日向の休息《弐》
真っ青な空が、目に染みるくらいに眩しい。
アルフォンスが甲板から眺める先には、一面の海が広がっている。紺碧色に輝く海面は、どんな絵画よりも美しい。
船で海を渡ること七日、一行は西ノ海の真ん中あたりにいた。
今日は波も穏やかで、船旅日和といったところか。アルフォンスとリューンは多くの乗客がそうしているように、甲板に出て、肌で大海原を感じていた。
やがて昼食の時間が近づいてきたので、二人は部屋に帰ろうと向かったが、甲板の出入り口で、アルフォンスは急に向こう側からきた人物とぶつかってしまった。
「うわっ!」
「っつ、気をつけろこのチビ!」
「え、あ、すみません」
ずいぶんと横柄なその男は、自分からぶつかったのに謝ろうともしない。とても大柄で、顔の左側一面に不気味な刺青を施しており、それがまた厳つさを醸し出していた。
「ふん。……ん? お前、精霊使いか」
「え?」
その上、リューンの額にある精霊使いの証である刺青を見るや、男は鼻でせせら笑った。
「もう精霊使いは年寄りしかいないのかと思ってたぜ。若けりゃ位なんかいくらでも貰えるんだな、羨ましいぜ」
「なっ、そんなわけ……!」
「アル、結構ですよー」
「リューン!」
「へえ、認めんのかよ。自覚があるとは恐れ入ったな」
こんな時でも微笑みを絶やさないリューン。でも、少しだけ語調を強めて言った。
「そう仰るあなたは魔法使いのようですねぇ」
「ほお。よくわかったな」
「顔の左側に入れ墨をするのは、そこに界王の証をもつ魔王への敬意の証。我ら精霊使いが額に刻印するのと同じ理由ですしねぇ。尚且つあなたは純度の高い魔玉をお持ちですしー。左の懐から、あなたのものではない魔力が溢れていますよー。……位は中級、ですかねぇ」
「――! ふぅん、コレに気づけるってことは、他の特殊力に関しても無知ってわけじゃねぇんだな」
「ええ、まあ」
「まあ感知能力だけ高くても役には立たねえ。所詮、精霊使いは精霊使いだ。シェルマスの片田舎に引っ込んでな」
「……」
「なんだ、言い返さねえのか? 見た目通りの優男かよ。おい、そこのチビ剣士。こんな意気地なしが連れで大変だな」
じゃあな、と言い残すと、男は笑いながらその場を去って行った。
「……アル、不快な思いをさせてすみませんでした。申し訳ありません」
「そんな! 何でリューンが謝るの?」
「いいんですよー。あの方が仰ったこともまんざら嘘ではありませんしねぇ」
リューンは悲しげな溜め息を漏らした。
「それに私の霊力は親から受け継いだものですし、最初に契約を結んだ精霊と、相性が良かっただけです。……何も努力などしていないのですよー」
「そんなことないよ! どんな職だって、努力なしで高位まで上り詰められるわけないじゃんか!」
「……ありがとうございます、アル」
リューンの笑顔が、笑顔じゃないとアルフォンスは思った。
どこか遠くに思いをはせた、憂い顔。……泣いてしまうんじゃ、ないだろうか。
「っあー、もう! とにかくさっきの男が全部悪いんだよ! 二回もチビとか言ってくれたし!! ねえリューン、僕ってそんなにチビ?」
「えっ。……ち、小さくはないと思いますが」
…………聞くんじゃなかった。
自分より拳二つ分は高いリューンに聞いたのが間違いだったとアルフォンスは悟った。
「ふふ……。そうさどうせ女性のローザンにも身長抜かれてるんだもん、チビがお似合いだよね……」
「あの、アル……」
「と、言いたいとこだけど! 僕は多分まだ伸び盛りだし、そう簡単に諦めないよ! すぐにセルグもリューンも抜くからね!」
「――! ……ええ、楽しみにしています。さすがに私はもう伸びませんからー」
「うん! さ、時間食っちゃったし、急いで戻ろう。ローザンに怒られちゃう」
その後、部屋に戻った二人は遅れたことでやっぱりローザンに怒られ、もう少しで昼食抜きの刑をくらうところだった。
しかも食後に先ほどの男の話をすると、これまたローザンの機嫌が悪化した。
「ちょっと何よその男! あたしだったら問答無用で海に叩き込んでやったのにっ!!」
「ちょ、ローザン。それはさすがに……。死んじゃうよ、あの人だってさ」
「そんな奴は死んでこそ、この世のためになるのよ!」
「ローザン?」
少し短気なところがあるとはいえ、曲がったことは自他共に大嫌いなローザンだ。こんなに相手を悪く言うのも珍しい。
「いい? そいつはあんたとリューンを馬鹿にしただけでなく、同じ魔法使いのリネアの品格もぶっちぎりで下げてるのよ」
「あっ……。そうか、そういう考えもあるよね。気づかなかった」
あの時は気づかなかったが、このローザンの怒りは最もだ。
「……私のことはともかく、同じ魔法使いとして恥ずかしいのは確かだな」
「とにかく、私はアルが怒ってくださっただけで嬉しかったですよ。……えー、その、自分のことより先に怒ってくださいましたしね」
「アルはそういう奴だもんな。いい意味で後先考えないっていうか」
「え? それ本当にいい意味?」
「あー、微妙かも」
「ああホラやっぱり!」
やがてむかえる夜に、誰も不安など抱いていなかった。いつも通りの夜が来ると思っていた。
異変は、夕食の直後に。
「っあー、大分体が楽になってきた」
「セルグ順応早いよね。明日なんかもう酔わないんじゃない?」
一行は夕食を終え、船室でのんびりとくつろいでいた。
今回の船旅ではリネアの薬に加え船体が大きくて揺れにくいこと、また海が穏やかなことが幸いしたらしい。セルグは昨日今日とだいぶ調子を取り戻していた。
「そーだといいけど。アンタ、海が荒れたりしたら無理でしょ?」
「当然」
「おバカ、胸張って言うんじゃないわよ」
「……。ローザン」
「どうしたの、リネア」
「少しずつ、船の揺れ幅が大きくなってきてる」
「「「え」」」
「うおぇっ」
リネアの言葉で、揺れを実感していないだろうに、一気にセルグの顔が青ざめた。今にも吐きそうだ。
「ちょっとー! ふざけんじゃないわよっ!!」
「リネア~、そういうことはセルグの前で言っちゃ駄目だよ……」
「そうか」
「けれど……。おかしいですねぇ、風はないようですが。ほら、窓を開けても何も」
「あぁ? じゃあ何で船が揺れんだよ」
風がないのに船が揺れる。
この船は乗員が暴れたくらいで揺れるほど小さくない。何百人も乗客がいる大型船なのだ。
「もしかして魔物!?」
「くそっ、マジかよ! 甲板に行こうぜみんな」
「わかったわ!」
「はい」
船という不安定な場所が、アルフォンスたちを慌てさせた。
しかし、リネアはあくまでも冷静だった。
「待て! コレは魔物とは違う!」
「魔物じゃない? じゃあ何なのさリネア!」
「落ち着け、アル。魔物ではないが……」
「ちょっと待って。これ……もしかして、霊獣? 確かに強い霊力を感じるわ。しかもこの船の真下よ!」
ローザンが目を瞑りながら、周囲の力を感じ取る。霊力の感知だけならリューンよりも一枚上手のローザンは、誰も気づいていない霊獣の存在、その位置まで正確に看破した。
「けど、このあたりの海は霊獣の生息地じゃないわよね?」
「クジラとかにも迷子はいるからな。多分そんなんじゃねぇの?」
「霊獣の迷子……。あの、それは安全……なの?」
一瞬、全員が押し黙った。
「……霊獣には、人肉を好んで食べる種はいない。そして比較的おとなしい」
「ええ。こちらから危害を加えなければ、大丈夫かと思いますよー」
「そっか、よかったぁ。……けどさ、さっきより確実に船の揺れ、大きくなってる……よね?」
「アルっ! それを言うな!!」
「あーハイハイ、アンタは黙ってなさい。ねぇ、船長にこのことを伝えたら? 他の乗客が下手に手出ししたら大変じゃない」
「そうだね。けどそんなことをする人なんて……」
いないよ。そう喉まで出掛かって、アルフォンスは昼の出来事が唐突に思い出された。
「あの魔法使いの人、大丈夫だよ……ね?」
「……リューン、どう思うよそいつ」
「まず霊獣と気付けるかどうか……。ですが、あの方は感知が苦手でしょうしねぇ。言動から推測出来ます」
あの男は自分の感知能力の高さを嫌った。だが、真実を言えばリューン自身の感知能力はそれほど高くない。せいぜい中の上、といったところか。
あれぐらい一人前の位を授かる力さえあれば、大抵は感知できる。あの男もそれは知っているだろうに、自身に備わっていないものを妬む心から、つい言ってしまったのだろう。
このリューンの意見で、一行に緊張が走る。
「ならば事は急を要するぞ。水性の霊獣は特に霊力が高い。恐らくこの船など一撃だ」
「うおっ、マジかよ! そういう奴に限って半端な魔力しか持ってねぇのがオチなのに!」
「リネア、あたしたちは船長のとこに行くわよ! アルたちは甲板に行ってみて!!」
「うん!」
二手に別れ、五人は全力で走った。
アルフォンスたちは甲板に到着すると、その扉をぶち開ける。
「ん? 何だ、お前らも来たのか」
「……っはあ、ぜぇ……っ、ちょっ、待って……!!」
「残念、コイツは俺がもらった。力も強いみたいだし、いい魔法薬の材料になる」
「待ててめぇ! ここは海のど真ん中だって分かってんのか?!」
「一撃で済ませりゃいいだろうが。俺にはこれがある。問題ねぇ」
男は懐から魔石を取り出した。手のひらに収まる大きさだが、男の魔力を受けて紫紺の光を放っている。
凪の中だというのに、次第に揺れが大きくなる。海面下に巨大な影が浮かび出した。
「さあ……来い!」
男が魔石を強く握りしめ、天高く掲げた。光がどんどん強くなっていく。
「――お止めなさいっ!!」
アルフォンスたちも驚くほどのリューンの一括に、男も動作を止めた。
「ちっ。何なんだよお前ら」
「あなたの勝手な行動で、この船の乗客全てを危険に晒しているのですよ!」
「だから一撃で済ませるって言ってんだろうが。それとも乗客が魔物に喰われたほうがいいとでも言うのかよ? 能無しは黙ってな」
「黙るのはそっちだ! 驕るのもいい加減にしろ!!」
アルフォンスの怒号に、隣にいたセルグは思わずたじろぐ。先ほどのリューンに感じた驚きとは全く別種の、そして比べ物にならない何かが、セルグだけでなく、その場にいた全員の動きを縛った。
「そもそも魔物だからって全部退治すべきじゃないだろ!? まず互いに無傷で済ませることが一番のはずだ! 絶対に魔物が危害を加えるってなんでわかるんだよ!?」
「……っガキめ。お前の理想論かざすなよ」
「――理想論、そう言い切るアンタは最低ね」
「ああ。この場をお前に預けることはできん」
いつの間に来たのか、ローザンとリネアがアルフォンスたちの後ろにいた。
「船長には全部伝えたわ。他の乗客が慌てないよう、部屋を回るそうよ」
「お前も魔法使いなら、場を見極めろ。……恥さらしめ」
「んだとぉ!? てめぇ、何様のつもりだ!!」
「リネア、今は構ってる暇ないでしょ。リューン、あたしが補助するからアンタが交渉して」
「わかりました。では早速」
「おい! 何でその野郎が交渉をする!?」
交渉とは、言の葉が通じぬ生命との意思の疎通をすることだ。最適な者は、力の属性率が高い者。
もう船の揺れが大き過ぎて、まともに立っていられない。霊獣が船のすぐ下まで来ているのだ。
「私の方が適している。――それだけですよ」
リューンは微笑むとともに、呪を唱えだした。
「そんな……まさか……」
「そうだよ、今回は霊獣。あんたの専門外だろ?」
「…………ふざ、けるなっ」
「あん?」
「例え霊獣だろうが、俺に調伏出来ないことなどない!! お前らはどいていろ!!」
場を安定させるために風を喚んでいたローザンを突き飛ばし、男はリューンに魔石の力を向けた。
「きゃ!?」
「あっ、てめぇ! 待てっ!!」
「この目障りな精霊使いめ!」
男の目にはリューンしか映っていない。またリューンも詠唱に意識を集中させているため、事に気づいていない。
「リューン!!」
アルフォンスが叫んで、男が魔玉から術を放とうとして。セルグがローザンに手をかして立たせ、リューンがこちらを向いて、リネアが男に杖の先を向けたその時。
「――全員何かに掴まって下さい!!」
リューンが叫んだ。
同時に巨大な生き物が起こした波を受け、船はまるで水面に浮かぶ木の葉のように揺れる。甲板は激しい波に洗われ、もう少しで全員が海に飲み込まれるところだった。
「ぷはっ!!」
「アル!」
「ローザン! よかった無事なんだね。みんなは!?」
「俺は無事だ。けど、気分は最悪だ」
「問題ない」
アルフォンスたち四人は、各自の無事を確かめあった。
リューンのおかげで、とっさに手すりなどを掴むことができ、この光り輝く民の守護を受けたから、ずぶ濡れになりながらも、自分たちは無事でいられるのだ。
「――水の精霊、か」
リネアが空に消えた光を見ながら呟く。
「ちょっと、リューンとあの男は!?」
「私たちも無事ですよー。それより、ほら」
頭でも打ったのか、気絶している男を抱えたままのリューンが海を指差した。
「……綺麗」
ローザンの呟き以外、誰も声を発せなかった。
悠々と海を行くその姿は、まさに雄大の一言。霊獣は水龍だった。
この星月夜に煌めく鱗は、銀。
「…………。すっげぇな」
「うん。あんなに綺麗な生き物、初めて見た……」
船の横を並行して進む巨大な霊獣は、チラチラとこちらに視線をむけている。そうやって動くたびに鱗が月光を反射し、七色に輝く。
霊獣がこの船に興味津々なのは間違いない。
「害はないとは言え、転覆の危険はありますし……」
「やはり交渉するしかないだろう。放っておくとまた余計な奴が出てきかねない」
これだけ巨大だと、霊獣に対する知識がない人には、恐怖しか与えまい。
「ですねぇ。ではローザン、よろしくお願いします」
「わかったわ」
こうしてリューンは、無事に霊獣との交渉を終えた。精霊族を介して、意思の疎通を成功させたのである。
「どうやら無事にお帰りいただけるようですよー」
リューンがそう言うと同時に、龍は天高く吼えた。そうして一度だけこちらを振り返った後、深く深く海へと潜り、再び姿を見ることはなかった。
「やぁっと終わったな。俺、酔ってるヒマもなかったぜ」
「凄い揺れだったのにね。……ん?」
ふと水浸しになった床をに目をやると、キラキラと光るものを見つけた。拾い上げてみると、なんとそれは七色に輝く龍の鱗だった。
「ねえみんな! 見て、凄いの見つけた!」
「あら、良かったじゃない! それって霊力の塊よ」
その言葉に、アルフォンスは驚いて手の中の鱗を見る。リューンとローザンに必要かと聞いてみるも、二人ともアルフォンスが持て、と言う。さらにリネアも。
「霊龍の鱗は、妖力を自ずと防いでくれる優れものだ。持っていて損はない」
「へえ、自動で防御もできるんだ。……じゃあ遠慮なく!」
やがて騒動が一段落して、しばらく後。
男が気絶したのはカジノと同じくリューンが術で強制的にやったとか、魔石は波にさらわれて海の底だとか、色々なことが判明した。
リューンがいつもの笑顔で『あれはですねー』と説明をした時は、見事に全員ひいた。
(リューンは怒らせたらいけない人物だ……)
四人の心が一致した瞬間であった。