日向の休息《参》
「うっわあ、凄くいい匂い……!」
一行は薬草の匂いにむせ返る、世界最大の薬草市に訪れていた。
ここは北ドーニャ大陸の東に位置する周国、メリコの首都トーワだ。
年に二回開かれる市には、世界中から沢山の人々が押し寄せる。薬草や香草の取引を商いとする人、様々な理由で買い求める人、目的はさまざまだ。
そんな中で一行はこの地に訪れたのだが、それには訳があった。事の発端は、北ドーニャに着く寸前のローザンの一言だ。
「そういえば、そろそろメリコで市が立つ頃よね。今回はあたしの幼馴染もトーワで店を出すらしいのよ。よかったら行ってみない?」
「ローザンの幼馴染? その人もルマなの?」
「そうよ。もともと小間物屋の娘だったんだけど、薬草の知識がずば抜けててね。遠縁のメリコの薬草商の養子になったの。今年から店を正式に継ぐんだって」
「じゃあ行こうぜ。一度は薬草市に行ってみたかったんだよなぁ」
「おやー、意外ですねぇ。セルグは薬草に興味が?」
「や、市そのものに興味が……。って、まぁいいだろ、そんなことは。行くんだろ?」
「そうしてくれると嬉しいわ! あたしも会うの五年ぶりなの!」
「じゃ決まりだね!」
こうして行き先はすぐ決定したのだが、リネアが言ってはいけないあの一言を言ってしまった。
実は本人以外気づいていて、話を円滑に進めるため黙っていた一言を。
「……いいのか? 船を乗り継いでいくが」
そこでセルグが音を立てて固まったのは、言うまでもない。
この船の目的地は、ドーニャ帝国の南東部の港町、サン・サルドだ。しかし市が開かれるトーワや、ドーニャ帝国の首都ニーチェがあるのは北西部。
徒歩なら数週間かけて大陸を横断しなければならないが、サン・サルドから別の船で二日かけて北に上れば、ドーニャ帝国のサン・トールと言う町に精霊陣がある。精霊陣はもう使えると、組合から精霊族を通して伝えられたので、ここからニーチェに一瞬で移動出来るのだ。ニーチェからトーワまでは、徒歩で二日もあれば十分。
「むり、無理だああああっっ!!! あそこは波が高いことでも有名なんだ、行ってもいいけど俺を置いて行け! そんな海で船に乗れるかっ!」
「あんたねぇ、いつまでも腑抜けたこと言ってんじゃないわよ! 一度言ったら守りなさいよ!」
「るっせぇ、これはもう脊髄反射なんだよ!」
……などという舌戦を繰り広げた後、当然のごとくセルグが打ち負かされ、全員でトーワに行くことが決定したのであった。
トーワに到着後、すぐにローザンの幼馴染の店は見つけられた。その店はメリコでも有数の規模を誇り、誰に尋ねても場所を教えてもらえたのだ。
「ローザン!! 本当に来てくれたのね!」
「ヴィオーラ! 久しぶりね!」
十年の歳月をこの北の地で過ごしたせいか、ヴィオーラという人物は、ローザンの蜂蜜色の肌より、だいぶ薄い色をしていた。
服装もこの地域の衣装を着ていて、一見して彼女がルマ出身だとわかるものは何もない。
しかしローザンとはしゃいでる様子を見ると、ああ、やはり二人は同族なのだと思われた。
それはどことなく似ている顔立ちであったり、今も失わない独特の空気がそうさせるのかもしれない。
彼女は薄い菫色の髪と瞳をしており、商人とは思えない儚さがあった。しかしその印象は、すぐ始まった元気なおしゃべりで、見事に吹き飛ばされたのだった。
「ヴィオーラ、紹介するわ。一緒に旅をしている仲間なの」
「まぁ、あなたが旅を!? あなたが一族を出るなんて思いもしなかったわ。よっぽどのことがあったのね。長と喧嘩でもしたの?」
「あのね。あたしそこまで単純じゃないわよ」
「やあねぇ、冗談よ。さ、ローザンのお友達なら大歓迎よ。ご滞在は我が宿にどうぞ。薬草商と兼業してるのよ」
店の表口から一行は入店していたが、その広さに実は圧倒されていた。宿も兼業しているというなら、豪華さはもちろん驚きだが、この広さは納得がいく。
「え、そんな。大丈夫です、宿は自分たちで用意できますから」
「遠慮しないで。この店の主は私だもの、誰にも文句は言わせないわ」
「いや、文句っつーか、なぁ? ローザン」
「んー、ここは甘えちゃわない?」
「是非そうして。ローザンを連れてきてくれたお礼よ。私、会えて本当に嬉しいの」
商人としての優秀さの一つ、押しの強さを見せた一方で、無邪気に笑う彼女の笑顔に負け、アルフォンスたちはここでお世話になることにした。
こうして各自、部屋に案内されたわけなのだが。
(どうみても……最高級だよ。三ツ星だよこの部屋!!)
第一に、一人部屋だというのに部屋が三つもある。最初の部屋にあったソファーの大きさに、新しい形のベッドかと思ったくらいだ。
その奥の扉は浴室へ……と思いきや、これまた特大なリビングルーム(らしき部屋)。おそらく最初の部屋は応接間で、ここはプライベートルームなのだろう。……多分。
スイートなんかと生まれてこの方、縁のない自分には、何がなんだかわからない。
そしてそこから更に続く左右の扉。
右の扉は、この部屋だけで十分だと思える寝室に繋がり、当然ながら窓からの景色も最高。左の扉は、下手したらここで一部屋とれるくらいに広い浴室へ。
(…………ああ、駄目だ耐えられない)
建物自体が豪華なので、ある程度、部屋も豪華だろうと予想していた。だが、これは予想の範疇を超えて……いや、超えすぎだ。
(こんなだだっ広い部屋に一人で寝転がっても緊張するだけだし! 僕には無理だよぅ……)
こんな部屋が似合ってしまいそうなローザンやリネアはいい。二人はいたって優雅に過ごしてそうだ。リューンも驚きはしそうだが、普通に過ごせそうだ。
セルグは……。セルグは…………?
「リューン、お邪魔しまっす!」
アルフォンスは優雅なんて言葉とはかけ離れた勢いで、リューンの部屋の扉をぶち開けた。
「おやー、アルもですかー」
「『も』ってことは……」
ちろっ、と視線をリューンの向かいに座る人物に動かした。
「よっ」
アルフォンスの予想どおり、そこにはセルグがいた。
セルグも自分と同じく委縮し、リューンの部屋に避難するだろうとアルフォンスは踏んだのだ。
しかしこの豪華絢爛な部屋に萎縮する様子はなく、むしろ寛いでいるように見えた。しかもお洒落なカップで紅茶なんか飲んでいる。
「あ、あれ……?」
おかしい。予想では『俺こういう派手で堅っ苦しいの駄目なんだよなー』とか言ってるもんだと……。
「アル、どうした? 入り口でボケーッと突っ立って。入れよ」
「あ、う、うん」
「アルも紅茶をどうぞ。備え付けのを淹れたんです」
「うん。いただきます」
そうか、備え付けの紅茶なんかあったのか。自分の部屋は良く見なかったしな。
(ま、それならお洒落なカップでセルグが飲んでても仕方ないな)
そう思った瞬間だった。
「けれどセルグも器用ですねぇ。紅茶を淹れる手際、見事でしたよー」
「ぶっっ!!」
アルフォンスは思いっ切り紅茶を吹いた。
「アル?! どうした、気管に入ったのか?」
「げ、げほっ、違、……」
(ちょ、セルグが紅茶!? いや、淹れるだけなら僕でも出来るし、おかしくはないよ。けど褒められるってことは淹れ慣れてるの?! それも上手そうなリューンが褒めるくらいに!?)
思考時間、ゼロコンマ一秒。
あまりにも自分の印象とかけ離れたセルグの実態に、アルフォンスの脳みそはものすごい速さで回転した。
「へ、へえ……。この紅茶、セルグが淹れたんだ?」
「おう。夕食まで時間つぶそうと思って来たら、リューンがお茶っ葉見つけたからよ。じゃあ淹れるか、ってことになって」
「さいですか……」
何でそこでセルグが淹れることになったんだろう。紅茶を淹れるのが趣味とか? ……せめて緑茶なら似合うのに。
「しかもこの銘柄だったから、懐かしくてよぉ。柄にもなく嬉々としてやっちまったよ」
「へえ。何か思い出があるの?」
「ああ、お袋が好きなやつなんだよ。俺の家でお茶っつったらコレ、ってくらいに」
「では、その作法は母君仕込みですかー」
「おう。親父もよくやらされてたけど、どうしてもお袋に及第点もらえなくて……。いつも『ポットに茶葉とお湯を入れるだけだろ』とか愚痴こぼしてたっけな」
ふ、とセルグの目が優しくなる。
幼いころから修行に出ているために、つい両親を思い出して郷愁の念に駆られるのだろう。
「セルグって何歳から修行に出たんだっけ? だいぶ小さい頃って言ってたよね」
「ええと……、八歳だな。十年前の『大災の日』がきっかけでお師匠と出会ったから」
「ああ、あの世界中で魔物とかの異常行動が見られた日か。……って、ちょっと待って。確か修行に出てから一度も家に帰ってないって言ってたよね!?」
「そうだぜ。それがどうかしたか?」
どうかしたじゃないでしょ。
あまりにもセルグがあっけらかんと言うもので、アルフォンスは二の句が継げずにいた。
「十年も帰っていないのですかー。寂しくないのですか?」
「そりゃ最初は寂しかったけどな。慣れればどうってことねぇよ。手紙は何回かやり取りしたし。まあ、修行が厳しくて帰る暇はなかった、てのも確かだな。けど楽しいことも沢山あったしな」
「セルグは旅の経験が豊富なんですねぇ。羨ましい」
「いや、アスケイル国内を巡っただけだから、豊富ってほどでもねぇよ。……山籠りなら……たっっくさんやったけどな」
今度セルグの目は、明後日の方向を見た。……きっと色々あったのだろう。色々と。
それを察したアルとリューンは深く突っ込まないことにした。誰にでも触れられたくないことはある。
(クルツァータでも思ったんだけど、セルグのお師匠様ってかなり予想外……)
人は見かけによらない、って本当でした。アルフォンスは子供の頃、『不審者対策の一環』として口を酸っぱくして教えられた知識を思いだした。
翌日、一行はヴィオーラに見送られて、市へ出かけた。
「今日は一日たっぷりと遊ぼうよ」
「そうね!」
「そんじゃあ、トーワ観光と行きますか!」
世界有数の規模を誇る薬草市は、まさに見事の一言だった。
世界中の薬草や香草が集まっているため、五人それぞれ、懐かしむものも多かった。
「あ、これってよく村で集めたよ。擦り傷とかに効くから、外で遊ぶときは必需品だったんだ」
「俺も俺も。これって寒くても生えるし食べれるから、冬は野菜代わりに重宝するんだよな」
「そうなんですかー。私は初めてみましたが……。アスケイルでは馴染み深いものなんですねぇ」
「……これはユミギだ。主にアスケイル大陸やジーパに自生している」
「へぇー。シェルマスでは聞かない名前ね」
ほかにも様々な出し物や店が出ていて、市はとても楽しむことが出来た。
……が、ふと気づくとアルフォンスは一人になっていた。
(う、嘘ぉ!? この年で迷子!?)
ヴィオーラの店に戻ればいいだけだが、何とも情けない。と言うか……探せるだろうけど道がわからない。
アルフォンスがちょっぴり泣きたくなった、その時。
「あ、あなたは確かボワールで……」
「え? ――あっ! 君はあの時の……!」
アルフォンスに声をかけてきたのは、ボワールの町で荷物を拾ってくれた少女だった。
「また会えるなんて……。あれ、けど君はどうやってここに? 次の船は三日後だったし、同じ船には乗っていなかったような……」
「はい。私はお会いした日の夜、組合の専用高速船で来たんです。いつもは精霊陣を使わせてもらうんですけれど」
(え。てことは……)
少女の言葉を聞き、アルフォンスの動きが急にぎこちなくなる。
「でも帰る直前、急に使えなくなって。仲間と組合の用事で出向いていたので、組合が急いで船を用意してくれたんです。何でも精霊使いの組合に、賢者様の命令で捜査が入ったとか」
「っあー……。あれは大変だった……よね」
ごめん僕ら当事者です。ご迷惑をお掛けしました。けどリューンたちを救うためだったし許してね! ……と胸の内で謝るしかなかった。
「そういえば君はどうしてトーワに? やっぱり薬草市に?」
「いえ、トーワには私たちチルト派の支部があるんです。私はそこで修行をしています」
「そっかぁ。それじゃ陣が使えないのは帰れないって事だし、本当に大変だったね」
「ええ、びっくりしました。あ、そう言えば宿泊先はお決まりですか?」
「大丈夫、決まってるよ。ヴァイオレットっていう大きいとこ」
「まあヴァイオレットに!? 凄いですね、あそこはメリコで一、二を争う高級宿なのに!」
「や、仲間の友達が経営してて、運良く泊めてもらえただけだよ」
男のプライドは、キラキラとした素直な賞賛の目には無力。
(間違っても『泊まってみたくて』とか『余裕あるからね』なんざ言えない……!!)
格好つけようとしても、この瞳の前には無理だ。アルフォンスは取り繕うことを早々に諦めた。
「あの、そのヴァイオレットのことで聞きたいことが……」
「はい、何でしょう?」
――やっぱり、躊躇してしまう。これは『十六歳』の意地。
(旅の恥は掻き捨て、って言うだろ! 諦めろ自分!!)
「…………場所、わからなく、なってさ…………」
少女はキョトンとして、目をパチクリさせた。
やがて意味を理解すると『じゃあ一緒に行きましょう』と、また太陽のような笑みを浮かべてくれたのだった。