交錯する思惑《弐》
ある意味とても人間らしい、権力の亡者とも言えるグレゴリー。アルフォンスたちは一様に呆れを覚えた。
「そんな、グレゴリー様が……」
一方、部下のニーナは驚きを隠しきれない様子だ。
「ニーナのお気持ちはわかりますよー。ですが……、それなら尚更このままにしておくのはよくないのでは?」
「……。ああ、わかっている」
「「???」」
リネアとリューンはこれからの事について話始めたようだが、主語ナシの会話に周囲の面々はついていけずにいた。
「あ、あの。どういうことでしょうか?」
「そうだよ、僕たちを置いてきぼりにしないでよ」
「えっ? ああ、これはすみませんでした」
「さっきグレゴリーを放置しておくのはよくない、みたいなこと言ったよな。どういう意味だ?」
「えー、ニーナを見て思ったのですが、相手は上手く周囲の信頼を得ているようです。……つまり、私たちの味方になる僧侶はいらっしゃらないだろう、と」
「のこのこと行くのは……ってことね」
「だよねぇ……」
このまま行けば、絶対に何かの策略に巻き込まれる。
だけどリネアを見捨てる、という選択肢はあるワケがない。だから対策が必要だ。
「けど相手の出方もわかんないし、いっそ一度行ってみたら?」
「だよな」
「まあそうよね。悩むだけ無駄って感じ。リネアは?」
「……。行く」
「じゃあ決まりね。明日の朝一番に全員で押しかけるわよ!」
「なっ――、ローザン!」
「あ、やっぱり一人で行く気だったわね? こんなキナ臭い話、一人で行かせられるワケないじゃない」
「……だが」
「放っといたら寝覚め悪くなる事態になりそうだし、気にすんなよ!」
「そうですよー」
「それにさ、僕ら、仲間じゃん?」
その言葉に、リネアが僅かに瞳目した。やっぱり一騒動起きたなぁ、などと話していた一行は誰も気づかなかったけれど。
リネアは次に紡ぐ言葉を決めた後、心の中で懺悔した。
(ああ、どうか許してくれ)
巻き込むこと、危険な目に合わせることを、と。
わかっているのに、それでも一緒にいたいと願ってしまったから。
傷つけたくない。失いたくない。
だから、守る。
「そうだ、ニーナは何かあると悪いし、その……」
「いいえ、ご一緒します!」
「へっ!?」
今の今まで大人しく話を聞いていたニーナは、奮然と抗議し始めた。
「不穏な事態をチルト派の僧正様が引き起こすとのこと。見過ごすわけにいきません!」
「おいおい、上司だろ? いいのか?」
「僧正様にやましいところがないなら、問題ありません。でしょう?」
「ま、まあ……」
「それに、このお話を皆さんにお伝えしたのは私です。ご一緒に向かってもおかしくないはずです」
憤慨のあまり、まくし立てるように論ずるニーナに、アルフォンスたちは誰も反論出来なかった。
「そうですねぇ。案内役として来ていただいたらどうです?」
「リューン!?」
「確かにニーナが一緒でもおかしくはありませんしー……。様子見も兼ねて、どうです?」
「はい、お任せ下さい!」
こうしてアルフォンスたちは、翌朝、ニーナとともに僧正のもとを訪ねることになったのである。
「お早うございます!」
「おはよ、ニーナ。様子はどうかしら?」
「リネアさんに言われた通り、昨日のうちに皆さんがいらっしゃることは伝えました。ですが、特に変化は……」
「……流石に僧正だ、そこまで愚かではあるまい」
「え?」
「まあいい。行くぞ、案内してくれ」
「あっ、はい!」
館内に入ると、アルフォンスたちに一斉に視線が突き刺さった。
そう、集まった、ではなく『突き刺さった』。特に、一人に向けて。
無論、突然の訪問者を訝しむものも含まれているだろう。だがこの視線には敵意がある。紛れもない、魔法使いへの敵意が。
ニーナが支部長に用件を伝えると、初日に宿に来たカインという男がやってきた。
「では皆さま、奥へどうぞ」
その指示に従い、全員で行こうとしたその時。
「ああニーナ、君は行くな。お客様だけお通しするよう言われている」
「えっ、でもカイン様……!」
「ニーナ、言われた通りにしろ」
ぼそりとリネアが耳打ちする。
「下手に拒むと面倒が起きかねん。……いいな?」
「…………は、い」
(そんな。ここまできて仲間外れなんて……!)
悲しさと悔しさに、涙が滲む。
これではグレゴリー様は、やましいことがあると白状したも同然だ。
グレゴリー様は僧正という高位に四十才という若さ就き、次期大僧正の呼び声も高い、清廉潔白な人物。
まさかそのグレゴリー様に限って、やましいことなど、あるわけがない。そう思っていた。
いや、同時に相手が『リネアさんだから』信じきれなかった。
(私、何も変われていないじゃない……!)
気付いた事実に愕然とする。
さっき、みんなの視線がリネアさんに突き刺さるのを感じた。その時『魔法使いだからって蔑視はいけない』なんて、高尚なことを思ったくせに。
相手がリネアさんだから、魔法使いだから。僧侶のグレゴリー様に敵意があり、有ること無いこと言っている。
心の奥で、そう思ってしまった。
(リネアさんは言葉がキツいだけで、嘘は言わないのに!)
「わか、りました……。私はこちらで皆さんをお待ちしています」
「ああ。……いいか、ニーナ」
「……?」
「巨大な神の像は、いかに神聖でも近付けば全体が見えなくなる。見たくないものも見える。だが在ることは変わらない」
巨大な神の像。
「皆さま、どうぞこちらへ」
何か感じとったのか、使者が急に案内を急いだ。その横でリネアの言葉がニーナの脳内に反芻される。
近付きすぎると全体は見えない。けれど、在る。
リネアが何を言いたいのかよく理解出来ないのに、何故かその言葉が胸に染みた。カインに連れられて扉の向こうに消えていくリネアを見つめながら、ニーナは一筋の涙を流した。
(組合でもなんでも信じろ。それは自由だ。だが、全てを信じていいわけではない。これでわかっただろうニーナ。神の像は、近付けば『汚れ』もあるのだと)
五人は建物の奥へと進む。
そこはクルツァータでリューンに案内された組合の内部に雰囲気は似ていた。ここも静かで人の気配がしない。
だけど決定的に違う。クルツァータは人の気配が『なかった』が、ここは『排除している』。
「お入り下さい」
通された部屋にいたのは一人の男。
歳は四十の半ばだろう、立派な風格を備えた人物だ。
「お久しぶりです、ノース殿。賢者様はご健勝でしょうか? 他の皆様は初めまして。チルト派第三支部を預かります、僧正グレゴリー・イレオスと申します」
柔らかく、人当たりのいい笑み。何も知らなかったら、すぐに心を許しただろう。ニーナが信頼するのも当然だ。
「御託はいい。手早く用件を言え」
「おや、これは手厳しい。……まあ良いでしょう。用件は一つですよ」
賢者様に取り次ぎを。
「以前は私が至らないばかりに、ご不興を買ってしまいましたのでね」
ニコリとグレゴリーは微笑んだが、瞳は全く笑っていない。
部屋に嫌な空気が満ちていく。
「あんた、それ本気で言ってんのか?」
リネアが反論する前に、セルグが口を開いた。
「ちょっと、セルグあんた……」
「ローザン、構わない」
「だとよ。いいだろ?」
「もう、話は長引かせないでよ?」
「へいへい。さあ、答えてもらえるか僧正サマ」
「……はて、どういう意味でしょうかな」
「どうもこうもあるかよ。あんた僧正だろ? その年でもう準修士なのに、まだ欲張るのか」
「欲張るとは人聞きの悪い。私は向上への努力を惜しまないだけですよ」
何が努力だ。
アルフォンスはつい、そう叫びそうになった。
「……回りくどいな。くだらない」
「まあリネアの回答は言わずもがな、ですねぇ。さて、僧正様は何か策がお有りで?」
リューンがいつものように、のんびりとした速度で話す。しかし、その言葉には誰でもわかる棘がたっぷりとあった。
先ほどの憤りはどこへやら、アルフォンスはリューンの雰囲気に飲まれ――いや、むしろ引いた。
「そういうことだ。どうする? グレゴリー」
「おやおや……」
リネアはバッサリ断ったのに、他の仲間も責めているのに。
何故かグレゴリーは余裕綽々なまま。
「何で……笑ってるんですか。リネアの階級はあなたと同じで準修士だから、五大職で立場は同じ。だからリネアが断ったら、あなたはそれ以上強くいえないはずじゃないですか」
「ええ、立場上は。五大職の階級は、それだから面倒なんです。中途な位置ほど、もどかしいものはない……」
最後はまるで怨嗟を吐き出すかのように、グレゴリーは呟いた。
「ですから駆け引きが必要なのです」
「――! 貴様っ、まさか……!!」
「おや、さすがは賢者様のお弟子様だ。勘が鋭い。ですが、最初に気づかれなかったあなたの失態ですよ」
「ふざけるな!!」
激昂したリネアは杖をグレゴリーに向けた。
突然のことにアルフォンスたちも驚きを隠せない。大慌てでローザンが止めに入った。
「ちょ、リネア!? まず落ち着きなさいよ、何だっていうの?」
「この男……っ! 己の部下を、我欲のために質に取ったんだ!!」
「――な、に? それってニーナのことかよ?!」
「はは、もう少し差しさわりのない言い方をお願いしたいものですな」
まあ正解ですがね、と言ってグレゴリーは椅子から立ち上がった。
「愚かしいですねぇ……。露見すれば今の地位は全て失われる行為ですよー?」
「露見するはずがありません。キャズタは人質になっていることを、自分で理解していないのですから」
「そんなの、僕たちが話せばすぐにニーナはわかってくれる! そうしたらすぐに賢者様にも伝わる! すぐバレることじゃないか!」
「そこは次の手を打ってありますとも。抜かりはありません、ご心配は不要です。……さて、如何なさいますかな? ノース殿」
この男はやる。ニーナに確実に危害を加える。これは脅しじゃない。
嫌になるくらいわかってしまう。
グレゴリーは何とも下卑た笑みを浮かべて言った。
「ああ、もちろん私たちに危害を加えた場合、キャズタの命はありません。――そうですね、手荒な輩の好きにさせるのもいい案だと思いませんか?」




