世界最高権力者《弐》
静まり返った法廷で、賢者師弟の会話に口をはさめる者はいない。しばし、師弟の会話が続く。
「全く、お前は飽きさせない子だね。何故こんなモノを付けているんだい?」
そう言って賢者が手錠を一撫ですると、それだけで手錠は大きな音を立てて地に落ちた。
リネアは手首をさすりながら、こう答える。
「これを私にかけた人物を、法廷で証明するためです」
「おや。珍しく回りくどいことをするね。この前のようにさっさと暴いてしまえばいいものを」
この前、とは恐らく精霊使いの組合を指しているのだろう。
しかし、さっさと暴けばいいだなんて、随分と不穏なことを言うものだ。流石は世界最高権力者の賢者といったところか。
「まあ、お前の好きにすればいい。何でも叶えてあげるよ。それで? 私に何を望むんだい、リネア」
「この手錠に、法力を込めた者の判定を。今の私の立場では無理ですから」
「いいよ。お前の望むままに」
賢者が手錠に術をかけた。
手錠は鈍い輝きを放ちながら、まずは賢者を照らす。
「さて、いいかな裁判長」
賢者が呆けたままであった裁判長を呼んだ。裁判長は裁く側だというのに、その呼びかけに居住まいを急に正した。
「は、はい! 何でしょうか」
「今、私が使っている術はわかるね?」
「はい! 法力による、逆導の術です。法力を込めた者を順に照らしていきます」
今、照らされているのは賢者だ。手錠を外した時、術で法力を使用したのだろう。
次第に賢者を照らす光は薄れていくが、リネアを照らすことはない。手錠を見えなくしたとき、法力は一切使わなかったのだろう。
賢者を照らす光が完全に消えた今、次に照らされるのは――。
「グレゴリー、お前だ」
賢者が絶対零度の声で言い放つ。
グレゴリーが顔面蒼白になりながら、手錠から発せられる鈍い輝きを浴びていた。
「……っ、……!」
「この手錠は作った君たちが一番詳しいだろうけど、法力で錠をかけるものだ。――意味は分かるな?」
途端に、賢者の覇気があふれ出す。関係者であろうとなかろうと、誰もが心臓が握りつぶされるような感覚、恐怖を味わった。
「この手錠、使用許可は出したのかい?」
――きっと、笑顔で人を殺せるのだろう。
有無を言わせぬ圧力、そして殺気。
リネアの仲間である自分たちさえ、ひれ伏してしまいそうな気迫がそこにあった。
「さあ、どうする裁判長」
賢者の視線を真っ直ぐに受ける裁判長の心臓は、良く保ったなとアルフォンスは素直に思った。
「そ、僧正グレゴリー。あなたに手錠の使用逸脱容疑があります。ですから……」
「――違うだろう?裁判長」
ガタン! と音を立てて、裁判長が椅子ごと崩れ落ちた。顔面蒼白になって、全身は小刻みに震えている。
賢者の覇気、殺気は収まることを知らない。
「もう一度言え。あの僧侶には『何』がある?」
「ま、魔法、使いの……。不当監禁……」
「うん?」
何とか椅子に座り直し、裁判長は震える声で告げた。
「不当、監禁……罪を、請求、します」
「――ああ。それでいい」
絶対の権力を持って、絶大の力を従えて。
賢者はこの場を完全に掌握した。
「だそうだ、僧正グレゴリー。反論はあるか?」
「……っ。……私、は」
「私の可愛いリネアに手を出したんだ、覚悟は出来ているだろう?」
恐怖極まってか、咄嗟にグレゴリーはこの場から逃亡しようとした。
逃げられる可能性など、欠片も残されていないのに。
「おや。逃亡罪も追加だ」
そう言って賢者は、グレゴリーに右手を向け、何かを握り潰すような動作をした。
「――ぅわああああっ!!」
突然グレゴリーが床に伏し、悶え苦しみだした。
外傷は見当たらない。両手でかきむしるように、心臓をおさえている。
「そこの僧兵。さっさとこいつを連れていけ。目障りだ」
「は、はい! ただいま!」
――権力者であるとか、そんな理由でこの人物に逆らってはならないのではない。
抗ってはならないのだ。人が持つ理性と感情、それが叫ぶ。生き延びるために平伏せと。
グレゴリーは悶え苦しんだまま、僧兵に引きずられるようにして法廷を去った。
命の有無はともかく、二度と合間見えることはあるまい。アルフォンスはそう直感的に理解した。
「さて、茶番はこれで終わりだ。後はリネア、任せるよ。やかんを火にかけたままなんだよ。またベスさんに怒られてしまう」
「ふふ、ベスさんは怒ると怖いですからね。――後はお任せください。ご足労をおかけしました」
「いや。後でまた来るよ。じゃあね」
そして現れたときと同じように、賢者は唐突に姿を消した。
しばらく、無音の時が流れる。
「では、もうよろしいですね?」
静寂を破ったのは、やはりリネアだ。
「も、もうとは?」
裁判長が少し狼狽えながら言った。
「私を訴えたグレゴリーはいなくなりました。私は逆に被害者になりましたが、面倒なので、私は不在のまま起訴して下さって結構です」
「……。わかりました。特例……いえ、ご迷惑をおかけした、せめての償いです。相応の償いをさせることを誓います」
「ええ、よろしくお願いします」
裁判長は何か考えを振り払かのうように、ぎゅっと強く目を瞑った後、深々とリネアに頭を下げた。
こうして賢者まで巻き込んだ法廷騒ぎは、一応の決着を見せたのであった。
「リネア!!」
傍聴席にいたアルフォンスたちは、別の出口から出てきたリネアに駆け寄った。ニーナも一緒だ。
「ちょっと何よアレ何よアレ! 凄すぎるじゃない賢者様!」
「何よアレ……と言われても。アレが我が師にて賢者だ」
ローザンがわけもわからず叫んだ言葉は、みんなが言いたいことだった。
うん、何なんだよアレは。
「リネアさんっ! わ、わわわわ私、け、けん、賢者様を呼ぶなんて聞いてませんっ!!」
「ああ、あれはもう面倒になって……。いや、伝えないままで悪かった」
あの裁判、ニーナはリネアに、『考えがあるから』と言われて最後の審判を請求したのだ。
てっきりリネアがカイを助けたように、その頭脳を駆使して直接訴えを述べると思っていたニーナは、賢者の登場に一番驚いていた。
アルフォンスは、勿論賢者にも驚いたのだが、リネアの『素』のほうも気になっていた。
(リネアって面倒とかで物事を判断する人なんだな……)
第一印象は『冷静沈着』だったが、振り返ってみると、かなり感情的というか短絡的……なところが数多く思い出される。
(そういえば武闘大会の時とか、今回の僧侶への対応なんかそうだよなぁ。全部『面倒』の一言で切り捨ててたし)
「それにしても驚きましたよー。賢者様はあんなにお若い方だったんですねぇ」
「そそ、そうですよ! 私、てっきりお年を召した方だろうと……!」
「ええと……、師匠が自身で覚えていらっしゃらないから、はっきりしないんだが、恐らく今年で三十六だ」
「「三十六~!?」」
「ああ。前後差が一、二年はあるかもしれないが」
せめてその差は上乗せされますように。
アルフォンスは祈った。もっと若いなんて事実だったら、きっと立ち直れない。
「三十六で五大職を全部修めてるとか、有り得ないよ! ――や、ちょっと待って? ……違うよね?」
そうだ、違う。賢者様は『三十六歳で』五大職を修めたのではない。
「ん、ああ……。言ったほうがいいか?」
リネアがとても言いにくそうな顔をした。恐らく、過去にも自分のように気づいて、そして驚愕した者がいたのだろう。
「……こ、怖いけど言って頂戴。なんか気になって……」
「俺も……。ここまできたらもう全部言ってくれよ」
「そうか。……我が師シャルーラン・ガイラが賢者の位を得たのは……十七の時だ」
――本当に、本当に同じ人族なのだろうか。
妬みや嫉み、恨みからではなく、純粋に驚いた。本当に――。
「念のために言っておくが、師匠は紛れもなく人族だ」
先手を打って、リネアが言った。これも幾度となく繰り返してきた問答なのだろう。
「賢者は人族以外、どうあがいても特殊力の関係上、なれない。だがそれでも、十七という若い賢者を認めたくなかったのだろう。組合の古老どもは、様々な検査を施したんだ」
その結果、逆に賢者になる条件を認めざるを得なくなってしまったが、と付け加える。
「十七、十七、十七……」
「うわっ。ちょっと、壊れないでよセルグ! 聞きたいって言ったのセルグじゃんか」
「セルグ、五大職にまじめに取り組んでるものね。十八で見習いって普通だけど、ねぇ……」
人間離れした賢者の偉業は、もう神業だと思うしかない。
アルフォンスはそうやって吹っ切ったのだが、セルグは簡単にはいかないようだった。
「ま、とにかく無事に済んで良かったね!」
「まったくですよー」
もうこれでグレゴリーと関わる必要はなくなった。
リネアの安全も確保され、本来の目的、仲間探しの旅に戻れるのだ。
「さーて、とりあえずコレ連れて宿に戻りましょ」
コレ、とローザンに指差されたのは、未だに壊れたままのセルグだ。
(賢者様は凄いと思うけど、そんなに落ち込むほどかなあ……)
自分たちの中(ニーナも含む)で、五大職に就いているのは三人。
賢者の弟子、しかも魔法使いを修めているリネアを抜いても、この対応の差は凄くないだろうか。
(ニーナはあくまで『賢者様』に驚いてるだけだし)
どうやら自分と同じく、賢者様は別世界の人という考えなのだろう。
(じゃあ、セルグは……)
セルグに、続いてリネアに目をやる。
セルグは理解しているのだ。愛しい人、その想いと信頼を現在、最も受け取っているのは誰なのか、ということを。越えるべき存在は誰なのか、ということを。
そこまでアルフォンスが考えた時、ようやく立ち直ったセルグが立ち上がった。
同時に、アルフォンスの考え事は頭から消えていった。いや、視界に入ったもので打ち消された。
(……いつの間にか出来ているたんこぶには、突っ込まないでいこう)
あとローザンが自慢の鉄扇をパシパシ鳴らしているとか、ね。
こうしてアルフォンスたちは宿に戻ったのだが、一つ気にかかることがあった。
「リネアさん、リネアさん」
「なんだ?」
そう、リネアと楽しそうに話しているニーナだ。
ニーナはこの先、どうするつもりなのだろう。
「あ」
ふと、リネアが声を上げた。
「どうした?」
「師匠が来る」
「「え」」
全員の声が被る。
それから一瞬のうちに、部屋に人影が一つ増えたのだった。
「やあどうも。君たちがリネアの仲間だね」