砂漠を行く《弐》
そうして、四日目の夜をむかえた。
この調子でいけば予定通り、明日の夕方には砂漠を抜けられるだろう。
今夜はオアシスで休息を取る。一行が立ち寄ったオアシスは、あまり大きくはないが、満々と水を湛えた池があった。
一行はこれまでリネアが魔法で精製した水を飲料水としていたが、それにも限界がある。水属性の術は乾燥した地域では使いづらいうえ、リネアの属性は火。水は苦手とする属性なので、水の精製は一苦労なのだそうだ。
そのためリネアに頼らずたっぷりと水を使えるオアシスに到着したという喜びは、何とも言えない安堵感と喜びを一行にもたらしていた。
「あー、やっぱり水も植物も大切! 砂漠なんかにいると改めて思うよ」
「ですねぇ。砂漠の人々がオアシスを大切になさるのも当然ですよー」
アイル以外の大陸にはローザンたちルマの一族ように、旅をしながら暮らす人々がいる。そうした中には、こういったオアシスを辿るように旅を続ける人々もいるのだ。
水は、命の源。
砂漠越えはそのことをアルフォンスたちに強く実感させた。
「じゃあお休み~」
そうして夜も更けると、一行はローザンの指示に従い、早々に体を休めることになった。
――やがてみんなが寝静まった頃、こっそりと動き出した影があった。みんなを起こさないよう気をつけつつ、影はオアシスの外へと向かう。
(……?)
そのことに気づいたのは、セルグだった。
もともと眠りが浅い上、気配が動くことには職業柄、人一倍敏感なのだ。
(んーと、アルはいるし、ローザン、リューン、ニーナ……。あ、リネアか)
月明かりで照らし出される人影は、自分を入れて五つ。
さっきの動いた人影はリネアで間違いない。
(……。よし、追うか!)
何となく言えず仕舞いだった実家のことを話せたためか、以前より心が軽い。
そうだ。一つ、吹っ切った。だから、もう一つ。
(そろそろ……ケジメつけてぇしな)
一度だけ夜空を仰ぎ、セルグはリネアを追った。
それから数分後。今度はアルフォンスがもぞもぞと動き出した。
(あー、喉渇いた~)
今夜は飲み水の心配はない。喉が渇いたら好きなだけ飲める。リネアの機嫌や体調も気にする必要はない。
そう思って起きたのだが、ふとおかしなことに気がついた。
(ん? 一、二、三……。……ってセルグとリネアぁ!?)
――ええ、今は月が綺麗な真夜中です。
(まあ進展があるのかどうか、ってトコだろうけどさ……)
間違ってもフツーの男女が夜中にするような『コト』は、起こり得ない。命を懸けてもいい。
だってセルグにそんな度胸があるわけない。
「……探してみるか」
野次馬好きの血が騒ぐ。
そう思って立ち上がったとき、アルフォンスは後ろから声をかけられた。
「アルフォンスさん」
「っ、ニーナ」
ぐっすり寝ているリューンとローザンを起こさないよう、ニーナは気をつけながらこちらにやってきた。まだ眠いのだろう、目をこすっている。
「どうされたんですか? 何か異変でも?」
「あっ、いや別に……」
まさか仲間の恋路を野次馬しに行く気でした、なんて言えるわけがない。
――ヤバい、ここは話題を変えなくては!
「ご、ごめんね。起こしちゃったかな? その、僕、喉が渇いて……」
「そうだったんですか。私もなんです、だから気にしないで下さい」
「そっか、じゃ水飲みに行こう」
「はい」
自分とて、起きた理由は喉が渇いたからだ。これは嘘じゃない。
しばらく行ったところで、ちょうどいい場所を見つけた二人は池の水を飲んだ。とにもかくにも、まずは水分補給だ。
「ふぅっ、スッキリしたぁ」
「はい。お水がこんなに美味しいなんて、初めて知りました」
ニコリと笑うニーナ。その笑顔が空虚だと、唐突にアルフォンスは思った。
「……あのさ、ニーナ。あの魔物との戦いのこととか、気にしてる?」
そんなアルフォンスの言葉に、ニーナは目をわずかに見開いた。
――自分なりに、笑顔をちゃんとつくれたと思ったのに。
(何で気づいてくれるんだろう)
夜風が、頬を撫でる。自分の些細な――いや、くだらない変化に、アルフォンスは気づいてくれた。
そのことが悲しいくらいに嬉しくて、ニーナは膝を抱えて座り直すと、この四日間で積もった思いを吐き出すのだった。
「……リネアさんって、本当に凄いですよね」
特に、あの魔物との戦いで見せた術は驚愕の一言だ。あんな術、自分は何年修業したって出来やしない。この砂漠越えでも、水という生命線を維持していたのはリネアだ。
それは諦めではなく、紛れもない事実。どんなに頑張っても、あの高みには登れない。
「ローザンさんだって……。私、何の役にも……」
「あのさ、ニーナ」
砂漠越えの間、確かにリネアとローザンは大活躍だ。それは揺るぎない事実。
だけど。
「ニーナはリネアでも、ローザンでもないんだよ。魔法使いや風使いじゃないし、賢者の弟子でもないんだ。だから、同じである必要はないと思うな」
「アルフォンスさん……」
思いがけない言葉に、ニーナは伏せていた顔を上げた。
「そうだな、目標にすればいいんじゃない? 僕もそうしてるよ。リネア、剣術も凄いからさ」
優しい、優しい言葉。自分の脆さも醜さも、全て受け止めてくれた言葉。
「ニーナ?」
「……ありがとうございます」
そう言ってニーナは両手で顔を覆ってしまった。
……間違いなく、泣いている。
(えっ、えーっ!! えーっ!?)
ちょっと待てちょっと待て、自分は何かやったか?
いや、大丈夫なはずだ。絶対に悲しませるようなことは言ってない。だけど、だけどどうしよう。
(誰か助けてぇーっ!)
まさかニーナは自分の言葉が嬉しくて泣いている、などとは思いもせず、アルフォンスはおろおろと取り乱すしかなかった。
やがてニーナが涙を拭いて立ち上がったとき、アルフォンスは精神的に疲労困憊していた。
その疲労度合は、砂漠越えより度合いが大きかったかもしれない。
「あの、すみませんでした、私の愚痴に付き合ってもらっちゃって。アルフォンスさんに慰めていただいて、とても嬉しかったです」
「え、あ、そ、そう? えーと、うん、役に立てたなら嬉しいよ」
嬉しかったなら、何でニーナは泣いたんだろう――などと考えてる時点で、アルフォンスはやはりダメな男だった。
仮にも目の前の女性に恋をしているのだ。このことをローザンが知ったら、抱腹絶倒は間違い無しである。
「じゃあ、そろそろ戻ろうか。これ以上夜更かししたらローザンに怒られちゃうよ」
「そうですね。……あら?」
「? どうしたの、ニーナ」
「あの、今あちらを誰かが歩いていたような……」
「へえ。セルグかな?」
「え? セルグさん、起きてらしたんですか?」
(わあ、またやっちゃった。墓穴だよ墓穴……。そもそもセルグを探す気だった、とは言えないよね)
思わず遠い目をしてしまったアルフォンスだが、何とかこの場を切り抜けようと頭を必死に動かす。
「う、うん。さっきさ、リネアとセルグが居なかったんだよ」
もう知ってる情報は先に出しておくべきだ。こうすれば自分の悪行(予定)はバレない。
ニーナが何かしらの判断をするだろうから、自分はそれに従えばいい。
「お二人がご一緒に……ですか」
そう思って言ったのだが、ニーナは予想外の反応を示した。
どこかしょんぼりとした、寂しそうな声を漏らしたのだ。
(え?)
リネアとセルグが一緒にいなくなった。このことを寂しがる必要があるだろうか?
もしローザンやリューンなら、自分と同じく『どれだけ進展するか』と喜ぶだろう。二人ともセルグの恋路を応援している。
(待てよ。まさか、まさかまさかまさか……)
もしかして、自分にとって最悪の事態が待っているんじゃないだろうか。
ネジ一本飛んでる上に恋愛鈍角三角形なアルフォンスの頭も、この非常事態には正常に働いた。
「ニ、ニーナ。ちょっと聞いていいかな」
「はい、何でしょう」
ごくり、と唾を飲み込む。
「……もし、かして。ニーナ……セルグのこと、好き?」
数秒の、間。
一秒が何時間にも感じられたアルフォンスだったが、祈ることはただ一つ。
(どうか勘違いでありますように……っ!)
しかし月明かりに照らされたニーナの真っ赤な顔に、その祈りは届かないことが判明したのだった。
「え、あ、その。わ、私……」
アルフォンス、見事に撃沈。
その場で言葉通りに沈み込まなかった自分を誉めてやりたいくらいだ。
(えーっ、何で!? ニーナがセルグに惚れるような場面あったっけ?)
出会った時からの出来事を思い出してみたが、どうしても思い当たる節はない……と思う。
もしかして恋に理由はいらない、とかそんなオチなのか。
「そ、そのぉ~。も、もし良かったら、セルグのどこが好きなのか教えてくれないかな?」
「え、ええ。あの、セルグさんって……、優しいし、逞しくて格好いいから……」
真っ赤な顔で、うつむかれつつコレ。
アルフォンスは本気で泣きたくなった。聞くんじゃなかった。
(否定はしないけどさ、『逞しい』が入ったら僕に勝ち目ないじゃん!)
貧弱ではないが、自分はどう見ても中肉中背、逞しいには程遠い。一人の男として、この答えはかなりの痛手だった。
「……そ、そっか……」
「?」
「何でもないよ、うん、何でもない。……さ、引き止めちゃってごめんね。もう戻ろう」
「はい」
自分はニーナが好き、ニーナはセルグが、セルグはリネアが好き。……何だこのややこし過ぎる四角関係。
アルフォンスは大きな月を見上げた。