日向の休息《伍》
道々、アルフォンスたちはカイから市での仔細を聞いた。
あの場所に集まる品々はその特性から、市の中でも特に高値で取引される。うまくいけば、一カ月は食いつなげる金銭が手に入るという。そのためカイのような生活をしている子供らは、危険を承知で盗みに走るというのだ。
「なーんか……。やりきれないわねぇ」
「いいんだ。ありがとう、お姉さん。この暮らしも、もう慣れたから……」
「カイ君は強いんですねぇ。そう言えば、リネアはどうやって騒ぎを鎮めたんですかー?」
「あ、それ僕も興味ある。リネアだしさ、何か周囲が絶句するようなこと言ってそう」
「ええと、全部は覚えてないんだけど……」
カイが記憶を手繰り寄せるように、目をキョロキョロさせた。
「オレは捕まって店主に殴られてたんだけど、急に止まったなと思ったら、お姉さんがいたんだ。女の人なのに、簡単に店主の手を掴んで止めてた」
(まあ、武闘大会の覇者だしな……)
先ほど見た店主を思い出す。体格はかなり良かったし、力もありそうだった。
普通ならリネアのような女性が、その拳を止めることなど出来まい。
「店主が怒ってたけど、お姉さんはオレに回復術をかけてくれた。その後、『こいつはコソ泥だぞ!!』って怒鳴った店主に……」
カイの瞳はその時の嬉しさ――いや、そんな簡単な言葉では言い表せない感情も思い出し、再び潤んできていた。
「『そうだな。だがコソ泥を生み出す土台、国や地域を保っているのはお前たちだろう。責任はお前たちにもある』って……」
コソ泥をするのは、生きるため。捨てられた理由なんてわからない。
お姉さんは、そんな状況が『いけない』って言ってくれた。
「『そもそも子供を捨てる親が悪い。そんな状況を作り出す国が、民が悪い。――ただ生きるものに罪はない。必要以上に罰を与える理由はない』……そう、言ってくれたんだ」
全部覚えていない、と言ったものの、カイはリネアの言葉全てを覚えていた。
それだけリネアは鮮烈な印象を与えたのだろう。方々から溜め息混じりの驚嘆がこぼれる。
「あの、お姉さんが言ったの、それだけじゃないんだ」
「え?」
「……オレたちも、悪いって。『お前のような立場の子供を生み出した罪は、確かに大人にある。しかし、盗みなどの罪を重ねていいわけではない。店主はやり過ぎたが、盗んだら罰を受けるのは当然だ』」
「「……」」
「『生まれを呪いながらも這い上がれ。罪を犯せばそれだけ人に見捨てられる。それが世の道理だ』……だから、働けって。それもあの場で店主に頼んでくれたんだ」
「ええっ!?」
「お兄さん達がやってくる直前だよ。店主も『確かに浮浪児相手だと思ってやりすぎた』って言って、オレが働くの認めてくれたんだ。話してみると……優しかった」
「そっか……」
そう言えば自分たちが到着した時、リネアと店主は喧嘩腰、というのとは少し違った気がする。
(何か違和感があると思ってたんだよなぁ……)
リネアは自分たちの姿を見て、店主との話をムリヤリ打ち切っただけなのだろう。
やがて宿が見えて来ると、それまで順調だったカイの歩みは、次第に鈍くなってきた。
(……そう簡単には行かない、か)
「ねぇローザン、リネアを……」
「ええ、わかったわ。裏口にいてね」
「あいよ。任せたぜ」
「え? あの……?」
会話についていけないらしく、カイが困惑した顔でアルフォンスの袖を引っ張った。ニーナも話がわからない、と言った風だ。
「えー、カイ君は宿に入るのは、緊張してしまうでしょう? ローザンがリネアを呼んだできてくれますから、待っていて下さいねー」
「……」
「そっちのが気兼ねしなくていいだろ?」
リューンとセルグの言葉に、よほど萎縮していたのだろう、カイは勢いよく首を縦に振った。
「じゃあ待っててね」
「あの! わ、私も行きます!」
「え?」
「先にお話がしたいんです。私、何も考えないで……っ」
「わかったわ。さ、行きましょ」
「――はい!」
二人は宿に戻ると、リネアの部屋の扉を叩いた。
「リネア、入るわよー」
ローザンが扉を開けると、リネアは奥の窓際に置かれた椅子に腰掛け、月を眺めていた。
リネアは部屋に入ってきた二人を一瞥したが、すぐ月に視線を戻す。そんなリネアの態度に、話し合おうと意気込んできたニーナも、出鼻を挫かれてしまう。
(まったく、二人とも不器用ねぇ……)
「リネア、まず伝言よ。市であんたが助けた男の子が、会いたいって裏口に来てるわ」
「……そうか」
「それともう一つ。――さ、ニーナ。言いたいことがあるんでしょ?」
「えっ?!」
突然の展開に、ニーナは戸惑ってしまった。まさかローザンからこんな唐突に話を振られるとは思わなかったのだ。
だが、リネアがあまりにもこちらに関心を示さないので、逆に意を決することが出来た。
「リネアさん。……ごめんなさい!」
迷わず、頭を下げる。
「私、市でのこと後悔してます。早まったことを言ってしまったって……」
他の方々のように事態を確かめもせず、子供を救った人を自分は勝手に責めた。
そして自分が気づかない振りをしていたことを、この人は身を持って示してくれた。
「たまに施しをして、それで終わりにしていました。私は何もしてこなかった……!」
わずかばかりの金銭や物資を与えて、あの子たちの生活が向上するだろうか。役立たないことはあるまい。けれど、それは一時的でしかない。
あの少年の言葉が、ぐるぐると頭を駆け巡る。リネアの言動は、自分にとっても衝撃だったから。
ついには耐えきれずに、涙がこぼれてきた。
「――お前は何もしてこなかったのではない。ただ、もう一歩踏み出さずにいただけだ」
ニーナはその言葉に、跳ね上がるように反応した。
窓から見える月を背後に従えるリネアは、まるで一枚の絵画のように美しかった。
「何もしていないなら、反省する事などないだろう。だが『事』があったから反省できるんだ」
「……その通りね。ニーナ、あんまり自分を責めなくていいのよ? 誰でも間違いや失敗はあるんだから。『悪いのは失敗を反省しないこと』って言うじゃない」
「ローザンさん……」
「どうだ、お前が誤ったところはどこだ?」
「私が、間違ったところ……」
私がしてきたことは。
支部ごとに定例で施しを行い、物資などを貧しい人々に与えてきた。けど、それは一時凌ぎでしかなくて。
「もっと広い視野を持つべきだったんです……。施しだけで人は救われない。本当に救いたいなら、この実態を国に訴えなければならなかったんです。たとえ……それが徒労に終ろうとも」
神の救いは、人の欲によって歪められる。
だから、少しでも努力をしなければならない。もしその徒労を厭うならば、弱者救済を生業とする僧侶の資格など、私にはない。
「……それが茨の道でもか」
「え?」
「国に抗えば、位の低い僧侶など簡単に消される。ただの自己満足で終わることもある。それでも、進むのか」
「はい。……もう後悔はしたくありません。カイ君のように明日に希望を持てない人なんか、もう見たくないんです!」
生を楽しめないまま生きるなんて、あんまりだ!
「……そうだな。ならば進め、ニーナ。望なら、私はお前の力になろう」
「リネアさ……、あ、私の名前……」
「お前は私を個人として認識した。なら、私もそれに倣う。それだけだ」
「――はいっ!」
リネアが笑った。
それはニーナが初めて見た、リネアの笑顔。夜空のような美しい黒い瞳が、月を後ろに従え、笑っていた。
やがて女三人が宿の裏口に行くと、すっかり打ち解けた様子の四人がいた。セルグに怯えていたカイが、その膝に座って楽しそうに話している。
「あっ、リネア! 待ってたよ~」
「悪かった、アル。……私に会いに来てくれたのか、カイ」
「は、はい!」
待ちわびたリネアの登場に、緊張したらしくカイの声は上擦った。座っていたセルグの膝からも飛び降りる。
「店主とはうまくやれそうか?」
「うん、いや、はい! あの、オレ頑張ります! 頑張って働いて、いつかこの宿みたいな立派な店にしてみせる!」
「そうか。……頑張れ。いつかまた、必ず訪れるから」
「本当!? 約束、絶対だからね!!」
「ああ。……約束だ」
果たすことは簡単な、だけど、だけど本当はとても難しい約束を――交わそう。
それが、わずかでも力になるのなら。
「ありがとう、お姉さん!」
純粋無垢なカイの笑顔に、リネアは胸が締め付けられるような思いがした。
それでも、自分ごときで誰かに笑顔を与えられる。それは、自分の力になり、みんなの力になる。
未来への――希望になる。
(だから、約束をしよう)
「あ、あの! ――とにかく本当に、ありがとうございました!」
「いや、礼は必要ない。大変なのはこれからだからな」
「けど、俺……」
「勿論、カイの気持ちは嬉しい。だが私に気を使うより、自分を大切にしてくれ。それと私の名はリネアだ」
「はい、ええと……リネアさん」
カイはリネアに頭を撫でられると、顔を真っ赤にした。
こりゃあセルグにライバルかな、とアルフォンスは思いつつ、自然と穏やかな笑みが浮かんた。
「ねえカイ、今日は僕たちの部屋に泊まっていく?」
「ううん、リネアさんにお礼言えたから帰る。店主のおじさんにも帰るって言ってあるし……」
待っていてくれる人がいる。その嬉しさにカイは顔をほころばせた。
「あ、じゃあカイは僕が送るよ。もう真っ暗だしね」
「あら、大丈夫? 迷わない?」
「では私がご一緒します。私ももう帰らないと行けませんので……」
「そうか? 悪ぃな」
――何だこの流れ。
どう聞いても僕がニーナに案内されるって流れだよなコレ。
「ねえ、ちょっと?」
「はは。まあいいだろアル。カイとニーナ頼んだぜ」
「う、ん」
仮にも一目惚れした相手だ。その人を頼むと言われて、文句を言う気はない。
(まあ、何かちょっと悔しいけど)
そうして月が夜空から照らすその道を、三人はあの市に向けて歩いていた。
「ねえ、アルフォンスさん」
「ん? どうしたの、カイ」
「その、リネアさんって、年いくつ?」
ーーうわぁ、確定。
カイの頬が赤くなっているのが、月明かりでも良く見えた。
(さっきもそんな予感したけど、ついにセルグにライバル出現か。しかも意外と強敵かな?)
「リネアは十八だよ。そう言えば、カイは何才?」
「俺はたぶん十二才。そっかー、六つ上かぁ……」
「カイ君はリネアさんのこと、気になるの? 凄い人だものね」
「えっ、あ、うん」
ニーナは天然なのか、少し的外れなことを言ったが、カイがリネアに惚れたのは事実だろう。セルグの恋路を応援しているアルフォンスとしては、カイが恋敵になるのは少し心苦しいのだが。
やがて店に着くと、帰りが遅くなったからか、カイが少し尻込みしてしまった。そんなカイを見かね、アルフォンスが店主に声をかけた。
「あの、先ほどの魔法使いの仲間で、アルフォンスって言います。もう夜遅くなったので、カイを送って来ました」
「そうか、すまなかったな。……ん? どうした、坊主。随分と大人しいじゃねえか」
「え、えと……」
「カイ君、緊張しちゃっているのね。大丈夫よ、思った通りに言って」
今度は的を得たニーナの言葉に背を押され、カイは店主へ一歩近づいた。
「あ、の。……た……ただい、ま」
一瞬、状況が飲み込めないのか店主はキョトンとした顔になった。
しかし、すぐに言うべき言葉を思い付く。
「おう、お帰り」
こうして無事にカイを送り届けた後、二人はニーナの僧房へと向かった。
「あの、送ってくださってありがとうございました。ここまでで大丈夫です」
ニーナがそう言ったのは僧房の手間の曲がり角だ。記憶が正しければ、ここを曲がれば十歩ほどで入り口のはず。
「そう? でも最後まで送るよ」
残り十歩だろうが、一目惚れの相手なのだ、出来るだけ長くいたい。
しかしアルフォンスの願望は、見事に打ち砕かれた。
「ありがとうございます。でも、僧房は基本的に男子禁制なので……」
つまり昼間に仲間と複数で来るならともかく、夜に男と並んで僧房に行くことは出来ない。そういうことだ。
(う、それもそうか……)
「そっか、じゃあ僕は帰るね。また今度会おう!」
「はい、必ずまたお伺いします」
そうしてニーナを見送った後、アルフォンスは宿への帰途についた。今度は迷わないよう、しっかり道を確かめながら。
(ええと、ここの角が薬草市だから……)
昼間とは違い、街に人通りはほとんどない。
その中を一人進んでいたのだが、宿が見えた瞬間、突如、体に悪寒が走った。
(!?)
寒さが原因ではない。これは、前にも一度だけ感じた。それは――。
アルフォンスが記憶を手繰ろうとした時、宿の方から誰か歩いて来るのが見えた。
見知らぬ青年だったが、何故か彼は此方を向き――笑った。静かに、それでいて美しく。
困惑するアルフォンスを尻目に、青年は闇へと姿を消したのだった。
(ああ、そうだ……)
あの悪寒の正体。
前に感じたのはあの時――ローザンと出会った、魔竜カリオンと対峙した時だ。向けられたのは、まごうことなき殺意。
あの青年から発せられたかはわからない。青年からだとして、何故殺意を向けられるかもわからない。
(あの人……何だろう、何かが……おかしかった)
何がおかしいのかもわからない。わからないことだらけだ。
しかし、仲間に相談するのは気が引ける。あまりにもあやふやだ。
あと数日でメリコは発つのだ。心配はいるまい。そう考え、アルフォンスは不安を振り払うかのように宿へ急ぎ足で向かった。
闇の中から自分を見つめる瞳の存在に、気付くことはなく。