に気をつければいい。
「……もらった」
「は? お前の攻撃なんざ……」
もう見切ってる、そう言おうとしたとき。
「セルグ、後ろ!」
「!!」
アルフォンスの叫びに反応して、直感的にセルグは右に飛んだ。
(糸!?)
指を差し込む輪の内側に、糸が通されていた。見たところ普通の糸ではない。その糸はラルフの手で操られ、武器は動きを変える。もう少しで背に喰らうところだった。
(ちくしょうっ……!)
間に合わない。
アルフォンスの声に反応して今の輪は避けられたが、体勢を崩してしまった。
だからアイツが新たに構えている武器は、かわせない。
(リネア……!)
どうして俺は、お前を守れない。
「セルグ!!」
アルフォンスの叫びにセルグが返したのは、苦痛の呻きと、血飛沫。
「セルグ!! 嫌だ、セルグ! セルグ!!」
涙で視界が滲んで、うまくセルグの様子を確かめられない。
(嫌だ……!!)
何で倒れるの。
何で体に刃がいくつも突き刺さったままなの。
何で体が赤く染まっていくの。
「……どけよ」
アルフォンスは眼前の敵を睨みつける。
僕は行かなきゃいけないんだ!
「そこを、どけぇええ!!」
アルフォンスの中で、何かがカチリと組み合った。勝つための動きは、剣が知っていた。
「はあっ!!」
剣を横に薙ぐようにして一閃させ、相手の武器を叩き落とす。
そして――アルフォンスは、人を斬った。
くず折れる人を目に映す暇もなく、アルフォンスはセルグに駆け寄った。
「セルグ!」
セルグに駆け寄った瞬間、鼻についた錆びた鉄の臭い。
――血の臭いだ。
「嫌だ、死なないで。駄目だよ。セルグ、セルグ!」
抱きあげれば、生ぬるい血液がべったりと手に付着する。真っ赤に染まっていくセルグの服が、全てを物語る。呼吸は浅く、呼びかけても返事はない。
「セルグ……っ」
お願い、助けて。――セルグを助けて!
涙ながらにアルフォンスは祈り、声にならない声でその名前を呼んだ。
その時、廃屋の屋根や壁が勢い良く吹き飛んだ。夜空が頭上に広がる。
土ぼこりを風がさらっていくと、隣室があった場所にその人はいた。少し顔色が悪いが、かすり傷一つない。
アルフォンスは、今度は声に出してその名前を叫んだ。
「リネア!!」