砂漠を行く《壱》
砂漠や乾燥した草原など、荒涼とした大地が広がる。ここは中の海に浮かぶ新大陸、アイル。一行はここに、北ドーニャ大陸から精霊陣で楽々と移動していた。
この大陸は五百年以上前に発見されながら、長らく人が住むことを避けてきた土地である。
最初は犯罪者を送り込む土地として、次第に貧困にあえぐ人々が最後の望みを託して移住する土地として、二百年ほど前にようやく入植が始まったばかりだ。国となると、その歴史は百年に満たないものがほとんどだ。
アルフォンスらの出身地であるアスケイル大陸には、千年以上の歴史を持つ国がいくつもある。最古の国は三千年の歴史を伝えているという。それを考えると、この地が今も新大陸と呼ばれ続けるのは、相応しいのかもしれない。
やがて、一行はとある町に到着した。
この先に進む方法は三つ。海沿いを大回りして徒歩で進むか、海を船で行くか。または、小さめだが砂漠を越えるか。
海路を選択するのはセルグが可哀想に思え、なおかつ最短距離であることも手伝って、今回は砂漠越えで行くこととなった。
「よーし、この町で砂漠越えの準備しなきゃね!」
「この距離なら、およそ五日だろう」
事前に入手していた地図を手に、一行は準備のため話し合った。
砂漠の地図を必要とする酔狂な旅人はいるはずも無く、一行は隊商用のものを購入した。
よってこの地図には、隊商が通るいくつかの道が砂漠を横切るように示されている。この道を辿れば、まず野垂れ死ぬことはない。
道は途中でオアシスや遺跡、町などをいくつも通る。しかし専門用語や特殊な記号が多く書き連ねられたそれは、素人が細々とした情報を得るのには不向きだった……が。
「でかい隊商が通る道がコレだ。ちょっと長いけどな。こっちは短いけど古い道だし、やめたほうがいいだろ。俺たちは砂漠に慣れてないし乗り物がないからな」
「セルグさん、凄いですね。なんで古い道ってわかるんですか?」
「え? あ、あー……。ま、隠すことでもねぇか。俺は親父が隊商の頭領だからな、こういう地図は見慣れてるんだ」
「へえ、ってことはアンタ、本来なら若旦那なわけだ。あはっ、セルグが若旦那だなんておっかし~!」
「うるせえ! ……俺はこの道を選んだんだ、もう若旦那じゃねぇよ。親父も了承済みだ。……ちっ、これだから黙ってたのによ」
湿っぽくなるとか、両親が懐かしくなるとかではなく、セルグはからかわれるのを予測して隠していたようだ。
見事にからかわれたので、その努力は無駄になってしまったのだが。
「それならアンタ、これから買い物は全部やってよ。値段交渉もしっかりね」
「あのな、無茶言うな!」
「ふふ。メリコの市に興味を持たれたのも、家業が商いを営まれていたからなんですねぇ」
リューンの言葉に、セルグが照れくさそうに答えた。
「ん、当たりだ。やっぱ生まれたときから馴染んでたんだ、どうしてもそういうの気になっちまう」
「いいじゃん。旅じゃお金は節約しないとね! じゃあとにかく今日はセルグに頑張ってもらおーか!」
「へぇへぇ。わかった、やるよ」
どこか嬉しそうに言ったセルグだったが、誰にも気づかれないところで、ふと遠い目をした。
思いを馳せるのは、遥か彼方の故郷と、家族。
――俺は武闘家の道を選び、結果として実家を捨てた。
後悔はしていない。親も認めてくれた。自分の道は自分で決めろ、と。
それでも、それまで跡継ぎとして様々なことを教えてくれた親に、後ろめたさを感じているのは事実だ。
しかも自分は市や行商を訪ねるのがやっぱり大好きで、常に物品の価格変動を確かめたりしてしまう。もし家業を継いでいたら、根っからの商人だと褒められたかもしれない。
(なあ親父。親父が教えてくれたこと、こんなところで生かせそうだ。親父の言ってたことは正しかったな)
親父はいつも言っていた。『商売は機転が命だ。人生も同じ。だから判断材料である知識はいくらあっても足りん』と。
(武闘家になって商売の知識が生かせるなんて、誰も思わねぇよ。けど、生かせるんだ)
「よし、じゃあ買い出しに行こうぜ!」
町に入ると、砂漠越えのために必要なものが市にズラリと並んでいた。
今は海路が輸送の中心になってきたが、この周辺の町だけを回るなら、砂漠越えのほうが早い。
そのため砂漠を行く隊商が今も数多く立ち寄るのだ。一行は必要な物資を買い揃えるため市へ向かったのだが、その一部始終は。
「ウソ言うなよ、これの流通価格は半分以下だろ~?」
「おっちゃん、これも買うから二割引で!」
「そんなに高いなら他の店に……。あ、割り引いてくれんのか?」
セルグ、大活躍。
まるで水を得た魚のように、セルグは嬉々として交渉に当たっていた。
もともと人当たりのいい性格をしていることも手伝ってか、売り手が『仕方ないなぁ』と、絆されることも多かった。
(そういえば、セルグって買い物でお金足りなくなることはなかったよな……)
自分は小心者なので、とにかく計画を立てた。
リネアは必要最低限のみ購入。……自分みたいにお菓子などをコッソリ買ったりはしない(この前バレてローザンに怒られた)。
ローザンはたまに自分が気に入った物を追加で買い、『お金足りなくなっちゃった』となる。但しどれも有用な物で、無駄な物はない。
リューンとニーナはまだよくわからないが、きっと予定額を大幅に剰らせることはないだろう。
(……やっぱ、凄いや)
これはセルグが特技として、誇っていいものだ。アルフォンスは素直にそう思った。
そして、二日後。一行は旅慣れているローザンを先頭に、夕闇の砂漠を歩いていた。
砂の上は予想以上に歩きにくく、足を何度も取られながら進む。そうして砂丘を一つ登れば、砂漠が四方に延々と広がっている。終わりが見えない旅路は、かなり精神的にも疲れるものだとアルフォンスは初めて知ったのだった。
「じゃあ今日はここまでにしときましょ」
ローザンの号令がかかる。
砂漠の日中は灼熱の太陽が射し、無理に動けば死に直結してしまう。そのため日が高い時は避け、早朝と夕方になるべく歩を進めるのだ。
「っあ~、疲れたぁー!」
「まだ初日よ? ま、キツくなったら早めに言いなさいよ。途中で倒れられるほうが何倍も迷惑なんだから」
「はーい。……あのさ、砂漠の夜って綺麗だよね」
ちょっと唐突な気もしたが、アルフォンスはそう言わずにはいられなかった。
しかしみんなも同じ思いだったらしく、口々に賛同してくれた。
「なーんも無いからなぁ。本当に『一面の』星空だ」
「今宵は綺麗な三日月ですしねぇ。どことなく青みがかって見えるのが不思議ですよー」
「ええ、本当に。私、こんな綺麗な星空、初めて見た気がします」
「砂漠は砂嵐さえ無ければ、星見には最高だな」
「そうよね~」
全員が絶賛する、砂漠の夜空。
アルフォンスの故郷とは全く星の位置が違い、知っている星座は一つもない。それでも、美しさが損なわれるわけがなく。
「こんな星空見れるなら、砂漠越えも耐えられるなぁ」
「そうですよね。私も頑張ります!」
なーんて、お気楽会話をしていたのだが。
太陽が沈むと、砂漠に熱源はない。気温の調整を自ずと果たしてくれる動植物もナシ。つまり、夜は極寒。昼間の灼熱がウソのような寒さなのだ。
「いやあ、かなり冷え込むんだねー」
「アル、何でアンタ平然としてるのよ。リネアも!」
「まあ、そりゃあ……」
「ああ、それは……」
「「寒冷地出身だから」」
二人の声が被さった。
アルフォンスの故郷は、冬になると氷点下が当然となる。夏に『暖かい』はあっても『暑い』はない。リネアも高地出身なので場所は違えど、同じようなもの。時には河さえ凍り付く土地だ。
アルフォンスとリネアも寒くないわけではない。だが、骨までしみるような寒さに耐性のない四人は、想像以上の砂漠の夜に震えていた。
その主な原因は、まともな防寒具を用意し忘れたためだ。何せ知恵袋のリネアは感覚が違い、ご意見番のローザンは寒さを予想していなかったのだから。
「……リネア、お願い。手伝うから結界張って。この上着だけじゃ心許ないわ」
「わかった」
ローザンが手を摺り合わせながら言う。リネアはすぐに頷き、一行の周囲には球状の結界が張られたのだった。
これは霊力と魔力を合わせて作った特殊な結界だ。結界は風の出入りを防ぎ、気温も一定に保つという優れもの。もちろん砂嵐も防いでくれるので、結局は砂漠越えの間、毎日お世話になった。
ただ、リネアたちの力が発揮されたのは、何も防寒だけではない。
「――来るぞ」
砂漠に入って四日目のこと。ようやく日も沈みかけた頃、リネアが杖を構え、一見すれば何の異変もない広大な砂漠を見据えた。
「右二、左四だ!」
「あら嬉しい、ちょうど人数分ねっ!」
それに応じてセルグが気を読み、各自に告げる。ローザンは扇を構えると、すぐに術を発動させにかかった。
「全員伏せて! 一気に行くわよ!!」
せめて何をするのか言ってくれ!
そう思いつつも、アルフォンスは慌ててしゃがみこんだ。
「きゃっ!」
「危ねぇから伏せろ!」
唐突というか荒行というか、旅での突発的な出来事に慣れていないため、反応が遅れたニーナをセルグが引き寄せ、庇うようにして地面に伏せた。
「せー、のっ! ジート・ジープ・ジェーダ!!」
扇で起こした小さな風を、呪文を詠唱し、霊力で何倍、何十倍にも増幅させる。
時に風は鎌鼬のような巨大な刃となり、また時には全てを吹き飛ばす嵐となる。
(ぎゃー!!)
巨大な砂嵐が巻き起こる。
やっぱり先に何をするのか言って欲しかった。何とローザンは辺りの砂を吹き飛ばし、砂の下にいた魔物を、地上へ強制的に引きずり出したのだ。
「お前やりすぎだろ!」
「うっさいわね、一気に終わらせるわよ。日も暮れたってのに、こうもクソ暑いんだもの!」
どうやらローザンは砂漠の暑さにイラついて、こんなことを仕出かしたらしい。
……心臓に悪いから是非とも止めて欲しかった。
「来るわよ!」
突然体を覆う砂がなくなったことに驚いたのだろう、まだ少し距離はあるとはいえ、六匹の魔物が狂ったように突っ込んでくる。
魔物はまるで蠍のような姿で、強い日差しを反射させる、鎧のような分厚い外殻だ。高く掲げられた尾に刺されたら、人など一撃で死んでしまうだろう。
「さっさと終わらせることには賛成だ。……今回は私がやる」
あ、暑さが駄目な人がもう一人いた。
(リネアは寒冷地仕様かー……)
ローザンは機嫌の悪さをすぐ表に出すが、リネアはギリギリまで我慢する性格だ。
だからリネアの機嫌は分かりにくいのだが、今回はすぐわかった。……目が据わっている。
「リネアさん、私も……」
「いい、私一人で十分だ」
リネアはニーナの助力を断り、杖の先端の石に魔力を込めた。まばゆい紫色の光が輝き出す。
「――。在るべき姿を乱すこと、それは決して許されない」
だから、永久に眠れ。
(せめてもの贈り物。真にお前らを救えない、力無き私から……)
紫の光が四散したかと思った瞬間、魔物は全て動きを止めた。
その体には砂を固めて作られた刃が、幾本も的確に殻の継ぎ目に刺さっていた。いかに強固な外殻を持とうとも、その継ぎ目を狙われてしまえば脆い。
リネアは一撃で魔物を葬ったのだ。
「終わったぞ」
「……」
一瞬の出来事。
ニーナに至っては驚きのあまり、言葉が出ないようだ。
思い返せばリネアの戦闘をしっかりと見たのは、ニーナはこれが最初だ。あまりの実力に度肝を抜かれたのだろう。
(全員が通ってきた道だしなー)
こればかりは何とも言いようがない。自分は自分、と割り切るしかないのだ。
「リネア、お疲れ様。結局全部任せちゃったね」
「構わない。今夜は休息も十分に取れるからな」
そうだねー、などと話していたアルフォンスは、明るさが戻らないニーナの様子に気付けなかった。