精霊の町《弐》
「どけろぉっ!!」
男が叫ぶ。入ってきたのは背の高い、眼鏡をかけた優しそうな青年だ。その容姿から、男は他の客と同じく、怒声に後ずさると判断したようだ。
しかし青年はわずかに驚いたのみで、一歩も引かず、すぐさま術を発動させた。
――店内にいた人々は、その身に時の流れを感じただろう。常とは、人の理とは異なる『それ』を。
そして垣間見たのだ。この地に加護をもたらすモノに属する、輝く肢体の民『精霊族』を。
「精霊使い……」
一行の知恵袋、リネアが静かに呟いた。
精霊使いとは、精霊族に認められ、特殊な誓約を結んだ者たちのことだ。誓約を遵守することで、空間を曲げて精霊族を呼び出し、強大な力を分けてもらうことができる。人の身では到底得られない、その莫大な霊力を。
やがて術が終了すると精霊は僅かな煌きを残して姿を消し、全てが元に戻った。
術を喰らった男を見ると、深い眠りに落ちていた。青年の前で見事に崩れ落ちている。
「ふうっ……」
青年が術のために張り詰めていた気を緩めた。一度男を見下ろした後、目線をキョロキョロと周りに走らる。
よく考えてみれば、青年はワケがわからないのだろう。カジノに入ってきた瞬間、物凄い形相の男が全力で客を撥ね退けつつ、怒声を上げて走ってきたのだ。
しかも後ろを自分達が必死に追っていた。男がカジノで何かやったのだろう、ぐらいしか判断できまい。
(かと言って、いきなり術をかけるってのも……)
何か自分達と同じ人種な気が。
急を脱したので、アルフォンスは少し速度を落として走りながら苦笑した。
術からわずかの間で追いついたセルグが、息を落ち着けてから青年に声をかけた。
「すまねぇ、助かった。この野郎、イカサマやった上に逃げやがったんだよ」
「あー、そうでしたか。あまりの迫力につい術を使ってしまったのですが……。お役に立てたのなら何よりですよー」
やがて後方の三人も、遅れてその場に到着する。
「セルグ、は、早い……。……ふぅ、とにかく捕まえられて良かったね。……あ、どうもすみませんでした、驚かせて」
「いえー、構いませんよ。あー、さて、この方を警備の方々にお任せしましょうか」
アルフォンスが振り向くと、ふらつきながらもこちらにやって来る、警備員の姿が見えた。
やがて一連の出来事を片付けた後、アルフォンス達は宿に戻る道を歩いていた。カジノに戻って遊ぶ気など、疲れも相まって、とっくに失せている。まだまだ町は眠らないが、今夜は色んなことがありすぎた。
「あの、さっきはありがとうございました。えぇと……」
「ああ、私はリューン・スィーバルと申します。ご縁があればまたお会いしましょう」
リューンはにこりと笑ってその場を去ろうとしたが、ローザンが引き止めた。
「あ、ちょっと待って」
「はい、なんでしょうかー?」
訊ねられたローザンは言葉に詰まり、視線でアルフォンスに告げてきた。
あんたが言いなさい、と。
(やっぱり僕が言わなきゃいけないのか)
別に嫌だとかじゃないんだけど、ね。
ただ断られたら悲しいから、引き止めたローザンが言ってくれないかな……、と期待しただけで。
「あの、僕はアルフォンスって言いますが、旅の仲間を探してるんです。それで、精霊使いの人に来てもらえないかと思って、この町に来ました。……もの凄く突然なんですけど、僕たちと一緒に旅に行きませんか?」
リューンは一瞬瞠目した後、悲しげに微笑んだ。
「あー、お誘いは嬉しいのですが、私はこの町を離れるわけには参りません。どうか組合で他の方を紹介してもらって下さい」
「そんなぁ……」
来てくれると思ったのに。
あの術を見て(正確にはいきなり術を発動させた危険性から)、きっと自分達と気が合うだろうと。
(まぁ、どんなに仲良くなっても無理なものは無理だよね……)
「えー、私からも組合に話を通しておきますので……」
ここまで言われてしまっては、流石にもう何も言えない。アルフォンス達は大通りで、反対側に帰っていくリューンと別れた。が、素直に終わらない人物がここにいる。
「あれは上級だ。アル、明日もう一度交渉して、何とか引き入れろ」
そう、リネアだ。
リューンの位が上級だと見抜いた所は凄いが、いきなりあれ呼ばわりは……。
しかも自分をご指名ですか。
「何とか、ってどうやってさ。何かワケありみたいだし、そう簡単にいくかなぁ……」
「そこはアルが考えなきゃ。でも、明日はリューンを通して他の人を紹介してもらえるんでしょ? 駄目だったときの最終手段、でいいんじゃないの?」
「だよな。けど、上級ってんならもうちょっと考えても……」
「いいじゃない、別に。ほら、さっさと帰りましょ」
……どうもローザンの言動がおかしい。
さっきから何故か、しきりに帰りたがっている。
「あ」
アルフォンスの呟きに、ローザンの体がびくりと震えた。
「あのさぁ、さっきの……」
勝負はどうなったの? と聞こうとして、今度はリネアに阻まれた。
「ローザンの言う通りだ。今日はもう終わりにしよう」
リネアまでこんなことを言うなんて。ってか、さっきと言ってることが違う。
……あれ、ちょっと待てよ?
(んん? そう言えば二人はあんなに大儲けしてたけど、時間内に換金してなかったよな……?)
そーか、そーか。そーゆーことですか。
「二人とも~。逃げるなんて、らしくないよ? さぁ、正々堂々負けを認めようよ!」
「べ、別に逃げてなんか……」
そう言ったローザンの目線は、明後日を向いていた。
「おい、言いだしっぺはお前だろ? ここは大人しく罰ゲームを受けろよ。もちろんリネアもな!」
セルグがそこまで言ったとき、反論しようとしたローザンからチャリーン、と言う音がした。
ローザン本人も何の音かわからなかったが、そこには硬貨が一枚転がっていた。
「はいよ」
セルグが拾い上げると、それはシェルマスの最も額の小さい硬貨だった。
――あれ。ってことは?
「ぃやったあ! そういえば、もしもの保険にこれはチップに変えなかったのよ! とにかく、これであたしは最下位じゃないわよね? 小銭だろうがお金ですもの!」
一方リネアは、苦虫を噛み潰したような顔をしている。
もしあのままだったら一位はリネアで自分がビリだったなと思うと、リネアには悪いがやはり喜んでしまう。
「罰ゲームか……。そうだなぁ、取りあえずセルグが一位だから……」
「ふふっ。いいこと考えたっ! ねえ、罰ゲームは最下位に言うことを聞かせる、でどう?
一位は二つ、二位は一つ。あたしは遠慮してあげるわ」
確かにこれはとても罰ゲームらしい。が、止めたほうがいいような気がする。
(……だって、一位はリネアに惚れてるセルグじゃん)
「ちょ、俺は別に……」
見方によってはオイシすぎる、この権利。それを得られそうなセルグは、見事に慌てふためいた。
ローザンはこの反応を見越していたらしく、面白くて仕方が無い、といった顔だ。
「あら。リネアを扱き使えるなんて、この先絶対に無いわよ? 貴重な体験をしておけばいいじゃない。ねぇ、アル?」
「え、うん?」
まさかここで振られると思っていなかったアルフォンスは、つい勢いで頷いてしまった。
(しまったぁあああ……!!)
「ほら、アルも認めたわよ。リネアはいいでしょ?」
有無を言わさぬローザンの勢いに、リネアも渋々ながら頷く。
二人の了解を得たローザンはニンマリとした顔でセルグに歩み寄り、リネアに聞こえないようにーーでも自分にも聞こえたから、多分聞こえたーーそっと耳打ちした。
「あんたも難しく考えなきゃいいのよ。荷物を持ってもらうとかでいいんだし。……それとも、他にやって欲しいことがあるのかしら?」
瞬間湯沸かし器。
……じゃなかった。セルグの顔が最後の部分で一気に赤くなったのだ。見てるこっちが恥ずかしい。
「あららーぁ? どうしたのかしら、赤くなっちゃってぇ」
「て、てめぇ!」
セルグが一発殴ろうとしたが、ローザンはその拳をひょいと避けた。
「ま、とにかく罰ゲームはコレね! さぁ、明日は組合に行くんだし、とっとと寝ましょ!」
こうして嵐を巻き起こした本人は、さっさとその場から逃げ出したのだった。
残された三人はと言うと、気まずくて仕方がない。
二人に挟まれているアルフォンスは、どうすればいいのか全く分からなくて困っていた。
(うう。ここで僕だけ逃げてもいいけど、それはリネアが可哀相だな。……ならば!)
「リネア、僕達も帰ろ?」
「あ、ああ。そうだな」
どうもリネアは展開についていけてなかったようだ。珍しく視線を泳がせていた。
だが、空気が微妙なのは流石にわかるらしい。この場を逃げられるとわかって、素直に頷いた。
「よし、さっさと行こう!」
善は急げ。急がば回れとも言うが、今回はナシで。
そうやって脱兎のごとく去った二人を見つめながら、セルグは悩んでいた。
(俺は明日からどうすりゃいいんだよ……!?)
自分も男だ。あのローザンの提案に胸が高鳴ったのは事実。だからこそ問題があるのだ。
まだ告白していないこともあって、リネアはあの空気の真意には気付いてないだろう。どうもリネアは恋愛事に疎い。それは確信できる。
……だけど気まずさが有るか無いかは、自分を気にしているかの指標でもあるわけで。そのためにきっちり気付いて欲しかったり……。
兎に角!
(明日からリネア『以外』とが気まずいだろぉがぁあああ!)
セルグの心の叫びは誰にも届くことなく、むなしく空に溶けていった。