日向の休息《壱》
一行はクルツァータを離れ、新たな大陸へ渡るため、近くの港町へ向かっていた。
一度離れた潮の匂いが強まるに連れ、だんだんと不機嫌になっていく人物が一人。
「なんで、また船に……」
セルグだ。
そう、セルグはとても船酔いしやすい。自然と機嫌が悪くなるのは仕方ないとも言えるだろう。
昼過ぎには港町ボワールに着くだろう。一行は手前の村で、遅めの朝食を取っていた。
「なあ、リューンって高位の精霊使いなんだろ? 精霊陣だっけか、何でそれを使えねぇんだよ。おかしいじゃねぇか……」
「ちょっとあんた、まだ言ってんの? あのゴタゴタでまだ組合がうまく機能してないんだから、仕方ないじゃない。潔く船に乗りなさいよ」
「俺だってなぁ、ハナっから希望が無かったら言わねぇよ! 『乗らなくて済む』って思っちまったんだ、そう簡単に諦められねぇっての!」
「あー、その、本当に済みませんねぇ。せっかくの機会なのに、お役に立てなくて……」
一触即発になった二人の間に、リューンの柔らかい声が入った。
「あ、わりぃ。リューンのせいじゃねぇのに。けどよ、どうしても……」
その声色に怒りの矛先を失ったのか、セルグがリューンに詫びた。
「お気持ちはわかりますよ。えー、ですが精霊陣の機能が復旧するには、一月はかかるでしょう。流石に船の方が早いのですよー」
「だよなあ……」
セルグは窓の外に目を移した。
窓の向こうに広がる空は、皮肉なくらい綺麗に晴れ渡っていた。
ボワールに着くと、一行はまず買い出しや船の手配などに別れた。アルフォンスは、じゃんけんの結果、買い物当番に決まった。一番面倒な役だ。
はっきり言って、自分はじゃんけんが弱い。昔、じゃんけんの勝敗の確立は同じだと聞いたことがある。が、アレは嘘ではないのか。だって自分は旅に出てから三十八戦二十九敗。
(さいころの話は正しいと思うんだけどね……)
両手に抱えた大きな荷物を、少し疲れてきたので再び抱えなおした。
「っよいしょ、っと」
……すごく今更な話だが、買い物はこまめに行くべきだと思う。こんなに一度に買うのは、いろんな意味で危険だ。
巨大な袋を二つも抱え、よたよたとふら付きながら集合場所に向けて歩く。
一番楽なのは乗船券を買うだけの役。……もちろん、ローザンが勝ち取った。
「ぉわっ」
「きゃっ!」
ドン!
考え事にふけっていたら、つい誰かにぶつかってしまった。
「す、すいません! 大丈夫ですか?」
ひょい、とアルフォンスは袋の陰から顔を出す。
「ええ、こちらこそ不注意でした。ごめんなさい」
ぶつかった相手を見ると、まだ少し幼さの残る少女だった。
僧侶の証である僧服を着ており、目線は自分よりも幾分か下にある。
「まあ。こんなにたくさん、大変ですね」
「ええ。旅の途中なんで、まとめ買いを……」
「そうなんですか。――あ、これ落ちてましたよ」
アルフォンスは少女が差し出した品を受け取ろうとしたが、両手が塞がってどうにもならない。
「じゃあ、袋に入れますね。しゃがんでもらえますか?」
「あ、はい!」
少女に言われて、慌ててしゃがもうとしたら、なんとバランスが崩れてもっと色々な物が転がり落ちてしまった。
「うわ、やばい!」
幸い平坦な道なので遠くまでは転がらはかったが、随分と周囲に散乱してしまった。アルフォンスはわたわたと慌てふためく。
「ふふっ」
そんな時に聞こえた笑い声に振り向くと、少女が口元に手を添えながら笑っていた。
「ごめんなさい、つい可笑しくて」
「いえ、いいんですよ。僕も笑いたいとこなんで」
少女の笑みを見て、何故かさっきまでの慌てぶりはナリを潜めた。
アルフォンスは落ち着いて袋を地面に置き、テキパキと拾い集めていく。
「はい、どうぞ」
拾った品を袋に入れようとしたら、少女が入れやすいように袋の口を広げてくれた。
「すみません、こんなことに巻き込んで」
「気にしないで下さい」
ニコッ、と少女が笑みを零す。それを真っ正面で見たアルフォンスは、一気に頬に朱が走るのを感じた。
(うわ、やばっ!)
顔ごと背け、少女から視線を無理やり外す。心臓がバクバク音を立てているのがわかる。
これは。この感じは。まさか、もしかして。
「これで最後ですね」
はっとして振り向くと、すでに少女は立ち上がっていた。
「では、これで。あなた方の旅路に幸多からん事を。チーリス様のご加護がありますように」
宗派独特の祝福の言葉を述べた少女の笑みは柔らかくて、アルフォンスの疑問は、もはや疑問ではなくなった。
やがて軽く頭を下げ、少女はこの場を去っていった。その後姿を見つめながら、疑問の答えを脳内で反芻する。
これは、恋。少女の笑みに心をとらわれた一目惚れだ。
(ははっ、セルグのこと馬鹿に出来ないなぁ。――あ! 名前、聞いておくんだった! あ~、失敗した)
今日中にこの町を、大陸を出るのだ。再び会える可能性などあるまい。この想いを自分の中でしっかりと形作るためにも、名前ぐらいは知っておきたかった。
アルフォンスが見つめる先で、少女はその姿をだんだんと小さくしていく。金と茶の混じった髪が、日の光を反射して輝いている。
少女の姿が見えなくなるまで見つめていたが、やがてアルフォンスは一つの溜め息とともにゆっくりと歩き出した。
やがて空が茜色に染まりだした頃、アルフォンスたちは船に乗るため港にいた。
ここから次の目的地、北ドーニャ大陸に渡るのだ。
「ああ……。この時がついに来ちまった……」
「あー、すみませんねぇ。私がお役に立てないばかりに……」
「こら、そこ! これ以上その問答を繰り返したら置いてくわよ!」
乗船も間近、とにかくセルグはどんよりとしていた。頭ではわかっていても……、というヤツらしい。
リューンもリューンで毎回しっかり謝るので、この陰鬱で堂々巡りな会話が始まるたび、ローザンはピリピリした。
「全く……。船の上でもこうなら、海に叩き落すからね! あたし、いつまでもウジウジしてる男って大っっ嫌い!」
「克服できねぇんだからよ、しゃあねぇだろ?」
「酔うのは仕方ないわ。だけど、その口を閉じてなさい! そしたら出るもんも出なくなるわよ。丁度いいじゃない!」
「おいおい……」
いつもなら言い返すセルグも、今回ばかりは自分に非があり、なおかつ気力が削がれているので無理だった。
「ま、そこまでにしてさ。ね? ほら、次は僕たちの手続きの番だから」
と、アルフォンスが指差した船で、ちょっとした騒動が引き起こされることとなる。が、それは今知る由もなく。
「っはー、やっぱ船じゃ相部屋は仕方ないわよねー……」
入船後、ローザンが船室の寝台にボスン、と勢い良く座り込んだ。
自分で言うのもなんだが、自分達は随分と金銭面で余裕がある。もともと個人で最低限は持っていたし、武闘大会やカジノでかなりの額が手に入った。
だから今まで宿は男女別々だったし、食料に事欠いた時もない。
だが、今回はそうはいかない。いくら余裕があっても船の料金は陸に比べて高価だし、その上、一般客船は大部屋がほとんどだ。わざわざ高級で数少ない個室を取ることは出来ない。
つまり、必然と五人が一部屋で寝泊りする事態になってしまうわけで。これでも少しお高い六人部屋、中級の部屋を選んだのだ。
「嫌がってた俺が言うのもなんだけど、十五日間だろ。我慢しろよ」
「……その言葉、あんたに返してもいーい? 我慢出来るの?」
「は? 何が……」
ローザンの視線が意味するものを察したアルフォンスは、超高速でセルグの口を塞いだ。
これ以上は墓穴を掘るだけだ。
(おい、何しやがる!)
(あのね、またヤバイことになるよ!? ローザンが言ってる『我慢』は絶対に……)
リネアが同じ部屋にいる。セルグはリネアが好き。
そこから導き出される答え(とローザンのニヤニヤとした勝ち誇った笑みの意味)を、アルフォンスはセルグに耳打ちしてやった。
「な、な……」
「ね? またクルツァータみたいになっちゃうとこだったんだよ」
「あーら、何のご相談かしら?」
「て、てめぇ! いくら俺でもそれ位はわきまえてるってぇの!」
「えー? 何のことかしらー? ま、しばらくよろしくね~」
「く、くぉのぉおお~……」
勝てない、ローザンには絶対に勝てない。
セルグとアルフォンスはようやっと悟ったのだった。
その後、出航してからのセルグはおよそ見るに耐えない姿だった。
よく考えればローザンの言葉に秘められたことなど、船上というセルグにとっての生死の境をさ迷う場所では、到底実行できるわけがなかったのだ。
(つーかよく考えればセルグは告白したのか……?)
基本すぎて忘れていたことを思い出し、アルフォンスはセルグにこっそりと哀れみの視線を向けたのであった。