世界最高権力者《参》
「師匠、火は大丈夫でしたか?」
「沸騰前だったけど、やっぱり怒られてしまったよ。火から目を離すなって」
「ベスさんは相変わらずのようですね。普段の世話をしてもらっている分、文句は言えないですが」
「そうだね。私はただリネアに早く会いたかっただけなのに」
……ええと、もちろん僕たちはこの二人の周りにいます。決して二人だけじゃないです。
(何これ何これ何これ何これぇええー!?)
どこぞの恋人同士の会話ですか。
っていうかベスさん(誰?)>賢者様で、やかん>法廷?
(さっきは気にならなかったけど……)
今は落ち着いて考えられる分、色々と突っ込みどころが増えてしまった。
先ほどと同じように突然現れた賢者は、リネアの隣に腰を下ろした。
窓際の椅子にセルグと自分が、中央の机の周りにローザンとニーナ、リュ-ン。ベッドにリネアが腰掛けていた。
さてさて。ここでよーく思い出してみよう、賢者様の言動を。
まず、登場して一発目。
『会いたかったよ。けどもう少しマシな場所で会いたかったな。私の可愛いリネア』
……もう十分だ、思い出すの止めよう。アルフォンスは頭を振った。
(突っ込むべきか!? 突っ込んでいいのかコレ!?)
アルフォンスの苦悩は顔に出てしまったらしい。ローザンが何とも言えない顔で頷いてくれた。
「ええと、賢者様。はじめまして、私はニーナ・キャズタと申します。お会いできて光栄です!」
「こちらこそ。リネアのお手伝いありがとうね」
「いえ、私は自分のやるべきことをしただけで……」
とーってもありがたいことに、今回は空気を読めないニーナが活躍してくれた。やった、話しかけるっていう第一関門突破だ。
「リネアから話は聞いてるよ。この子と仲良くしてくれてありがとうね」
「い……え?」
賢者の言葉に、ニーナの返事が濁った。
(あれ、お話なんていつされたんだろう。リネアさんは賢者様に会ってたのかしら?)
「ふふ、不思議そうな顔をしているね。直接会ってたわけじゃない、術で意思を飛ばしたのさ。だから正確には『話を聞いた』ではないね」
「そ、そうなんですか。遠くにいても意思の疎通が出来るなんて、便利ですね」
「うん、この術は重宝しているよ」
賢者は終始笑顔なのだが、どうも落ち着かない。まるで、こちらが見定められているような気持ちになる。
ニーナもそれを感じ取ったのかもしれない。ハキハキとしていた笑顔が、少し明るさを失ってきた。
アルフォンスはとりあえず会話が途切れないよう、自ら話しかけた。
「えーっと、賢者様」
「ああ、名前で呼んでくれて構わないよ。君たちはリネアが認めたのだから」
「え、あ、はい」
それは逆に、リネアや自身が認めない人物に名前で呼ばれるのは不愉快だ、と言っている。
また、リネアが認めるなら無条件で自分も認める、そういうことだ。
(どんだけ過保護なんだよ賢者様……)
確実に、ただの信頼ではない。心酔、愛着、執着。何と表現するのかは分からないが、言葉の端々から、態度から。それは確信できる。
リネアがあまり賢者様のことを語らなかったのも、今なら分かる気がする。これは自慢しないとか、そういった次元の話ではない。
……色々と話しづらかったのだ。
「ではシャルーラン様、一つお聞きしてよろしいですかー?」
「うん、いいよ。何だい?」
「わずか十七歳で賢者の位を得たと聞きましたが、えー、修行はどのようになさっていたんですか?」
「修行、ねぇ……」
クス、と賢者が笑った。今までの微笑とは違う。
これは、法廷で見せたモノと同じ笑みだ。
「私の父は武闘家、母は魔法使いでね。叔父は剣士、祖父は僧侶で祖母は吟遊詩人だ。だから修行に出たりはしなかった。師は実家で事足りたからね」
五大職がすべて身近に揃った家庭環境。そんな夢物語が本当に存在したとは、夢にも思わなかった。
「お察しのとおり、彼らは全員修めていた。さて、そこに特殊力や気力が高い赤ん坊が生まれた。どうなると思う?」
「家族総出で修行をつける……ですか?」
「正解だ、アルフォンス君。物心つく前から、遊びと修行は私にとって同義だった。別に嫌でもなんでもなかったよ。けど、それでも足りなかったんだ」
遊びと修行が同義で、それでも足りない?
何だそれは。どんな超人の言葉だ。しかも、五つ全てを行っての言葉なのに。
「十歳くらいで一人前の位は全部得たけど、家族はまだ早いと言って、それ以上の昇級試験を受けさせてくれなくてね。だから家を出たんだ。けど試験は毎日あるわけではないし、どんなに特例を含めても全て終えるのに七年かかってしまった、ってワケ」
――この人が人族かどうかの検査をやった人の気持ちが、今ならわかるとアルフォンスは思った。
最初は、検査なんて、失礼だと思った。きっとやった人はグレゴリーみたいに傲慢な奴なんだろうと。
だけど、違う。この人『が』異常だ。
「人ニシテ人ニ非ズ」
「!」
自分の考えが読まれたのかと、アルフォンスは驚いて顔を上げた。
だが賢者はニコニコと笑みを浮かべているだけだ。
「それが賢者の就任式で、私に贈られた言葉さ。どうだい? あながち間違ってないだろう?」
「……」
「ふふ、いいんだよ、素直に言って。これは気に入ってるんだ」
「え?」
「だって人なのに人ではないなんて、矛盾の極みだろう。うん、最高に愉快だよ」
実に楽しそうに、屈託なく賢者は笑った。その笑みと言葉に、みんな呆然とする。
「……師匠、あまりみんなをからかわないで下さい」
「ん? そんなつもりはなかったんだけどな。ふふ、気に障ったなら済まないね」
何を謝るのか、そしてなぜ謝らないといけないのか。
きっと賢者はそんなこと、考えたことはないのだろう。
「さて、リネアの顔も見れたし、そろそろ帰ろうかな。みんなに挨拶も出来たしね」
「もうお帰りに?」
「ああ、また会いに来るよ。私の可愛いリネア」
じゃあね。
そう言い残すと、賢者はまた唐突に姿を消したのだった。
賢者が去った後、部屋に広がるのは何とも形容しがたい沈黙だった。
(……さあ、どうしよう)
桁外れ過ぎて、賢者様について何も言えない。
そう思ったアルフォンスは、しばらく無言だったが、賢者の言動に呆気にとられたのは、リネア以外の全員だった。見事に押し黙ったままだ。
そして、視線は『リネア何か言って!』と訴えていた。
それがヒシヒシと伝わったのだろう、リネアがゆっくり口を開いた。
「……。何か、聞きたいことはあるか?」
「――あ、はい!」
「何だ、アル」
「えっと、――ベスさんって誰?」
「おいアル、最初にそれか!?」
室内の緊張感が、アルフォンスの質問で一気に緩んだ。
「えっ、だって凄く気になるじゃんか! 賢者様を怒る人だよ?!」
「う、それを言われると……」
実のところ、アルフォンスの頭を占めていたことは、法廷からずっと『ベスさんって誰?』だった。
ベスさん>賢者様の方程式が確立した後は、よって話半分にしか聞いてなかったりする。
「ベスさんは師匠が住んでいる塔、通称『賢者の塔』の近くの村に住む、魚屋の女将さんだ」
「さ、魚屋の女将さんが何でまた賢者様を叱ってんのよ?」
「いつも塔に魚を持って来てくれていたんだが、幼かった私の生活を心配したらしい。師匠の子育てでは不十分だと判断したと言っていた」
「うーわ、すごいねベスさんって……」
「五人も子を育てた人だから、経験豊かなんだ。ベスさんが身の回りの世話をしてくれるようになって、確実に生活が向上した」
「……えっ?」
リネアの言葉に、また室内の空気が固まった。
生活が向上?
だって一緒に暮らしてたの賢者様でしょ。流石に子育ては苦手だったとしても、何か違わないか、と。
「……師匠は、物事に執着しない。だから生活は最低限の物だけで行っていた」
けれどベスさんがやってきて、そんな賢者に反論したと言う。
「『賢者だろうが何だろうが、子育てするなら、まずは子供のことを第一に考えろ』と。その言葉を受けて以来、師匠はベスさんを認めた。今も日々の手伝いをしてもらっている」
何せ私は『料理』という概念はベスさんに教わったからな、などと爆弾発言もかましてくれた。
……確かに、そんな暮らしを送っていれば、子育てをしたことのある母親なら、賢者相手でも怒鳴ってしまうかもしれない。
「ね、ねぇリネア……」
そこまでリネアが話したとき、ローザンが恐る恐るといった風に口を開いた。
「なんだ?」
「さっきから流してたけど……。リネア、……賢者様に育てられたの?」
「ああ、そうだ。私は師匠に育てられた。師匠は師であるとともに、育ての親だ」
――じゃあ、リネアの。
その先は誰も言えなかったのに、リネアは事も無げに言った。
「私は両親を知らない。しかし、師匠やベスさんのような方がいて下さるから構わない」
「……」
嘘だ。
両親を知らず、母親を求め続けているアルフォンスには分かった。
自分とて、孤児院の面々は家族同然である。大事な存在だ。それでも求めずにはいられないのだ。
(けど、言わないよ。リネアが大丈夫って言うなら、僕は言わない)
それでリネアの矜持を守れるなら。
「リネアさん!」
一瞬の沈黙が流れた後、ニーナが真っ直ぐに前を見据えて叫んだ。
ニーナはリネアの本心には気がついていないだろう。聞かないのは、単なる同情だ。多分、自分以外は気がつけない。
同情して欲しいんじゃない。ただ、自分を見失わないための嘘を、見逃して欲しいだけということは。
「まだ質問か?」
「勿論ありますが、それは後々聞かせて欲しいです。だから、その……」
「?」
ニーナが何か言いにくそうに、体をもじもじさせた。
「どうした、何も気にする必要はないぞ?」
「そ、そうなんですけど、そうじゃなくて……」
ニーナの言い渋りように、流石のリネアも困り顔だ。
見かねたローザンが、すかさず助けを入れる。
「もしリネアと二人で話し合いたいなら、あたしたちは出ていくわよ?」
「あっ、いえ! むしろ皆さんにも居ていただかないと」
「そう? じゃ、さっきリネアも言ったけど、何も気にしなくていいのよ。何でも言って」
そう言ったローザンの言葉に腹が決まったのか、ニーナは再び前を見据えた。
視線の先にいるのは、勿論リネアだ。
「ま、まずお礼と謝罪をさせてください。チルト派の僧侶として、本当に申し訳なく、また有り難く思っています。事態の解決に尽力していただいて、……他の僧たちに被害が出ないように取り計らっていただいて、ありがとうございました」
事実、今回の事件に巻き込まれた自分には、何の影響もない。
この支部には巡礼で立ち寄っただけだし、所属する支部に帰れば、何事も無かったかのように過ごせるだろう。
この支部の僧侶たちは多少騒ぎが続くだろうが、精霊使いの組合のような事態になれば、支部ごと崩壊する危険性だってあったのだ。
「買いかぶるな。私は他の僧侶のために動くほど、お人好しではない」
「け、けど。事実です。リネアさんのおかげで、被害は最小限だったと思ってます」
リネアの言葉の真意に気づいたのは、一行の潤滑剤役であるローザンだけだった。
(『他の僧侶』……ね。ニーナのためには動いたんだ。リネアも素直に言えばいいのに)
リネアの性格上、そんなことは口が裂けても言うまい。しかしこうして言葉の端々にある真実を拾い集めれば、リネアが思いやり深い性格であることがわかる。
いつか、ニーナもそれを理解する日が来るだろう。
「まあ、どう考えるのもお前の自由だ。で? 『まず』がその話なら、本題は何だ?」
リネアの問いかけに、うっ、とニーナは言葉を詰まらせる。
しかし今度はそれも一瞬で、もう迷いはしなかった。
「私、どんなに自分が至らないか、皆さんと一緒にいることでよく分かりました。だから――私も一緒に、旅に連れて行ってくれませんか!?」
わずかに瞠目して、しかしすぐにリネアは笑った。
「もちろん私は構わない。しかし、それはみんなに聞くことだろう」
「は、はい。あの、みなさん……」
振り向いたニーナに向けられたのは、もちろんみんなの笑顔。
「大歓迎だよ! これからもよろしくね」
「おう。だけど組合と折り合いつけんの、大丈夫か?」
「ま、あたしたち余裕アリアリだから、慌てないで大丈夫よ」
「いっそ私たちもメリコに戻りますかー?」
あ、それいいねー。なんて話が進む。
「……そういうことだ、ニーナ」
「――はい! これからよろしくお願いします!」
こんなに迷惑をかけたのに、歓迎してくれるなんて思いもしなかった。
もっと、大きな人間になりたい。もっと、色々なことを勉強したい。
この人たちと一緒行けば、絶対にその夢は叶う。
(チーリス様、私は一度、あなたの御許を離れます)
それでも私は僧侶で在ります。私は僧侶である自分を恥じないために行くのです。
(主よ、どうか我らの旅路にご加護を)
そして十日後。六人となった一行が目指す地は、中の海に浮かぶ新大陸。




