怒るのも仕事のうち―4
お客様を迎える時に使う御座敷に、私と綾芽、夏生さんに変人さんが腰をおろした。
海斗さんは座敷の障子を開けて、縁側の柱に背を預けて座っている。
「それで、そちらさんがこの子の、その、パパさん、やって?」
綾芽、声が震えてるよ?
隠しきれてないからね。
「うむ。世話になった」
「うーん。こっちも、この子が違う言うてるし。はい、そうですかって渡すわけにはいかないんですわ」
「我から娘を攫おうと言うのか?」
「娘、ねぇ。この子のお母さんの名前、言えます?」
「我が妻の名を何故明かさねばならぬ」
「話になんねぇな」
夏生さんが足を崩し、胡坐をかいた膝の上に手をついた。
仕方ない。
連れてきてしまったのは私だ。
ここは私が一肌ぬごう。
私は座布団の上から立ち上がり、変人さんの横へ立った。
「おかーしゃんのおなまえ、わたしにだけおしえて?」
右耳を両手で囲い、ひそひそ話のスタンバイ、オッケーです。
いつでも来いや!!
「母の名前を忘れるとは、仕方のないやつだ。特別だぞ?」
変人さんが若干嬉しそうな……気が、しなくもない。
相変わらず無表情だから分からないけど、声のトーンが若干上がったような?
夏生さんと綾芽、それに海斗さんは黙って見守ってくれた。
「お前の母の名は、ゆき、だ」
「おかーしゃん」
え? どういうこと?
本当にお母さんの名前と一緒で驚いた。
え? え? どうなってるの?
同じ名前っていうだけ?
「おい、落ち着け。それで、どうだったんだ?」
「このひと、おかーしゃんのおなまえ、しってましゅ」
夏生さんは綾芽と顔を見合わせた。
綾芽は肩をすくめ、夏生さんはじっと私の方を見てくる。
え? え? 私、どうなっちゃうの?
「それじゃあ、あんたがこの子のお父さんいうのは間違いないわけや」
「さきほどからそのように申しておったであろう? くどい」
「堪忍。それで、君はどうしたいん?」
「え?」
どうしたいって……選ばせてくれるの?
ここにいてもいいの?
「何を言っておる」
「わたし、ここにずぅーっといる! あやめたちとずぅーっといっしょ!!」
「……なっ!!」
綾芽に駆け寄り、ぎゅーっとしがみついた。
それを見て、変人さん、もとい私のお父さんは絶句している。
なんとなくだけど、こちらで生活してみて分かった。
もう、元の世界には戻れないこと。
でも、お母さんには会える気がすること。
漠然としたもので、確かな確証があるわけじゃないけど。
それに、向こうの世界にお母さんと私しかいなかったってことは……
この人はお母さんと私を一度は捨てたんだ。
それも異なる世界で。
「わたし、あなたきらい。かえって!」
今まで想像したことはあっても、実際に会ったことはなかった存在。
きっと、病気か事故で死んじゃったのかと思って触れなかった存在。
お母さんは、この人の分まで私を精一杯愛して育ててくれた。
そう思ったら、つい言葉が口をついていた。
脱兎のごとく座敷を飛び出し、向かった先は綾芽の部屋。
といっても、今は私の部屋でもあるんだけど。
「みやび?」
「……りゅー」
角のところで、何かにボスっとぶつかった。
顔をあげると、目を丸くしてこちらを見下ろしていたのは劉さんだった。
唇をきゅっと引き結んだ私を見て、劉さんは首を傾げた。
「どうしたの?」
「なんでもにゃい」
「うそ、だめ。なんでもない、ちがう。どうしたの?」
「……りゅー、ぎゅーかだっこ、して」
両腕を劉さんに向けて差し出した。
劉さんは、嫌な顔一つせず、私を抱き上げてくれた。
「りょうほう、する。だいじょうぶ」
頭撫で撫でのオプションまでついてきた。
……なんか、こそばゆいけど。
あったかいなぁ。