新たな地《肆》
夕食を終え、部屋に戻ろうとしたところでセルグが二人を呼び止めた。三人で手合わせをしたいと言い出したのだ。
その申し出を快諾した二人は、セルグと一緒に宿の近くにある森に向かった。森を少し入ったところが開けており、ちょっとした広場のようになっているのだ。
「まずはアル、俺とやろうぜ。いいだろ?」
「え? だけど……」
「ああ、剣使っていいぜ。そういう訓練も必要だし」
「そう? じゃあ……」
武器を持たないセルグに剣をむけることに不安を覚えつつ、アルフォンスはセルグに向き合い、息を整え、剣を構えた。
リネアは少し離れた場所で二人をしっかりと見つめている。
だがアルフォンスは剣を構えた途端、一寸たりとも動けなくなってしまった。
原因はセルグの気迫だ。普段のセルグとも、魔物との戦いの時とも違う。決して荒々しくない、澄んだ気迫。いつかどこかで感じたような気もするが、そんなことを考える余裕などない。
(あ……。ムリだ、動けない……!)
その時、セルグが動いた。
アルフォンスは何とか咄嗟に避けることができたものの、全身にびっしょりと冷や汗をかいていた。
「どうした、アル。来いよ」
「う……」
(こわい)
ああ、分かった。あの気迫の正体。セルグは飢えているのだ。
(何でここまで)
アルフォンスでも簡単に察し、怯えてしまうほどの気迫。
(今はただの練習じゃないか……!)
「予選のとき見せた力、出してみろ。俺はあのお前と戦いたい……!!」
セルグは強き者との闘いを、渇望していた。
――数分は経っただろうか。
だが二人の闘いは、一向に再開しない。アルフォンスが座り込んだまま、全く動かないからだ。
「なあ、何でだ。何で本気を出さない? 手加減なんかすんなよ!」
「違う……っ。セルグ、僕は手加減なんかしてないよ」
「嘘言うんじゃねぇよ。あの時は……。予選の時、お前はこんなんじゃなかった!」
「けど、違うんだ! 手加減なんかしてない! 嘘なんかじゃない……!」
「だけど……!」
「……待て、セルグ」
激昂していく二人を止める声。その声の主はリネアだ。
「何だ?」
闘いの邪魔をされたからか、セルグが少し苛ついたように答える。
「アルは嘘など言っていまい。余力があるようには見えない」
「……っ」
リネアの指摘に、セルグが軽く息を呑んだ。
恐らくセルグ自身、既に分かっていたことなのだろう。それでも認められずに――認めたくなくて、アルフォンスに強く詰め寄ってしまったのだ。
「まだその時では無い。眠れる力、目覚めは程遠いのだろう。この剣を使いこなすには、相当の時間が必要なはず」
「……」
「わかるな? 本来これは仲間と闘うための剣ではない。ただの剣ではないのだ。予選では剣が自ら力を発揮し、アルを導いたのだろう。剣の力を我が物としたアルと戦えるのは、まだ先だろうな」
「……。そう、か。そうだよな。わかった」
そうセルグは溜め息交じりに答えた。その姿には、もうアルフォンスの動きを止めるような気迫は感じなかった。
(――あ、そっか)
気が弛んだと同時に思い出した。
あの気迫を以前に感じたと思ったわけを。あの気迫は、セルグの師匠ゴルディアスと会ったときに感じたものと、とてもよく似ていたのだ。一瞬で戦闘態勢に入り、一瞬でそれを解く。その落差、その鋭さ。もちろんセルグに聞けば師匠には到底敵わないと言うだろうが――。
「アル、無理させて悪かったな。どっか痛めたりしたか?」
未だにへたり込んだままのアルフォンスに、セルグが手を差し伸べた。その手を取り、アルフォンスはようやく地面から立ち上がった。
「ううん、大丈夫。こっちこそごめんね。予選の時のは、僕の力なんかじゃないからさ……」
「何を言っている、アル。お前に力が無ければ剣は使えない。まだ完全に目覚めていないだけだ。技量は訓練しだいでどうとでもなる」
落ち込むアルフォンスを横目に見つつ、リネアは心底不思議そうに言った。
どうやら彼女は自分を信じない、ということが信じられない性質らしい。
「そう……かな。なら、もっと頑張らなきゃね」
「当たり前だ。この先お前に何かあっては困る。唯一の剣の使い手なのだから」
「うん、努力するよ」
「そうしてくれ。私で良ければいつでも稽古の相手になろう。……さて、どうする? セルグ。私はお前の相手をするのか?」
「おう、頼む。リネアも武器を使っていいぜ。使い慣れてんだろ? その杖」
「いや、構わん。私は素手でやる」
そう言うなりリネアはマントを脱ぎ、セルグに向かって構えた。
「……いいんだな?」
「無論。本気でこい」
まるでリネアのほうが稽古をつける側のような口ぶりに、アルフォンスはかなり驚いた。
(いくらなんでも……。セルグは本職で男なんだし、本当に大丈夫かな)
しかしそんな驚きと心配は、不要だったとすぐに知ることとなる。
「――はぁっ!!」
まずはセルグが動いた。右の上段蹴りだが、どうみても様子見などではなく、本気の一発だ。だが、軽々とリネアに避けられ、その次もその次も、一発もリネアに入ることなく攻撃は続く。
「くっ……!」
しばらくして、わずかだがセルグが苦悶の声を漏らした。
「……気が上手く巡っていない。そんなことでは私すら倒せんぞ」
「ち、ばれたか。お前、人の心読めたりすんのか?」
「憶測に過ぎん」
「それって俺が分かりやすいってことか?」
「……さあな」
二人は会話をしているが、この間も動きが止む気配は無い。そして延々と攻撃をするセルグに対し、リネアが反撃する気配もなかった。
その後もリネアは反撃をせず、やがてセルグの攻撃が止んだ。
「……何で攻撃してこない?」
苦しそうに大きく呼吸をしながら、セルグがリネアを見つめて言った。そのリネアは息を乱しているとはいえ、セルグほどではない。
「先ほども言ったが、お前は上手く気が巡っていない。昨夜の男が気になるのだろうが、そんなことでは攻める価値は無い。基本すら守れないのか」
「そんな……!」
「アル、いいんだ。本当のことだから。リネア、ありがとうな。何かスッキリしたぜ」
「大会はきちんとやれ。このままではすぐに負ける」
「ああ、任せとけ。それより休んだらもう一回やってくれねぇか? 今度はちゃんとやるから」
「構わない」
「おし、じゃあ一時間後にまたここで」
そうして三人は休憩のため、一度自分たちの部屋へと戻った。
「……なぁアル、予選のことは覚えてるか?」
しばらく部屋で明日の用意をしつつ体を休めていると、思い出したようにセルグが尋ねてきた。
「そうだなぁ……。こう、無我夢中、って言うのかな。実は良く覚えてないんだよ。勝手に体が動いた、って感じで」
「ふーん……。凄かったんだぜ、お前。あれには驚いた」
「そう?」
「ああ。あれが……、あれがお前の中に眠る力の片鱗なんだ。楽しみにしてるぜ。全力のお前とやれる時を、な」
「ご、ご期待に沿えるよう、頑張りマス」
(……界王の剣、か。本当に僕で扱えきれるんだろうか。リネアはさも当然のように言うし、セルグもそれを受け止めてるけど……)
「ん? どうした?」
「……あっ、いや、何でもないよ。明日勝てるかなって」
「ま、試合ってのはやってみねぇとな。……と、そろそろ時間だな。じゃ、行ってくるわ」
「うん、頑張って」
「おう、じゃあな」
セルグが部屋を出て一人になったアルフォンスは、剣を鞘から抜き放った。
月の光を浴びて輝く刃を眺めつつ、これを自分に託した界王に想いを馳せた。
(会ったことも見たことも無い、人……いや、存在の力を僕が授かった。理由なんかわからないし……。世界を救えなんて言われたけど、未だに信じられない。どうも実感が湧かないんだ……)
アルフォンスは部屋の窓を開け、夜風を受けた。鏡のように磨かれた剣に、不安に駆られた自分の顔を映しだす。
(けど、あの二人は信じてる。僕が、僕たちが世界を救うことを)
素直で単純で、優しくて強いセルグ。魔法使いを修めた上、中級の武闘家にも勝るリネア。
(……これから先、何が待ってるんだろう。他にも仲間はいるのかな。それに……、この旅で母さんに会えるんだろうか……?)
月に雲がかかる。剣を鞘にしまうと、窓を閉め、どさりとベッドに横になった。
(何でかわからないけど、この旅でいつか母さんに会える、そんな、気が……する……)
そしていつの間にか、アルフォンスはぐっすりと眠りに落ちていった。
――夢を見た。
とてつもなく巨大な門の前に、若い男女が向かい合って立っている。
男性は一目でわかるくらい深い傷を負っているが、手に赤子を力強く抱いている。女性はその傷を見てか涙を流してはいるが、瞳にしっかりと強さが宿っていた。
そして女性はこう叫ぶ。
「お願い! この子を連れて、逃げて!」
「――待って!!」
ガバッ!
叫ぶと同時に、自分の声でアルフォンスは飛び起きた。
「おいアル、大丈夫か?」
「あ、セルグ……」
「寝ちまってると思ったら……。変な夢でも見たのか?」
「……う、ん」
心臓がバクバクと激しく鳴っている。
あの夢は何だ。あんな光景は、あんな人たちは、僕は知らない。
「へぇ。どんな夢見たんだ?」
「――物凄く大きな門の前に、二十才くらいの男の人と、女の人が居たんだ。男の人は傷だらけで、赤ん坊を抱いてた。女の人はそれを見て泣いてて……。逃げて、って叫んだんだ。そこで僕も何でか叫んじゃって……」
「へー、変な夢だな。その人たちに心当たりねぇのか?」
「うん、全然。女の人の髪は僕と同じような金だったけど……。逆に男の人はリネアみたいに綺麗な黒髪だったな」
「ふぅん? けど黒髪も金髪も珍しくないしなぁ。他に何か覚えてないのか?」
「うーん……。あ、そう言えばあれは……!!」
おぼろげな記憶を辿り、ある一点をなぞるように思い返す。
「ん? 何だって?」
「まさか、でも……」
「おいおい、どうしたんだよ」
セルグの言葉も耳に入らないまま、アルフォンスは自分の襟元に、震える手を差し込んだ。
「――やっぱり、似てる」
この首飾り。
「おーい。……お前、本当に大丈夫か?」
「――えっ。あ、ごめん。ええと、何?」
「いや。それよりその首飾りがどうかしたのか?」
「……あのね、夢に出てきた女の人がしてたヤツにそっくりなんだ」
「何だって?」
「夢ではこの真ん中に、何かの石がはまってたけど……。でもそれ以外は本当にそっくりなんだ」
服の中にしまっていた首飾りを、久し振りにじっくりと眺める。
見れば見るほど夢に出てきたものそっくりだ。
「じゃあその首飾りは、前に夢の女の人が持ってたとか?」
まさかな、とセルグは笑う。だが、アルフォンスはその言葉に驚愕した。
見知らぬ光景に、見知らぬ男女。しかし、女性と自分を結ぶ二つの点。金の髪と金の首飾り。
「だとしたら、あれは……。……母さんと、父さん……?」
「なっ……。まさかそれ、お袋さんのなのか!?」
言った本人は冗談のつもりだったため、アルフォンスの反応にセルグも非常に驚いていた。
「うん。この首飾りは母さんの物だ、って父さんの遺言で……」
「……。そうか。なあアル、次はお袋さんに夢じゃなくて、現実で会えるといいな」
「うん、いつかきっと会ってみせる! ――ところで、リネアとの勝負はどうだった?」
「大収穫アリ、ってとこだな。マジでリネアには感謝しねぇと」
「……ふ~ん?」
「なんだよ、その返事は」
「いや、別にぃ?」
(ええと、セルグはリネア惚れてるんだよね? ……や、ただ単に相手が好きな人でも強者には敬意を払う……、みたいなもんか?)
分からない。セルグは色恋に関して単純一直線だと思っていたのだが、案外複雑なのかもしれない。
「よし、そろそろ明日に備えて寝ないとな。アルはどうする?」
「そうだね。僕ももう寝るよ。お休み」
二人が深い眠りに着き、月も中天を過ぎたころ、リネアは一人夜空を眺めていた。
――とても寂しそうな眼差しで。
(師匠……。これでよろしいのですか? 私はまだ不安なのです。予選の時の力も、ただの偶然かも知れない。……間に合わないかもしれない)
魂を共にする仲間。全てを曝け出せ、託せる仲間。
ずっとずっと欲しかった。ずっとずっと望んでいた。
どうか許して欲しい。失うのに怯え、全てを曝け出すことなど出来ない自分を。だから、せめて信じよう。仲間の全てを。
(今は信じるしかない。信じて託すしか……、私に出来ることは無い……)
様々な思いを乗せて、風は行く。
そして夜は終わり、朝が始まる。ひとつの節目とともに。