交錯する思惑《参》
「ふざけんな……っ!!」
目の前が真っ白になって、何が何だかわからなくなって。
アルフォンスは気づくと剣の柄を握っていて、体をリネアによって押し止められていた。
「落ち着け、アル」
「何で、リネア!」
「……いいから落ち着け」
リネアの殺気を帯びた声に、ヒッ、とアルフォンスは音を立てて息を呑んだ。リネアの気迫に飲まれ、頭に上っていた血が一瞬で引く。
その言葉自体に力があるのではないかと思わせるほど、強い意思、籠められた感情。
(……リネア)
気圧されたのはアルフォンスだけではない。先ほどまで余裕綽々だったグレゴリーも、リネアの怒気に恐れをなしたのか、動揺の色を隠せていない。
「さ、さあ。迷うこともありませんね? ではノース殿と話を詰めると致しましょう、皆様は退出いただけますかな」
「はあ!? てめえ、ふざけんな! ニーナの上にリネアまで残していけるか!」
「セルグ、構わない。……私がこの程度の輩に負けると思うのか?」
「は? いや、そうじゃねぇけど……。っだー、違う! とにかく、そんなの俺は認めねぇぞ!」
先ほどのニーナへの脅しに含まれていた内容が頭から離れないのだろう、セルグはリネア一人が残ることに猛反発した。
自分と同じだ。恋した人を守りたい。
セルグの場合、リネアのほうが強いのは本人が一番理解しているだろう。だからせめて、肉体でなく精神が傷つく可能性を、全て排除しないと気がすまないのだ。
「そうよリネア。ちょーっと考え直したほうがいいと思うわ」
女性を軽視した発言に、ローザンもグレゴリーの言葉に怒りを隠していない。ちょっと、と言っているが、認めないと同義なのが良くわかる。リューンも同意見なのだろう、ローザンの言葉に頷いた。
「僕もそう思うよ。ニーナは心配だけど、もう少し粘ったほうがいいって」
「……。いや、構わない。グレゴリー、貴様の望みを聞いてやる。その代わり、話は全てニーナやアル達を解放してからだ。リューンの精霊召喚によって証明とする。いいな?」
「おい、リネア!」
今度もリネアはセルグを制した。だけど、先ほどとは違う。今のリネアは――笑顔だ。
「心配してくれて……ありがとう。けれど大丈夫だ、ただ待っていてくれ」
誰も、何も、言い返せなくなってしまった。
(嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ! お前一人残すなんて、俺はどんだけ情けねぇ男だよ……っ!)
セルグの心の叫びは、声にならない。まるで魔法で封じられてしまったように。
ただの勝負ならリネアへの心配なんかしない。むしろ相手の心配をしたほうがいいと思う。
(何で俺は守れない……!!)
力が欲しくてこの道を選んだのに。守る力が欲しくて、旅立ったのに。
「交渉成立ですね。ではノース殿は、控えの間に来ていただきましょう。皆様は宿へお帰りください」
リネア以外は不要。言外にそう言って、グレゴリーはカインをアルンフォンスたちの案内、もとい見張りにつけて広間へと追いやった。
「――リネアっ」
セルグがこのまま引き下がることに諦めきれず、リネアを振り向いた。
だけど、微笑んでいた。大丈夫、と。声に出さず言った。だから。
セルグは逡巡の後、迷いを振り払うように目を伏せ、笑った。俺もやれるだけやってみる。そう伝えたくて。
「みなさん!」
広間に着くと、ニーナが矢のように飛び出してきた。自分たちを心配してくれていたのだろう。
スッ、と目の端に広間から離れていく僧侶の姿が見えた。あれがニーナについていた見張りか。アルフォンスが周囲をさっと見渡せば、カインも目立たないように、アルフォンスたちから距離をとった。
「ああ良かった、みなさんご無事……、え? リネアさんは?」
「……ニーナ、相談があるんだ。お願い、何も言わず僕たちと宿へ来て」
「え、え? 何で、リネアさんは? アルフォンスさん、そんな……」
「大丈夫。リネアは話し合いをしてるだけだから。……大丈夫だから、お願い、とにかく宿に来て欲しいんだ」
「……」
ニーナは言葉を失い、ただコクコクと頷いた。小さく体を震わせ、涙を堪えている。
しかし、宿の部屋に着いた途端、緊張が緩んだのかニーナは泣き出してしまった。
「私が考えもなしに行動したから……! 私のせいです、リネアさんに何かあったらどうすれば……!!」
「そんなことないわよ、ニーナ。どうしてあんたのせいだなんて言うの」
「だって、何か変な話だって、よく考えれば気付けたはずなんです! それなのにわ、私が何も考えずに、リネアさんにお話をお伝えしたから、だから……っ!」
「ニーナの前にも、話を持ってきた人は何人もいたよ。ニーナのせいじゃない。それだけは間違いないよ。嘘じゃない」
「けど、けど、私が止められたかもしれない! それは私のせいだってことと同じです……っ」
――この国で再会したとき、リネアさんは私にこう聞いた。『主宰者は誰だ』って。
あの時、もうリネアさんは気づいていたんだ。自分の立場と、私の『急に決まった』という言葉で。
急に決まった巡礼の主催者を、賢者の弟子である魔法使いが気にした。
そのことに疑問を持たないなんて、何て私は馬鹿だったんだろう。何か不穏な空気を察知したからに決まってるじゃない!
「同じじゃないよ、ニーナ」
泣き崩れたニーナに、アルフォンスが手を差し伸べた。
「止められたかも、って言うなら僕たちもだよ。しかも現場に同行までしてたんだし。けど、それでも責任を問うって言うんなら、みんなの責任だ。だからニーナのせいじゃない」
「だな。連帯責任……でもないか。まあ似たようなことだよな。それよか、頼むぜリューン」
「ええ、お任せください」
「え?」
「えー、私の術によって私たちが解放された、という証明をリネアにお伝えするんですよー」
リューンが呪文を唱え、右手で空に紋様を描く。
「えー、では、今回は風の精霊にご助力をお願いしましょう」
やがて描いた紋様が光を放ち、室内に一陣の風が吹いた。
「もうリネアと会っているはずですよー。それにしても……霊力に対する防御がなっていませんねぇ、抵抗が全くありませんでしたよー」
「そんなの入ってすぐにわかったじゃない。だからリネアも精霊召喚を頼んだんでしょ?」
「いえー、私は感知能力はあまり高くありませんから、ローザンのように簡単に判断は出来ませんよー」
リューンが右手に霊力を集めながら、のんびりと言う。
「へえ~……って、感心してる場合じゃなかった。リューン、向こうの様子は分かる?」
「ふふ、今回は楽勝ですよー。あ、ですが……」
「はい」
キョロキョロと辺りを見回したリューンに、ローザンが大きめの椀のようなものを差し出した。それには並々と水が張ってある。
「用意しといたわよ。折りたたみの水盆なんて、精霊使いはいいもの支給されるのね」
「ああ、ありがとうございます。それでは……」
そう言うとリューンは再び呪文を唱えた。空中に紋様も新たに描くが、どちらも先ほどとは異なる。
「――言の葉を運ぶのは風、存在を示すのは光。映し出せ、風に波立ち光を吸い込む水よ。我にその力を貸し与えたまえ!」
風が、光が、部屋で無数に生まれた。
室内に置かれていた本は項がめくれ、布は舞い上がる。それなのに水面には波紋すら生まれない。
「あっ、リネアさん……!」
ニーナの言葉に、みんなが一斉に水盆に注目した。
大人の顔ほどの広さの水盆に、五人の視線が集まる。
「成功です。……ああ、ですやはりクルツァータではないので、声までは届かないようですねぇ」
「声まで届く術を自由に使われたら、占い師はみんな食いはぐれちゃうわよ! だけどこんな鮮明な姿見、初めて見たわ……」
「僕は姿見の術自体、初めて見たよ。すごいね、本当にリネアが映ってる!」
リネアは一人、どこかの部屋でグレゴリーを待っているようだ。恐らくここが控えの間だろう。
「にしても映像だけって、わかりにくいよな」
「文句言うんじゃないわよ。――あ、来たわ!」
扉が開く。
部屋に入ってきたのは二人、グレゴリーとカインだ。
早速何やら話し始めたようだが、リネアがすぐ一蹴したのがよくわかった。
「い、一応さ、賢者様との繋ぎをつける話し合いじゃなかったっけ……?」
「ふふっ。流石はリネアよねー。グレゴリーの奴、憤慨してるもの」
簡単に決着をつけさせないリネアは、まるで屈することを知らぬ王者のよう。
その姿に一応の安堵を得たアルフォンスたちだったが、ニーナは一人顔を青ざめさせていた。
「駄目です、このままだとリネアさんが危険です!」
「は? 何だよいきなり」
「この部屋は一番防御力が備わっていて、特に魔力は通常の十分の一以下しか発揮出来ないんです……!」
だから実力行使に出られたら、リネアさんは。
「なっ……」
セルグが言葉を失う。
一目散にリネアのもとへ駆けていこうとしたセルグの服を、誰かが掴んだ。
「んだよっ!」
「駄目です、待って下さいセルグさん!」
「何でだ、危ないって言ったのはお前じゃねぇか。リネアが心配じゃねぇのかよ!?」
「違いますっ!」
リネアを心配してのことだが、セルグの言葉はあまりにも辛辣だ。さっきまでのニーナを見て、リネアを心配していないなんて誰が考えるだろう。
しかしニーナはそんなことを言われても怯むことなく、真っ直ぐセルグを見つめた。
「確かに僧侶の私を信じられないのはわかります。私はリネアさんと喧嘩もしました。だけど、お願いです。どうか私の話を聞いて下さい!」
「っ……。……悪ぃ、つい……」
セルグもわかっているのだ、ニーナが本心からリネアを心配していることを。
ようやくセルグは落ち着いたらしく、場の雰囲気もだいぶ静まってきた。
……と思いきや。
「ちょ、みんな! ヤバすぎるわよ、リネア手錠かけられたんだけど?!」
「ええっ!? 何それ、おかしいでしょ!」
再び場が騒然となる。
いくら魔法使い相手でも、手錠をかけるなんて異常だ。
ニーナなどあまりの出来事に顔色が失せ、言葉も失ったのであった。