交錯する思惑《壱》
メリコでの出来事から一週間。アルフォンスたちは隣国の、景観が美しいことで有名なファーミル公国にいた。
ヴィオーラには強く引き留められたが、いつまでもお世話になるわけにいかない。後ろ髪を引かれる思い、とはこのことだろう。
それと、ニーナはリネアと無事に和解したとは言え、一緒に旅をすることは叶わなかった。理由は職の制度や修行中の身であることなど様々だが、ニーナは本心から残念がってくれた。
サラリと拒まれないで良かったと、アルフォンスは本気で思った。もし『嫌です』なんて言われたら、淡い初恋が拗れて立ち直れなかっただろうなぁ、などと思ったり。
そんなこんなで一行は隣国のファーミルで、新たな仲間探しを決行することになったのである。
ファーミル公国はとても小さい国だが、僧侶の権力が強い。チルト派の大きな支部があり、点在する聖地には巡礼者が数多く訪れる。
つい隣国だから勢いに任せて来てしまったが、魔法使いのリネアにはメリコ以上に居づらい国だろう。そうアルフォンスは考えたのだが――。
「構わない」
と、いつもの一言。
気遣いでも何でもなく、リネアは本当に気にしていないようなので、一行は逗留を決めたのであった。
そうして公国に到着してから五日。これといった収穫が得られなかった一行は、次の国に行く準備を始めていた。
やがて国境に向かっていたとき、一行は向こうからトボトボとやってきた一行とすれ違った。
(……何か嫌な予感が……)
アルフォンスの予感は的中した。
国境の監視所にデカデカと掲げられていた文字は、何と『脱獄犯の国外逃亡を防ぐため、一週間の出国禁止令』。
つまり先ほどすれ違った一行は、国境を渡れずに引き返してきた人たちだったのだ。
「もうっ、何でよ!!」
「まあ仕方ない理由とはいえ、いきなり過ぎるよなぁ。一週間だけだからいいようなものの……」
セルグの意見は強制的に滞在を余儀なくされた人々の声でもあった。
ファーミル公国のように絶対君主制の国では、このような突然の命令が案外簡単に下されるものだ。いくら犯罪者の国外逃亡を防ぐためとはいえ、関係ない人々の移動を完全に制限するなど四大国ではありえない。
だから『一週間ならいいか』と、大抵の人は半ば諦めの形で妥協するのである。
アルフォンスたちが仕方なく昨日泊まった宿に引き返そうとした時、向こうに僧侶の一団が見えた。
一昨日も似た一行を見た。あれも巡礼の一行だろう。そう思って視線を他に移したとき、聞き覚えのある声がそちらから聞こえた。
「――みなさん! まだファーミルにいらしたんですね!!」
「えっ、ニーナ!?」
声に振り向けば、なんとその一団から、ニーナが笑顔で飛び出してきた。
「わあ良かったぁ! 次はファーミルだと言ってたから、もしかしたら会えるかなって!」
「偶然ってすごいわね。けど巡礼って、だいぶ前から予定が決まってるものでしょ? 言ってくれればよかったのに」
「それが、急に決まったんです。みなさんと別れた翌日でした。なので準備が大変で……」
「――ニーナ」
「はい? 何でしょうリネアさん」
ニーナの話を聞いていたリネアが、急に少し声を低くして言った。
「主宰者は誰だ」
「え? それは僧正のグレゴリー様ですけど……」
それがどうかしましたか?
と聞こうとした時、ニーナは一団に呼ばれているのに気がついた。
「あっ、行かなくちゃ! それじゃあみなさん、失礼します! 私、教会の宿坊にいますから良かったら遊びに来て下さいね!!」
そのためニーナは、わずかだが疑問に思ったことが頭から消えてしまった。
この何でもないやり取りを後ほど、ニーナは一生後悔する事となる。
ニーナが去ったあと、アルフォンスは俯いたままのリネアの顔を覗き込んだ。だが、それは何とも形容し難いものだった。侮蔑のような、怒りのような、はたまた虚無のような。
「ええと。リネア、そのグレゴリーって人、知ってるの?」
「知り合い……と言うには憚るな。知り合いたくなかった類いの輩だ」
「ふぅん、よっぽど悪いヤツなの?」
「……まあな。つまらない人間だ」
「一波乱、起きなきゃいいな。起きる気配、バリバリだけどよ」
「ですねぇ。まあ今は公国に留まるしかありませんしー、当面の宿を決めましょうか」
こうしてファーミルに再逗留を余儀無くされた五人は、昨日の宿へ引き返したのであった。
いつも通り男女別の部屋を取り、もう今日はくつろぐことにする。出国までは何をするでもなく、久々にゆっくりできる――ハズだった。
「お客様、お客様。いらっしゃいますか」
宿の主人の声だ。
男部屋の扉がコンコンと叩かれ、アルフォンスが対応に出た。
「はい、何ですか?」
「受付に男性のお客様がいらっしゃっていますが、お通ししますが?」
「はあ……」
初めて訪れたファーミル公国で、ニーナ以外に自分たちを訪ねてくる人物の心当たりなどない。
アルフォンスがどうしようかと悩んでいると、ちょうど隣の部屋からリネアが出てきた。
「ああ、女性の方々は別の部屋でしたっけ」
主人が何気なく言った言葉に、リネアが反応した。
「……。私に僧侶の客だな?」
「えっ?」
「ああ、ご存知でしたか。お通ししても?」
「構わない。但し用意があるので、しばらく間をあけるように伝えてくれ」
「承りました。それでは」
主人はそのまま帰って行った。
だがこの会話について、アルフォンスはリネアに質問しなければならないことが山積みだ。
「あの、リネア……」
「今からみんなに説明する。ローザンを呼んでくるから部屋にいてくれ」
「え、うん、わかった」
有無を言わさぬリネアの語調に、つい頷いてしまった。
リネアは部屋に戻ったので、アルフォンスも慌てて部屋に入る。
「お、アル。何の用だったんだ?」
「よくわかんないけどリネアにお客さんが……。あ、リネアとローザンも一緒にこっちに来るよ。何かリネアから話があるみたい」
「はあ……」
全員で聞いた方がいいということなのだろう。何となくそう理解したところで、まずリネアとローザンが部屋に入ってきた。
「悪いが時間がないので手短に済ませるぞ。いいか、これから僧侶が来るが相手にするな。するだけ無駄だ。以上」
「……」
手短すぎだろ。
全員こっそり内心で突っ込んだ。
「まあ会えばわかるが……」
再びリネアが口を開いたとき、部屋の扉が叩かれた。
「……」
と同時に、瞬時にリネアの顔が引き締められる。
凛と通った空気に、一気に部屋の中に緊張感が増す。
「……開けるよ」
リネアは無言で頷き、アルフォンスが扉を開けた。
そこに立っていたのは、一見して階級が高いとわかる壮年の僧侶だった。
「お初にお目にかかります。私は僧正のグレゴリー様に仕えております、カインと申します」
男は物腰も丁寧で、リネアがいなければ何も警戒しなかっただろう。あまりの穏やかな空気に、つい気が抜けてしまったくらいだ。
だが、あのリネアがわざわざ注意を促したことが引っかかる。
そして男の目には、偽りの何かが潜んでいた。
「本日はそちらの魔法使いの方に御用がありまして……」
「私にはない。いいか、帰ってグレゴリーに伝えろ。貴様に用はない、と」
「なっ……」
「失せろ」
まだ何か言おうとした使者を制し、リネアは杖を向けた。
まごうことなき殺気に使者も怯む。
「次はない。――失せろ」
リネアの地を這うような恐ろしい声と凍てつく視線に、使者は竦みあがった。
そしてまだ何か言おうと頑張ったようだが、結局は脱兎の如く逃げ出していったのだった。
その翌朝、何と再び使者がきた。別の男ではあったが、こちらも階級が高いのは一目瞭然。しかしリネアは全く意に介さず、同じような問答でさっさと追い払う。
使者が来る理由をローザンがそれとなくリネアに聞いたが、珍しく感情を露わにしたので――もちろん機嫌が悪化して――追求は諦めた。
やがて昼過ぎになると、今度はニーナが訪ねてきた。使者の対応に苦慮していたアルフォンスは、これ幸いと相談を持ちかけた。が。
「あのぅ、実は私も指示を受けてて……」
「ええっ!?」
ニーナによく話を聞いてみると、最初はただ遊びに来ようとしたらしい。
しかし出掛けにいきなり呼び出され、自分たちと知り合いだと確かめられたうえで、指示を受けたと言う。
「何故グレゴリー様は、私がみなさんと面識があるとご存知だったのでしょう」
「……」
リネアは黙り込んだまま、口を開こうとしない。
だがアルフォンスたちとて愚かではない。ここまでくれば、グレゴリーのリネアに対する執念が異常だということは、嫌でも理解できる。
「……ねえリネア、いい加減話してくれないかしら。全部とは言わないわ、ね?」
「ですねぇ。不測の事態に備えるためにも教えて頂けませんかねー」
「……」
はあ、とリネアは大きく溜め息をついた。
「……そうだな」
数秒の間を置き、やがてリネアがグレゴリーについて語り出した。
「まず、何故グレゴリーが私を知っているかだが……」
グレゴリーが初めて訪ねてきたのは六年前。
賢者であるシャルーランに、自分の出世に口添えを願いでたのだ。確かに世界最高権力者である賢者の口添えさえあれば、組合の役職など思いのままだ。その点は正しい。
しかし、グレゴリーは大前提を間違えていた。賢者の買収など出来る訳がないのだ。
「賄賂を山ほど持ってきたが、師匠に物欲などないからな。金や宝石など何の意味もない。そもそも相手に取り入る場合、贈り物は相手の好みを調べ尽くすのが当然だろうに……。とにかく師匠は、にべもなく話を断った」
リネアはここまで言葉を切らさずに言い切ると、今度は大きな溜め息を吐いた。
「だが、その後もあいつは諦めなかったし、今回はいい機会だと思ったんだろう」
最高権力者であり、世界最強の賢者。その賢者はおらず、たった一人の弟子だけが手の届く場所にいる。
どうにかその弟子を言いくるめるなりして、ツテを作るつもりなのは目に見えている。
「師匠が相手にしない者は、私も相手にしない。そういうことだ」
僧正だろうが、誰であろうがな。
リネアは乾いた声音でそう告げた。