精霊の町《参》
翌日、四人は気まずい雰囲気のまま、市へバラバラに買い物へと出掛けた。今日は運悪く、精霊使いの組合の休日に当たってしまったからだ。
(昨日はやり過ぎたかしら……)
騒ぎの元凶であるローザンは、出掛け際の、あまりにも気落ちしたセルグの背中を見て、そう思った。
確かに昨夜は楽しかったが、セルグは予想以上に純情だったらしい。これはからかう方法を間違えた……かも。
だとすれば、何とか元気付けてやれないものか。けれど、面倒くさい。
……が、さすがに良心はある。ここはややこしそうなセルグは放っておいて、リネアと話したほうが良さそうだ。
(仕方ないわね。リネアの本心も聞いてみたかったし)
ならば善は急げ。早急に買い物を済ませ、リネアがいる薬草市へ行くため、近道となる広場へ足を向けた。
一方、セルグ。こちらはローザンの考えたとおり、昨日の出来事をとてつもなく気にしていた。
(朝から顔あわせても何か気まずかったし……。ああ、どうしよう)
リネアはあまり自分から人に関わることはしないが、こちらから声をかければ、必ず反応を返してくれていた。
なのに今朝はどうだ。おはよう、と言っても聞いてない振りをして逃げてしまったのだ。
何かこの反応は違うだろ。これは願った気まずさじゃない。終わりだ。恋の終わり、人生の終わり。
あのローザンが提案を取り下げるはずが無いし、こういう事でアルフォンスは頼りにならない。リネアもあんな形であれ了承したため、必ず約束は守るだろう。
考えるほどヘコんでいき、かなりの暗さを醸し出しながらも、セルグは一休みしようと広場へ向かった。
そして、リネアの場合。
昨日の一連の出来事、自分なりに楽しかったと思っている。が、最後の最後で油断してしまった。仲間たちにいい意味で気を許したために、こんな羽目になったのだ。
……ただ何で気まずくなるのか、そして気まずいのか、理由がよくわからない。
(朝はセルグに悪いことをしたな。帰ってからは普通に振舞おう。その方がみんなも気にしなくて済むだろう)
溜息を一つつき、商品が陳列されている棚へ目を向ける。
自分に目を奪われている店主を綺麗に無視し、買い物を済ませると、もう少し考えようと広場へ行くことにした。
最後に、アルフォンスは。
(やっぱ昨日のは止めるべきだったかなぁ。けど、これで二人の仲が発展! ――ってなればいいのに。……や、無理か)
こういう面ではあまり聡くない頭を、必死に動かしていた。
(けど、あの二人は見てるとやっぱり面白いよ。セルグもさっさと告白しろよなー。以外と……いや、思った通りに奥手だよね)
などと失礼なことを考えつつ、こっそり余分に買ったパンを食べるため、座る場所を探して広場へ歩いていった。
しばらく行くと、広場の中央に噴水が見えた。その縁に座れば調度よさそうだ。
「あれ?」
ばっったり。
広場に十字型に通じる四本の道それぞれから、全員が見事同時に出てきたらしい。
(やばっ)
アルフォンスはこっそり一人で食べようとしていたパンを光速で袋へ突っ込み、そ知らぬ態度をとった。
「わ、見事に揃ったね。みんな買い物は終わった?」
「お、おう」
「あたしもー」
「予定したものは全て」
……気まずっ。
誰も目を合わせようとしない。
(うーん、どうしたもんかな)
アルフォンスがチラリと正面のローザンを見たとき、ちょうど自分の後ろを歩いていた女性がアルフォンスのほうに倒れこんできた。
「おわっ!?」
他に気を向けていたとは言え、女性とぶつかっただけなので、アルフォンスは少しによろめくだけで済んだ。しかし女性は上手く体を支えることができなかったのか、そのまま地面に倒れこんでしまう。
「おい、どこ見て歩いてんだよ!?」
倒れてしまった女性をアルフォンスが起こそうと手を差し伸べた時、何と女性にぶつかった男が文句をつけてきた。
女性は声を頼りに振り向き、必死に頭を下げる。
「すみません、目が見えないものでして……」
「それがどうした! お前が持ってる草の汁が服について、染みになっちまったじゃねぇか。どうしてくれるんだよ」
「あの、」
「高かったんだぜぇ? 金払えよな、金!」
何とも見事な典型的文句のつけっぷり。これを放って置くのは気が引ける。女性は目が見えないと言っていたし、何よりぶつかってきたのは男のほうだろう。そうでなければ、女性があんなに勢いよくぶつかってくるはずがない。
アルフォンスが女性を庇う形で一歩踏み出すと、三人も承知したように向き直った。
(気まずくなってても……、やっぱり仲間だな。良かった)
大事なところでは、ちゃんと繋がっているのだ。
「そこまでにして下さい。この人も謝っているんですし」
「あ!?」
「えぇと、これはウルカラ草ね。すぐに洗えば綺麗さっぱり落ちるわよ。さっさと帰って洗濯しなさい」
「……て、てめぇらには関係ねぇだろ!? 引っ込んでろ!」
男は勢いで吠えた後、ローザンの出で立ちを見て、屈辱的な、耐え難い言葉を吐いた。
「大体お前みたいな女に言われる筋合いは無い! そんな男を引っ掛けるための服を着た踊り子なんざ、頭も軽いに決まってる! 黙ってろ!」
男の侮辱に、ローザンが息を呑んだのがわかった。あまりの侮辱に、すぐに怒ることさえ出来なかったのだ。
しかし、即座に反応した人物がいた。
「職に就く者全てを侮辱する言葉と、わかって言っているんだろうな?」
いつの間にか、リネアが男の背後に回りこんでいたのだ。刃のように鋭い、あの杖を首筋に突きつけている。
「……んなっ!?」
「職は全て、『職』の名のもとに繋がる。一つを侮辱すれば全てを侮辱することと同じだ。考えが及ばなかったか?」
リネアのような美人に凄まれるととても怖い。その上、セルグからも無言の圧力が発せられる。
「先ほどの言葉……」
「何が何でも取り消してもらうわよ」
ローザンが怒りに震えながら、搾り出すように告げた。
それを見てリネアがスッ、と刃を収める。
「あたしのことはいくら侮辱しようと構わないわ。何とでも言えばいい。だけど、踊り子の職を悪く言うことだけは許さない! 取り消しなさい!!」
あまりの剣幕に尻込みしたらしく、男は二の句を告げないでいる。自覚はないだろうが、体が僅かに後ずさっている。
「このまま消えるなら、取り消したとみなしてあげるわ。さあ、どうするの?」
普段のローザンからは考えられない怒気と覇気がそこにあった。
男は反論を試みたらしいが、鯉のように口をパクパクさせただけで、脱兎の如く逃げていった。
「……」
男の後姿を射るように見つめていたローザンも、その姿が雑踏に消えると、ようやく視線をこちらに戻した。
アルフォンスたちもローザンにかける言葉が見つからない。だが、そこに上手く女性が入ってくれた。
「あの、助けて頂いて有難うございました。それと、ごめんなさい。私のせいで嫌な思いをさせてしまって……」
「……気にしないで。あんなの、――慣れてるから」
時には自らの肢体を惜しげもなく晒し、人々を酔わす魅惑の人。それが踊り子だ。
しかし本来、そこに男が考えたような事実は一片も無い。もし『そういう踊り子』がいたとしても、組合では認められない。あくまで自称、正式なものではない。
期すれば卑しさと紙一重になってしまうことも、全ては己が理想と真の美を追求するため。
「さて、家まで送ったほうがいいかしら? どうせ暇なんだし」
ローザンは一瞬だけ目線を下に落としたが、再び陽の光を受けた瞳は、いつも通りに強い光を宿していた。
「そうだね、またあんなことあったら嫌だしね。……えーと、お邪魔じゃなければそうしたいんですけど、いいですか?」
「そこまでご迷惑は……。……いえ、そうですね。是非お願いします。どうぞお茶でも飲んでいってください。そのくらいしかお礼できませんので」
そうして一行は広場から出て、女性の家へ向かった。
カジノなどが建ち並ぶ賑やかな中心街から離れると、打って変わって閑静な住宅街が広がっていた。白や淡い乳白色の石壁の家々が立ち並び、それらを大小様々な石を敷き詰めた道が繋ぐ。
「みなさん、こちらです」
女性は自宅の扉を開け、四人を中へ招き入れた。
その行動によどみは無く、目が見えないと言うのが嘘のようだ。
(なんか……。凄いな)
どれだけ耐え抜いてきたのだろう。
目が見えないことで浴びる侮蔑と嘲笑。それは外出すれば当然増すのに、彼女は陽の光のもとへと恐れずに進む。
家の中で動きに迷いが無いのは、今までの生活で培ってきた慣れもあるだろう。だが、どうもそれだけとは思えない。
「お茶をどうぞ。もうすぐ弟も帰ってくるはずですし、ゆっくりしていって下さいね」
「あ、どうも」
女性を送り届けたらさっさと帰るつもりだったのだが、つい機を逃して、女性の言葉通りにお茶をご馳走になることになってしまった。
(弟さんがいるなら、そこまで生活は大変じゃないのかな)
今まで盲目の人に出会ったことがないので想像に任せるしかないが、一人よりは絶対にマシだろう。出会ったばかりだけど、この優しい人は一人じゃない。そう考えると何か気が楽になった。
この地方独特らしい、爽やかな匂いのするお茶を、アルフォンスはようやく堪能できた気がした。
そこで思い出したように、ローザンが女性に話しかける。
「そう言えば、名前聞いてなかったわよね。あたしはローザン。あなたは?」
「まぁ、そうでしたね。失礼いたしました。私はティティス・スィーバルと言います、どうぞよろしく」
「ええ、よろしく……」
ここでローザンはどもったが、原因は一つ。アルフォンスも思ったことだ。
((あれ、スィーバルってどこかで聞いたような……?))
その時、玄関の扉が開いた。
「姉さん、只今帰りました」
「お帰りなさい。今、お客様がいらしてるのよ」
「そうですか、どうもこんにち……、おやー?」
「あっ!」
アルフォンス達が見たのは、昨夜のあの青年だった。