海を越えて《弐》
三人はローザンに招かれ、言われるがまま彼女の家だという天幕へと入っていった。正確には家でなく、部屋に近い「ローザン専用の天幕」らしい。
そのため狭いわけではないが、四人も入るとそんなに余裕は感じられない。とても質素な造りで、物もほとんど置かれていない。祭りの衣装であろう着替えや小物くらいで、豪華絢爛なさっきの宴とは大違いだ。
そのことを尋ねてみると、今は踊りや占い、楽の演奏などさまざまな催しを行って収入を得る、祭り時期なのだという。だが、普段は移動生活だから基本的に物は少ないほうがいい、とのことだった。
「へぇ~…。あ、そうだ! まだ自己紹介してなかったよね。僕はアルフォンスって言うんだ。よろしくね」
「あたしはローザンよ。見ての通り、踊り子をやってるわ。あと族長の家系だから、この天幕を使う自由がきくの」
ローザンは今日の宴のために何とも華やかで魅惑的な服を纏い、その美しい肢体を露わにしている。悪く言えば下卑た感じがあってもいいものだが、そんなものは一切無く、むしろ洗練された気品を感じる。
「俺はセルグ、武闘家だ。まだ弟子だけどな」
「ええ、三人ともよろしくね。ねぇねぇ、リネアってかなり高位でしょ? あんなに凄い魔法を使えるんだもの」
「準修士だ」
「やっぱり! あの氷の術には驚いたわ。一瞬で岩よりも巨大な氷が、いくつも空中に出たんですもの」
リネアの返答を聞いて、ローザンが興奮したような声で言った。リネアの術で助けられた経験があるアルフォンスには、その気持ちがよくわかる。
「氷? 今回は炎じゃなかったんだ」
「竜に対して炎は効果的ではないからな。……そうだ、先ほどは礼を言い損ねていた。あの時は助かった」
「あら、お礼なんていいのよ。うちの一族の子を助けてくれたんだもの」
「え、ちょっと待てよ。リネアに何かあったのか?」
女同士の聞き捨てならない会話に、セルグが身を乗り出して問う。
「ああ、止めを刺し損ねてな。ローザンに助けてもらって事なきを得たが……。つい油断した」
リネアはさらりと言ってのけたが、それは命の危険があった、ということだ。
あの場を任せたセルグとしては気が気ではないだろう。
「悪かった、お前一人に任せちまって。大丈夫だと思って、つい……」
「大丈夫だ、次は無い」
心配されたことが嬉しいのか、リネアは一瞬だけ微笑んで、すぐにいつもの無表情に戻った。
「ねぇ、助けたってことはさ、ローザンは魔法か何か使えるの?」
「ええ、あたしは風使いでもあるの」
そう言うとローザンは人差し指を、空中に円を描くように動かした。すると向かいに置かれていた布が、室内だというのに風にはためく。ローザンが術で風を起こしたのだ。
「風使いか。確か霊力が基礎だよな。ルマって兼業するヤツが多いのか?」
「そうよ。有事のためにね。女は占い師とか、あたしと同じく踊り子をを本職にするのがほとんどよ」
「へえ、占いかぁ。ローザンはやらないの?」
「ん~、あれって小難しいのよ。精神を集中して、相手の気の流れとかから未来を予測するの。どうも苦手なのよ、あたし。曲を読むのは得意なんだけどね」
「曲を『読む』? 理解するってこと?」
「簡単に言えばそうね。あたしたち踊り子は、曲を解釈して身につけることを『読む』って言うのよ。特殊力と似たような感じじゃないかしら」
「そうだな。高度な術は、呪文を詠唱するだけでは発動しない。構造を理解し、流れを知らなければいけない」
……わからん。
男二人が同時にそんな顔をしたため、リネアが今後のためにも、と急遽、簡単な解説をしてくれることになった。特殊力について知識のないアルフォンスには、目から鱗、といった話ばかりだ。
「えーと。構造を理解って言うけど、どんな感じなの?」
「私たち魔法使いは五行の下に術を使うが、使用するには最低限、術がどの属性かを理解する必要がある。これが構造で、初期の術は判断し易いが、複合すると難しくなる」
リネアはそう言うと右手に術を発動させ、空中に手のひらほどの大きさの、水の球を生み出した。
「これは純粋な水属性の術だ。だがこの水で木属性である雷の術の威力を高めると……」
左手にはバチバチと音を立て、雷が生じる。
これら両手の術を合わせた瞬間、雷の威力が一気に増した。思わず身を仰け反らせるが、瞬く間に雷は凝縮され、指先ほどの火花となる。しかし、そこに籠められた魔力はわずかも減少していない。
「このように精度はそのままに威力を弱め、微弱な力で細胞を刺激するのが魔力による回復術の基本だ。つまり魔力の回復術の多くは、もとの雷が木属性なので、水属性よりの木属性の術。理解できたか?」
「……す、少しは……?」
理解出来たか、と問われても素直に頷けないが、かなり噛み砕いた教えなのはわかる。しかも実施つき。
特殊力を用いる職を修めにくい最大の理由は、こういった数多くの難解な定義にある。つまり、その難解さを苦にせず、魔法に無知なアルフォンスにも教えられるリネアは凄い。
(それだけわかれば十分かなぁ)
何となくだが、特殊力の構造とやらも理解出来た気がするし。
「特殊力って、どうもややこしいよな。俺ぁさっぱりだぜ」
「そう? 一番難しいのは、実は武闘家だって言うじゃない」
「ん~、それは簡単なものほど奥が深い、っつーことだろうけど……。俺は直感でやってるだけだし、わかんねえな。考えるのは苦手だ」
「あ、やっぱり?」
(……はっ、しまった!)
関心をすっかりリネアに奪われていたため、思わず口をついて出てしまった。
「やっぱり、ってどう言うことだよ。おいアル」
「いや、その、今までの行動からして……。ね?」
アルフォンスはしどろもどろで弁解をする。
(それが悪いこととは思わないけど……。良いことでもないよな、やっぱ)
「あはははっ、言われて怒るってことは、本当だってことでしょ? 怒れないじゃないの」
ローザンがお腹を抱えて爆笑しながら言ったことで、アルフォンスには助け舟となった。
思い切り笑われたことで、セルグもこれ以上アルフォンスを責められなくなったのだ。
「ちっ。しょうがねぇな」
「へへっ。ま、素直だ、ってことでいいじゃん!」
(素直と馬鹿正直は少し違うけどネー)
セルグはどちらかと言えば後者なので。おまけに単純。
まあ、いいヒトなのは間違いないのだが。
「それにしても……。本当に今日は助かったわ。この頃、魔物が増えすぎだと思わない? 私が小さい頃は遭遇するほうが難しかったのに。今はいつも気を張ってなきゃいけないもの」
「え? そうなの?」
「ああ、そうだな。アスケイルでも報告事例が増えてる。しかも増えてんのは魔物だけじゃない。色んな意味でいいのも悪いのもだ」
「そういえば武闘大会でも人族以外の民が居たよね。僕は初めて見たけど……」
それに、そんなことを神官様も言っていたような。
「……安定を欠いているからだ。在るべきものが無く、在らざるものが在る。故に、中心に在るこの世界への波及が一番大きい」
唐突に、リネアが言った。
――賢者の弟子だから、なのだろうか。いつも迷わず答えを返すのは。例えそれが世界の謎であっても。
「――それは、何? 在るべきものと在らざるものって」
どうしても聞かなければいけない気がした。剣を託された自分が、知らなければ、と。
「在るべきものは均衡だ。魔物は本来、ほとんどが魔界に住むものだ。だが近年、全世界で生態系を狂わせている」
その言葉に、誰かが軽く息をのむ音がした。
「己の世界に住む生命の力の、ちょうど半分を己の力として界王は持つ。魔物がこれだけ他世界に移れば、魔王の力は相当弱まっている」
先ほどまでの明るい雰囲気は、すでに天幕から消えていた。
冗談でも推測でもない。真実だけをリネアは告げたから。
「何で、そんなことになってるんだろう?」
ここで答えを得ても、何も変わらない。聞いたアルフォンス自身、それは良くわかっていた。
けれど聞かなければ不安に押し潰されそうで、確実な答えが欲しかった。
「……それは私も知らない」
当然だ。リネアとて万能ではない。
「だよね。変なこと聞いて、ごめん」
これから先、そう遠くない未来で目指すべき道は何処なのだろう?
ただ旅に出た自分。世界を救えなんて言われたのに、何をすればいいのか分からないなんて。
「……だが、魔界の均衡が崩れた理由は知っている」
しかし光は消えない。闇の中に一点、永遠の力。