長いものには巻かれるべし―3
薫くんの作るおやつも美味しいけど、たまに無性にスナック菓子が食べたくなる時があるんだよねぇ。
さて、今日の私は時間がない。そのことをちゃんと理解して少ない時間で買うお菓子を決めねば、鬼が出る。ここでいう鬼は言わずもがなの薫くん。驚くなかれ、一度鬼になれば夏生さんと同じくらい……怖い。
けれど私は目先のことを考えるばかりで、肝心なことを頭にいれていなかった。
「……とどかない」
またか! またなのかっ!?
ぐぬぬ。あともう少しで届くというにっ!
「これ?」
背後からぬっと手が出てきて、私のお目当てのお菓子を取ったかと思えば、その手が私の方へ降りてきた。
「……ありがとーございましゅ」
「どういたしまして」
振り返って上を向くと、その人は薫くんでも池上さんでも神坂さんでもなかった。歳の頃は私や薫くんと変わらなさそうだけど、雰囲気がかなり大人びている男の人だった。
いや、決して薫くんが子供っぽいって言ってるわけじゃないんだよ? ただ、瑠衣さんを前にするとどうも思春期特有の反抗精神を惜しげもなく発揮させてるのを見てるとやっぱり年相応なんだよねぇ。
私? 私はどこからどう見てもピッチピチですやん。
「君、一人?」
「んーん。むこうでおやさいえらんでる」
「そう。じゃあ、早く戻らないとね。……死人が増える前に」
「え?」
私が首を傾げるのと、薫くん達がいる方から悲鳴が上がるのはどちらが早かっただろう?
そっちに一瞬目を向け、再び男の人の方を向いた時にはすでに男の人はその場から姿を消していた。
なんだか胸の辺りがザワザワする。
しにん? しにんって、なに?
戻らなきゃ。薫くん達のところに早く戻らなきゃ!
お菓子の陳列棚を抜け、野菜コーナーに行こうとした私の足はたたらを踏んだ。
「な、に、これ」
ついこの間起きた惨劇が今度はココでも起きていた。
何か黒いモノを取り囲むようにして倒れている人達。床には赤い水溜り……夥しい量の、血。必死の形相で逃げ惑うお客さん達が悲鳴をあげながら出口を目指して詰め寄せていく。
そんな中だというのに、私には黒いモノからニチャニチャと何かを咀嚼する音が聞こえた。
それからゆっくりとこちらを向くその黒いモノの口には……。
「はい、そこでおしまい」
手がスッと後ろから伸びてきて、私の目を覆った。
この声は。
「かなでさま?」
「えぇ。当たり、よ」
いつもより少し硬めの声音が返ってきた。それからクルリと体を奏様の方へ向けられると、手の代わりに今度は肌触りの良い布が私の目を包み込んだ。
「かなでさま、これ……」
「外しちゃダメよ? 良い子だもの。約束は守れるわよね?」
「う、うん。でも……」
「チビっ!」
この声は薫くんだ。
「言うこと、聞かないと……おやつ……抜き、だからっ!」
「は、はいっ!」
でも、なんだか声が掠れてる。三人とも大丈夫、だよね?
薫くん達の方に行きたいのをグッとこらえ、奏様にくっついた。
「いい子ね。……避難状況は?」
「ほぼ完了した。後はそのお嬢ちゃんと向こう側にいるヤツらだけだ」
「了解。一般人はいないってわけね?」
「あぁ」
「聞きました!? さっさと片付けてください! 邪魔で治療ができませんから!」
「やっとかい? オーケー、オーケー。肩慣らし程度だろうけどね」
「御託はいい!」
何人か知らない人の声も聞こえてきた。
周りが見えないというのはこんなにも不安になるものなんだ。特に今は一緒にいた薫くん達がどうなっているか分からないぶん余計に。
「薫さんっ!」
神坂さんの薫くんを呼ぶ声に、見えないと分かっているのについついそちらへ顔を向けてしまう。
「かなでさま。かおるおにーちゃま、どうしたの?」
「……鷹、この子をお願い。私は彼の治療に」
「おぅ」
「かなで、さま?」
奏様は私の質問に答えてくれなかった。
代わりに誰かが私の体を抱き上げた。きっと奏様が鷹と呼んだ声の人なんだろう。
……彼って、治療って、薫くんのことじゃないよね? 三人とも無事なんだよね?
ダメだって言われたけど、おやつ抜きっていわれたけど。
不安で不安で仕方ない。
ちょっとだけ、一瞬だけ。
私は奏様が結んだ布に手を伸ばした。
そして、知った。
絶望、それから……恐怖。
「薫くん!」
「うわっ!」
抱っこしていてくれた人の手を抜け出し、薫くんの元に駆け寄る。
あの黒いモノはいつの間にか消えていた。
気を失っているらしい薫くんの隣に腰を下ろしていた奏様がこちらを見て目を見張った。
「大丈夫! 大丈夫だからね!」
「雅ちゃん、あなた……」
横にいた池上さんや神坂さんは無事だ。
ただ、薫くんの、あの黒いモノに引き裂かれたんだろう脇腹は大きく抉れていた。そこからドクドクと血が噴き出してくる。
「うぅっ、ズッ……ひっく」
痛いの痛いの飛んでいけ、痛いの痛いの飛んでいけ。
薫くんの脇腹に手を当て、そればっかりを何回唱えただろう。
気づくと出血は止まっていた。傷口も塞がっている。
「……涙はまだしも、鼻水は汚い。顔に落とすのはやめて」
「ご、ごめっ……なさい」
目をうっすらと開けた薫くんに怒られて、慌てて鼻水をすすった。
「薫くん、良かったよぉ!」
薫くんの体に手を回そうとして、ふと気づいた。
あれ? 私、身体、元に戻ってる!?