日向の休息《肆》
「そう言えば自己紹介、まだだったよね。僕はアルフォンスって言うんだ」
「私はニーナと言います。チルト派第三支部所属の僧侶です。まだ見習いですけど」
照れつつ『早く一人前になって杖を授かりたいです』と言うニーナは、とても可愛いらしい。
(うわ、急に意識してしちゃった)
参ったな~、とドキドキしていたら、前方から見知った姿が駆けてきた。
「おい、アル! やっと見つけたぞ」
「セルグ、リネア!」
「帰ったらローザンの説教を覚悟しておくんだな」
「うっ……。あ、二人とも、こちらは道案内してくれた……」
「はじめまして。ニーナと言います。チルト派の僧侶です」
「……。そうか。仲間が迷惑をかけた。礼を言う」
ニーナとリネアの視線がぶつかった瞬間、バチバチッと音がしたような気がした。どこか雰囲気も剣呑になる。
「いいえ、迷惑だなんて。でもまさか魔法使いの方がいらっしゃるとは……」
「僧侶と違って魔法使いは、見聞を広めるため外に出ることを厭わないからな」
ニーナは笑顔だし、リネアはいつも通りの無表情だ。けど、いや、だからこそ恐い。
アルフォンスはどうにかしてくれと視線でセルグに泣きついたが、それは素気無く無視されてしまった。しかし、それも無理はない。僧侶と魔法使いの確執は子供でも知っている、世界の常識なのだ。
「あら、自分勝手な方が多いだけでは? 自由奔放も度が過ぎると大変ですよね」
「魔法使いはどこかの支部に籍を置きさえすれば、後は自由だ。どこぞの職がやっている、権力集中を防ぐためにもな」
「なっ……!!」
「世界を知らずに何故真理が理解出来る? 変わらぬ場所で祈り続けるても、変化は訪れない。そんな『教え』など、全く理解できん」
「……っ!!」
この勝負、もはや勝敗は決したようだ。
「せめてもう少し実力を伴ってから批判を述べろ。不愉快だ」
トドメの一撃。
あまりにも辛辣な勝者リネアの言葉に、敗者ニーナはぐっと喉を詰まらせた。その瞳は心なしか潤んでいる。
リネアは既に魔法使いを修めた身。一方、ニーナは見習い。ニーナはリネアの正確な位まではわからないだろうが、上位であろうことは特殊力を操る職に就く以上、一目で看破できるはずだ。
(やーばーいぃ~っ!!)
アルフォンスは冷や汗ダラダラだ。
リネアは仲間だし、ニーナは親切に道案内してくれたーーしかも一目惚れした人だ。
だから一方だけを庇えないし、両方嫌みの応酬をしたので『どっちもどっち』の状態だ。
(けど原因は、迷子になった自分なんだ! しっかりしろ!!)
まさかニーナをこのまま泣かせるワケにもいくまい。
「あ、あのさ! えーと、ニーナも宿に来ない? 他の仲間も紹介するよ! その、ムリにとは言わないけどさ、もし良かったら……。ねえセルグ!?」
「お、おう!?」
急に振られてセルグも驚くが、何とか慌てながらも言葉を返す。
「そ、そうだな。このアホ保護してくれた礼もしたいし……」
「ちょ、アホって僕!? しかも保護ってなんだよ保護って!」
「その年で迷子になるようなヤツぁアホでいいんだよ! リューンが人捜しの術を使えたからいいようなものの、こんな人混みの中で面倒かけやがって!」
ギャンギャンと今度は男二人の喧嘩が始まると、ニーナはまたキョトンとした顔をした。
「あの、……」
「――じゃないか! って、え、あ……。ごめん、何かな?」
「……あの、宿にお邪魔させて頂いてもよろしいですか?」
「えっ? うん、もちろんだよ!」
――暖かいな。ニーナは思った。
(とても愉快な人たちだし。せっかくだし、他の方にもお会いしてみよう)
出会いは大切にするべきだと教義にもある。確かに自分から行動すれば、いい友達を得られそうだ。
それは魔法使いが言ったことと同じ、というのは引っ掛かるけど――。
そんなニーナの心情を読んだのか、リネアは宿とは反対方向に足を向けた。
「おい、リネア?」
「……夜には戻る」
出逢ったばかりの頃には見た、彫刻のような冷たい顔。もう聞かないと思ってた、全てを拒むような堅い声色。
ニーナという存在が加わっただけの変化なのに、そんなリネアを追いかけることは誰にも出来なかった。
宿に戻るや否や、アルフォンスはローザンの雷、もとい説教を喰らった。リネアによるぎこちない雰囲気も、うっかり忘れていた雷のお陰で吹っ飛んだ。
「次に迷子になった時は探さないわよ、肝に銘じておきなさい!」
「は、はい……」
「えー……。ローザン、私のほうで何とか出来ましたし、今回はそのへんで……」
「本当にリューンのお陰よね。ま、だから今回はこのへんで勘弁してあげる。……アル、何か言うことは?」
逆らえない。反論なんか不可能だ。なんか院長先生より怖いよローザン。
「ごめんなさい僕が迂闊でした以後気をつけますお願いですから許して下さい」
「よろしい。……あ、ごめんね。見苦しいとこ見せちゃって」
「あ、いえ……」
「いまお茶を淹れるから、ゆっくりしていって?」
オホホ、と取り繕う気満々の笑みを浮かべつつ、ローザンはお茶の用意を始めた。
「念のために聞くけど、リネアはいつもの単独行動よね?」
一瞬、場の空気が固まった。
けれど今までリネアのことを聞かず、尚且つ『念のため』と言うのは、全部わかっているのだ。 リネアがニーナとの職絡みの確執により、一緒に戻らないのだと。
「ったりめーだろ。リネアが迷子になった日にゃ太陽が西から昇るっての」
「ふふっ、全くですねぇ」
アハハとセルグたちは笑ったが、アルフォンスはこめかみを引きつらせた。
流石に自分がダシにされているのはわかる。
(くそっ、何で迷子になったんだよ自分……!!)
いつか見返してやりたいが、そんな時は永遠に来ない気がする。
「ニーナって言ったわよね。いまいくつ?」
お茶をカップに注ぐローザンが、後姿のままで言った。
「私は十五歳です」
「私より十も下ですかー。こう……何か、自分が年寄りになった気がしますねぇ」
「あ、リューンて二十五なんだ。けど二十代で年寄りってのは……」
「いやー、結構思うところがあるんですよー。アルも私の年になったらわかりますよー」
「ふーん……?」
――来年は二十歳になるローザンが、後ろで動揺してお茶をこぼしていたのは誰も知らない。
お茶を飲んで一服した後、四人は夜に帰ると言ったリネアを待つ間、再び市に出向くことにした。今回はニーナの案内付きだ。夕暮れの中、地元の人オススメの店を案内してもらっていた。
そうしてしばらく歩いていると、今度は大衆むけとは少し違う、特別な薬効が売りの店が建ち並ぶ場所に出た。
「ここは少し雰囲気違うのな」
「ええ、ここはこの市でしか買えないような、珍しい薬草が集まります。だから、縋るような思いでいらっしゃる方が多く……」
死から逃れるために、最後の望みを託し、この場所に集まる人々。
道理で賑やかな中心部とは雰囲気が違うはずだ。
「あら? ねぇ、何かしら、あの人だかり」
ローザンが指差した先に、確かに人だかりが出来ていた。
そこをよーく見てみると、知った姿がその中心いた。
「おいおい、リネアじゃんか!?」
リネアの姿を確認するや否や、セルグはすぐに駆け出していってしまった。それを追ってリューンも行ってしまい、ローザンがため息をつく。
「もうっ! ねぇニーナ、あたしも様子を見てくるわ。あなたは?」
「え……」
「あの、ニーナ。もう遅いし、今日はこれで……」
「…………いえ」
「ニーナ?」
「行きます。主もお困りの方を放って逃げることなど赦しません!」
「いい返事ね。じゃあ行きましょ!」
騒動の渦中にいたリネアは、店の前で一人の男性と相対している。
「おいリネア! 一体どうしたんだよコレ」
「大丈夫ですかー?」
「セルグ、リューン。……みんなも来たのか」
リネアが人の輪を押しのけて近づいてくる、仲間たちに目を向けた。
一瞬、それまでの鋭さがなくなったが、ニーナを見つけて、それは瞬く間に戻ってしまった。
「リネア、何があったの?」
「……もう終わった」
「おいアンタ、こっちはまだ……」
「くどいぞ主人。先ほど言ったことが全てだ」
リネアと相対していたのは、どうやらこの店の主人らしい。商人というより、その体躯は職人のような厳つい風貌だ。
「だが……」
「いい加減にしろ。同じことを何度も言わせるな」
「……。ったく、わかったよ。もう行ってくれ」
そこでリネアが人の輪から出た。
雰囲気は先ほど別れた時のまま、いや、それ以上に峻険かもしれない。
ローザンとリューンはリネアのこんな姿を初めて見るため、些か戸惑っているようだ。
「リネア、大変だったね。……何があったの?」
「……アル、終わったことだ」
リネアは誰とも顔を合わせようとしない。纏う空気が『放っておいてくれ』と言っている。
「リネアさん、そんな言い方、酷いです! あなたを心配して言っているのに!」
「……。お前には関係ないだろう、僧侶」
「わ、私にはニーナという名前が……」
「お前は私の名前を呼んでも『魔法使い』としか見ない。ならば私もお前を個人として認識する必要はない」
「……!」
その指摘に、ニーナの表情が凍りついた。
「所用がある。帰りは遅くなるが気にするな」
「あっ、リネア!」
アルフォンスは手を伸ばすが、リネアの手を掴むことはできなかった。
「……。あの、私が……」
「……難しい問題ですからねぇ。ゆっくりでいいんじゃないですか? もう暗くなって来ましたし、帰りませんか?」
「そうね。じゃあ、ニーナを送ってきましょう」
「え? そんな、大丈夫です」
「遠慮すんなよ。女の子一人を、夜の町に放り出すワケに行かねえだろ」
「え、あ……。ありがとうございます」
(く、暗くて良かった!)
そう思ったニーナの顔は、セルグの何気ない気遣いの言葉に、真っ赤になっていた。ここにとても面倒な四角関係の火蓋が切って落とされていたのだが、幸か不幸か、気付く者は一人としていなかった。
市から離れ、町外れの方へしばらく歩いたところで、ニーナが暮らす僧房に到着した。ここは女性の僧侶が共同で暮らす建物だ。
「ではここで……」
「ちょっと待った」
「え?」
帰ろうとしたニーナを止めたのはセルグだ。近くの植え込みを睨みつけている。
「さっきからチョロチョロと……。何の用だ? 出てこい」
数秒の間、臆したのか、相手は動かなかった。
だが意を決したように思い切りよく飛び出してきたのは、まだ幼い少年だった。
(ルディック?)
月明かりの下、茂みから出てきた少年。その容姿はアルフォンスが村で弟のように可愛がっていたルディックそっくりだった。
「なんだ、ガキか。どうしたんだ?」
「……、あの……」
セルグの問いに、少年は言葉を詰まらせる。
別に何も気にしなくていいのに……とアルフォンスは思ったが、少年の出で立ちを改めて見て、その理由がわかった。
少年は浮浪児だ。
親もなく、アルフォンスのように育ててくれる孤児院もなく、一人で生きることを余儀無くされた社会の被害者。
擦り切れた服、ボサボサに汚れた髪。こんな格好の少年に対しての風当たりなど、容易に想像がつく。
「……。ねぇ、君の名前は何て言うの?」
「えっ?」
「僕はアルフォンスって言うんだ。よろしくね」
差し出した右手を見て、少年が動揺する。
――こんなの、酷い。
「え、えと……。オレはカイです」
少年はおずおずと右手を差し出し、アルフォンスの手を握った。
「カイか、よろしくね。僕たちを追ってきたんだよね。何か用があるのかな?」
「あ、はい。その、……」
「ゆっくりでいいよ。待ってるから」
「……っ」
――酷すぎる。
少年が言葉を探すのは、相手の気に障ることを言わないため。
保護者のいない彼らは、そうやって身を守るしかない。相手の顔色を伺いながら生きなければ、無用な暴力を振るわれてしまう。いや、存在するだけで被害を受けることだって。
(そんなの、この子達のせいじゃないのに)
もしかして自分も、カイと同じ運命を辿っていたかもしれない。
そう思うとアルフォンスはやりきれない気持ちで一杯だった。
「……あ、の。お兄さん達は、あの人の、知り合い……なんですよね?」
「あの人?」
セルグが聞き返したら、少年は面白いくらい縮み上がった。
「セルグ、ここはアルに任せましょ」
「……おう」
怖がられたことがショックだったらしいセルグは、肩を落として数歩下がった。
「あはは、大丈夫だよ。みんな優しい人だから。ね、カイ」
「あ、俺の名前……」
「いきなり呼ばれるの、嫌だった?」
少年はフルフルと首を横に振る。――心なしか、笑っているようにも見える。
「じゃあカイ、あの人ってどんな人のことかな。教えてくれる?」
「うん。……あの、黒い髪の、すごい綺麗なお姉さん」
リネアか。
少年の説明で思い当たる人物は一人しかいない。
「うん、その人は僕たちの仲間だよ。リネアって言うんだ。リネアがどうかした?」
「……さっき、市で……」
「市で会ったの?」
「そ、そうなんだけど……。そうじゃなくて……」
「?」
「…………ありがとうございます、って言ってないから」
「え?」
緊張がとけてきたのか、少年は口調がだいぶ柔らかくなった。繋いだままのアルフォンスの右手を強く握り締める。
「俺、さっき市で盗みをしたんだ。……けど、バレて捕まって、たくさん殴られて、もう死ぬんだって思った……っ」
「……!」
「けどお姉さんはそんなオレを助けてくれたんだ! すごい回復術だってかけてくれたし、周りの人に色々言ってくれたり……っ」
やがて少年は、大粒の涙を流し始めた。
先ほどリネアが市で騒動に巻き込まれていたのは、この少年を助けたからだったのだ。
「あんなこと俺なんかにしてくれたの、お姉さんだけなんだ……!!」
アルフォンスの後ろで、誰かが息を呑んだ。